006
ミオとリクは青灰色の民達の救助のおかげで、施設の外に出る事が出来た。他の救助された人達も出口付近に殺到している。
ミオは施設の外に出た瞬間、目の前に広がっている光景に言葉を失った。
空の色は、琥珀色。
頭上には、赤く燃える太陽。
その少し離れた位置に、うっすらと浮かぶ二つの月のような球体。大きいものと小さいものがあるが、どちらも赤みがかった灰色で、ぼんやりと光を放っている。
地表には、見た事のない植物らしきものが一面に広がる。高さはそれほどでもない。高くても1m程度。一枚一枚の葉が異様に大きく、葉の色は緑ではなく黒に近い紫だった。その葉の表面は艶やかで、風に揺れるたびに鈍く赤い光を反射している。
地面の色も赤黒いので、全体的に暗くくすんだ景色が一面に広がっている。
遠くの方にはかなり背の高い木らしき物や、真っ黒な池のようなものも見えていた。
振り返って見ると、ミオ達が出て来た施設はかなり大きな建物で、自分達が居たエリア以外にもいくつも別のエリアがありそうに見えた。
ミオは、立ち止まってその景色を見つめる。
——ここは、私の知っている世界ではない。
胸の奥が、じわじわと冷えていく。
——やっぱり、宇宙人に攫われて、別の星に連れてこられたのかも....
信じたくはないが、状況を考えるとミオにはそうとしか思えなかった。
横に居るリクもキョロキョロしながら、困惑した表情を浮かべている。
周囲にいる誰もが、目の前に広がる光景に対して、理解が追いついていないようだった。
そんな中、一人が、震える声で叫んだ。
「……俺たちは……本当に、たどり着けたんだ……!」
数人がその言葉について肯定ともとれる話をしている。
ミオにはその言葉の意味が分からなかった。
ただ、もしかすると、ここについて何か知っている人がいるのかもしれないと思った。
青灰色の民たちは止まらずに前へ進んでいく。一人が、鋭く言い放った。
「ぐずぐずするな。ついてこい」
その声に、ミオ達は反射的に足を動かした。
周囲の人達も一斉に動きだした。
その後しばらく、ミオたちは青灰色の民に導かれながら暗い草原の中を進んでいき、自分達が囚われていた施設の姿が確認できなくなるくらいの位置まで移動してきた。
ここは、地球に比べて重力が少し弱いからなのか、早足でここまで進んで来たが、それほど肉体的な疲れは感じなかった。
ただ、ミオはここまでリクの手に引かれて前へ進んで来ていた。ここにきてその手が、ふと緩む。
「……もう、大丈夫か?」
リクが、少しだけ顔を向けて言った。
ミオは、ハッと気づいて我に返った。
「ごめんなさい。私、動転してて、ずっと手を握ったままだった……
それに、お礼もまだ言ってなかった……
助けてくれて本当にありがとう、リクさん」
リクは、少しだけ照れたような顔をした。
「気にしなくていい。
それより……歳も近そうだし、“さん”付けはやめてリクでいいよ。」
ミオも顔を赤くして少しだけ笑った。
緊張の中に、わずかな温りを感じた。
「わかった。じゃ……今度から“リク君”って呼ぶね。私のことも、“ミオ”って呼んで」
リクは軽く頷いた。
「改めてよろしくな。ミオ」
「うん。よろしくねリク君」
ミオは何故か少し懐かしさのようなものを感じた。
「それはそうと……俺たちはどこに向かってるんだろう。助けてもらったとはいえ、彼らも何者かも分からないし、まだ安心はできないな。」
ミオは、隣で頷いた。
「確かに……でも、護身用の武器まで渡されてるし。
少なくとも、今は“味方”ってことなんじゃないかな」
リクは、手にした銃型の器具をちらりと見た。
淡く光るそれは、仕組みもよく分からない。
けれど、敵に渡すようなものではないことは確かだった。
リクが、少しだけ声を低くして言った。
「……そもそも、まだ事態が飲み込めてないけどさ。
状況を察するに、ここは地球じゃない。
最初に俺たちを閉じ込めてた連中も、今助けてくれてる彼らも——
宇宙人ってことなんだろうな」
ミオは、ゆっくりと空を見上げた。
赤い太陽。
二つの月。
見たことのない植物。
そして、青灰色の民たちのしっとりとした肌。
リクが、ぽつりと続けた。
「今まで信じてなかったけど……
本当に、いたんだな。宇宙人って」
ミオは、少しだけ間を置いてから答えた。
「私は……信じてたかな。
でも、自分が攫われるとは、思ってなかった」
ミオは、周囲を見渡した。
助け出された人々が、まだ戸惑いながら歩いている。
その顔ぶれに、ふと違和感がよぎった。
「ねえ、リク君……
気になったんだけど、助けられた人たちって、みんな同じくらいの歳じゃない?
なんか……二十歳前後って感じ」
リクも、歩きながら周囲を見回す。
「……言われてみれば、そうかもな」
「それに……助けられたの、男の人だけだよね。パッと見た感じ女は私だけって感じだし。なんでだろうね……」
リクは、少しだけ黙って考えていた。
手にした銃型の器具を見下ろしながら、ぽつりと答えた。
「……武器を渡すくらいだから、戦士として使うつもりなのかもしれないな。
だから男だけを選んだとか。
少なくとも、完全なる善意ってわけじゃなさそうだよな」
「確かに、完全なる善意じゃなさそうだよね....
そう言えば、もう一つ不思議に思う事があって、最初に私たちを閉じ込めてた宇宙人も、今助けてくれてる宇宙人も、どっちも知らない言葉で喋ってるはずなのに、何故か意味がちゃんと分かるの。」
リクが横で頷く。
「それは、俺も感じてた。
あいつらの言葉、聞き覚えがない言葉だけど、意味は分かるんだよな。
……一応、ミオの喋ってる言葉は、俺の知ってる言語だ。普通に通じてるし、違和感もない」
「じゃあ……彼らには何か、翻訳みたいな仕組みがあるのかな。それか、テレパシー的に脳に直接意味が届くような……」
「いや、もしかすると俺たちの頭の中に翻訳機みたいなものを埋め込んだのかもしれないな。目覚めた時、意識が朦朧としたし。」
その言葉に、ミオの足が一瞬止まった。
顔がこわばる。
「……ちょっと、怖いこと言わないで」
「……ごめん。怖がらせるとか、そんなつもりじゃ無かった」
一瞬、お互い沈黙したが、その後もミオとリクは、並んで歩きながら話を続けていた。
そのとき——
集団の前方が、突然ぴたりと足を止めた。
後方の人々も次々と立ち止まる。
青灰色の民の一人が、前に出て振り返った。
背は高く、目は濡れたように光っている。
声は、空気を震わせるように響いた。
「ここから先は湿地帯となっている。
沼にはダンバが潜んでいるので近づかないように。
それから、我々の歩いた道以外は通らないように。
一歩でも外れれば、命に危険が及ぶ。」
“ダンバ”——聞き慣れない名前。
でも、その響きには、明らかな警告の色があった。
その言葉に、空気が張り詰める。
だが——その静けさを破るように、集団の中から一人の男が突然叫んだ。
「もうこんな所は嫌だ!俺は帰る!こんなの耐えられない!」
錯乱したような声。
男は、青灰色の民の制止も聞かず、暗い草原の方へと走り出した。
「待て!」
青灰色の民の一人が叫び、手を伸ばす。
だが男は振り切り、そのまま奥へと駆けていった。
数秒後——
30メートルほど先の湿地の水面が、突如として爆発するように跳ね上がった。
巨大な水柱。
その中から、ぬるりと現れたのは——
7、8メートルはある、異様なカエルのような生物。
膨れた腹、粘膜に覆われた皮膚、目は丸く、濁った赤色に光っていた。
その姿が現れた瞬間、男の叫び声が——
パタッと、途切れた。
そしてその後、巨大な生物はまたすぐに姿を消した。
沈黙。
誰もが、息を呑んで立ち尽くしていた。
青灰色の民の一人が、振り返って言った。
「……あれがダンバだ。
気をつけろ。道を外れるな」
湿地帯に足を踏み入れてから、ミオもリクも無言だった。先ほどの“ダンバ”の一件が、誰の口も閉ざしていた。
空気は重く、風すらも湿ったように感じられる。
二人は、前を歩く人の足跡を慎重に確認しながら進んだ。
一歩でも道を外れれば、命はない——その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
黒紫の植物が密集し、視界は狭かった。
赤い太陽も傾き沈みかけている。
誰もが、黙っていた。
誰もが、ただ前だけを見ていた。
そして——
およそ二時間。
集団は、何とか湿地帯を横切った。
最後のぬかるみを抜けた瞬間、空気が少しだけ軽くなった気がした。
ミオは、無意識に深く息を吸い込んだ。
リクも、足を止めて空を見上げた。