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第3章第1話:破滅回避への必死の努力

宮廷からの一時退去命令を受けてから三日が経った。エリザベートの体調は薬の効果が切れるとともに再び悪化していたが、このまま屋敷に籠もっているわけにはいかなかった。


朝の光が差し込む窓辺で、エリザベートは憔悴した自分の姿を鏡に映していた。頬は痩けて青白く、目の下の隈も濃くなっている。時折襲ってくる軽いめまいは、立ち上がる度に彼女の足元を不安定にさせた。


「お嬢様、本当に大丈夫ですか?」


マリアが心配そうに声をかけてくる。エリザベートの顔色は相変わらず悪く、時折めまいに襲われているのが見て取れた。


「はい。今日は慈善活動に参加します」


エリザベートは震える手でブラシを取り、髪を整えようとした。しかし、途中で手が止まる。本当に今日、外出できるだろうか。


「でも、お体が...それに、宮廷からの命令では」


マリアの声に不安が滲んでいる。三日前から主人の様子がさらに悪化していることを、彼女は痛感していた。


「宮廷への立ち入りを禁じられただけです。民衆のための活動まで禁止されたわけではありません」


エリザベートは鏡の前で身支度を整えながら答えた。無実を証明するには、行動で示すしかない。しかし、その声には以前のような確信がない。


「それに、リリアーナ様と直接協力すれば、誤解も解けるかもしれません」


その言葉を口にしながらも、エリザベート自身、それが叶わぬ希望であることを薄々感じていた。あの謁見の間でのリリアーナの表情を思い出すと、胸が締め付けられる。


馬車の準備が整うまでの間、エリザベートは書斎で過ごした。机の上には、これまで慈善事業に参加した時の記録が残されている。孤児院での子どもたちとの楽しいひととき、病院での患者たちとの会話、貧しい地区での食事配布...


「あの頃は、皆が私を歓迎してくれていました」


エリザベートは古い記録をめくりながら呟いた。写真に映る自分の表情は明るく、周囲の人々も自然な笑顔を見せている。それが今では、まるで別世界の出来事のように感じられた。


「お嬢様、馬車の準備ができました」


マリアの声で我に返る。エリザベートは立ち上がろうとしたが、突然のめまいで壁に手をついた。


「お嬢様!」


「大丈夫です...少し休めば」


しかし、体は正直だった。数分間、椅子に座り直して深呼吸を続けなければならなかった。


街の孤児院に向かう道中、馬車の中から見える街並みは、以前と変わらず美しかった。しかし、人々の視線が確実に変化していることを、エリザベートは肌で感じていた。


道行く人々が馬車を見つめる目に、以前のような親しみやすさはない。代わりにあるのは、好奇心と警戒心の入り混じった複雑な感情だった。


「あれがヴァルハイム公爵令嬢の馬車よ」


「宮廷から追い出されたという...」


「まだ街にいるのね」


「聖女様の活動を邪魔しに来たのかしら」


窓のカーテンを少し開けただけで、囁き声が風に乗って聞こえてくる。エリザベートは馬車の中で小さくため息をついた。


馬車が孤児院の前に到着した時、既に多くの人々が集まっていた。リリアーナの慈善活動には、いつも大勢の市民が参加する。


エリザベートが馬車から降りた瞬間、その場の空気が一変した。人々の会話が止まり、視線が一斉に彼女に向けられる。その視線の重さに、エリザベートは思わずよろめいた。


「大丈夫ですか、お嬢様?」


マリアが慌てて腕を支える。


「ええ...ありがとう」


孤児院の中に入ると、リリアーナが既に子どもたちの世話をしていた。彼女は笑顔で子どもたちに話しかけており、その光景は天使のように美しく見えた。


リリアーナはエリザベートに気づくと、一瞬困惑した表情を見せた。その表情の変化を見て、エリザベートの胸に痛みが走る。


「リリアーナ様」


エリザベートは勇気を振り絞って声をかけた。歩み寄る一歩一歩が、まるで針の山を歩くような感覚だった。


「私も活動に参加させていただきたいのですが」


リリアーナは優しい表情で振り返った。しかし、その優しさの裏に、以前にはなかった戸惑いが隠れているのを、エリザベートは感じ取った。


「エリザベート様...」


リリアーナが何かを言いかけた時、院長の修道女が慌てて割り込んできた。その動作は明らかに意図的で、エリザベートを排除しようとする意思が見え見えだった。


「聖女様、申し訳ございません」


修道女はエリザベートを警戒するような目で見た。その視線には、明確な敵意があった。


「現在の状況では、他の方の参加は...子どもたちの安全を考えますと」


修道女の言葉に、エリザベートは深く傷ついた。子どもたちの安全を脅かす存在と見なされているのだ。


「でも...」


リリアーナが何か言いかけたが、別の修道女が小声で耳打ちした。その内容は聞こえなかったが、リリアーナの表情がさらに複雑になった。


「聖女様、宮廷からの退去命令を受けた方を受け入れるのは危険です」


「魔法的な影響があるかもしれません」


周囲の市民たちからも、不安そうな声が上がった。その声々が、エリザベートを取り囲むように響く。


「そうよ、子どもたちに何かあったらどうするの」


「黒魔法の影響があるかもしれない」


「なぜここに来るの」


人々の声が重なり合い、エリザベートには非難の大合唱のように聞こえた。めまいがひどくなり、足元がふらつく。


リリアーナは本当に苦しそうな表情を見せた。彼女の目には、エリザベートを信じたいという気持ちと、子どもたちを守らなければならないという責任感が激しく混在していた。


「エリザベート様、私としては...」


リリアーナの声が震えている。彼女もまた、この状況に苦しんでいるのだ。


「聖女様」


修道女が再び口を挟んだ。今度はより強い調子で。


「皆様の安全を第一に考えていただかなければ」


その圧力に押し切られるように、リリアーナは深いため息をついた。


「申し訳ありません。皆様がおっしゃる通り、今は慎重になるべきかもしれません」


エリザベートは、リリアーナ自身には悪意がないことを理解していた。彼女は純粋に皆の安全を思っているのだ。しかし、それでも拒絶されたという事実は、心に深い傷を残した。


「では、せめて寄付だけでも」


エリザベートは持参した金貨の入った袋を取り出した。手が震えているのを悟られないよう、必死に抑えようとした。


「子どもたちのために」


リリアーナは受け取ろうと手を伸ばしかけた。その時、エリザベートは一瞬、希望を感じた。しかし、修道女が再び割り込んだ。


「聖女様、お待ちください。お金に魔法が込められている可能性があります」


修道女の発言に、エリザベートは愕然とした。金貨にまで疑いをかけられるとは。


「そんな...」


「疑わしいものは全て危険です」


別の市民も声を上げた。


「触れるだけで呪われるかもしれません」


その時、小さな男の子がリリアーナの手を引いた。


「リリアーナお姉さん、あの人怖い」


子どもの純粋な恐怖心。それが、リリアーナの決心を完全に固めた。


「申し訳ありません、エリザベート様」


リリアーナは本当に申し訳なさそうに言った。


「私個人としてはあなたを信じたいのですが...」


「やはり、今は慎重に行動させていただきます」


リリアーナの拒絶は優しい口調だったが、それだけにエリザベートの心により深く刺さった。


エリザベートは袋を持ったまま、その場に立ち尽くしていた。周囲からの視線が痛いほど感じられる。子どもたちでさえ、怯えた目で彼女を見ていた。


「わかりました...」


エリザベートは絞り出すような声で答えた。


「お邪魔をして、申し訳ありませんでした」


孤児院を後にする時、エリザベートは振り返らなかった。もし振り返れば、きっと涙があふれてしまうから。


馬車に戻る足取りは重く、マリアに支えられながら何とか歩を進めた。



孤児院を後にしたエリザベートは、次の手段を考えていた。リリアーナとの協力が叶わないなら、民衆への直接的な善行はどうだろうか。


「お嬢様、一度屋敷にお戻りになっては...」


マリアが心配そうに提案したが、エリザベートは首を振った。


「いえ、まだできることがあります」


街の中央広場に向かう道中、エリザベートは作戦を練っていた。食料を配れば、人々の心も少しは和らぐかもしれない。


中央広場に到着すると、エリザベートは準備していた食料を取り出した。温かいパン、新鮮な果物、そして硬貨の入った袋。これらを貧しい人々に配ることで、自分の善意を示そうと考えた。


「皆様、どうぞ」


エリザベートは温かいパンと硬貨を配り始めた。


「ヴァルハイム家からの心ばかりの贈り物です」


最初のうちは、生活に困っている人々が恐る恐る近づいてきた。空腹には勝てないのか、何人かがパンを受け取った。


「ありがとうございます」


年老いた女性が感謝の言葉を口にする。しかし、その手は微かに震えていた。


「本当に助かります...でも」


彼女の表情に複雑な感情が浮かんだ。感謝と恐怖、必要性と不安が入り混じっている。


「大丈夫...ですよね?」


別の男性も、パンを受け取りながら不安そうに呟いた。


「食べても、呪われたりしませんよね?」


人々は受け取りたい気持ちと恐怖心の間で揺れ動いていた。エリザベートはその複雑な感情を痛いほど感じ取っていた。


しかし、しばらくすると群衆が集まり始めた。そして、その雰囲気は徐々に険悪になっていく。


「本当にもらっても大丈夫なのか?」


「魔女の食べ物を食べたら、どうなるかわからない」


「あの女、宮廷から追い出されたんだろう?」


人々の間で不安と疑念が広がっていく。エリザベートは必死に弁明しようとした。


「皆様、私は何も悪いことはしておりません」


しかし、群衆の中から年配の男性が立ち上がった。


「それはあんたの言い分だろう」


その男性の目には、明確な敵意があった。


「そうだ、宮廷から追い出されたってことは、やっぱり怪しいんじゃないのか」


他の人々も同調し始める。最初にパンを受け取った人々でさえ、不安そうな顔をしている。中には、受け取ったパンを地面に置く者もいた。


「聖女様を困らせるような奴の食い物なんて」


「呪われてるかもしれないぞ」


「そうだ、そうだ」


状況は急速に悪化した。エリザベートが善意で配ったパンが、次々と地面に投げつけられる。その音が、彼女の心を深く傷つけた。


「帰れ!」


「魔女はここに来るな!」


「聖女様に謝れ!」


群衆の怒りが頂点に達した時、エリザベートは激しいめまいに襲われた。視界がぼやけ、足元がふらつく。


「お嬢様!」


マリアが慌てて駆け寄る。


「すぐに馬車を」


混乱の中、エリザベートは何とか広場から脱出した。馬車の中で、彼女は深く息をついた。二度目の失敗だった。


---


屋敷に戻ったエリザベートは、深く考え込んでいた。直接的なアプローチでは、どうしても偏見と恐怖心が勝ってしまう。


「お嬢様」


マリアが心配そうに声をかけた。


「今日は無理をしすぎでは...」


「いえ、まだ方法があります」


エリザベートは窓の外を眺めながら言った。


「協力者を見つけることです」


「協力者、ですか?」


「はい。直接的な善行では理解を得られない。ならば、彼らの本質を利用して協力を取り付けましょう」


エリザベートの目に、これまでにない戦略的な光が宿った。


「セラス様は研究者です。未知の現象への学術的興味を利用できるでしょう」


「バルドール様は正義を重んじる騎士。真実の解明こそが正義だと訴えれば、協力してくださるかもしれません」


「そして情報屋のロイド...彼は利益で動く人です。適切な報酬を提示すれば」


マリアは主人の変化に驚いていた。これまでの直情的なアプローチとは明らかに違う、計算された戦略的思考だった。


「お嬢様、それは素晴らしい考えです」


「今度こそ、きっとうまくいくでしょう」


エリザベートは書斎の机に向かい、三人へのアプローチ方法を詳細に検討した。それぞれの性格、関心事、弱点を分析し、最も効果的な説得方法を考える。


セラスには学術的価値を、バルドールには正義への訴えを、ロイドには金銭的利益を。三人三様のアプローチが必要だった。


翌朝、エリザベートは体調管理にも気を配った。昨日の失敗を繰り返さないよう、十分な休息を取り、軽い朝食を摂った。


「今日は戦略的に行動します」


鏡の前で身支度を整えながら、エリザベートは自分に言い聞かせた。


「感情的にならず、相手の心理を理解して接近する」


まず向かったのは、図書館近くでよく見かける宮廷魔法師セラスの元だった。彼の日常パターンを観察し、最も接触しやすいタイミングを狙った。


図書館から出てきたセラスを見つけた時、エリザベートは慎重に近づいた。


「セラス様」


セラスは振り返ると、興味深そうな表情を見せた。


「エリザベート様...珍しいところでお会いしますね」


「実は、お願いがあります」


エリザベートは一歩前に出た。


「私の魔法的異常について、共同で研究していただけませんか?」


セラスの目に明確な興味の光が宿った。


「共同で研究...」


彼は顎に手を当てて考え込んだ。


「この異常は未知の現象です」


エリザベートは、セラスの内面で強い知識欲が蠢いているのを感じながら続けた。


「研究者として、このような稀有な事例を見過ごすことはできないでしょう?新しい魔法理論の発見にもつながるかもしれません」


「それは...」


セラスの表情に明らかな変化が見られた。研究者としての本能が完全に刺激されている。


「確かに、あのような特殊な魔法的波動は初めて見ました。学術的価値は計り知れません」


エリザベートは内心で安堵した。予想通りの反応だった。


「もしこの研究が成功すれば」


セラスの目に野心的な光が宿った。


「魔法学の新たな地平を開けるかもしれません」


「ただし」


セラスは周囲を見回した。


「現在の状況では、表立って協力するのは難しいかもしれません」


「もちろん、それは理解しています」


「そうですね...」


セラスは少し考え込んだ。


「秘密裏に、純粋な学術研究として協力することは可能かもしれません」


「本当ですか?」


「ええ。ただし、あくまで研究目的として、ですが」


「ありがとうございます」


エリザベートは心からの安堵を感じていた。三人の協力者を得ることで、状況は大きく変わるはずだ。


「それでは、詳しいことは後日お話ししましょう。準備が必要ですから」


「もちろんです。お待ちしております」


セラスとの約束を取り付けたエリザベートは、次に騎士団長バルドールに接触することにした。


訓練場に向かう道中、エリザベートは彼へのアプローチ方法を最終確認した。バルドールは正義感の強い人物だが、同時に頑固な一面もある。彼の信念に訴えかけることが重要だった。


訓練場から出てきたバルドールに声をかけた時、彼の表情は厳しかった。汗を拭いながら、警戒するような目でエリザベートを見つめる。


「バルドール様」


「エリザベート様...何のご用でしょうか」


バルドールの声には、明らかに距離を置こうとする意図があった。


「私の無実を証明するために、調査にご協力いただけませんか?」


バルドールは立ち止まり、エリザベートを見つめた。


「調査、ですか」


「はい」


エリザベートは、バルドールの内面で正義感が燃えているのを感じながら、計算された言葉を選んだ。


「もし私が本当に無実なら、それを証明することこそが真の正義ではないでしょうか。逆に、もし私に罪があるなら、それもまた明らかにされるべきです」


バルドールの目が鋭くなった。エリザベートの言葉が、彼の騎士としての信念に直接訴えかけていた。


「真実の解明こそが正義...確かに、それは騎士の使命かもしれません」


「バルドール様ほどの方が調査してくださるなら、必ず真相が明らかになるでしょう」


バルドールは剣の柄に手を置きながら深く考え込んだ。エリザベートの言葉は、彼の正義感を巧妙に刺激していた。


「しかし」


バルドールの目がさらに厳しくなった。


「もし調査の結果、あなたに非があることが判明した場合は、容赦しません」


「もちろんです。それこそが正義というものでしょう」


「騎士として、妥協は一切できません」


「それを望んでいます」


バルドールは少し考えた後、決然と頷いた。


「わかりました。正義のために協力いたしましょう」


「ありがとうございます」


「ただし、私なりの方法で調査させていただきます。あらゆる可能性を検証し、真実を明らかにします」


二人目の協力者を得たエリザベートは、最後の目標に向かった。情報屋ロイドとの接触だった。


街の酒場に向かう道中、エリザベートは彼の性格を分析していた。ロイドは利益を重視する人物だが、同時に職業的なプライドも持っている。その両方に訴えかける必要があった。


酒場でロイドを見つけたエリザベートは、彼のテーブルに近づいた。酒場の薄暗い雰囲気の中で、ロイドは一人で酒を飲んでいた。


「ロイド、少しお時間をいただけますか?」


ロイドは驚いた表情を見せた。


「エリザベート様...こんなところで何を」


「あなたに依頼があります」


「依頼?」


ロイドの目に、仕事への興味が宿った。金の匂いを嗅ぎ取ったような表情だった。


「どのような内容でしょうか?」


「私を陥れている真犯人を探してほしいのです」


「真犯人、ですか」


ロイドは興味深そうに身を乗り出した。


「つまり、現在の状況は誰かの陰謀だと?」


「そう考えています。これほど組織的に噂が広がることは、自然には起こりません」


「なるほど...確かに面白い視点ですね」


ロイドは酒のグラスを置いて、真剣な表情になった。


「情報屋として申し上げますが、確かに不自然な点が多い」


「やはり、そうですか」


「ええ。噂の広がり方に、明らかに人為的な要素があります」


ロイドは少し考えた。


「報酬はいかがでしょうか?」


エリザベートは準備していた袋を取り出した。


「前金として、これだけお支払いします。成功報酬は、この三倍」


ロイドの目が輝いた。


「それは魅力的な提案です」


彼の職業的な興味が完全に刺激されている。


「お受けいたしましょう。情報収集は私の専門分野ですから」


「ありがとうございます」


「ただし、私なりの方法で調査させていただきます。危険な相手かもしれませんからね」


「お任せします」


三人の協力者を得たエリザベートは、久しぶりに希望を感じていた。それぞれの本質を理解し、適切にアプローチした結果だった。


屋敷に戻る道中、彼女は今後の展開を楽観的に考えていた。セラスの学術的調査、バルドールの正義に基づく調査、ロイドの情報収集。三方向からのアプローチで、必ず真相が明らかになるはずだ。


「今回は、きっとうまくいく」


エリザベートは自分の戦略に確信を持っていた。直接的な善行ではなく、相手の本質を理解したアプローチ。これまでとは違う手応えを感じている。


「お嬢様、今日はうまくいったようですね」


マリアが安堵の表情を見せた。


「はい。ようやく光が見えてきました」


エリザベートは窓の外を眺めた。夕日が美しく沈んでいるが、その光に希望を感じることができた。


「三人それぞれの専門性を活かして、必ず真相が明らかになるでしょう」


書斎に戻ったエリザベートは、今日の成果を記録した。三人との会話の詳細、彼らの反応、今後の展開予想。すべてを丁寧に文書に残す。


「これで計画は完成です」


エリザベートは満足げに呟いた。


「明日から、いよいよ調査が始まる」


しかし、彼女はまだ知らなかった。協力を約束した三人の心の奥底で、それぞれ異なる思惑が渦巻いていることを。


セラスの知識欲は純粋な学術的興味を超えて、危険な領域に足を踏み入れようとしている。新しい発見への渇望が、客観的な判断を曇らせ始めていた。


バルドールの正義感は、時として盲目的になり、真実よりも自分の判断を優先させることがある。白黒をはっきりさせたいという欲求が、複雑な現実を単純化しようとしていた。


そしてロイドは、依頼人よりも自分の利益を重視する傾向がある。より高い報酬を提示する者があれば、簡単に裏切る可能性があった。


エリザベートの戦略は確かに巧妙だった。しかし、人間の本質的な欠陥を完全に見抜くことはできなかった。


夜が深くなっても、エリザベートの心は軽やかだった。久しぶりに希望を感じ、明日への期待で胸が躍っている。


「三人の協力があれば、きっと真実が明らかになる」


エリザベートはベッドに横になりながら、明日からの展開を想像していた。セラスが魔法的異常の真の性質を解明し、バルドールが客観的な証拠を集め、ロイドが黒幕を特定する。完璧な分業体制だった。


体調は相変わらず優れないが、心の重荷が軽くなったような感覚があった。これまでの孤立感とは違い、協力者がいるという安心感が彼女を包んでいる。


「明日からは、きっと良い方向に向かうでしょう」


エリザベートは静かに目を閉じた。久しぶりに希望を抱いて眠りにつくことができそうだった。


しかし、その希望がまもなく試練に直面することになることを、彼女はまだ知らなかった。人間の心の複雑さと、それぞれが抱える本質的な問題が、予想とは違う結果をもたらそうとしていることを。


エリザベートの物語は、新しい段階に入ろうとしていた。希望に満ちた夜から始まる、次なる試練への序章として。


月明かりが窓から差し込む中、エリザベートは穏やかな表情で眠りについた。明日という日が、どのような展開をもたらすのか。それはまだ、誰にもわからなかった。


だが確実に言えることが一つあった。エリザベートの戦略的なアプローチが、これまでとは異なる結果を生み出すであろうということ。それが希望的な結果となるのか、それとも新たな試練となるのかは、明日になってみなければわからない。


今夜だけは、エリザベートに平穏な眠りが訪れていた。長い間感じることのなかった、希望という名の温かな光に包まれて。

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