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2章第3話:決定的な亀裂と圧力の増大

明け方、エリザベートは激しい痛みで目を覚ました。頭痛が尋常ではなく、まるで頭蓋骨が砕けるような激痛だった。起き上がろうとした瞬間、強烈なめまいで意識が遠のき、床に崩れ落ちそうになる。


「お嬢様!」


マリアが慌てて駆け寄ってくる。


「お顔が真っ青です。今日は絶対にお休みを」


「いえ...今日は、行かなければ」


エリザベートの声は掠れていた。しかし、今日宮廷に現れなければ、それ自体が新たな憶測を呼ぶだろう。


「でも、お体が...」


「大丈夫です」


大丈夫ではなかった。視界が時々ぼやけ、自分の声さえも遠くに聞こえる。まるで現実と夢の境界が曖昧になっているような感覚だった。


支度を整えながら、マリアが震え声で報告した。


「昨夜、さらに深刻な事態が...」


「何事ですか?」


「民衆の集会が、より大規模になったようです。そして...」


マリアは言いにくそうに続けた。


「宮廷魔法師団の予備調査が、今日行われるとの通知が」


「予備調査?」


「はい。正式な調査の前に、魔法的な痕跡の有無を確認するとのことです」


事態は急速に悪化している。エリザベートは、すべてが何かの大きな計画に従って進行していることを感じていた。


宮廷への道すがら、街の雰囲気は一変していた。人々は明らかにエリザベートを避けており、中には十字を切る者さえいる。


「魔女だ」


「黒魔法使い」


「聖女様を害そうとしている」


囁き声が風に乗って聞こえてくる。もはや隠そうともしない敵意と恐怖が、街全体を覆っていた。


宮廷に到着すると、その変化は劇的だった。普段なら挨拶をしてくれる衛兵たちも、今日は視線を逸らしている。


「エリザベート様」


近衛騎士長マクシミリアンが、数人の騎士を従えて現れた。彼の表情は完全に公務的で、昨日までの表面的な礼儀さえも失われている。


「マクシミリアン様」


「宮廷魔法師団からの要請により、予備調査にご協力いただく必要があります」


マクシミリアンの声に、もはや敬意のかけらもない。エリザベートは、彼の内面で冷酷な計算が働いているのを感じ取った。


「どのような調査でしょうか?」


「魔法的な残留物の検出です。簡単な手続きですから、ご心配には及びません」


その言葉とは裏腹に、周囲を取り囲む騎士たちの表情は厳しい。まるで犯罪者を扱うような雰囲気だった。


宮廷魔法師セラスが現れた時、エリザベートは彼の内面の変化に驚いた。昨日までの学術的な興味が、今日は明確な敵意に変わっている。


「エリザベート様、お疲れのご様子ですね」


セラスの声に、皮肉が込められている。


「調査にご協力いただけるということで、ありがとうございます」


「どのような手順で?」


「簡単な魔法的スキャンです。もし何も隠していることがなければ、すぐに終わります」


セラスの目に、研究者特有の冷淡な観察眼が宿っている。


調査は魔法師団の特別室で行われた。エリザベートは円形の魔法陣の中央に立たされ、複数の魔法師が詠唱を始める。


魔法の光がエリザベートを包んだ瞬間、彼女は激しい頭痛に襲われた。まるで何かが体の奥底から引き剥がされるような感覚。


「興味深い...」


セラスが魔法陣の結果を観察しながら呟いた。


「通常とは異なる魔法的波動が検出されます」


「それは何を意味するのですか?」


マクシミリアンが鋭く尋ねた。


「はっきりとは言えませんが...何らかの魔法的影響下にあることは確実です」


セラスの発言に、室内の空気が一変した。エリザベートは、これが罠だったことを悟った。


「ただし」


セラスは続けた。


「それが黒魔法によるものかどうかは、さらなる調査が必要です」


「では、正式な調査を要請します」


マクシミリアンが即座に決断した。


調査を終えて廊下に出ると、騎士団長バルドールが待っていた。彼の表情には、昨日を上回る怒りが宿っている。


「エリザベート様」


バルドールの声は抑制されているが、その奥に激しい感情が渦巻いている。


「調査の結果を聞きました」


「バルドール様」


「魔法的な異常が検出されたということですが、これをどう説明されますか?」


バルドールの目に、制御困難な怒りが燃えているのをエリザベートは感じ取った。


「私にもわかりません」


「わからない?」


バルドールの怒りが爆発しそうになった。


「王室に仕える騎士として、このような曖昧な答えは受け入れられません」


「でも、事実です」


「事実ならば、なぜ隠していたのですか?なぜ自分から申し出なかったのですか?」


バルドールの追及は容赦ない。


「知らなかったのです」


「知らなかった?」


バルドールの目に、疑いの色が濃くなった。


「それほど重大な魔法的影響を受けていて、本人が気づかないなどということがあり得るでしょうか?」


その指摘は的確だった。エリザベート自身も、なぜ自分が魔法的影響下にあるのか理解できないでいた。


午後、エリザベートは茶会に向かったが、そこで待っていたのは完全な孤立だった。


「まあ、エリザベート様」


子爵夫人の声には、もはや偽りの親しみさえない。


「調査の結果はいかがでしたか?」


会場にいる全ての夫人が、エリザベートを見つめている。その視線は好奇心から明確な敵意に変わっていた。


「魔法的な異常があったと聞きましたが」


別の夫人が追い打ちをかけた。


「やはり、噂は本当だったのですね」


「まさか、本当に黒魔法を...」


夫人たちの攻撃は、もはや遠回しなものではなかった。直接的な非難と軽蔑が、容赦なくエリザベートに向けられる。


「皆様、誤解です」


エリザベートは必死に弁明しようとしたが、誰も聞こうとしない。


「この期に及んで、まだ嘘を」


「聖女様に何をしようとしていたのか」


「恐ろしいことです」


そのとき、リリアーナが会場に現れた。しかし、今日の彼女は昨日とはまったく違っていた。


「皆様」


リリアーナの声に、これまでにない厳しさが込められている。


「少し、静粛にしていただけますか」


会場が静まり返る中、リリアーナはエリザベートの前に立った。


「エリザベート様」


その呼び方に、もはや親しみはない。


「調査の結果について、お聞かせください」


「リリアーナ様...」


「魔法的な異常が検出されたのは事実ですか?」


リリアーナの目に、昨日まで残っていた温かさが完全に失われている。


「それは事実のようですが、私には原因がわかりません」


「原因がわからない?」


リリアーナの声に失望が滲んだ。


「これまで私は、あなたを信じようとしてきました。しかし...」


「リリアーナ様、お聞きください」


「もう十分です」


リリアーナの言葉は、エリザベートの心を深く傷つけた。


「私は聖女として、民衆の安全を守る責任があります。もしあなたが本当に危険な存在なら...」


「私は危険な存在ではありません」


「それを証明してください」


リリアーナの要求は、絶対的だった。


「今すぐ、皆の前で証明してください」


しかし、エリザベートには証明する方法がない。自分でも理解できない状況で、どうやって無実を証明すればいいのか。


「証明できないのですね」


リリアーナの声に、深い失望が込められていた。


「私は...あなたを信じていたのに」


その言葉は、エリザベートの心を完全に打ち砕いた。


茶会の後、エリザベートは一人で宮廷の庭園を歩いていた。そこで、宮廷楽士エルヴィンと遭遇した。


「やあ、エリザベート様」


エルヴィンの声には、これまで以上に面倒くささが込められている。


「大変なことになりましたね」


「エルヴィン様...」


「僕としては、もうこれ以上関わりたくないんです」


エルヴィンの表情に、明らかな疲労感が浮かんでいる。


「音楽家として、このような騒動には巻き込まれたくありません」


「私は何もしておりません」


「それはあなたの言い分でしょう?」


エルヴィンは肩をすくめた。


「僕には真実なんてどうでもいいんです。ただ、平穏に音楽を奏でていたいだけ」


「では、なぜ私に話しかけるのですか?」


「最後の忠告です」


エルヴィンの目に、珍しく真剣な光が宿った。


「このまま宮廷にいれば、本当に破滅しますよ。早く身を引いた方がいい」


「身を引く?」


「はい。僕は面倒事は嫌いですが、あなたが完全に破滅するのを見ているのも気分が悪いので」


それは、エルヴィンなりの親切心だった。


「でも、身を引いたところで、噂は消えないでしょう」


「そうかもしれませんが、少なくとも矢面に立つことはなくなります」


エルヴィンは楽器を手に取りながら続けた。


「僕も、できれば関わりたくない。でも、このまま宮廷の雰囲気が悪くなるのも困る」


結局、彼の関心は自分の快適さだけなのだ。


夕刻、エリザベートは第二王子レオナルドに呼び出された。彼の私室には、既に何人かの廷臣が集まっていた。


「エリザベート」


レオナルドの声に、昨日までの迷いはない。


「君についての決定を下す時が来た」


「どのような決定でしょうか?」


「宮廷からの一時退去を要請する」


レオナルドの目に、複雑な感情が宿っている。


「美しいものは、汚れた環境にあってはならない。君の存在が、宮廷の美しさを損なっている」


「私は何も悪いことはしておりません」


「悪いことをしたかどうかは問題ではない」


レオナルドの目に、冷たい光が宿っている。


「美が損なわれることが問題なのだ」


「つまり、私は美しくないと?」


「君は美しい。しかし、君の周りの状況が醜い。だから、距離を置く必要がある」


それは、レオナルドなりの論理だった。


「美しいものは、困難に直面した時こそ真の美しさを示すのではないでしょうか?」


エリザベートの問いかけに、レオナルドは困惑した表情を見せた。


「それは...理想論です。現実には、美は保護されなければならない」


屋敷に戻る途中、エリザベートは激しい頭痛とめまいに襲われ、馬車の中で意識を失いそうになった。


屋敷に戻ったエリザベートを、マリアが涙を浮かべて迎えた。


「お嬢様...」


「どうしたのですか、マリア?」


「街の状況が...もう危険です」


マリアの声が震えている。


「民衆の怒りが頂点に達しているようで、屋敷に押し寄せてくる可能性もあります」


「そこまで...」


エリザベートが答えようとした時、激しいめまいに襲われ、その場に倒れ込んだ。


「お嬢様!」


マリアが慌てて駆け寄る。エリザベートの顔は青白く、呼吸も浅い。


「すぐに医師を!」


一時間後、宮廷医のグレゴリウス師が到着した。診察の結果、彼は深刻な表情を見せた。


「極度の精神的疲労と、原因不明の魔法的影響による症状です」


「治療法はありますでしょうか?」


マリアが必死に尋ねた。


「応急的な処置は可能です。しかし、根本的な原因を取り除かない限り、一時的な効果に過ぎません」


グレゴリウス師は特別な薬草を調合し、エリザベートに服用させた。しばらくすると、激しい頭痛が和らぎ、めまいも軽減される。


「これで2-3日は症状が緩和されるでしょう。ただし...」


医師は警告するように続けた。


「根本原因が解決されなければ、症状は必ず再発し、より深刻化します」


「原因は何でしょうか?」


「それが...」


グレゴリウス師は困惑した表情を見せた。


「私の知識では説明のつかない、特殊な魔法的影響のようです」


「それと...」


マリアは泣きそうになりながら続けた。


「第一王子殿下から、緊急の呼び出しが」


ルクラード。ついに彼からの直接の召喚が来た。


「内容は?」


「明日の朝一番に、謁見の間にお越しくださいとのことです」


それは、最終的な宣告を意味していた。


薬の効果で一時的に楽になったエリザベートは、部屋に戻って今日の出来事を振り返った。予備調査での魔法的異常の検出、人々の心の変化、そしてリリアーナの完全な失望。


すべてが最悪の方向に向かっている。そして明日、ルクラードとの最終的な対峙が待っている。


不思議なことに、エリザベートには人々の心の変化が痛いほど感じられた。それぞれの内面で何かが蠢いているのを、まるで自分の体験のように感じている。


「なぜ私は、皆の心の変化を感じ取ることができるのでしょう」


薬の効果で頭痛は和らいでいるが、根本的な違和感は残ったままだった。むしろ、一時的に症状が軽減されたことで、自分の置かれた状況がより鮮明に理解できるようになった。


「明日...すべてが決まるのでしょうね」


エリザベートは窓の外を眺めた。夜空に星が輝いているが、薬の効果で少しは美しく見える。


明日の朝、ルクラードとの対峙で何が起こるのか。


医師の薬のおかげで、今夜は久しぶりに考えをまとめることができそうだった。しかし、これは一時的な猶予に過ぎない。根本的な問題は何も解決していないのだから。


「この物語も、もうすぐ新しい段階に入るのでしょうか」


エリザベートは呟いた。薬の効果で意識がはっきりしている今、その言葉の意味について考えることができた。なぜ自分は「物語」などという言葉を使うのだろう。


ただ一つ確かなのは、明日という日が重要な転機になるということ。そして、一時的に体調が回復した今、それに向けて最後の準備をする必要があるということだった。


夜が深くなっても、薬の効果でエリザベートの意識ははっきりしていた。しかし、それは安らぎではなく、嵐の前の静けさのようなものだった。


すべての謎が解ける時は、もうすぐそこまで来ている。そして、その時に自分がどうなるのか、今夜だけは冷静に考えることができそうだった。


しかし、その冷静さが、かえって状況の深刻さを浮き彫りにしていた。人々が自分から離れ、リリアーナも失望し、民衆からは危険視されている。明日のルクラードとの謁見で、重大な決定が下されるだろう。


それでも、エリザベートの心に恐怖はなかった。むしろ、長い間感じていた違和感の答えが、ようやく見つかりそうな予感があった。


すべては、何かの大きな計画の一部なのかもしれない。そして、その計画における自分の役割も、明日明らかになるのだろう。

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