第4章第4話:最後の対峙
鐘の音が消えていく。
その余韻が大広間に静かに溶けていくと、再び重苦しい沈黙が訪れた。数百人もの人々が息を潜めている。その静寂は、嵐の前の静けさのようだった。
エリザベートは被告人席に座ったまま、壇上の七人を見上げていた。心臓の鼓動が耳の奥で響き、胸が苦しい。しかし、表情には出さない。背筋を伸ばし、両手を膝の上で組んだまま、じっと前を見つめ続ける。
やがて、壇上の中央に座る第一王子ルクラードが立ち上がった。
その動作だけで、広間全体の空気が変わった。さらに深い静寂が訪れ、誰もが固唾を飲んで見守っている。
ルクラードは一歩前に進み出た。金色の髪が光を受けて輝き、王冠が威厳を放っている。その表情は厳格で、かつてエリザベートに向けていた優しい微笑みのかけらもない。
「これより、ヴァルハイム公爵令嬢エリザベート・フォン・ヴァルハイムに対する審問を開始する」
ルクラードの声が、大広間に響き渡った。冷たく、感情を排した事務的な響きがあった。
「本審問は、王室および王国の名において執り行われる。証人、立会人、そして宮廷関係者各位の立会いの下、公正かつ厳格に真実を明らかにする」
エリザベートは、一つ一つの言葉を噛みしめながら聞いていた。「公正」「厳格」「真実」。美しい言葉だが、その裏には既に下された判決が隠されているように感じられた。
ルクラードは、手に持った羊皮紙に目を落とした。
「被告人エリザベートに告ぐ。これより読み上げる罪状について、異議があれば申し立てることができる。ただし、虚偽の申し立ては罪を重くするものとする」
観客席からざわめきが起こった。しかし、ルクラードが手を上げると、すぐに静まり返った。
「第一の罪状」
ルクラードが羊皮紙を読み上げ始めた。
「聖女リリアーナに対する、組織的かつ計画的な妨害活動」
罪状が告げられた瞬間、エリザベートの胸に鋭い痛みが走った。
「被告人エリザベートは、聖女リリアーナが王宮に来訪して以降、その活動を組織的に妨害し続けた。具体的には、聖女の予定を故意に妨害し、必要な物資の供給を遅らせ、さらには聖女の評判を貶めるための噂を流布した」
観客席から、非難の囁き声が漏れ始めた。
「ひどい...」
「聖女様があんなに優しいのに...」
「許せないわ...」
エリザベートは唇を噛みしめた。その罪状は、半分は真実で、半分は歪曲されている。確かに、リリアーナの予定と自分の予定が重なったことはあった。しかし、それは故意ではなく、偶然だった。物資の遅れも、自分が原因ではない。噂に至っては、一度も流したことがない。
しかし、それを証明する術はない。
「第二の罪状」
ルクラードが続けた。
「禁じられた黒魔法の使用、および所持」
広間全体が、一瞬凍りついたように静まり返った。そして次の瞬間、どよめきが爆発した。
「黒魔法だって?」
「死罪に値する大罪...」
「まさか、あのエリザベート様が...」
エリザベートの顔から、血の気が引いた。
「被告人エリザベートの私室から、黒魔法に関する書物、および黒魔法の行使に使用される道具が発見された。さらに、宮廷魔法師セラスの分析により、これらが実際に使用されていた証拠が確認された」
エリザベートは思わず立ち上がりそうになった。しかし、必死にこらえた。今、感情的になれば、さらに不利になる。
「それは...」
小さな声が喉から漏れた。しかし、その声は誰にも届かない。
セラスが壇上から立ち上がり、一歩前に出た。
「証人として、補足説明を行います」
セラスの声は、いつも通り冷静で、学術的な響きがあった。
「私が被告人の私室で発見した書物は、『影の書』と呼ばれる禁書です。この書物には、呪詛、幻惑、精神支配など、王国で厳重に禁じられている魔法の詳細が記されています」
セラスは手に持った黒い本を掲げた。その本を見た瞬間、エリザベートは息を呑んだ。
確かに、あの本は自分の私室にあった。しかし、それは父の遺品の中にあったもので、一度も開いたことがなかった。なぜそれが禁書だと知らなかったのか。父がなぜそのような本を所持していたのか。
「さらに、この道具類です」
セラスが、いくつかの奇妙な形をした器具を示した。黒い金属製の器具、不気味な形の瓶、古びた短剣。
「これらの器具には、微弱ながら黒魔法の残滓が検出されました。つまり、実際に使用されていたという証拠です」
「違います!」
エリザベートの声が、思わず大広間に響いた。
その瞬間、すべての視線が自分に集中した。数百もの目が、非難と驚きを込めて見つめている。
「私は...一度も使用していません。それらの道具が何なのか、存在すら知りませんでした」
しかし、セラスは冷徹な目でエリザベートを見つめた。
「では、なぜあなたの私室に、それも厳重に隠された場所に保管されていたのですか?」
「それは...父の遺品の中に...」
「ヴァルハイム公爵が黒魔法を使用していたと?」
セラスの問いに、観客席がざわめいた。エリザベートは言葉に詰まった。父を黒魔法使いだと言うつもりはない。しかし、弁解すればするほど、自分が追い詰められていく。
「私は...知らなかったのです」
声は、あまりにも弱々しかった。
ルクラードが手を上げ、静寂を求めた。
「第三の罪状」
冷たい宣告が、再び響いた。
「王室および王国に対する反逆的行為」
反逆——死罪。
エリザベートは凍りついた。
「被告人エリザベートは、聖女リリアーナの影響力を恐れ、その存在を王国から排除しようと画策した。これは、王室が正式に招聘した聖女に対する攻撃であり、ひいては王室の権威に対する挑戦である」
「そんな...」
エリザベートは首を振った。
「私は、そのようなことは...」
「では、これをどう説明するのですか」
今度は、情報局長ロイドが立ち上がった。その手には、何枚もの書類が握られている。
「私が収集した情報によれば、被告人エリザベートは複数の貴族たちと密会を重ねていました。その内容は、聖女リリアーナの王国からの追放を画策するものでした」
ロイドが書類を読み上げ始めた。
「某侯爵の証言」
「『エリザベート様は、聖女が王国の伝統を乱すと仰っていました。私たちに協力を求められたのです』」
「某伯爵の証言。『エリザベート様は、聖女の影響力が増せば、我々古くからの貴族の立場が危うくなると警告されました』」
ロイドは淡々と、次々に証言を読み上げていく。某子爵、某男爵、某公爵——名前こそ伏せられているものの、その数は増えていくばかりだった。
エリザベートには身に覚えがない。確かに、貴族たちと会話したことはある。しかし、そのような陰謀を企てたことは一度もない。
「それらの証言は...歪曲されています」
エリザベートは必死に訴えた。
「私は確かに貴族の方々と会話しました。しかし、それは社交の場での普通の会話です。聖女様を追放しようなどと、一度も口にしたことはありません」
しかし、ロイドは冷たく微笑んだ。
「17名もの貴族が、同様の証言をしています。これだけ多くの人々が同じことを証言しているのに、すべてが歪曲だと?」
エリザベートは言葉に詰まった。17名。その数の重みが、心を押し潰す。
「私は...」
声が震える。何を言っても、もはや信じてもらえないのだろうか。
騎士団長バルドールが立ち上がった。その巨体が、エリザベートの視界を覆うように感じられた。
「証人として、申し述べます」
バルドールの声は、怒りを抑えたような低い響きがあった。
「私は騎士として、真実と正義を何よりも重んじてきました。だからこそ、被告人エリザベートの行為を見過ごすことはできません」
バルドールは、エリザベートを真っ直ぐに見つめた。失望と怒りが、その表情に刻まれていた。
「私は当初、被告人を信じていました。令嬢としての気品、知性、そして優しさを持っていると思っていました。しかし、調査を進めるうちに、その仮面の下に隠された真実が見えてきました」
「バルドール様...」
エリザベートの声は、もはや囁きにもならなかった。
「聖女リリアーナ様を妨害し、黒魔法を用い、王国を混乱させようとした。これらの行為は、騎士として断じて許すことができません」
バルドールの宣告が、大広間に響き渡った。
観客席から、賛同の叫びが上がり始めた。
「その通りだ」
「許せない」
「裁きを」
エリザベートは、その声の波に飲み込まれそうになった。息が苦しく、視界が揺れる。心臓が激しく鼓動し、今にも胸を破りそうだった。
「被告人エリザベート」
ルクラードの声が、冷たく響いた。
「これらの罪状に対して、何か申し開きはあるか」
エリザベートは立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らない。椅子の肘掛けにつかまり、何とか立ち上がる。
「私は...」
声が震えている。喉が渇いて、言葉が出にくい。
「私は、無実です」
大広間に響いた言葉は、あまりにも弱々しく、誰の心にも届かないように感じられた。
「無実だと?」
ルクラードの声に、冷たい嘲笑が混じった。
「これだけの証拠があり、これだけ多くの証人がいるのに、まだそのような嘘をつくのか」
「嘘ではありません」
エリザベートは必死に訴えた。
「私は、聖女リリアーナ様を妨害したことはありません。黒魔法を使ったこともありません。王国に反逆しようとしたことも、一度もありません」
しかし、その訴えは空しく響くだけだった。
観客席がざわめき、嘲笑が漏れ始めた。
「まだ嘘を」
「往生際が悪い」
「潔く認めればいいのに」
エリザベートは、一つ一つの非難が心に突き刺さるのを感じた。
「私は...本当に...」
その時、壇上の端に立っていた聖女リリアーナが、一歩前に出た。
その動作に、広間全体の視線が集まった。
リリアーナは、純白のドレスをまとい、優しい表情でエリザベートを見つめていた。その目には、同情と困惑、そして何か言いたげな光が宿っていた。
「リリアーナ様...」
エリザベートは、その名前を囁いた。
もしかしたら。もしかしたら、彼女だけは理解してくれるかもしれない。聖女として、真実を見抜いてくれるかもしれない。
しかし、リリアーナは静かに首を振った。
「エリザベート様」
リリアーナの声は、優しく、しかし悲しみに満ちていた。
「私は...あなたを恨んではいません」
息を呑む。
「あなたが私に対して行ったこと、それは確かに辛いものでした。でも、私はあなたを許します」
違う。
私は何もしていない——
「リリアーナ様...」
「ですから、どうか真実を話してください」
リリアーナの目から、一筋の涙が流れた。慈悲に満ちた、純粋な涙。
「罪を認め、悔い改めてください。そうすれば、神はあなたを許してくださるでしょう」
エリザベートの心が、音を立てて砕けた。
聖女の慈悲——それは、罪を認めた者に与えられるもの。
つまり、リリアーナもまた、エリザベートが有罪だと疑っていないのだ。
最後の希望が、消えた。
「被告人エリザベート」
ルクラードの声が、遠くから聞こえてくるようだった。
「最後に聞く。罪を認めるか」
エリザベートは、顔を上げた。ルクラードを見つめる。かつて婚約者として、優しく微笑んでくれた人。しかし、今その顔には、冷たい無関心しかない。
「私は...無実です」
最後の力を振り絞って、その言葉を口にした。
ルクラードは、深くため息をついた。
「では、評議に入る」
ルクラードが、他の六人に視線を向けた。
「証人および立会人の諸君。被告人エリザベートの罪について、意見を述べよ」
セラスが立ち上がった。
「学術的見地から申し上げます。被告人の罪は、証拠によって明白です。黒魔法の使用は、王国の法により死罪に値します」
次いでバルドール。
「騎士として申し上げます。被告人の行為は、王国への反逆です。これもまた、死罪に値します」
そしてロイド。
「情報分析の結果から申し上げます。被告人の組織的な陰謀は、17名もの証言により証明されています。これは重大な反逆罪です」
第二王子アルベルトが、困惑した表情で立ち上がった。
「私は...エリザベート様を信じたかった。しかし、これだけの証拠を前に、もはや疑いの余地はありません」
近衛騎士長ガルヴァンが続く。
「王室への忠誠として、申し上げます。被告人の罪は明白であり、厳正な処罰が必要です」
最後に、宮廷楽士マルセルが震える声で立ち上がった。涙を浮かべながら。
「私は...音楽家として、美しいものを愛してきました。エリザベート様の優雅さも、その一つだと思っていました。しかし...真実は、あまりにも醜いものでした」
七人全員が、有罪の意見を述べた。
エリザベートは、一つ一つの判断を聞きながら、心が少しずつ砕けていくのを感じた。
「評議は終了した」
ルクラードが宣言した。
「これより、判決を下す」
広間全体が、息を潜めた。
ルクラードは、エリザベートを見下ろした。その目には、何の感情も浮かんでいない。
「被告人エリザベート・フォン・ヴァルハイム」
「あなたは、聖女リリアーナへの組織的妨害、黒魔法の使用、そして王国への反逆という、三つの重大な罪を犯した」
「これらの罪は、いずれも王国の法により、重い処罰を必要とする」
エリザベートは、その判決を聞きながら、不思議な静けさを感じていた。もはや恐怖も、悲しみも、怒りも感じない。ただ、空虚な静寂だけがあった。
「よって、判決を下す」
ルクラードが、羊皮紙を読み上げた。
「被告人エリザベート・フォン・ヴァルハイムは、ヴァルハイム家の爵位および財産のすべてを剥奪される」
「さらに、王国からの永久追放を命じる」
「本日を最後に、二度と王国の地を踏むことを許さない」
宣告が、大広間に響き渡った。
「これは、王室の慈悲である」
ルクラードが続けた。
「本来であれば、死罪に値する罪である。しかし、聖女リリアーナ様の慈悲深い嘆願により、命だけは助けることとした」
命は助かった。
けれど——家も、地位も、財産も、すべてを失う。そして、この国から追放される。
これは、生きながらの死だ。
リリアーナが、小さく頷いた。その顔には、悲しみと安堵が混じっていた。
「判決は即刻執行される。被告人エリザベートは、本日中に王国を去ること」
ルクラードが、槌を叩いた。
その音が、審問の終わりを告げた。
エリザベートは、椅子に座ったまま、動けなかった。
すべてが終わった。
すべてを失った。
観客席から、さまざまな声が聞こえてくる。
「当然の報いだ」
「慈悲深い判決だ」
「聖女様のおかげで命が助かったのだ」
しかし、それらの声は、もはやエリザベートの耳には届かなかった。
ただ、心の中で、何かが静かに崩れ落ちていく音だけが聞こえていた。
二人の衛兵が近づいてきた。
「立ちなさい」
冷たく、事務的な命令。
エリザベートは、立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らない。
「立てないのか」
衛兵が苛立ったように言った。
「では、連れて行く」
二人の衛兵が、エリザベートの両脇を抱えた。そして、無理やり立たせる。
エリザベートの足は、もはや自分の意志では動かなかった。衛兵たちに引きずられるように、大広間を出ていく。
赤い絨毯の上を、逆方向に進んでいく。
両側の観客たちが、さまざまな表情で見つめている。軽蔑、満足、憐れみ、好奇心。
しかし、味方の顔は、一つもない。
大広間の扉が開いた。
外の廊下は、来た時と同じように静かだった。しかし、もはやその静寂は、エリザベートを迎えるものではなく、追放するためのものだった。
衛兵たちに引きずられながら、エリザベートは廊下を進んでいく。
階段を降り、玄関へと向かう。
王宮の外には、一台の粗末な馬車が待っていた。来た時の豪華な馬車ではない。犯罪者を運ぶための、簡素で冷たい馬車。
「乗れ」
衛兵が命じた。
エリザベートは、馬車に押し込まれた。中は狭く、暗く、冷たかった。
扉が閉まる。
外から鍵をかける音が聞こえた。
馬車が動き出した。
エリザベートは、小さな窓から外を見た。王宮が遠ざかっていく。美しい庭園、立派な建物、すべてが遠ざかっていく。
そして、その先には、見知らぬ未来が待っている。
すべてを失った、空虚な未来が。
エリザベートは、窓から目を離した。暗い馬車の中で、膝を抱えて小さく丸まる。
体が震えている。けれど、涙は出ない。
もう、泣く力すら残っていなかった。枯れ果てた井戸のように、心は空っぽだった。
ただ、心の中で、何度も何度も問いかけていた。
「私は...本当に、間違っていたのでしょうか」
その問いに、答えはない。
ただ、馬車の車輪が石畳を叩く音だけが、規則正しく響いていた。
王国の門を出る。
その瞬間、エリザベートは、自分がもはや王国の一員ではないのだと理解した。
追放された犯罪者。
それが、今の自分の姿。
馬車は、どこまでも続く道を進んでいく。
行き先は、国境。
そして、その先は、何もない未知の世界。
エリザベートは、目を閉じた。
意識が遠のいていく。疲労と絶望が、すべてを飲み込んでいく。
胸を押さえる。息が苦しい。心臓が不規則に鼓動し、痛みが全身を駆け巡る。
「ああ...もう...」
視界が暗くなる。周囲の音が遠のいていく。
馬車の揺れも、もう感じない。
「私は...間違っていたのでしょうか...」
その問いかけが、最後に心の中で響いた。
そして、すべてが静寂に包まれた。
エリザベートの意識は、深い闇の中に沈んでいった。
今回で4章が終わり次章から新章となります。




