白銀の願い
翌日、俺達は宇都宮でタクシーを拾い、日光へと向かった。
鬱々とした曇天の空模様。
今にも雨が降り出しそうだ。
タクシーは田園風景を抜け、日光の市街に入った所で渋滞につかまった。
「あれれ、普段はここまで混まないんだけど‥」
タクシーの運転手は訝しがる。
俺達はタクシーを降り、徒歩で向かうことにする。
嫌な予感がした。
胃を見えない手で掴まれるような不快感。
「嫌な感じだな」
優香も同じ事を思ったのかコクリと頷く。
「妙な波動を感じます。急ぎましょう」
数分走って出た駅前はめちゃくちゃになっていた。
そこかしこの建物は窓ガラスが割れ、ところどころ出火もしている。
道路には何台かの車が横転している。
破損した車は激しい衝突でも起こしたようにくの字に曲がっていた。
道路のあちこちに人が倒れ、地面には血溜まりができている。
プラスチックやゴムの焼ける匂いが立ち込めて、吐きそうだった。
「先生!」
優香が前方に向かって叫ぶ。
見ると歩道に膝をついてうずくまる一人の女性が見える。
ゆったりしたセーターにロングスカート。
年齢は50歳ほどだろうか。
足を負傷しているのか、スカートが血で染まっている。
「来るな! に、逃げろ!」
女性は駆け寄ろうとする優香を制止する。
見ると、女性の周りを数人の人影が取り巻いている。
黒装束に仮面をつけ、表情は分からない。
そいつらは素早く走り回り、時には跳躍して女性に襲いかかろうとするが、近づけない。
女性の周りを、白い紙でできた鳥のようなものが飛び回り、そいつらを弾き返しているからだ。
「氷よ‥射よ!」
優香が唱えると、白い無数の氷弾が敵に降り注いだ。
だが、奴らは素早く身を引き、ダメージを与えられない。
「く、早いっ!」
優香は呟く。
奴らはこちらの方を本命と考えたのか、向かってきた。
俺もヴェルデッドを取り出し、唱える。
最早、探知されるとか言っている場合じゃない。
「漆黒よ、捕らえろ!」
だが、奴らは詠唱の間に間合いを取ってしまい、空振に終わってしまう。
「天露の籠よ、閉じよ」
優香の詠唱と共に辺りにうっすらとした靄が立ち込める。
霞は見る見る濃くなると、男達はまるで蜘蛛の巣に捕らえられた様に身動き取れなく成った。
これは、チャンスだ。
「黒き槍よ、貫け!」
すかさず攻撃をかける。
囚われていた男達は次々と黒槍に貫かれ、黒い灰と化した。
しかし、残った1人が隙を突き、優香に迫る。
「氷壁よっ!」
すんでの所で優香の作った氷壁が男を取り込む。
「黒槍よ!」
短縮詠唱で男を葬る。
威力は弱いが、動けなくなった相手になら充分だ。
男は灰となって崩れ落ちた。
何とか危機を脱した様だ。
優香に声を掛けようと振り向くと、右肩が血で真っ赤だ。
男の最期の一太刀が掠めたらしい。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫、かすり傷です」
優香は微笑んで女性の方へと歩んだ。
優香はあの女性を、先生と呼んでいたな。
『ガズン!』
重々しい音ともに優香を巨大な槍が貫いた。
優香はそのまま勢いでもんどり打って倒れる。
‥何だ?何が起きた?
一瞬、思考が止まりかける。
俺の周りに紙鳥が集まるのと、殴り倒す様な衝撃は同時だった!
「ぐがっ!」
俺は転倒しながら優香を見る。
倒れた地面には大きな血溜まり。
今もどんどん大きくなる。
どこからか攻撃を受けた‥思考が回復し始める。
「黒壁よ、出でよ!」
とりあえず俺と優香の周りに防壁を張る。
間に合わせだが、数刻は稼げる。
優香に走り寄る。
「おいっ、しっかり‥」
言いかけて息を飲んだ。
槍は胴体を貫通し、怪我は明らかに致命傷。
今すぐ手当てが必要だ。
『ガガガッドーン』
黒壁を破壊して敵が現れた。
その姿はあまりにも異形だった。
腕が四本。それぞれ手に剣や槍を持っている。
頭や胴体は人間数人を粘土の様にこね合わせ、混ぜ合わせて作られている。
それは、人間を部品に作られた醜悪なオブジェだった。
それが奇声を上げながら迫って来るのは、悪夢としか言いようが無かった。
「に、逃げ‥」
先ほどの女性が倒れたまま苦しげに声をかける。
だが、俺一人で逃げるなんて出来ない。
「漆黒よ、喰らえ」
化物の足元から黒い槍が何本も伸びる。
が、刺さる寸前で砕けてしまう。
術が効かない??
これは‥。
「あき‥ら」
倒れた優香がこちらを向いて苦しげに呼ぶ。
「ばか、黙ってろ!大怪我なんだぞ」
微かに首を振る優香。
「時間、稼ぐか‥ら」
同時に優香の周りに凄まじい冷気が集まり始める。
見る見る地面や街路樹が凍り付いてゆく。
「ま、まて、そんな事をしたら‥」
「逃‥」
既に言葉すら発せない。
それでも冷気は止まらない。
激しい氷滴となって化物を覆ってゆく。
最初は身体の氷滴を払っていた化物も、遂に氷に覆われ、身動きしなくなった。
今逃げれば、暫くは助かる。
逃げる‥優香を捨てて?
大切な人を傷つけた奴を見過ごすのか?
化物の異常さに麻痺していた怒りが沸いてくる。
当たり前だ。絶対にあの化物を許せない。
許さない許さない許さないっ!
「ヴェルデッド、力を貸せっ! アイツをぶっ殺すだけの力っ!」
『それは契約の更新となるが、良いか?』
「何が契約だっ! あんな奴に負ける程度の魔力でっ!」
『‥良いだろう。その言葉、しかと忘れるな』
言葉と共にヴェルデッドを持った右手に激しい痛みが走る。
まるで腕の中に針を突き刺し、ぐちゃぐちゃとかき混ぜられる様な。
「がっ! つうううっ!」
叫びは、言葉に成らない
痛みは右腕から遡り、身体全体に駆け巡る。
「がづづ‥」
叫びながらも身体中に恐ろしい程の力も感じる。
例えコンクリートだろうが、鉄骨だろうが容易く引き千切る事が出来るだろう。
例え、あの化物だろうが。
『ガッキーン』
身体の氷を砕き、化物が再び動き出した。
俺を見るや、手に持った剣を振り下ろす。
その、3mはある巨大な剣を俺は片手で受け止めた。
何の衝撃も感じない。
そのまま、剣ごと化物の腕を引きちぎった。
化物は一瞬怯むも、腕の付け根から薄黒い血を流しながら更に別の腕を振り下ろして来た。
もうこれ以上、こんな物に時間をかけて居られない。
俺は魔力を右腕に集め、化物に叩き付けた。
『ドーーン』
黒い巨大な稲妻と共に叩き付けた俺の腕は化物を縦に引き裂いた。
化物の防壁を、魔力によって強化された拳で物理的に破壊したのだ。
バラバラに引きちぎれた化物は黒い粉となって散ってゆく。
体の中を巡る力の暴走にふらつきながら、優香の元へ向った。
右半身が痺れるように、動かし辛い。
さっきの女性が優香の傍らに座っていた。
「優香‥は?」
「‥」
無言で首を振る。
待ってくれ。
俺はまた大切な人を失うのか?
思わず優香を抱き寄せる。
「あ‥き‥‥ら」
微かだが、確かに優香の声が聞こえた。
まだ、生きている。
「早く医者をっ」
立ち上がろうとした俺の腕を、優香は掴む。
「無事で‥よか」
「話すな、すぐ医者呼ぶから」
「忘れ‥ないで」
視界に涙が滲む。
大切な人が失われようとしているのに、泣く事しか出来ないのか、俺は。
「当たり前だ、絶対に忘れる訳ない」
「本当は‥あきらと‥かぞ‥く‥‥に」
それっきり優香は何も言わなくなった。
握った手が冷たく成ってゆく。
俺はその場からずっと身動きすらできずに居た。
「もう行きましょう」
優香の先生が声をかけた。
どれくらい時間が経ったのか。
辺りは日が落ち、夜に成っていた。
「駄目だ、優香を置いて行けない」
「ここに居てはまた次の敵が来る。優香の命、無駄にするの?」
そう言われて逆らうだけの気力が俺には無かった。
よろよろと立ち上がる。
「優香は‥どうする‥」
「自然に生まれた者は自然に‥数多の精霊の元へ‥」
言うと、女性は何事か呪文を唱え始める。
聴いた事のあるその呪文は‥。
「おい待て!まさか、優香を消すつもりか?」
「分かって。それが一番なの」
あんなに居場所を欲しがって。
覚えていて欲しいって願ってた。
その優香を。
「跡形もなく消す? 弔いも墓も無しにかっ!」
「墓も弔いも私達の想いの中にあればそれで‥」
先生の無情な言い方に腹が立った。
「ふざけるなっ!アンタはそれで平気なのかっ」
叩きつける様に言った。
「平気な‥訳無いでしょう」
見ると先生の目には涙が溢れていた。
震える唇を噛み締め、激情を堪えている。
「このまま亡骸を遺してゆけば、どんな酷い扱いをされるか‥」
そうか。
この人は優香の尊厳を守るために、ここで消そうとしているのだ。
「‥」
言葉に詰まった俺に、先生は金色のネックレスを手渡した。
繊細な加工のチェーンに濃いブルーの小さな宝石が付いている。
「これは?」
「たった一つ、優香が子供の頃から持っていたもの。貴方が持っていて」
受け取ったネックレスは金属なのに何故か微かに温もりを感じた。
柔らかく、優しい温かさ。
これだけは決して手放さないと誓って、俺はその場を離れた。
とりあえず東京へ戻ろうと駅へ向う途中で、スマホの着信音が鳴った。弘樹からだった。
『明、今何処だ』
慌てた様子の声。
おっとりとした性格の弘樹には珍しい。
「今、日光を出る所だ」
『そ、そうか、良かった。東京には帰ってくるな』
「どうした? 何か有ったのか?」
『怪物があちこちて暴れ回ってる。危険だから逃げろ』
そこで電話は切れた。
こんなに立て続けに事件が起きるなんて。
一体何が起こっているんだ。
頭の整理が追いつかず、思わず立ち尽くした。




