009
山道をおよそ二時間半かけて登りきると、ようやく山頂へとたどり着いた。
息を整えながら立ち上がると、眼下に広がる光景に、誰もが言葉を失った。
赤黒い大地が、果てしなく広がっていた。
その大地には無数の裂け目が走り、そこを縫うように深い青色の川が流れている。
川の合間には大きな黒いクリスタル状の柱が立ち並ぶ渓谷も見えている。
山肌から川沿いの平原にかけては、濃い紫の植物が一面に広がっている。山肌には所々、地面に大きな穴が空いている箇所も見えた。
また、昨日通過した湿地帯と、その遥か奥に囚われていた場所と思われる巨大な施設も見えた。
その施設の他にもタワーのようなものや発着場のような場所もいくつか見てとれる。
さらに先、遠くに見える海は、岸辺が濃い青に染まり、沖合は漆黒に沈んでいた。
空には、赤い太陽が低く輝いている。
そのすぐそばに、巨大な星が、鈍い輪郭を見せながら、水平線の向こうから姿を現し始めていた。
ミオが、その姿を見ながらぽつりとつぶやいた。
「……この星には、何個の月があるんだろう。
それにしても今見えてるの……ものすごく大きいよね」
リクはその言葉に頷きながら、星の輪郭を目で追った。
「……こういう景色を見てるとさ、ここが地球じゃないって現実を、改めて突きつけられるよな」
「......うん。」
「ところで……ここから山を下っていった先に町があるって言ってたけど、パッと見た感じ、見当たらないよな」
ミオも首を傾げながら、登ってきた反対側を見る。
「確かに……青い湖しか見えないね。
どこにあるんだろう」
ヤマトが言う。
「……敵に見つからないようにカモフラージュされているのかもな。進んで行けば分かるだろう」
一行は山頂で一息ついたあと、青灰色の民の号令に従って山を下り始めた。
道は黒色の岩肌に沿って緩やかに続いており、足元には紫色の苔のような植物が広がっていた。
下り始めてしばらく経ち、山の中腹に差し掛かったあたりで、前方の岩壁が不自然に光を反射していることに気づいた。
その場所へ辿り着くと、そこには黒いクリスタルで出来た巨大なゲートが、設置されていた。
表面は滑らかで、光を吸い込むような質感をしている。
ゲートの脇に青灰色の民が立ち、何かの装置を操作し始めた。
装置が反応すると、ゲートの中央に淡い光が走り、内部の暗闇がゆっくりと開かれていく。
青灰色の民は後ろから着いて来るよう手で合図した。
ゲートの中は最初は完全な暗闇だったが、数歩足を踏み入れると壁面に埋め込まれたオレンジ色の灯りが順に点灯し、通路全体が柔らかく照らされた。
また、通路は螺旋状に下方向へと続いており、壁と床は黒曜石のような素材でできている。
歩くと足音が微かに反響した。
螺旋の通路を少し進むと、次にエスカレーターのような昇降機が現れた。
手すりと足場があり、近づくと自動で静かに起動し始めた。
一行はそれに乗り、山の内部をさらに深く下っていく。
昇降機に乗ってから30分程は経っただろうか、辿り着いた所は地下の広間だった。
黒い岩肌に囲まれたその空間の奥に、重厚な門がそびえている。表面は黒く、硬質な光を鈍く反射していた。
青灰色の民が門脇の装置に手をかざすと、門は静かに開いていった。
現れた光景に、全員の表情が驚愕に染まる。
目の前に広がっていたのは、湖の"中"に沈んだ町だった。
湖の底に広がる透明なドーム。見た目はガラスに似ているが分厚さがなく、それでいて湖の水圧に耐えられているのが不思議でならない。
その透明な膜の内側に町が築かれていた。
あたかも水中に漂う気泡の中に、都市そのものが閉じ込められているかのようだった。
水に囲まれながらも、完全に隔離された空間。
その構造は、地球の常識では到底理解できないものだった
ドームの中から上を見上げれば、赤い太陽の光が水を透かして屈折し、揺れる影のようにきらめいていた。
魚のような生物が遠くを泳ぎ過ぎ、水面には琥珀色の空がぼんやりと映っていた。
町は静かで、黒曜石のような石材で出来た建物が整然と並び、通路は浮遊する橋で繋がれている。
ドームの天井にあたる部分には、オレンジ色の照明が点在し、柔らかな光で町全体を包んでいた。
一行は青灰色の民の先導で、町の大通りを進んで行く。
両脇の建造物の壁面には、幾何学的な模様が淡く光を放っていた。
進んでいくうち、町の住人と思われる青灰色の民と幾度かすれ違った。彼らに視線を向けると、無言のまま両腕を左右に真横へ伸ばし、水平に広げる姿勢をとっていた。
その動きは一様で、何を意味するのかは分からなかったが、見る限り敵意や警戒の表現ではないように感じられた。
ミオはその動作に少し戸惑いながらも、すれ違う住人達に軽く会釈を返す。
町の奥へと進むにつれ、同じ動作をする民の数は増えていった。
しばらく行くと視界の奥に、ひときわ大きな建造物が姿を現した。
他の建物よりも高くそびえ、壁面には複雑な紋様が淡く脈打つように光っている。
その雰囲気から、明らかに町の中心施設であることが分かった。
施設の入り口付近には、青灰色の民が二十人ほど並んでいるのも見える。
さらに周囲には、なぜか数十人の人間たちも立っていた。彼らも皆、見た感じ20歳くらいの男性ばかりだった。
ミオたちは、自分たちよりも前にここを訪れた人類がいたことに驚いた。
先行者たちは、一行の到着を拍手で迎える。
やがて、一行は中心施設の入口前広場に立ち止まる。
柔らかな雰囲気をまとった青灰色の民たちが整列し、迎え入れた。
これまでに出会った青灰色の民とは異なり、彼らは全身をローブのような衣で包み、表情も豊かで柔らかい。
顔には優しさが滲み、目元にはわずかな笑みが浮かんでいる。
その中の一人が前に進み出て、穏やかな声で語りかけた。
「ようこそ、私たちヴァリド族の町――エルヴァ=トゥーンへ。
あなた方の到着を、心よりお待ちしておりました」
他のローブの民たちが、町の住人と同じように両腕を左右に真横へ伸ばし、水平に広げる姿勢を一斉にとった。
それは儀礼のようで、彼らなりの歓迎の挨拶であろう事が分かった。
ローブの民は続ける。
「ここにいるあなた方の同胞も、先日、例の施設から救出いたしました。
仲間が増えることを、彼らも心から喜んでいます」
ミオは、自分たちに拍手を送る人々の顔を見渡した。
そこには、地球への帰還に対する静かな諦めと、この星で生きていく覚悟が入り混じった表情があった。
「我々の長老が、あなた方とお会いしたがっています。
どうか、まずは中へお入りください」
ローブの民の言葉に従い、一行は中心施設の扉の前に立った。
扉は無音で開き、内部からは柔らかな光と冷たい空気が流れ出してくる。
これまでずっと先導してきてくれた青灰色の民達は、ここから先には立ち入れないらしく、入り口の前で止まり、我々だけで中に入るよう促した。
施設に足を踏み入れると、まず目の前に半透明のゲートが立ちはだかった。
青い光が脈打つように走り、通過する者の全身をスキャンしているかのようだった。
ゲートを抜けるとすぐ、係員と思しきローブの民が近づいてきた。
穏やかな顔立ちで、柔らかな声をかける。
「名前の登録を行います。どうぞ、お名前をお聞かせください」
ミオは一瞬戸惑いながらも、自分の名を告げた。
リクとヤマトもそれに続く。
おそらく、先ほどのスキャンデータと名前を紐付けて、人物データベースに登録しているのだろう。
通路の横の壁面には、大小さまざまな壁画が飾られていた。
抽象的なものから、神話的な場面を描いたものまであり、色彩は深く、構図は緻密だった。
その美しさから、このヴァリド族が一定以上の文化水準を持っていることがうかがえた。
やがて、一行は施設の中央へと導かれる。
そこは半円形の会議場になっており、床は黒い石材で整えられ、壁には淡い光が走っていた。
会議場の中央には、玉座のような椅子が据えられていた。
そこに座る人物は、他の民よりも年齢を重ねたような風格があり、ローブもより重厚な意匠が施されていた。おそらく彼が長老であろう。
一行は長老を囲むような形で会議場内に整列した。
玉座に座る長老は、ミオたち一行を静かに見渡した。その目の奥には威圧ではなく、深い慈しみが宿っていた。
長老はゆっくりと口を開いた。
「まずは、この町――エルヴァ=トゥーンへお越しくださったことに、心より感謝いたします。
あなた方がここに辿り着いたことは、我々にとって、希望の光であります」
その声は穏やかでありながらも、深い重みを帯び、言葉の一つひとつに揺るがぬ確信が感じられた。
「この星は、かねてより争いを好まず、平和を愛する我らが民の住む星でございました。
しかし、かなり昔――突如として外宇宙より侵略者が現れ、我らの民は長きにわたりその苦難に耐えてきました。」
長老は一度目を閉じ、静かに息をつき、再び語りかけた。
「我らヴァリド族は、彼らの支配から逃れるため、湖底や地中に都市を築き、身を隠す生活を余儀なくされております。
ここ以外にも、同じように隠された都市は幾つも存在し、
そこに暮らす者たちは、皆、怯えながらも、静かに生き延びようとしております」
ミオたちは、長老の言葉に耳を傾けながら、先ほど目にした町の構造や、住人たちの表情を思い返していた。
「侵略者とは、あなた方の言語で言うところの“オリオン星域”に拠点を置くノスリア帝国に属する異星人たちです。
帝国は天の川銀河系内で勢力を拡大しており、あなた方が眠っていた施設にいた者たちも、彼らの一部です。
ただし、彼らの主力は現在、地表ではなく宇宙空間に展開しています。
何らかの目的があるのでしょう。
そのため、今は襲撃が一時的に収まっていますが、いつ再び大規模な攻撃が始まるかは分かりません」
長老の声には、怒りではなく、深い悲しみが滲んでいた。
「彼らの目的は、星々の資源を奪うこと。
その過程で、環境を破壊し、生命の根を断ち切っていくのです。
この星も、例外ではありません」
一行は静かに耳を傾けていた。
「一方、我々ヴァリド族は、古来よりプレアデス星系を中心とした“プレアデス連邦”に属しています。
連邦は、調和と共存を重んじる者たちの集まりです。
我々は、その精神的支柱である“碧眼の神”を信仰しています」
長老はゆっくりと立ち上がり、玉座の背後に描かれた壁画を指し示した。
そこには、青い瞳を持つ存在が、星々の間に立つ姿が描かれていた。
「あなた方がここに来たことは、碧眼の神の導きによるものだと、我々は信じています。
どうか、これからの話を、心で聞いていただきたい」
その言葉に、会議場の空気が静かに引き締まった。
ミオたちは、これがただの歓迎ではなく、何か大きな転機の始まりであることを感じていた。




