第七話
店まで来ると、すでに一人社員が来ていた。
「おはようございます、店長」
「おはよう、磯谷」
彼女も今来たところらしい。店の通用口の扉を開けながら爽やかに笑ってみせたのは、磯谷春菜、この店の、もう一人の社員である。この店、社員二名とも女性なんだよな。
高身長、長い黒髪、切れ長の目。クールビューティとアルバイトから渾名される彼女は、笑顔をさっと引っ込めて、代わりに不審そうに俺を見る。
「店長、寝癖ついてますよ?」
「ん?」
通用口はすぐに事務所に繋がっている。
事務所に入った俺がスマホのインカメで頭を見てみれば、確かに頭頂部からぴょこっとアホ毛が飛び出していた。
「珍しいですね。店長は身なりをきちっとしてくる印象があるのですが」
「……そう、だな」
磯谷の言う通り、普段は鏡を見て出社するよう癖付けているのだが、今日に限って忘れていた。
理由はもちろん。
「それに、口元に食べかすもついてますよ。パンですか? 珍しいですね、本当に」
「んっ」
確かに、唇の下になにか食べかすのようなものが付いている。遠目で看破する磯谷も大したもんだが、油断しすぎだな、俺。
「先にお手洗いに行ってきたらどうです? 開店作業は私、やっておきますんで」
「……すまない。頼んだ」
言葉も少なく、俺は手洗いに向かう。
なんとなく磯谷の不審そうな視線が背中に突き刺さるような気がしたが、まさか獅子堂と朝ゆっくりしすぎて身だしなみを怠った、なんて言えなかった。
「はあ」
鞄に小さな櫛を放り込んでいて助かった。水に濡らして髪を整え、冷たい水で軽く顔を洗う。
冷たいな、と思いながら鏡の中の自分を見てみれば、なんだか幸せそうに口元を緩めてる男がいた。
いかん。さすがに浮かれすぎだ、俺。だいたいもって獅子堂が俺の家に転がり込んできた理由が良くないのに、俺がニヤニヤしているのは彼女を傷つける行為だろうが。
そう、思っても。
『行ってらっしゃい。気をつけて』
そう言ってみせた彼女の顔が、俺には忘れられない。
そんな言葉を掛けられたのはいったいいつぶりだったろう。朝も考えたそんなことを思いながら、手洗いを出る。
「悪い、磯谷」
「少しはしゃきっとした顔、しましたね。レジは開けてます。店の清掃をお願いできますか?」
「応」
店の清掃や陳列の慣らしなど、細かい作業こそ社員の仕事。俺はそう心得て、毎日自分で掃除をしている。まあ、掃除が好き、というのもあるが。
掃除は心を無心にさせる。箒を手に持って掃除を始めた俺は、さっきの思考の続きを脳が勝手に始めるのを感じた。
行ってらっしゃい、か。
最後にそう言われたのは……確か、中学生の頃、だったかな。
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