007
危険な湿地帯を抜けた一向は、深い青色の水が流れる川沿いをしばらく進んでいた。
やがて、川沿いの少し開けた場所に差しかかる。
青灰色の民たちが足を止め、手を上げて合図を送った。
一行もそれに倣い、静かに立ち止まる。
太陽はすでに地平線の向こうに沈み、あたりは一面の闇に包まれ始めていた。
空には、先ほどまで見えていた二つの月に加え、もう一つの月が昇ってきていた。
三つの茶色い月が、夜空を不思議な色合いで照らしている。
その光は地球の月よりも濁っていて、どこか重たく感じられた。
青灰色の民の一人が、前に出て声を上げた。
「この先に山がある。山を越えれば、我々の町はすぐそこにある。
だが、夜間に山を歩くのは危険だ。今晩はここで野営する」
一行にざわめきが広がる。
疲労と安堵が入り混じった空気の中、青灰色の民は続けた。
「食糧は限られている。少しずつ分配する。
また、夜間は危険生物や侵略者の襲撃に備え、グループ毎に分かれて交代で見張りをしてもらう。
今は第9脈の終わり。まもなく第10脈が始まる。
この脈から翌朝の第1脈まで、計8脈の間、見張りを交代で行ってもらう」
ミオは、隣に立つリクに小声で尋ねた。
「ねえ……“脈”って、どういうこと?」
「たぶん……彼らの中で使ってる“時間の単位”の事じゃないかな。1脈がどのくらいの長さかは……俺にも分からないけど」
「なるほど。じゃ、危険生物とか侵略者っていうのは、さっきのダンバとか私たちを捕まえてたグレイ達のことなのかな?」
リクは、静かに答えた。
「侵略者は……グレイのことかもしれないな。
でも、“危険生物”って言い方だと、ダンバ以外にも何かいるのかも。
彼らは、山が危険だって言ってたし……何か、まだ知らないものがいるのかもしれない」
「そっか....どっちにしても怖いね。何もなければ良いけれど....」
ミオは少し不安そうな顔をして言った。
「それでは、これより食糧を配布する。前方から順に並び、受け取るように。
渡す際に、各自のグループ番号も伝える。忘れないように。」
集団が列を作り始める。
ミオとリクも、無言でその流れに加わった。
列がゆっくりと進んでいく。
青灰色の民が、無表情のまま一人ずつに食糧を手渡していく。
その食糧は、手のひらに乗るほどの、灰色がかった固形物——
ミオとリクのすぐ前に並んでいた男が、受け取った瞬間に顔をしかめた。
「……何だよこれ。食べれるのか?それに、これだけだと何の足しにもならないだろ……」
ぶつぶつと文句を言いながら、男はその塊を指でつついた。
だが、青灰色の民は何も言わず、次の固形物の準備する。
ミオは、その様子を見ながら小声で言った。
「……あまり、美味しそうではないね」
リクは、苦笑いしながら言った。
「たぶん、栄養はあるんだろ。だけど見た目とかにこだわりはないのかもしれないな。」
ミオは、静かに頷いた。
そして二人の番が来る。
青灰色の民は、同じように固形物を差し出しながら言った。
「グループ3。第12脈から第13脈間の見張りを担当」
ミオはそれを受け取り、リクも続けて同じように言われた後、食糧を受け取った。
手の中の塊は、冷たく、重さもほとんど感じられない。
リクは、手の中の灰色の塊を少しだけかじった。
口の中に広がったのは、淡い塩気と、微かに香る草の風味。
美味くもないが、不味くもない。
例えるなら——味の薄いシーチキンに、香草を混ぜたような、ぼんやりとした味。
「……まぁ、普通に食べれるかな。見た目はあれだけど」
ミオも、少しだけかじってみる。
「本当だ、意外にいけるじゃん」
量は少ないし。味も淡い。
しかしこれは、目が覚めてから二人が初めて口にした固形物だった。その事実だけでもそれなりに満足感があった。
ミオは、小さく頷いた。
「……意外と、ちゃんと食べたって感じするね」
リクは「まあな」と答え、空を見上げた。
三つの月は、ゆっくりと位置を変えながら、野営地を照らしていた。
青灰色の民が再び声を上げた。
「各グループは、まとまって指定された位置で休息を取ること。」
そう言うとグループ3は川沿い近くの一画を指定された。グループ3を言い渡された人々が集まってくる。
ミオ達も指定された場所に移動した。
地面は乾いていて、月の光が水面に反射していた。
そのとき、後方から声がした。
「へぇ、ラッキー。うちのグループには女の子がいるやん」
振り返ると、ガラの悪い男がニヤつきながらミオの方へ歩いてきた。
髪は乱れ、目つきは鋭く、動きに落ち着きがない。
その目はじっとミオを見つめ、口元には不快な笑みが浮かんでいた。
「目が覚めたら、訳わかんねぇ所にいるしよ。
周りは気味の悪い奴らと男ばっかで、人生に絶望してたわ。
名前は? 俺と一緒に休憩しようや」
ミオは一歩後ずさり、言葉を返せずにいた。
リクがすぐに間に入る。
「おい、彼女が怖がってるだろ。向こうに行ってくれ」
男は眉をひそめ、リクを見下ろすように言った。
「何だお前、この子と付き合ってんのか?」
「違う。でも見て分かるだろ。怖がってる」
「じゃあお前には関係ないやん」
男はそう言うと、ミオの手首を乱暴に掴んだ。
ミオの顔が引き攣る。
リクが一歩詰め寄る。
「やめろ、手を離せ」
男の眉間に皺が寄る
「何だてめぇ……やるのかよ」
空気が張り詰めたその瞬間、別の男が間に割って入った。
背は高く、声は低い。
「まあまあ、やめときな。
みんな精神的に疲れてんだから、こんな所で喧嘩なんかするなよ」
ガラの悪い男がそちらを睨む。
「何だてめえは」
だが、割って入った男は一歩も引かず、静かに言った。
「やめとけって言ってんだろ」
その眼光は鋭く、言葉以上の圧を持っていた。
ガラの悪い男は一瞬怯み、舌打ちをして手を離す。
「……分かったよ。ウルセェな」
そう言い残して、男は離れていった。
ミオは震える手を胸元に引き寄せ、リクのそばに立ち尽くしていた。
リクは、割って入った男に向き直る。
「……すいません。ありがとうございました」
ミオも小さく頭を下げる。
「すみません……」
男は片手を軽く振って笑った。
「まさかグループ内に危険生物がいるとはな。冗談みたいだよ。
まあ、気にすんなって。よくあること」
リクは少しだけ笑みを返しながら言った。
「名前、何て言うんですか? 俺はリクです」
ミオも続ける。
「私はミオです。……私たち苗字とかは思い出せないし、名前も本物かどうかも分からないけど」
男は頷き、少し目を細めた。
「俺はヤマト。でも……俺もそれが本名かは分からないな。苗字もわからん。
それにさ、目が覚めてから、なんだか……若返ってる気がするんだよね。肌とかが何か綺麗になってて。」
リクとミオは顔を見合わせる。
ヤマトは、少し冗談めかして言った。
「ぶっちゃけ、俺って何歳くらいに見える?」
リクは首を傾けて答えた。
「……20歳くらい、ですかね」
ミオも頷く。
「うんうん、20歳ぐらいかなって」
ヤマトは思わず吹き出した。
「20歳!? 俺、36歳なんだけどな」
リクとミオは驚いたように声を揃える。
「えっ!? そんな風には全然見えない……」
「見た目、若すぎ……」
「眠ってる間に、宇宙人からアンチエイジングの施術でも受けたんかな。まあ、悪くないけどさ」
少し間を置いて、リクがふと口にした。
「ちなみに……俺はいくつぐらいに見えます?」
ヤマトはリクの顔をじっと見て、すぐに答えた。
「リク君こそ、20歳くらいに見えるな。ミオちゃんも、同じくらい」
リクは頷いて言った。
「俺、22歳です」
ミオも続ける。
「私も22歳」
リクは目を丸くして言った。
「同い年だったんだ......」
ミオは少し笑って言った。
「私の方が上かと思ってた」
リクも笑いながら返す。
「いや、俺は俺の方が上かと思ってた」
三人は顔を見合わせ、思わず笑い声をこぼした。
川の音が静かに流れ、月の光がその笑顔を柔らかく照らしていた。




