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40光年  作者: 遊歩人
序章
2/28

002

「澪ーっ、ドローン来たわよー!」


階下から母の声が響いた。

澪はベッドの上でカプセルの梱包材を探していた。


「ちょっと待って!今行くから!」


部屋の床には、昨日使った記憶採取キットの空ケースと、データの入ったカプセルが転がっている。

澪はそれを手早く包み、ラベルを貼り、封筒に押し込んだ。


階段をバタバタと駆け下りる。

玄関の外には、白いボディの飛行ドローンがホバリングしていた。

機体側面には「Message Ark Japan」のロゴ。

投入口が静かに開いている。


「お願いしますっと……」


澪は封筒を投入口に差し込み、機体の側面にある送信ボタンを押した。

ドローンは軽く揺れ、静かな音を立てて空へと舞い上がっていった。


母が腕を組んで立っていた。


「いつも言ってるでしょ、来る前に準備しておきなさいって。」


「はいはい、ごめーん。でも、ちゃんと間に合ったからセーフでしょ?」


母はため息をつきながら、玄関のドアを閉めた。


「来週から一人暮らしなんだから、しっかりしてよ。

ほんとに……あんた、準備は早めにしなさいって何度言ったら分かるの。

引っ越しの準備も、そろそろ始めないと、引っ越しドローン来る時にバタバタするんだから。」


澪は少し不貞腐れて言う。


「もう、分かってるってば……」


母は呆れた顔をして、それ以上何も言わずにリビングへ戻っていった。


澪は玄関に残された空のケースを拾いながら、ぼそっと言った。


「言われなくても今からやるし……」


そのまま階段を上がり、部屋のドアを閉める。

窓の外を見ると、配達ドローンの姿はもう見えなくなっていた。

澪は机の上にカプセルの郵送記録控えを置き、引っ越し用の段ボールを床に置いた。


「…..この部屋ともいよいよお別れかぁ。」


澪はそう呟いて、段ボールの横にしゃがみ込んだ。

そして、一息ついてから棚の整理を始めた。いる物といらない物を黙々と分けていく。

棚の奥に手を伸ばすと、埃をかぶった小さな黒い装置が出てきた。

角が丸くて、手のひらサイズ。見覚えのある形だった。


「……あ、これ。」


父がまだ家にいた頃、誕生日に買ってくれた3Dホログラム装置。

澪はそっと電源を入れた。

装置が静かに起動し、部屋の空気がふわりと揺れる。


青い光が広がり、空中にイルカの映像が浮かび上がった。

ゆっくりと泳ぐように、澪の目の前を通り過ぎる。


「そうだそうだ……子供の頃、毎日これ眺めてたなぁ。」


澪は膝を抱えて座り込み、イルカの軌道を目で追った。しばらくぼんやりしていたが、ふと我に返った。


「……って、やば。ボーッとしてる場合じゃないじゃん。引っ越しの続きやんなきゃ。」


そう言って、澪は膝を伸ばし、段ボールの山に向き直った。


時折手が止まりながらも、黙々と箱に物を詰めていく。


気づけば、窓の外はすっかり夕方の色に染まっていた。


澪は段ボールの山を見渡しながら、ふぅっと長い息を吐いた。


「……流石に疲れたー……」


そう呟いて、ベッドに倒れ込む。

マットレスの柔らかさが背中に広がって、身体の重さでじわじわと沈んでいく。


天井を見上げながら、澪はぼんやりと考え始めた。


新しい家のこと。

まだ見ぬ街、まだ知らない人たち。

研究のこと。初めての本格的な仕事。

未知の海に漕ぎ出すような不安と、胸の奥に灯る小さな希望。


そして、家族のこと。

母の声、父の思い出、荒浜の風景。

もうすぐ、それらが日常ではなくなる。


陸のことも、自然と浮かんできた。


「……本当に、離れ離れになってよかったのかな……」


澪は目を閉じた。波の音が耳に残っている気がした。

夕暮れの海。カプセルを手にしたときの陸の表情。指先が触れ合った瞬間のぬくもり。


陸は地元に残る。私は遠くへ行く。


二人が選んだ道だった。お互いの使命を尊重して、未来を信じて。


でも——それでも、心の奥に残る小さなざわめきは、簡単には消えない。


夕陽がカーテンの隙間から差し込んで、部屋の空気を淡く染めている。


澪の頬を一筋の涙が伝った。


階下から、柔らかな声が響いた。


「澪ー、ご飯できたよー!」


澪はベッドの上で目を開け、少しぼんやりしたまま返事をした。


「はーい、今行くー」


ゆっくりと身体を起こし、階段を降りる。キッチンから漂ってくる香ばしい匂いに、思わず顔が綻ぶ


食卓に並んでいたのは、澪の大好物——エビフライ。


「……やったー!エビフライ!」


澪が嬉しそうに声を上げると、母は笑いながら言った。


「向こうに行ったら、中々食べれないかなーって。

今のうちに、澪の好きなもの作ってあげておこうと思って。

喜んでもらえて何より」


澪は箸を手に取りかけて、ふと動きを止めた。 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……ねぇ、お母さん、私が遠くに行って、一人になっても……大丈夫?」


母は少しだけ目を細めて、優しく澪を見つめた。


「そりゃ、寂しくないと言えば嘘になるかな。

でも、澪がやりたいことをやるって決めたことが……それが一番嬉しいから。」


澪は唇をきゅっと結んで、頷いた。


「……ありがとう。」


「さぁ、しっかり食べて、しっかり頑張って。」


澪は微笑んで、箸を握り直した。


「いただきます。」


静かに、確実に、出発の時は近づいていた。

昼は新生活の準備に追われ、夜は連日、友達との会食。

別れの意識は嫌でも日が進むに連れ大きくなっていった。


6日後——


今日は、澪が送ったカプセルを載せたロケットの打ち上げの日。

陸の家のリビングには、立体放送対応の大型シアターが設置されていた。打ち上げ企業「Message Ark Japan」の公式サイトが配信するロケット打ち上げの生放送が、空間全体に映像を投影している。壁も天井も、夜の深い青に染まっていた。


澪と陸は並んでソファに座り、飛び立つ前のロケットを静かに見つめていた。


カウントダウンが始まる。発射台の周囲には、冷却ガスが白く立ち上り、空気が震えている。


澪は息を飲んだ。自分達の記憶、自分達のDNA、二人で一つのカプセルが、今から宇宙へ向かおうとしている。


「……いよいよだね」


澪がぽつりと呟くと、陸は頷いた。


「なんだか不思議な気分だな。」


「うん。太陽系を越えて、トラピストの星まで。何万年もかかるけど……二人の記憶はずっと一緒に漂ってる」


画面の中で、ロケットがゆっくりと火を吹き始めた。轟音が空間音響で再現され、床がわずかに震える。澪は思わず陸の腕に触れた。陸も、そっと澪の手を握り返す。


発射。


炎が噴き出し、ロケットが空へと舞い上がる。空を突き抜け、成層圏へ、そして宇宙へ。


澪の目に、光が映る。それはロケットの軌跡であり、自分自身の未来でもあった。


「……ありがとう、陸くん。一緒に見られて、よかった」


陸は澪の手を握ったまま、静かに言った。


「澪が選んだ道、ちゃんと応援してる」


ロケットは、画面の中で小さな光点になり、やがて見えなくなった。


明後日の朝、澪は東京へと旅立つ。

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