026
夜が明けた。
もやのかかった川辺の野営地に、淡い朝の光が差し込む。焚き火の残り火が、灰の中で静かに赤く灯っていた。
焚き火のそばで横になっていた負傷者が、足をゆっくり動かしながらつぶやく。
「昨日よりも……少し、感覚が戻ってきてる」
その言葉を聞くと、ヤマトは昨夜倒したドゥイラスの遺体の中から頑丈そうな脚部を選び、ボルトエッジで切断して、簡易的な松葉杖を作り上げた。
負傷者はそれを手に取り、慎重に立ち上がる。
一歩、二歩――そして振り返って、微笑むように言った。
「……行けそう」
ヤマトは頷き、静かに言った。
「とりあえず、それで頼む。ただ、無理はするな」
他の隊員たちも動き始めた。
川へ向かい、顔を洗い、冷たい水で眠気と疲労を洗い流す。
水筒に水を補給し、装備を点検する。焚き火の後片付けも手早く済ませた。
そして――
グループAは再び歩き出した。
東側拠点キャンプを目指して、静かに野営地を後にする。
リクが、前を歩きながら軽く息を吐いて言った。
「おそらく、Cに続いて俺たちも昨日帰って来なかったから……今頃、町では大騒ぎになってるかもしれませんね」
タクマが頷く。
「今日は僕たちを探しに、グループBやDが出発してるかもね」
「そうだな。進んで行けば、そのうち救援部隊と出くわすかもしれんな。
道中は危険地帯もある。なるべく早めに戻ってやらないとな」
ヤマトのその言葉に、少しバツの悪そうな顔をした負傷者が目を伏せる。
それを見たセイジが、笑いながら肩を叩いた。
「大丈夫だ。いざとなったら、俺がおぶってやるから」
ヤマトがすぐに言葉を添える。
「すまん、そういうつもりじゃなかった。
焦らなくていい。行けるペースで大丈夫だ。
無理はするな」
負傷者は小さく頷き、少しだけ顔を上げた。
ヤマトがふと立ち止まり、言った。
「そういえば……昨日から色々ありすぎて、大事なことを聞いてなかったな。.....名前を教えといてくれ」
負傷者はハッとした顔をして、すぐに照れ笑いしながら答えた。
「俺はタイチだ。俺の方こそ、昨日は取り乱しててきちんと自己紹介をしてなかった。すまん」
それを聞いて隊員達もタイチに向かってそれぞれ笑顔で自己紹介をしていった。
徹夜明けで全員疲れは濃い。
だが、昨夜ドゥイラスの群れを撃退した手応えと、生き延びたという実感が、彼らの足取りを確かなものにしていた。
キャンプへ向けてグループAは力強く歩を進めた。
一方その頃、エルヴァ=トゥーンの中央施設では――
黒水晶の柱が並ぶ静謐な会議室。
天井にはヴァリド族の星図が描かれ、壁には青白い光がゆるやかに流れている。
その中心で、ミルカ=ノイ賢老が静かに書簡を読んでいた。
そこへ、藤堂が足早に現れる。
「ノイ賢老、少しよろしいですか」
ノイは顔を上げ、穏やかに微笑む。
「おお、どうされました、藤堂殿」
藤堂は一礼し、声を低くして言った。
「実は、少し良くない事が起こっておりまして」
ノイの眉がわずかに動く。
「良くないこと、ですと?」
「はい。先日から、ドゥイラスの巣穴調査に向かっていた我が隊の精鋭部隊が、消息を絶っております。
救援に向かった部隊も戻って来ないという報告を今朝、受けました」
ノイは書簡を閉じ、静かに言った。
「……ふむ。原因はわかっているのですか?」
「分かっておりません。
救援に向かった部隊はヤマト隊で、こちらは賢老が望まれたように消息を絶ったという結果は、ある意味“喜ばしい”ことですが……
もう一方の隊は、我が隊の中でも主力中の主力。
この損失は、決して小さくありません」
藤堂は続ける。
「そこで、かねてよりの計画を真剣に検討するべき時が来たと思われます。
巣穴調査は予定より早く打ち切り、既に確認済みのエリア内でブラッドクリスタルの採掘を開始したいと思います。
良質な結晶が見つかり次第、作業を終え――
カリスト王女とエリュシア王子がこの星を訪れる前に、“例の件”を実行したく思います」
ノイはしばし沈黙した後、静かに頷いた。
「分かりました。計画にあたって、まず何か必要な事はございますか?」
「はい。巫女への謁見許可をいただきたいです」
その言葉に、ノイの眉がわずかに動いた。
「……巫女殿ですか」
張り詰めた沈黙が、部屋の空気を支配する。
やがてノイは目を閉じ、静かに頷いた。
「……分かりました。許可いたしましょう」
「ありがとうございます」
藤堂は深く頭を下げ、そのまま静かに部屋を後にした。
その頃、聖域・巫女の部屋では――
朝の光が、窓越しに差し込んでいた。
香の煙がゆるやかに立ち上り、部屋の空気を柔らかく包んでいる。
「ミオ様、おはようございます」
ルウメアが元気よく部屋に入ってくる。
「おはよう、ルウメアちゃん。
いつもお世話してもらって、ごめんね。昨日のお休みはどうだった?」
ルウメアは少し驚いたように目を見開き、すぐに首を振った。
「そんな……私はミオ様の側にいれて、本当に嬉しいんです。だから謝ったりしないでください」
その言葉に、ミオは優しく返す。
「そっか……本当にありがとう。
私も、本音を言うと、昨日はルウメアちゃんがいなくて、ちょっぴり寂しかったかな」
ルウメアは少し照れて顔を赤くした。
「そ、そんな……もったいないお言葉です。
あ、そ、そうです。昨日は久々に、お家の方に帰らせていただきました」
ミオは興味深そうに身を乗り出す。
「おぉ、そうなんだ。ルウメアちゃんのとこ、どんなお家なの?」
「えっと、お家は、本当にどこにでもある黒石造りの小さな家ですよ。町の居住区の隅の方にあります。
父は今、中央都市の方で働いているので、昨日は会えませんでした。でも母と姉と妹とは、会えましたね」
ミオは目を輝かせた。
「へぇ……ルウメアちゃんのとこって、三姉妹なんだね。
えーと、うちは確か一人っ子だった気がするから、姉妹がいるのは羨ましい気がする」
ルウメアは少し申し訳なさそうに目を伏せた。
「……そう言えば、ミオ様は記憶を無くされていて、家族の事を思い出せないのでしたね。
すみません、無神経なことを……」
「ううん、全然。気にしてないよ。そもそも私の方から聞いたんだし」
「.……ありがとうございます。
そういってもらえると、ホッとします。
あ、そういえば――ミオ様。
リク様とヤマト様って……ご存じですか?」
ミオは、その名前を聞いて驚いた顔をした。
「うん、知ってる。
リク君……最後、私を助けようとして兵隊さんに囲まれてた。
あの後、大丈夫だったのかなって……ずっと気になってたの。
ルウメアちゃん何か知ってるの?」
「はい。実は……私の姉がリク様の身の回りの世話をしていて、双子の妹の方がヤマト様の身の回りの世話をしてるそうなのです。
それで、二人から、ミオ様に伝言を預かってきました」
その言葉を聞いた瞬間――
ミオの表情が、ふっと変わった。
瞳がわずかに潤み、唇が柔らかくほころぶ。
まるで、長い冬のあとに初めて春の光を浴びたような――
そんな、あたたかくて、少し切ない笑顔だった。
ミオは、胸に手を当てたまま、静かに言った。
「何か……私はもうずっと独りぼっちなのかなって思ってたから……
伝言でも、すごく嬉しいな。
二人とも無事だったんだね……本当に良かった」
ルウメアは微笑み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ミオ様にそんなに喜んでもらえるなら……私としても良かったです。
それこそ、ヤマト様は、『俺たちは無事だと伝えてくれ』と、おっしゃってたそうです」
ルウメアは一呼吸おいて、少し伏し目がちに静かに口を開いた。
「リク様からの伝言の方は……ちょっと私の口からは言いにくいことなのですが……
『必ず助けに行く、だからそれまで待っててくれ』
と、伝えて欲しいとのことでした」
その瞬間、ミオの瞳が潤み、唇が震えた。
こらえきれない涙が溢れてくる。
一筋の涙が、頬を伝った。
しばらく、ミオは何も言えずにいた。
胸の奥にこみ上げるものを、言葉にするには少し時間が必要だった。
やがて、彼女は静かに口を開いた。
「ねえ、ルウメアちゃん……私からも、二人に伝言を頼めるかな?」
ルウメアはすぐに頷き、優しく微笑んだ。
「はい、もちろんです」
ミオは、言葉を選びながらゆっくりと語り始めた。
「じゃあ……こう伝えて欲しいの」
その声は、祈るように静かで、けれど確かな意志を宿していた。
「私は閉じ込められているけど、みんなからは優しくしてもらってます。
ヴァリド族の民の希望として、丁寧な扱いも受けています。
すぐにでも助けてもらいたいけど、ヴァリドの人々とも争って欲しくない。
私は今、この星のことを勉強してて、ヴァリドの人々を平和的に救う方法がないかを探しています。
だから、リク君達も彼らと争ったりはしないで欲しいです。
いつかここを出てまた会える時を楽しみにしてます」
ルウメアは涙目でその言葉を、胸に刻むように静かに頷いた。
「安心してください。……必ず、伝えます。
リク様にも、ヤマト様にも」
コンコン――
扉の向こうから、控えめなノックの音が響いた。
ルウメアは少し驚いたように顔を上げる。
「だ、誰でしょう?」
そう言って部屋の入口に向かい、扉をそっと開ける。
そこに立っていたのは、――藤堂だった。
その姿は、聖域の空気を引き締めるような威厳をまとっている。
「失礼します」
「あ、藤堂様。ここは巫女様の部屋です。どうされましたか?」
ルウメアが一歩下がりながら尋ねると、藤堂は視線を部屋の奥へ向けた。
「巫女に用があって伺いました。許可は取っています。侍女は少し席を外してもらえますか」
その言葉に、ルウメアは一瞬だけ躊躇いを見せる。
だが、ミオが先に口を開いた。
「すみません。どちら様ですか?
ルウメアも一緒じゃダメですか?」
その声には、疑念と、わずかな不安が混じっていた。
ミオの瞳は、藤堂をまっすぐに見つめていた。
「すみません。本来ならもっと早くご挨拶に伺うべきでしたね。
私は藤堂義明と申します。施設から救出された人々をまとめる立場として活動しております。
以後、お見知りおきを」
ミオは、藤堂の名乗りを聞いた瞬間、驚いたように目を見開いた。
「……藤堂さんは、苗字と名前を覚えてるのですね」
声は静かだったが、言葉の奥には深い揺らぎがあった。
「わたしは……目覚めたときに、本名が分からなくて……
宇宙人に名前だけつけられました。
いまだに、この名前が本物かどうかも分かりません」
「そうですか。でも、大丈夫ですよ。その名前は本当の名前のはずです。
詳しい話は出来ませんが、それは私が保証しましょう」
「......私の....本当の名前....。
なぜ?...あなたは....何を知っているんですか?
どうして……私が知らない、私の本当の名前を……」
藤堂は、ミオの問いにゆっくりと口を開いた。
「残念ながら、その件については答えられないのです。
ただ一つ言えるのは、私もミオさんと同じで――あの施設からやって来た人間です。目覚めた場所はあなたとは違う場所ですが」
「それはそうと、こちらからも一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」
ミオは、藤堂の視線を受け止めながら、わずかに眉を寄せた。
その瞳には、警戒と戸惑いが混じっている。
「……何でしょうか?」
「あなたの記憶の中に、DNAに関する知識はまだ残っていますか?
遺伝子学を大学で学んでいたはずです。イルカ専門でしたが」
ミオは、藤堂の言葉にうろたえた。
胸の奥がざわつき、思考が一瞬、空白になる。
――どうして。
どうしてこの人は、私の過去を知っているんだろう?
始めて会ったと思う。
記憶の中に彼の顔はない。
でも、確かに私の過去を知っている。
もしかすると――記憶を失う前の知り合いなのかもしれない。
けれど、なぜか。
彼に対して、信用するのは怖い気がした。
言葉では説明できない。
ただ、直感的に――彼を受け入れることができなかった。
部屋の空気が、静かに張り詰める。
ルウメアが心配そうにミオを見つめていた。
ミオは、しばらく沈黙した。
その沈黙は、問いと答えの間に横たわる深い谷のようだった。
やがて、彼女は静かに口を開いた。
「……分かりません、覚えていません」
藤堂は、ミオの答えを聞くと、口元に不適な笑みを浮かべた。
「そうですか」
短く、静かに言う。
「私は――きっと覚えてると思うんですがね。
でも、今は“忘れている”ということでしょうか。
分かりました。……また、後日、伺います」
藤堂は軽く頭を下げると、踵を返し、扉の向こうへと姿を消した。
扉が静かに閉まる音だけが、部屋に残された。
ミオは、しばらくその方角を見つめていた。
胸の奥に、言葉にできないざわめきが残っていた。
ルウメアがそっと声をかけた。
「……ミオ様、大丈夫ですか?」
ミオは、ゆっくりと首を横に振る。
「……分からない。
でも……あの人、何か……怖かった」
その声はかすかに震えていた。
ルウメアは何も言わず、静かにミオの手を握った。
そのぬくもりが、少しずつミオの心に沈んでいた波を鎮めていく。
――またすぐに彼は現れるだろう。
その時は、飲み込まれぬようにしなければならない。
ミオは胸の奥で、そう強く誓うのだった。




