023
ヴァリド族は、生まれつき体内に磁場を感知する能力を備えている。
そのため、太陽が昇ると自然と目が覚める体質を持っていた。
彼らにとって「時間」とは、外界に合わせて測るものではなく、自らの体に流れる“脈の周期”を感じ取ることで十分だった。
そのため、地球で言うところの「時計」は存在はするものの、目覚ましのような機能は、彼らの文化では発達しなかった。
だが、神聖ヴァルクス隊の人間たちにとっては事情が違う。
異星の環境に適応しきれていない彼らは、時間の感覚を失い、行動に支障をきたすことが少なくなかった。
そこで、ヴァリド族が、磁場データと太陽の位置情報をもとにして作っていた、地球の「時計」に相当する計器に、最近になって技術班が改良を施した。
技術班による新しい機構は、指定した脈に達すると音を鳴らすという仕組みだった。
その構造は原始的ながらも実用的だ。
指定の脈に達すると内部の弁が開き、その上に置かれた硬い玉が音響器に落下する。
その音が眠る者の耳を打ち、目覚めを促す。
再びセットする際は装置を逆さにして玉を戻し、弁を閉じ、新たな脈を指定すればよい。
ヴァリド族にとっては不要な機能だったかもしれない。
だが、人間にとっては、この“目覚まし”の追加は確かな恩恵だった。
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硬い玉が器に落ちる乾いた音が、地下広場の静寂を破った。
夜明けを告げる「一脈」より少し早く設定されていたその音は、岩壁に反響しながら、眠っていた隊員たちの耳を打った。
誰かが寝返りを打ち、誰かがゆっくりと身を起こす。
ヤマトは目覚めた隊員達に、朝食の弁当を配っていく。
それぞれが弁当を受け取り、言葉少なく静かに朝食を摂る。そして、食事を終えた者から順に荷を背負い、出発の準備を各自整えていく。
ヤマトは最後に地図を確認し、広場の中央に立った。
「……じゃ、そろそろ出発するか」
その言葉に、一同は静かに頷いた。
予定どおり夜明けと同時に地表へ出た彼らは、東側の拠点キャンプを目指して早足で進む。
最近ではユウイチやタクマもすっかり体を動かすことに慣れ、部隊の歩調に遅れることなくついていけるようになっていた。
ヤマトたちの隊は普段南側で活動していたため、この東側の拠点キャンプを訪れるのは初めてだったが、道に迷うこともなく、およそ一脈強で目的地に到着した。
到着後、東側キャンプに残っていた隊員から、グループCがいまだ戻っていないことを確認したヤマトたちは、キャンプ防衛組から行動食の灰色団子を一つずつ受け取り、無言のままそれを荷に収めた。
そして、短く息を整えただけで、部隊はすぐさま昨日グループCが探索に向かったエリアへ向けて出発したのだった。
ヤマトは先頭を歩きながら、地形と地図を交互に確認する。
岩の傾斜、足元の土質、地形――すべてが記録と照らし合わせられ、慎重に進路が選ばれていく。
やがて、山をある程度下った所で、地図上の巣穴密集地の手前にあたる地点まで到達した。
ヤマトは足を止め、振り返って隊員たちに声をかけた。
「今回は巣穴を探す必要はない。だから、これまで通りある程度早いペースで進むつもりだ。しかし、ここから先は、かなりの危険地帯の周辺を進んでいくことになる。
ドゥイラスの存在を見逃さないよう、くれぐれも注意してくれ」
空気がわずかに張り詰める。
隊員たちは黙って頷いた。
岩肌の道を進み、巣穴密集地脇の斜面に差し掛かった時、岩陰の暗がりに、異様な動きがあるのをリョウが発見した。
「……あそこにいる」
隊員たちが足を止め、視線を向ける。
岩の裂け目の奥、黒い影が蠢いている。
ドゥイラス――あの吸血生物の習性は、隊員たちの頭に深く刻まれていた。
巣に近づくとまず一匹だけが姿を現す。
それは警戒か、斥候か。
そしてさらに接近すれば、周囲の巣穴からも次々と個体が現れ、集団で襲いかかってくる。
今、姿を表したその箇所には、おそらく巣穴がある。
ヤマトは地図を見直し、周囲の地形を確認した。
「……ルートが少しズレてるな」
低く呟いたその声に、近くの隊員たちが顔を上げる。
地図上では安全圏のはずだった。だが、地形の微妙な起伏と、ドゥイラスの巣の分布は完全には一致していない。
ヤマトはすぐに判断を下した。
このまま進めば、群れの警戒圏に踏み込む可能性がある。
「ひとまず、あの個体を駆除して、斜面を五メートルほど登ろう」
リョウが一歩前に出て言った。
「俺にあいつをやらせてください」
ヤマトはリョウの目を見て、頷いた。
「……おう、分かった。もし外した時は――レン、頼むな」
レンは無言で頷いた。
リョウが静かに電撃銃を構えた。
岩陰に潜む黒い影――ドゥイラスが、こちらの気配を察知したのか、あるいは威嚇なのか、体をわずかに上下に揺らし始める。
その動きは、地面に吸い付くような低さで、じわじわと圧をかけてくる。
リョウは息を止めた。
指先に力を込め、銃の持ち手を思いきり握りしめる。
照準が定まり、意識が一点に集中する。
次の瞬間、プラズマ状の弾が銃口から放たれた。
青白い光が空気を裂き、標的へ一直線に走る。
弾は見事にドゥイラスの胴部に直撃した。
青い火花が岩肌に散り、閃光が一瞬だけ周囲を照らす。
黒い影の動きが、止まった。
その場に崩れ落ちるように沈黙し、岩陰の空気が再び静寂に包まれる。
リョウはゆっくりと息を吐いた。
「おお、やるじゃん」
レンが笑いながら言うと、他の隊員たちも拍手で応えた。
岩陰に沈黙したドゥイラスを前に、空気が少しだけ和らぐ。
リョウは照れたように頬をかきながら言った。
「レンさんにこないだ教えられた通りにやったら、上手くいきました」
「まぁ、でも、そもそもセンスあると思うよ」
レンが感心したように言う。
それを聞いていたリクが、横から口を挟む。
「俺にも撃ち方教えてよ、レン」
「えー、だってリクは近接でしょ?ヤマトさんに剣術教えてもらってるやん」
「……え、もしかして、まだそれ根に持ってる?」
リクが目を細めて言うと、レンはわざとらしく首を傾げた。
「いや、根に持ってるとかじゃなくて……そのオーバーワークかなって思ってさ」
その言い方は、どう見ても嘘っぽかった。
「ま、分かったよ。リクが本当にやる気なら、暇な時にでもリョウと一緒に三人で練習しよう」
「うん、ありがとう。よろしく。リョウもよろしくね」
リクが素直に答えると、レンは少しだけ笑った。
リョウも笑顔で頷いた。
そのやり取りを聞いていたヤマトが、地図を畳みながら声をかける。
「よし、じゃあ少し登って先に進むぞ」
隊員たちは斜面を五メートルほど登り、再び前方へと歩を進めた。
しばらく進んでいくと、大きな岩の塊が出てきた。その岩に登って眼下を見下ろすと、下の斜面に無数の穴が口を開けているのが見えた。
大小さまざまな黒い穴が、まるで呼吸するように静かに広がっている。
ユウトは視線を凝らし、息を呑んだ。
「ここは……本当にすごいですね。これだけ集中して巣穴があるのは、初めて見ましたね」
その声には、驚きと警戒が入り混じっていた。
タクマが小さな声で言う。
「どれだけのドゥイラスが潜んでるんだろう。……想像したくもないね」
セイジが静かに言った。
「それにしても今のところ、グループCの痕跡は全然見当たらないな。
上から見る感じだと、この巣穴群のドゥイラスに襲われたって感じもあまりしないよな。
もし戦ってたら、それなりにドゥイラスの亡骸とかもあるはずだろう」
その言葉に、周囲の隊員たちも改めて視線を巡らせた。周囲の岩陰には血痕も、焼け跡もない。
ユウイチが口を開いた。
「そうですね。グループCはここを通ったかもしれないけど、ここで消息を絶ったってのは……なさそうですね」
ヤマトは静かに応えた。
「ひとまず、もう少し先に進もう。
この先が、本来のグループCの探索予定エリアだ。まずはそこまで行く」
その言葉に、隊員たちは頷き、再び足を動かし始めた。
巣穴群を迂回するルートの終盤、隊員たちは一部急な斜面に差しかかった。
岩肌は滑りやすく、足場も不安定だったが、そこに明らかな踏み跡が残されていた。
ヤマトはしゃがみ込み、指先で跡をなぞった。
「……おそらくグループCのものだな。ここまでは、無事に到達してる」
緊張の中に、わずかな安堵が広がった。
この急な斜面を越え、岩肌の道を地図のルートに沿ってやや下方向に進んでいくと、腰までの高さがある植物がまだらになり、赤黒い地面が所々見える場所に出た。
そこは、グループCが昨日探索する予定だったエリアの入口地点だった。
一本の旗が、岩の裂け目の傍に立っている。
ヤマトがそれを見つけ、静かに言った。
「よし、旗がまだある。
この旗を辿れば、ある程度はっきりするだろう」
部隊は、岩肌に立てられた旗を目印に、慎重に進んでいった。
ここから先は、地図に巣穴の分布が記されていない区域。
ヤマトの指示でペースを落とし、隊員たちは周囲に細心の注意を払いながら進行した。
旗は一定の間隔で立てられており、進路を示していた。
途中、一箇所だけ巣穴が確認された。
ドゥイラスは出てこなかったが、隊員たちは足音を抑え、静かに迂回して通過した。
それでも旗は先へと続いていた。
隊員たちはその道筋を辿りながら、やがて山の麓へと差しかかる。
そこには川が流れており、岩場の間を縫うように水音が響いていた。
ヤマトは地形を見渡し、静かに言った。
「……以前、施設から救出された時、町へ向かう途中で野営した場所。あそこより少し上流の場所のようだな」
少しだけ開けたその場所は、湿った空気に包まれていた。
地面はわずかにぬかるみ、踏みしめるたびに靴底が沈む。
サトルがしゃがみ込み、地面をじっと見つめた。
ぬかるんだ土には、複数の足跡が重なり合っていた。
大小の靴跡が散らばり、岩の陰にも踏み跡が続いている。
「……どうもここに居たのは間違いなさそうです。ここで野営したのかな?」
足跡を見つめながら、ヤマトは静かに言葉を継いだ。
「仮に、時間管理をミスって、日が暮れるまでにキャンプにも帰りつかないと判断してここに野営したのだとしたら……今日、途中で帰還する彼らに出会ってたはずだ」
「それに、もしここで夜にドゥイラスの群れに襲われたんだとしたら……それならば、ドゥイラスの足跡もないとおかしい。だがその痕跡はまったくない」
「……おそらく、ここで野営して、さらにどこかへ移動したと考える方が自然だ。
続きの旗がないか、よく周囲を探してみよう。
それが見つかれば、進路もはっきりするはずだ」
周囲を手分けして探していると、ユウイチが声を上げた。
「……ああ、あったよ。ここに旗がある。
どうも沼地の方に続いてるね。」
少し背の高い植物が邪魔して見えなかったけど、確かに旗は湿地帯の方へ向かっていた。
隊員たちはその方向を見つめた。
湿った空気、ぬかるんだ地面、そして遠くに広がる少し背が高い紫色の葉の植物の群れ。
「一体、何のためにこっちへ……?」
誰かが呟いたその言葉は、他の隊員たちの胸にも同じように浮かんでいた。
ヤマトは静かに考えていた。
キャンプを出発してから、すでに三脈近くが経過している。
太陽はまだ高いが、帰りは登りである事、残り時間を考えればそろそろ引き返さなければ日暮れに間に合わない。
「どうするべきか……
これ以上進むと、俺たちまで野営しないといけなくなるかもしれない」
ヤマトは低く呟いた。
食糧は灰色団子のみ。
飲み水は、この川の水がヴァリド族の言う通り安全なら問題はない。
だが、グループCが何のために巣穴探索と関係ない方向へ進んだのかも掴めない。
このまま無策で進めば、危険だ。
ヤマトは地図を見ながら、静かに言った。
「……やはり、ここは戻るべきだ」
その言葉に、セイジが頷く。
「戻って報告した方がいいな。Cの連中の姿は確認できないが、まだ生存している可能性は高そうだし」
レンが少し口を尖らせながら言った。
「もうちょっと行ったら見つかるかもしれないのに……」
だが、ヤマトの声は揺るがなかった。
「ダメだ。これ以上は危険すぎる」
その瞬間だった。
旗のある方角の植物を刈っていたユウイチが、沼地の方を見て叫んだ。
「待って!誰かがこっちに向かって来てる!……多分、グループCの人じゃないかな?」
隊員たちは一斉にその方角へ視線を向けた。
背の高い草が揺れ、湿地の奥から人影がゆっくりと近づいてくる。
見る限り、向かってきているのは二人だけだった。
そのうちの一人は足を引きずっており、もう一人が肩を貸すように支えている。
「リク、助けに行くぞ」
ヤマトの声が鋭く響いた。リクと二人、足元を確認し、湿地の草をかき分けながら、二人は負傷者のもとへ急ぐ。
負傷した人物は足を引きずりながらも懸命に歩いていたが、次の瞬間、バランスを崩して前のめりに倒れた。
泥が跳ね、呻き声が風に混じる。
その直後だった。
沼地の水面が爆発するように水柱を上げた。
濁った水の中から、巨大な影――ダンバが姿を現した。
その動きは異様なほど素早かった。
水飛沫の中から伸びた舌が、立っていたもう一人の隊員を絡めとる。
叫ぶ間もなく、舌に巻き取られた身体が宙を舞い、ダンバの口へと吸い込まれていった。
「くそっ!」
ヤマトが叫び、リクは反射的に武器を構えた。
水面は再び静まり返り、泥の中に巨大な影が沈んでいく。
残されたのは、倒れた負傷者だけだった。
ヤマトとリクは、慎重に足場を選びながら、倒れている負傷者の元へと近づいた。
その人物は半身を沼に沈め、意識はあるものの動けない様子だった。
ヤマトが膝をつき、リクと共にそっと腕を引き、泥の中から引き上げたその瞬間――
再度、水柱が激しく上がり、濁流の中から再びダンバが姿を現した。
その巨体は泥にまみれながらも、異様な速さで動き、今度はリクに向かって舌を伸ばしてきた。
「リク!」
ヤマトが叫ぶやいなや、リクの身体は舌に絡め取られ、宙に浮いた。
だが次の瞬間、ヤマトの手が閃いた。
腰に携えていたボルトエッジが、鋭い軌道を描いてダンバの舌を切り裂いた。
裂けた肉が水飛沫と共に弾け、リクの身体が地面に落ちる。
ほぼ同時に、遠くからレンの電撃弾も飛来し、ダンバの頭部に直撃した。
雷鳴のような音が響き、沼地が一瞬、白く光る。
ダンバは断末魔の咆哮をあげながら、巨体を震わせ、泥の中へと沈んでいった。
水面は再び静まり返り、ただ泡だけが残った。
リクは泥にまみれたまま、青ざめた顔でヤマトを見上げた。
「……ありがとうございます。ヤマトさん」
「ああ、危なかったな」
ヤマトが息を整えながら言った。
リクも頷き、まだ震える手で泥を払った。
倒れていた負傷者は意識こそあるものの、かなり弱っており、歩行も困難だった。
ヤマトとリクは互いに目を合わせると、無言で肩を貸し合い、慎重に身体を支えた。
ぬかるんだ地面を踏みしめながら、三人はゆっくりと隊のいる場所へと戻っていく。
背後の沼地は先ほどまでの激しい水音が嘘のように静まりかえっていた。




