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第5章第3話:図書館での調査

馬車は、王宮へと続く石畳の道を進んでいく。


窓の外には、整然と並ぶ街路樹と、行き交う人々の姿が見える。商人たちが荷車を引き、貴族の馬車がすれ違っていく。平和な、いつもの王都の朝の風景。


しかし、エリザベートの心は、決して平穏ではなかった。


前回の記憶が、次々と蘇ってくる。


リリアーナの完璧な聖女の微笑み。


人々の熱狂的な支持。


七人の男性たちの冷たい視線。


そして、断罪の大広間。


「もう、二度とあんなことは起こさせない」


エリザベートは、小さく呟いた。


馬車が王宮の正門を通過する。門番たちが敬礼し、重厚な鉄の門がゆっくりと開いていく。


やがて、図書館の前で馬車が止まった。


「お嬢様、到着いたしました」


御者の声に、エリザベートは我に返った。


「ありがとう。午後まで、ここで待っていてください」


「承知いたしました」


馬車を降りると、王宮図書館の威容が目の前に広がった。三階建ての石造りの建物で、アーチ型の入り口には精巧な彫刻が施されている。知識の神殿と呼ばれるにふさわしい、荘厳な佇まい。


エリザベートは、深く息を吸い込んで、図書館の扉を開けた。




中に入ると、古い羊皮紙とインクの匂いが鼻をついた。高い天井まで届く書架が、整然と並んでいる。朝の光が、高窓から差し込み、無数の塵が光の中で舞っていた。


静寂。


図書館特有の、神聖な静けさ。


エリザベートは、その静寂に安らぎを覚えた。ここでなら、落ち着いて考えることができる。


受付には、年配の司書が座っていた。眼鏡をかけた痩せた男性で、エリザベートを見ると静かに頭を下げた。


「おはようございます、ヴァルハイム様。本日は何をお探しでしょうか」


「魔法学の文献を探しています」エリザベートは落ち着いた声で答えた。「特に、精神に影響を与える術についての学術書を」


司書は、少し眉をひそめた。


「精神に影響を、でございますか」


「ええ。治癒魔法や精神安定の術など、心に作用する魔法全般についての研究書があれば」


エリザベートは、慎重に言葉を選んだ。あくまでも、学術的な興味として装わなければならない。


司書は、しばらく考えてから頷いた。


「でしたら、三階の魔法理論の書架をご覧ください。『精神魔法概論』や『心理作用と魔力の関連性』などがございます」


「ありがとうございます」


エリザベートは、三階へと続く螺旋階段を上り始めた。


石造りの階段は、長年の使用で中央部が微かにすり減っている。どれだけ多くの人々が、知識を求めてこの階段を上り下りしてきたのだろう。


三階に到着すると、魔法理論の書架が並んでいた。背表紙に金文字で書かれた、難解そうなタイトルの本が、ぎっしりと詰まっている。


エリザベートは、一つ一つの本を確認していった。


『魔力の本質と応用』


『元素魔法の体系』


『治癒魔法の理論と実践』


そして、目当ての本を見つけた。


『精神魔法概論』


厚い革装丁の本を書架から引き抜く。重い。少なくとも五百ページはある。


近くの閲覧机に座り、本を開いた。


最初のページには、著者の序文が記されている。


「精神魔法とは、人の心に直接作用する魔法の総称である。治癒、安定、強化など、多くの有益な効果をもたらす一方で、悪用されれば人の自由意志を奪う危険な力ともなり得る。本書では、その両面について学術的に検証する」


エリザベートは、ページをめくり始めた。


最初の数章は、基礎理論について書かれている。精神魔法の歴史、魔力の作用機序、倫理的な問題点。


そして、第五章に、気になる記述があった。


「心理作用系の魔法について」


エリザベートは、食い入るようにその章を読み始めた。


「心理作用系の魔法は、大きく三つに分類される。一つ目は『説得』、二つ目は『暗示』、三つ目は『支配』である」


「『説得』は、最も軽度な心理作用である。相手の思考を穏やかに誘導し、ある結論に至らせる。多くの場合、相手は自分の意志で選択したと認識する」


「『暗示』は、より深い作用を持つ。相手の潜在意識に働きかけ、特定の感情や欲求を植え付ける。相手は、それが外部から与えられたものだとは気づかない」


「『支配』は、最も強力かつ危険な魔法である。相手の意志を完全に奪い、術者の命令に絶対服従させる。これは王国法により厳重に禁じられており、使用者は死罪に処される」


エリザベートの手が、わずかに震えた。


前回、人々があれほど不自然にリリアーナを支持し、七人までもが急激に変わってしまったのは、もしかしたらこのような魔法が関係しているのだろうか。


しかし、証拠はない。


ただ、あまりにも不自然だったという記憶だけだ。


ページをめくる。


「心理作用魔法の検知方法」


この項目に、エリザベートは特に注目した。


「心理作用魔法を検知することは、極めて困難である。なぜなら、魔法の痕跡は相手の精神内部に残るため、外部からの観察では発見できないからだ」


「しかし、以下の兆候により、間接的に推測することは可能である」


「一、不自然な行動の変化。普段の性格や価値観と矛盾する行動を取る」


「二、特定の人物への過度な執着。理由なく、ある人物に強く惹かれる」


「三、記憶の曖昧さ。なぜそう思うのか、なぜそう行動したのか、本人も説明できない」


「四、魔法解除後の混乱。もし魔法が解かれた場合、本人は自分の行動を理解できず、深い困惑に陥る」


エリザベートは、メモを取り始めた。これらの兆候は、前回の七人の行動と一致する部分が多い。


特に、ルクラードの急激な態度の変化。


セラスの独善性の悪化。


バルドールの制御できない怒り。


すべてが、不自然だった。


もしかしたら、何らかの魔法的な影響があったのかもしれない。


次のページには、さらに重要な情報があった。


「心理作用魔法の解除方法」


「心理作用魔法を解除するには、以下の方法が考えられる」


「一、魔法陣による強制解除。特殊な魔法陣を用いて、対象者の精神から魔力を排出する。ただし、高度な魔法知識と、相当な魔力が必要となる」


「二、術者の魔法解除。術者自身が魔法を解除すれば、即座に効果は消える。ただし、術者が自発的に解除することは、まずあり得ない」


「三、時間経過による自然消滅。魔法には持続時間があり、定期的に『更新』されなければ、やがて効果は薄れる。ただし、これには数ヶ月から数年を要する場合がある」


エリザベートは、深く息を吸い込んだ。


もし、本当に魔法的な影響があったのなら、特殊な魔法陣が必要ということだ。


そして、その魔法陣を作れるのは、高度な魔法知識を持つ者だけ。


セラス。


宮廷魔法師のセラス・オルテンシアなら、その知識と能力を持っているはずだ。


しかし、前回では、セラスもリリアーナの側についてしまった。


今回は、彼が変わってしまう前に、協力を得なければならない。


エリザベートは、さらにページをめくった。


様々な種類の精神魔法についての記述が続く。治癒系、強化系、防御系。そして、禁忌とされる魔法についても、学術的な観点から記されている。


その中に、特に気になる一節があった。


「人の好意や信頼を操作する魔法について」


エリザベートは、その部分を注意深く読んだ。


「この種の魔法は、対象者に強い好意や信頼を植え付ける。対象者は、自分の感情が本物だと信じて疑わない」


「また、この魔法は複数の対象者に同時に作用させることが可能である場合がある」


「ただし、この魔法には弱点がある。一つは、定期的な『更新』が必要な場合があること。もう一つは、強い意志を持つ者には効きにくい場合があるということ」


エリザベートは、ペンを握る手に力を込めた。


前回、マリアだけが最後まで自分を信じてくれたのは、もしかしたら彼女の強い忠誠心のおかげだったのかもしれない。


しかし、まだ確信は持てない。


これらはすべて、可能性でしかない。


エリザベートは、さらに読み進めた。


魔法の検知に必要な道具、魔法陣の構成要素、魔力の流れの分析方法。専門的で難解な内容だが、一つ一つ丁寧にメモを取っていく。


『心理作用と魔力の関連性』


この本も、書架から取り出す。


開いてみると、より学術的で専門的な内容だった。魔力の波長、精神への作用機序、脳内との関連性。


難解だが、重要な情報が含まれている。


エリザベートは、この本も持って閲覧机に戻った。


静かに読み進めていると、時間が経つのも忘れてしまう。


ページをめくる音だけが、静かな図書館に響いている。


どれくらい経っただろうか。


ふと顔を上げると、窓の外の太陽の位置が、かなり高くなっていた。


もう昼近くだろうか。


エリザベートは、時計塔の鐘が正午を告げるのを聞いた。


まだ、午後の社交時間まで時間がある。


しかし、十分な情報は得た。


エリザベートは、メモを取った紙を丁寧に折りたたみ、ドレスの内ポケットにしまった。


心理作用魔法の種類、兆候、検知方法、解除方法。


そして、最も重要なこと。もし本当にそのような魔法が使われているなら、魔法陣による解除が必要だということ。


その魔法陣を作れるのは、高度な魔法知識を持つ者だけ。


セラスの協力が、不可欠だ。


エリザベートは、本を書架に戻した。


そして、手のひらを見た。


再び、光の印が浮かんでいた。


神の加護。


真実を見抜く力。


今日、多くの知識を得た。


しかし、まだ確証はない。


リリアーナが本当に魔法を使うのか。


それを確かめるには、もっと証拠が必要だ。


そして、準備も。


エリザベートは、螺旋階段を降りていった。


受付の司書が、静かに頭を下げる。


「お役に立ちましたでしょうか」


「ええ、とても参考になりました」


図書館の扉を出ると、午後の日差しが眩しかった。


空は青く晴れ渡り、穏やかな風が吹いている。


しかし、エリザベートの心には、新たな決意が燃えていた。


馬車に乗り込むと、エリザベートは御者に告げた。


「屋敷に戻ってください」


「承知いたしました」


馬車が動き出す。


窓の外の景色が流れていく。


エリザベートは、今日得た知識を整理していった。


まず、心理作用魔法には三つの段階がある。


説得、暗示、支配。


前回の出来事を考えると、おそらく『暗示』か『支配』のレベルだろう。


次に、検知の兆候。


不自然な行動の変化、特定の人物への執着、記憶の曖昧さ。


前回の七人は、これらの兆候をすべて示していた。


そして、解除方法。


特殊な魔法陣が必要だ。


セラスに協力を求めなければならない。


しかし、どうやって彼を説得するか。


前回のように、彼もリリアーナの影響を受けてしまう前に。


エリザベートは、深く考え込んだ。


手のひらを見る。


光の印は、もう消えている。


しかし、その温もりは残っている。


神の加護。


この力を信じて、進むしかない。


馬車が、屋敷の前に到着した。


エリザベートは、馬車を降りると、急いで自室へと向かった。


マリアに、今日得た情報を報告しなければならない。


そして、次の行動を計画する。


半年。


リリアーナが来るまで、あと半年。


時間は決して多くないが、焦ってはいけない。


慎重に、確実に、準備を進めなければ。


自室の扉を開けると、マリアが待っていた。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


「マリア」エリザベートは、メモを取り出した。「大切な情報を得ました。これを見てください」


マリアは、メモに目を通し始めた。


その表情が、徐々に真剣になっていく。


「これは...心理作用の魔法について、でございますか」


「ええ」エリザベートは頷いた。「前回、人々があれほど不自然にリリアーナを支持したのは、もしかしたらこのような魔法が原因かもしれません」


「魔法で、人の心を...」


「まだ確証はありません。しかし、可能性は高い」


マリアは、メモを読み終えると、エリザベートを見つめた。


「では、お嬢様。次はどうなさいますか」


「セラスに相談します」エリザベートは答えた。「彼は宮廷魔法師として、この分野の専門家です。もし本当に魔法が使われているなら、それを検知する魔法陣を作ってもらわなければなりません」


「しかし、お嬢様。前回では、セラス様も...」


「ええ、だからこそ、今のうちに協力を得なければならないのです」


エリザベートは、窓の外を見た。


午後の陽光が、庭園を照らしている。


美しい、平和な光景。


しかし、半年後には、すべてが変わる。


リリアーナが現れ、嵐が始まる。


その前に、準備を整えなければならない。


「マリア」エリザベートは、侍女を振り返った。「明日、セラスに会いに行きます。彼に、魔法陣の作成を依頼するために」


「承知いたしました。お供いたします」


「いいえ、これは私一人で行きます」エリザベートは首を振った。「あなたには、引き続き部屋の監視をお願いします」


マリアは、少し心配そうな表情を見せたが、やがて頷いた。


「分かりました。お気をつけて」


エリザベートは、手のひらを握りしめた。


今度こそ、真実を明らかにしてみせる。


リリアーナの仮面を剥がす。


七人を、囚われから解放する。


そして、皆を救う。


新しい戦いの、第一歩を踏み出した。


窓の外では、太陽が西に傾き始めている。


一日が、また終わろうとしている。


しかし、エリザベートの戦いは、まだ始まったばかりだった。

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