第3章第4話:完全なる裏切り
数日が経過し、三人からの最終報告の日がやってきた。エリザベートは前回の曖昧な報告に不安を感じつつも、今度こそ明確な結果が得られることを期待していた。
しかし、その期待は既に半分諦めに近いものとなっていた。三人の態度の変化は明らかで、何か決定的な発見があったであろうことは、薄々感じ取っていた。
朝、鏡に映る自分の姿を見て、エリザベートは愕然とした。頬は一層痩けて、目の下の隈も深く刻まれている。体調はさらに悪化していた。頭痛は慢性的になり、めまいの頻度も増している。食事もほとんど喉を通らず、少し動いただけで息切れがする。
「お嬢様、本当に大丈夫ですか?」
マリアが心配そうに声をかけた。エリザベートの顔色は青白く、時々苦しそうに息をついている。
「はい...今日ですべてが明らかになります」
エリザベートは震える手で身支度を整えた。手の震えは日に日にひどくなっており、今朝は髪をまとめるのにも苦労した。
「三人の方々が必ず真実を明らかにしてくださるでしょう」
その言葉には、もはや確信はなかった。むしろ、最悪の結果への心の準備をしているような響きがあった。
書斎で軽い朝食を摂ろうとしたが、パンを一口食べただけで胃が受け付けない。紅茶も苦く感じられ、ほとんど手をつけることができなかった。
「お嬢様、少しでも食べていただかないと」
マリアが心配そうに見つめているが、エリザベートにはもはや食欲というものがなかった。
「後で...今日の報告を聞いてからにします」
窓の外では、街の人々がいつものように活動している。しかし、彼らの表情にも微妙な変化が見て取れた。エリザベートの屋敷を見る視線が、以前よりも厳しくなっているような気がする。
午前10時、約束の時刻にセラスが現れた。書斎のドアをノックする音が響いた時、エリザベートの心臓が激しく鼓動した。
「どうぞ、お入りください」
ドアが開き、セラスが姿を現した。しかし、今日の彼の表情は完全に変わっていた。これまでの学術的な興奮は消え、代わりに冷たい確信が宿っている。研究者としての仮面の下に、何か計算的なものが見え隠れしていた。
「エリザベート様、最終報告をお伝えしなければなりません」
セラスの声音が、氷のように冷たい。以前のような敬意や親しみは微塵もなく、まるで研究対象を見るような冷淡さがあった。
「ご苦労をおかけしました」
エリザベートは立ち上がろうとしたが、めまいでよろめいた。椅子の背もたれにつかまりながら、何とか体勢を整える。
「どのような結果でしょうか?」
エリザベートは最後の希望を込めて尋ねたが、その声は震えていた。
「残念ながら...いえ、学術的には非常に興味深い結果でした」
セラスは研究ノートを開いた。そのページには、複雑な魔法陣の図と詳細な分析結果が記されている。文字の密度から、相当な時間をかけて研究したことがわかる。
「一週間の徹底的な調査の結果、あなたの魔法的異常の正体が完全に判明いたしました」
「それは...」
エリザベートの声がかすれている。
「黒魔法です」
セラスの断言に、エリザベートの血の気が引いた。部屋の空気が一瞬で重くなったような感覚があった。
「しかも、極めて高度で危険な黒魔法の影響下にあります」
「そんな...」
エリザベートは椅子にしがみつくようにして立っていた。
「詳細な分析により、これが意図的に施された呪術であることが確実になりました」
セラスの目に、冷たい確信が宿っている。研究者としての客観性を装っているが、その奥に功名心のような感情が潜んでいるのが見て取れた。
「古代黒魔法の特徴的な波動パターンと完全に一致しています」
セラスはページをめくりながら、専門用語を交えて説明を続けた。
「このレベルの黒魔法は、通常の魔法使いには扱えません。相当な知識と技術を要します」
「さらに深刻なのは」
セラスは別のページをめくった。そこには、エリザベートの魔力パターンを分析したグラフが描かれている。
「あなた自身が、この黒魔法の術者である可能性が極めて高いということです」
「私が...術者?」
エリザベートの声は、もはや囁きほどの大きさしかなかった。
「はい。魔法的痕跡の分析により、あなたの魔力と黒魔法の波動が完全に一致しています」
セラスは図表を指しながら説明した。
「これは偶然では起こり得ない一致率です」
エリザベートは立ち上がろうとしたが、激しいめまいに襲われてよろめいた。視界がぼやけ、床が波打つように見える。
「お嬢様!」
マリアが慌てて支えに駆け寄った。
「無意識だったかもしれませんが、結果は同じです」
セラスは冷淡に続けた。エリザベートの体調の変化にも、まったく配慮を示さない。
「学者として、また王国の安全を考える者として、この危険な現象を看過するわけにはいきません」
「セラス様、お待ちください」
エリザベートは必死に懇願した。
「何か間違いがあるはずです。私は黒魔法など...」
「間違いはありません」
セラスの声が一段と冷たくなった。
「研究結果は絶対です。数値は嘘をつきません」
セラスは研究ノートを閉じた。
「これ以上の協力はできません」
「それどころか、この発見を然るべき機関に報告する義務があります」
セラスの目に、研究者としての冷酷さが完全に表れていた。彼にとって、エリザベートはもはや人間ではなく、危険な研究対象でしかない。
「王立魔法学会への報告書も準備済みです」
セラスはもう一冊の分厚い資料を取り出した。
「この発見は、魔法学の歴史に新たな一页を刻むでしょう」
「私の名前で論文を発表すれば、学会での地位も飛躍的に向上するはずです」
その最後の言葉に、セラスの真意が露骨に現れた。彼の学術的興味は、完全に個人的な功名心に変質していた。
「セラス様...」
「失礼いたします」
セラスは一礼すると、足早に部屋を出て行った。その背中には、もはや一片の躊躇もない。
セラスが去った後、エリザベートは深いショックに沈んでいた。椅子に崩れ落ちるように座り込み、震える手で頭を抱えた。
「お嬢様...」
マリアが慰めようとしたが、言葉が見つからない。
「きっと何かの間違いです。セラス様も動揺して...」
「そうでしょうか...」
エリザベートの声は絶望に満ちていた。
「あれほど詳細な分析結果を見せられては...」
正午過ぎ、騎士団長バルドールが現れた。重厚な足音が廊下に響き、その音だけで今日の彼の心境が伝わってくるようだった。
書斎に入ってきたバルドールの表情は、セラス以上に厳格だった。騎士としての威厳に、明確な怒りが混じっている。正義感に燃える目は、完全にエリザベートを敵視していた。
「エリザベート様」
バルドールの声に、これまでにない冷たさがあった。もはや「様」という敬称さえ、形式的なものでしかない。
「最終調査結果をご報告いたします」
エリザベートは、もはや期待することができなかった。セラスの報告を聞いた後では、どんな結果が待っているかは容易に想像できた。
「どのような結果でしょうか?」
声を絞り出すように尋ねる。
「一週間の詳細な聞き込み調査により、重大な事実が判明いたしました」
バルドールは厚い調査資料を机に叩きつけるように置いた。その音が、部屋に重く響く。
「複数の独立した証言者から、あなたが組織的に悪意ある活動を行っていたという証言を得ています」
「悪意ある活動?」
エリザベートの声がかすれている。
「聖女リリアーナ様への妨害工作、宮廷内での陰謀活動、民衆への害意、そして...」
バルドールは資料をめくりながら、証言を読み上げていく。
「黒魔法を使用した呪術活動」
「これらはすべて、信頼できる複数の証言者からの一致した情報です」
バルドールの目に、正義感から生まれる怒りが燃えている。
「17名の証言者から、同様の内容が報告されています」
「17名...」
その数の多さに、エリザベートは絶望的な気持ちになった。
「そんな多くの方が...」
「さらに」
バルドールの目の怒りがより強くなった。
「あなたが私たち調査協力者を欺こうとしていたことも判明しました」
「欺く?」
「無実を装い、我々を利用して証拠隠滅を図ろうとしていた」
バルドールの声が怒りで震えている。
「調査の過程で、あなたが意図的に偽の情報を提供していたことも明らかになりました」
「そんな...私はそのようなことは」
「証拠があります」
バルドールは別の資料を取り出した。
「あなたが語った行動記録と、実際の目撃証言が食い違っている箇所が12箇所もあります」
「騎士として、正義を愛する者として、これを見過ごすことはできません」
バルドールの正義感が、完全にエリザベートに向けられている。
「バルドール様、どうか話を聞いてください」
エリザベートは必死に懇願した。
「もう聞くべき話はありません」
バルドールは立ち上がった。その動作に、断固たる決意が込められている。
「証拠と証言が全てを物語っています」
「それどころか、騎士として、あなたを監視し、必要に応じて拘束する義務があります」
「監視...拘束...」
エリザベートの声が震えている。
「既に宮廷に報告書を提出いたしました」
バルドールは調査資料をまとめながら言った。
「近日中に、正式な取り調べが行われるでしょう」
「正義は時として厳しいものです。しかし、それが騎士の道です」
バルドールが去った後、エリザベートは完全な絶望に襲われた。二人の協力者から相次いで糾弾され、心の支えが根本から崩れ去っていく。
頭痛がさらに激しくなり、胸の奥で何かが締め付けられるような痛みを感じる。呼吸も浅くなり、意識を保つのが困難になってきた。
「まだロイドが...」
エリザベートは最後の希望にすがったが、その希望さえも既に絶望的なものだった。
「きっと彼も...」
夕方6時、情報屋ロイドが現れた時、エリザベートは既に覚悟を決めていた。二人の報告を聞いた後では、ロイドの結論も容易に予想できた。
「ロイド...」
エリザベートの声は、もはや力がない。
「エリザベート様」
ロイドの表情は、職業的な冷静さを装っているが、どこか後ろめたさも感じられる。依頼主を裏切ることへの、わずかな良心の呵責があるのかもしれない。
「最終報告をいたします」
「どのような...結果でしたか?」
エリザベートの声は、もはや希望を込めることができない。
「申し訳ございませんが...」
ロイドは深いため息をついた。しかし、その表情には職業的な冷淡さが勝っている。
「調査の結果、あなたに関する重大な疑惑が確認されました」
「疑惑...」
「複数の信頼できる情報源から、一致する証言を得ています」
ロイドは小さなノートを取り出した。そのページには、びっしりと情報が記録されている。
「あなたが実際に、組織的な陰謀の中心人物である可能性が極めて高い」
「私が...中心人物?」
「はい。聖女様への妨害、宮廷内での工作活動、そして我々調査者への欺瞞...」
ロイドは機械的に列挙していく。感情を排除した、純粋に事務的な報告だった。
「すべての証拠が、あなたを指しています」
「でも、あなたに依頼したのは私です」
エリザベートは最後の抵抗を試みた。
「それもまた、巧妙な偽装工作だったのでしょう」
ロイドの目に、職業的な冷徹さが宿っている。
「情報屋として20年のキャリアがありますが、これほど狡猾な依頼人は初めてです」
「自分の罪を隠蔽するために、調査を依頼するとは...」
ロイドは感嘆するような調子で言った。
「ある意味で、見事な戦略でした」
「ロイド、お願いします」
エリザベートは最後の懇願をした。
「私を信じてください」
「申し訳ございませんが、証拠が全てです」
ロイドは立ち上がった。
「感情に左右されては、この仕事は続けられません」
「それに...」
ロイドは一瞬躊躇した。その表情に、かすかな良心の呵責が浮かんだ。
「より高額な報酬を提示してくださる方がいらっしゃいまして」
その言葉で、すべてが明らかになった。
「つまり、あなたは...」
「ビジネスです」
ロイドは淡々と答えた。
「依頼人への忠誠よりも、より良い条件を選ぶのが情報屋の世界です」
「新しい依頼主からは、あなたの3倍の報酬を提示していただきました」
ロイドは書類をまとめながら続けた。
「そちらの調査結果も、今回の結論と完全に一致しています」
「すべてが、あなたの罪を証明している」
ロイドが去った後、エリザベートは完全な孤立感に襲われた。三人全員から裏切られ、最後の希望も完全に断たれてしまった。
「なぜ...なぜこうなるのでしょう」
エリザベートは椅子に崩れ落ちた。頭痛が激しくなり、めまいで意識が朦朧としてくる。胸の痛みも激しくなり、呼吸するのも困難になってきた。
「お嬢様!」
マリアが慌てて駆け寄る。
「お体が...お顔が真っ青です」
「マリア...もう、誰が私を信じてくれるのでしょうか」
エリザベートの目から、ついに涙が溢れ出した。これまで必死に堪えていた感情が、ついに決壊した。
「私は...本当に間違っていたのでしょうか」
「お嬢様、そんなことはありません」
マリアが必死に慰めようとするが、その声にも動揺が隠せない。
体調の悪化は限界に達していた。頭痛、めまい、吐き気、胸の痛み、呼吸困難。すべてが同時に襲いかかってくる。
「もう...何も...」
エリザベートの意識が遠のきそうになった時、マリアが必死に支えた。
「お嬢様、しっかりしてください」
「私だけは...私だけは、お嬢様を信じています」
マリアの言葉が、エリザベートの心にかすかな光をもたらした。
「マリア...」
「はい」
「ありがとう...あなただけが...」
しかし、その光も束の間だった。三人の協力者たちの裏切りの重さが、再び彼女を絶望の底に沈めていく。
「でも、もう遅いのでしょうね」
エリザベートは窓の外を眺めた。既に日が暮れて、街に明かりが灯り始めている。
「三人の方々の報告が、明日には宮廷に、民衆に伝わるでしょう」
「学会にも、関係各所にも...」
エリザベートの声は絶望に満ちていた。
「もう逃げ場はない...」
夜が深くなっても、エリザベートの苦悶は続いた。体調の悪化と精神的な打撃が重なり、意識を保つのも困難な状態だった。
頭痛は割れるように激しく、めまいで床が波打って見える。胸の痛みで呼吸も苦しく、手足の震えも止まらない。
「明日...明日はどうなるのでしょう」
エリザベートは呟いた。
宮廷からの召喚状が届くかもしれない。民衆からの糾弾の声が上がるかもしれない。そして、ついに最後の審判の時が来るのかもしれない。
「私は...本当に黒魔法を使ったのでしょうか」
自分でも確信が持てなくなってきた。三人の専門家が同じ結論を出している以上、それが真実なのかもしれない。
「記憶にないだけで、実際に...」
その考えが頭をよぎった瞬間、エリザベートは激しい頭痛に襲われた。
「ああ...もう...」
意識が薄れていく中で、エリザベートは最後の力を振り絞って呟いた。
「すべて...私の罪だったのでしょうか...」
しかし、彼女はまだ知らなかった。この裏切りこそが、より大きな真実への扉を開く鍵となることを。そして、真の敵が誰なのか、すべての謎が解ける日が近づいていることを。
今夜のエリザベートは、人生最大の絶望に沈んでいた。信じていた人々からの完全な裏切り、孤立無援の状況、そして限界に達した体調悪化。
明日、さらなる試練が待っている。王子からの召喚、七人全員からの糾弾、そして最後の審判。
エリザベートの物語は、最も暗い夜に向かって進んでいた。しかし、これは新たな段階への前奏曲に過ぎなかった。
最も深い絶望の向こうに、まだ見ぬ真実が待っているのだから。
これで第3章は完結となります。




