# 第4章第3話:最後の対峙
馬車は街の中心部を抜け、王宮へと続く大通りに差し掛かった。窓のカーテン越しにも、建物が次第に豪華になっていくのが分かる。
エリザベートは目を閉じたまま、馬車の揺れに身を任せていた。しかし、心臓の鼓動は激しく、胸の奥が締め付けられるような感覚が消えない。
午後1時を告げる鐘の音が、遠くから聞こえてきた。
あと1時間。
その事実が、重く心にのしかかる。
馬車の速度が落ち始めた。御者が何か叫んでいる声が聞こえる。エリザベートはカーテンを少しだけ開けて、外を覗いた。
王宮の正門が見えた。
巨大な鉄の門には、王国の紋章が刻まれている。門の両脇には、整然と並んだ衛兵たちが立っている。その数は普段の倍以上だった。
「まるで...犯罪者を迎えるような警備ですね」
エリザベートは苦い笑みを浮かべた。
門が開き、馬車が王宮の敷地内に入っていく。美しく整備された庭園が広がっている。色とりどりの花々、噴水、彫刻。かつてエリザベートが愛した光景。
しかし、今日はその美しさが残酷に感じられた。こんなにも美しい場所で、自分は裁かれるのだ。
馬車が停止した。王宮の正面玄関の前だった。
「お嬢様、到着いたしました」
御者の声が聞こえる。
エリザベートは深く息をついた。手を膝の上で組み、震えを止めようとする。しかし、指先は冷たく、感覚が鈍っていた。
「立たなければ...」
そう自分に言い聞かせ、座席から立ち上がろうとした。しかし、足が言うことを聞かない。力が入らず、膝が震えている。
「大丈夫...大丈夫です」
何度も自分に言い聞かせながら、手すりにつかまって体を支える。深呼吸を繰り返し、必死に意識を保とうとした。
馬車のドアが開く。
外から、まばゆい光が差し込んできた。午後の太陽が容赦なく照りつけている。その光が目に痛く、思わず目を細めた。
階段の下には、一人の宮廷侍従が立っていた。年配の男性で、表情は硬く、事務的だった。
「ヴァルハイム公爵令嬢エリザベート様ですね」
その声に温かみはない。まるで書類を読み上げるような、機械的な響きだった。
「はい」
エリザベートは答え、馬車から降りようとした。しかし、階段を降りる最初の一歩で、視界が揺れた。
手すりを強く握りしめ、何とか体を支える。一段、また一段と、慎重に階段を降りていく。
地面に足をつけた時、激しい疲労感が全身を襲った。たったこれだけの動作で、息が切れている。
「こちらへ」
侍従が無表情に案内を始めた。その態度には、敬意のかけらもない。
エリザベートは、その後ろに続いた。王宮の正面玄関へと続く石畳の道を、一歩一歩進んでいく。
周囲には、多くの宮廷関係者がいた。庭師、使用人、下級官吏たち。彼らは皆、作業の手を止めて、エリザベートを見つめている。
その視線は、好奇心と軽蔑が入り混じったものだった。
「あれが、悪役令嬢エリザベート...」
「聖女様を苦しめた女...」
「黒魔法を使っていたそうよ」
「まさか、婚約者の王子様まで騙していたなんて...」
囁き声が、あちこちから聞こえてくる。それらは小さな声だったが、エリザベートの耳にははっきりと届いた。
「見て、あの顔色...」
「病気のようね」
「罪の重さに耐えかねて、体を壊したのよ」
「当然の報いだわ」
エリザベートは顔を上げ、まっすぐ前を見つめた。彼らの視線に動揺を見せてはならない。最後の誇りとして、背筋を伸ばして歩き続ける。
しかし、その一歩一歩が重い。足が鉛のように重く、まるで泥の中を歩いているような感覚だった。
王宮の正面玄関に到着した。巨大な扉が開き、中から冷たい空気が流れ出てくる。
大理石の床、高い天井、豪華なシャンデリア。かつて何度も訪れた王宮の内部。しかし、今日は見知らぬ場所のように感じられた。
「こちらです」
侍従が階段を上り始めた。大広間は、この先の2階にある。
エリザベートは階段を見上げた。普段なら何でもない階段が、今は果てしなく高く見える。
一段、また一段と、手すりにつかまりながら上っていく。足が震え、何度も踏み外しそうになった。
途中で立ち止まり、深く息をつく。胸が苦しく、心臓が激しく鼓動している。冷や汗が額に浮かび、背中を伝い落ちていった。
「大丈夫ですか?」
侍従が振り返り、無表情に尋ねた。その声には、心配のかけらもない。ただ、業務として確認しているだけだった。
「はい...大丈夫です」
エリザベートは必死に答え、再び階段を上り始めた。
ようやく2階に到着した時には、息が荒く、足が完全に言うことを聞かなくなっていた。壁に手をつき、しばらく呼吸を整える。
「大広間まで、もう少しです」
侍従が先を歩き始めた。
エリザベートは、その後ろに続いた。長い廊下が続いている。壁には歴代の王や英雄たちの肖像画が飾られている。彼らは皆、威厳に満ちた表情でこちらを見下ろしていた。
まるで、自分を糾弾しているかのように。
廊下の途中で、何人かの貴族たちとすれ違った。彼らは皆、エリザベートを見ると、あからさまに顔をしかめた。
「まあ、あの女...」
「よくも堂々と王宮に来られるものね」
「恥知らずだわ」
女性貴族たちの冷たい言葉が、背中に突き刺さる。
男性貴族たちも、軽蔑の眼差しを向けてくる。かつては社交界で華やかに会話を交わした人々。しかし、今は誰一人として、味方はいない。
エリザベートは視線を逸らさず、一歩一歩進み続けた。彼らの言葉に反応してはならない。動揺を見せてはならない。
しかし、心の奥では、孤独感が増していく。この王宮の中に、自分の味方は一人もいない。完全に孤立している。
廊下の突き当たりに、巨大な扉が見えてきた。
大広間の入り口だった。
扉の前には、二人の衛兵が立っている。彼らは槍を持ち、厳格な表情で立哨していた。
エリザベートが近づくと、衛兵たちは無言で槍を交差させ、一時的に道を塞いだ。
「ヴァルハイム公爵令嬢エリザベート・フォン・ヴァルハイム、到着」
侍従が硬い声で告げた。
衛兵たちは槍を戻し、道を開けた。しかし、その目には何の感情も浮かんでいない。
扉の向こうから、多くの人々の話し声が聞こえてくる。ざわざわとした喧騒。数百人もの人々が、すでに大広間に集まっているのだ。
「お入りください」
侍従が扉を開けた。
その瞬間、喧騒が一斉に止まった。
エリザベートは扉の前で立ち止まった。心臓が激しく跳ね上がり、全身が硬直する。
深く息を吸い込む。そして、ゆっくりと吐き出す。
「これが...最後の舞台」
そう自分に言い聞かせ、一歩を踏み出した。
大広間に足を踏み入れた瞬間、数百もの視線が一斉に自分に注がれた。
広間は想像以上に広かった。天井は高く、巨大なシャンデリアが何基も吊り下げられている。壁には王国の歴史を描いた壁画が飾られ、窓からは午後の光が差し込んでいた。
そして、人、人、人。
両側の観覧席には、宮廷関係者や貴族たちがびっしりと座っている。その数は優に300人を超えているだろう。彼らは皆、エリザベートを見つめていた。
好奇心、軽蔑、嫌悪、憐れみ。さまざまな感情が込められた視線が、容赦なく自分を射抜く。
エリザベートは立ち止まりそうになったが、必死に足を前に進めた。
広間の中央には、一本の道が作られていた。赤い絨毯が敷かれ、その先には壇上がある。
壇上には、七つの椅子が並んでいた。
そして、その椅子には、七人の男性が座っていた。
エリザベートの視線が、その七人に向けられた瞬間、胸に激しい痛みが走った。
中央に座っているのは、第一王子ルクラード。
金色の髪、青い瞳、整った顔立ち。王冠を頭に載せ、威厳に満ちた表情で座っている。彼の視線は冷たく、まるで見知らぬ人を見るような無関心さがあった。
その隣には、騎士団長バルドール。
筋骨隆々とした体格、鋭い目つき、厳格な表情。騎士の鎧を身にまとい、腰には剣を帯びている。怒りと失望が、その表情に刻まれていた。
反対側には、宮廷魔法師セラス。
長い銀髪、知的な顔立ち、冷徹な眼差し。魔法師のローブを着て、手には杖を持っている。エリザベートを観察対象として見ているような、冷たい視線。
その隣には、情報局長ロイド。
痩せた体格、鋭い目つき、計算高そうな表情。黒い服を着て、手には何かの書類を持っている。その目には、冷たい打算が浮かんでいた。
そして、残りの三人。
第二王子アルベルト。兄よりもやや繊細な顔立ち、芸術家のような優雅な雰囲気。深い青の上着を身にまとい、手には何も持っていない。その表情には困惑が浮かんでいた。
近衛騎士長ガルヴァン。バルドールと並ぶ王国最強の剣士。白銀の鎧を身にまとい、腰には名剣を帯びている。厳格な表情で、じっとエリザベートを見つめている。揺るぎない忠誠が、その眼差しに宿っていた。
宮廷楽士マルセル。繊細な顔立ち、芸術家らしい柔らかな雰囲気。質素だが上品な服を着て、手にはリュートを抱えている。その目には、悲しみと困惑が混じっていた。
七人全員が、エリザベートを見下ろしている。
そして、壇上の端には、もう一人。
純白のドレスをまとった女性が立っていた。
聖女リリアーナ。
長い金色の髪、優しい顔立ち、慈愛に満ちた表情。しかし、その目には、エリザベートへの同情と困惑が混じっていた。
エリザベートは、その光景を見た瞬間、現実の重さに押し潰されそうになった。
七人の男性たち。聖女リリアーナ。そして、数百人の観衆。
すべてが、自分を糾弾するために集まっている。
「進んでください」
侍従の声が、背後から聞こえた。
エリザベートは、震える足で赤い絨毯の上を歩き始めた。
一歩、また一歩。
周囲の視線が、痛いほど突き刺さる。囁き声が、あちこちから聞こえてくる。
「痩せ細って...」
「まるで幽霊のようだわ」
「でも、自業自得よね」
「聖女様があんなに苦しんだのだから」
エリザベートは壇上の七人を見据えながら、歩みを止めなかった。
絨毯の上を歩く足音だけが、静寂の中に響いている。
やがて、壇上の前に到着した。
そこには、一つの椅子が置かれていた。被告人席。
「そこにお座りください」
侍従が無表情に指示した。
エリザベートは椅子に座った。座った瞬間、全身から力が抜けていくのを感じた。
壇上を見上げると、七人の男性たちが見下ろしている。
ルクラード王子の冷たい目。バルドールの怒りの表情。セラスの冷徹な視線。ロイドの計算高い目。
そして、リリアーナの悲しげな目。
エリザベートは、その視線に耐えながら、背筋を伸ばして座り続けた。
周囲の数百人もの視線が、容赦なく注がれている。
これが、最後の舞台。
そう理解した時、エリザベートの心の中で、何かが静かに砕け散った。
しかし、顔には出さない。表情を保ち、じっと前を見つめ続ける。
沈黙が続く。
やがて、時計台の鐘が響き始めた。
午後2時を告げる鐘の音。
審問の時が、来た。




