016
訓練開始の合図とともに、神聖ヴァルクス隊の前衛班は地表の指定された場所を目指して移動を開始した。
今回の前衛班の行軍は、鍛錬の目的も兼ねていた。
隊員たちは通常の装備に加え、意図的に重量を増した荷物を背負っての移動を命じられていた。
しかし、トラピスト-1eの重力は地球の7割程度である為、ほとんどの隊員は多少の負荷を感じながらも、安定した足取りを保っていた。
ヤマトは黙々と歩を進めていた。
背負った荷物の重さにも表情ひとつ変えず、足元の岩を選びながら、周囲の地形を冷静に観察している。
リクもまた、無駄のない動きでヤマトの後ろを進んでいた。
呼吸は整い、荷物の重さも苦にしていない様子だった。
ユウイチは違った。
最初はヤマトやリクと同じ位置にいた。
歩調も揃っており、表情にも緊張と集中が見えていた。
しかし、時間が経つにつれ、荷物の重さが彼の身体を蝕み始めた。
肩に食い込むベルト、背中に貼りつく汗、足元の岩に何度もつまずく。
「……あ、すみません」
ユウイチは小声で謝りながら、前の隊員との距離を詰めようとするが、列は一定の速度で進み続けていた。
彼の足取りは徐々に後方へとずれていき、ついには列の最後尾に近い位置まで下がっていた。
出発から2脈、地球時間で3時間半程進んだ所で小休止となった。そのタイミングでヤマトは振り返り、ユウイチに声をかけた。
「……大丈夫か?」
ユウイチは顔を上げ、苦笑のような表情を浮かべる。
リクも少し離れた位置から、心配そうに彼を見つめていた。
「……やっぱり、僕には前衛班は向いてないと思う」
ユウイチは岩に背を預け、肩で息をしていた。
明らかに消耗しているように見えた。
ヤマトが近づき、岩の上に二人で腰を下ろす。
「今回は、わざと重い荷物を持たされてるだけだ。
通常、前衛はこんなに重い装備は持たないはずだし――ちょっと鍛えれば、このくらいすぐ慣れるさ」
その声は、淡々としていたが、温もりがあった。
ユウイチは苦笑しながら、膝を抱えるようにして答えた。
「……そうだといいんだけどね。
でも、元々運動は苦手だからさ。体育の持久走とか、いつも最後の方だったし」
ヤマトはそれ以上何も言わず、ただ空を見上げた。
少し離れた場所では、リクが水筒を口に運んでいた。
するとリクの隣を進んでいた男が、ふと声をかける。
「……あの人、流石に戦場は向いてなさそうだよね」
リクはユウイチの方をちらりと見て、静かに答えた。
「仕事がデスクワークだったらしいから、動くことに慣れてないのかもしれない。
でも、そのうち慣れるんじゃないかな」
男は肩をすくめて笑った。
「それで言ったら、俺なんてニートで引きこもってたから、まだ酷いんだけどね」
リクは少し驚いたように目を向ける。
「じゃあ、君も藤堂に勝手に指名されて前衛になったの?」
男は首を振り、笑った。
「いや、嘘ついた。身体動かす仕事してた人の時に手を挙げたんだ。
そこで挙げたら、前線に行けそうな気がしたからね。なんか……その方が、面白そうだったから」
「ふふ、そうなんだ....俺はリクって名前、よろしくな」
男は軽く笑って頷いた。
「僕はレン。よろしくー」
リクは水筒を傾けながら、レンに向かって言った。
「でも、“前線が面白そう”って、なかなか肝が据わってるよね」
レンは得意げに胸を張る。
「僕、シナプティカ・ネクサス内ではそこそこ有名なガンナーだったんだよね。
ランキングでも上位常連だったし」
リクは眉を上げた。
「........シナプティカ・ネクサス?……あの、仮想世界で戦うみたいなゲームだっけ?」
「そうそう」
レンは笑いながら答えた。
リクは少しだけ首を傾げる。
「でも、ゲームと実戦じゃ、さすがに勝手が違うんじゃないの?」
レンはニヤリと笑って、岩に背を預けた。
「いや、多分大して変わらないよ。
もし実際にそういう状況になったら――まぁ、見ててよ」
その自信たっぷりな言葉に、リクは少し戸惑った。
少し沈黙が流れた後、リクはふと尋ねた。
「えと、ちなみに、歳はいくつ?」
「ん、23」
リクは心の中で、静かに呟いた。
(俺より上かよ……)
「俺は22歳。ちなみに――あそこの人、ヤマトさんとユウイチさんって言うんだけど、
あの人たち、ああ見えて36歳らしいよ」
レンは目を見開いて叫んだ。
「え、若っ!!」
レンの声が岩場に響いた。
あまりに大きな声だったため、周囲の隊員たちが一斉に彼の方を振り向いた。
「……あ、すみません。ちょっと驚いたもんで」
リクは苦笑しながら水筒を閉じた。
その時、近くに立っていたヴァリド族の戦士が、静かに口を開いた。
「休憩はここまでだ。そろそろ出発する」
その声に、隊員たちは一斉に立ち上がり、装備を背負い直す。
笑い声は消え、空気が再び引き締まる。
前衛班は再び列を整え、指定された目標地点へ向けて歩を進め始めた。
足元には乾いた砂と砕けた鉱石の破片が散らばり、踏むたびにザリ、と音が鳴る。
レンがリクの横に並びかけ、少し身を寄せるようにして声をかけた。
「なぁなぁ、藤堂さんが言ってた――六本足のやつの話、覚えてる?」
リクは前を見たまま、眉間にわずかに皺を寄せる。
「……ドゥイラスとかいうやつの話?」
「そうそう、それそれ。あれのお宝の話、リクはどう思った?」
リクは一度足を止めかけたが、すぐに歩調を戻す。
「ブラッドクリスタルの話?どうって……見かけたらすぐ離れろって言われたろ。危険だから」
レンは口元を歪めて笑った。
「いやいや、“お宝として取引されてる”って話だったよ。
貴重な装飾品だって、藤堂さんも言ってたし」
リクは視線を横に流し、少しだけ息を吐いた。
「取引はされてるけど、それを採掘しに来るならず者に注意しろって話だった。
結局、“近寄るな”ってことだったはず」
レンは前を見据えたまま、足元の岩を蹴り飛ばすように一歩踏み出す。
「まぁ、そうも言ってたけどさ……あれは逆に、“見かけたら持って帰って来い”ってことだったんじゃないの?
言い方の問題っていうか、さ」
リクは呆れて思わず笑った。
「大胆な意見だけど……俺は多分違うと思う」
レンは肩越しにリクを見て、口角を上げる。
「まぁ、どっちでもいいけどさ。もし見かけたら教えてよね。僕も注意しながら歩くから」
リクは前を向いたまま、軽く手を振るように答えた。
「はいはい」
「でも今日はヴァリドの戦士が先導してるし、最初の訓練でそんな危険な場所に行ったりはしないと思うよ」
レンは一瞬黙った、そして照れ隠しのように言葉を継いだ。
「まぁ、そうだろうけど、今日に限らずの話ってことね」
二人はその後も時折会話を交わしながら進んでいった。ユウイチは変わらず苦しそうだったが歩調を合わせたヤマトが隣に付添い、励まされながら何とか一行についてきていた。そして、小休止からおよそ二時間の行軍を経て、前衛班はようやく目的地に到着した。
乾いた岩場の向こう、高台に立つヴァリドの戦士が、両腕を大きく広げている。
彼らは圧電性の共鳴器官を体内に持ち、言葉を発す方法以外にも、電気信号を音波へと変換することで遠方との意思疎通を行う事が出来るという。
その通信は、振動と周波数によって成り立っている。
ただし、彼らの共鳴は自然のままでは届く範囲がある程度限られている為、より遠くまで連絡する方法として、今回、通信班が高台に「共鳴装置」と呼ばれるアンテナ状の機材を設置し、ヴァリド族が発する信号を増幅することで、広域への伝達が可能となるかも試していた。
人間には、その通信は直接理解できない。
ただ、空気がわずかに震え、軽い耳鳴りや圧迫感が生じるだけだった。
何が語られているのかは分からなかった。
その間、班員たちはそれぞれ岩陰に腰を下ろし、食事を摂ったり、水分補給したりしながら休憩を取った。
高台での通信を終えると、ヴァリドの戦士が振り返り、班員たちに向かって声を上げた。
「目標は問題なく達成された。これより町へ向けて、来た道を戻る」
その言葉に、岩陰で食事を摂っていた者、水筒を傾けていた者たちが次々と立ち上がる。
束の間の休憩は終わり、空気が再び引き締まる。
装備を背負い直し、再び前衛班は動き出した。
帰り道は、さすがに誰もが黙々と歩いていた。
ユウイチは、疲れは見えるが、なだらかな下り坂に助けられ、行きよりは幾分か持ち直していた。
班が帰路のちょうど半分ほどに差し掛かったその時だった。
空が、音もなく歪んだ。
まるで熱気が空間を揺らしたように、視界の一部が波打ち、
次の瞬間――
「バチッバチッ……!」
耳をつんざくような電気的な音が空中で弾けた。
誰かが反射的に頭を伏せ、別の誰かが「何だ!?」と叫ぶ。
空間の裂け目のような揺らぎの中から、艦影が現れた。
一隻、二隻――四隻。
見た事のない小型の宇宙船らしき艦が、編隊を組んで上空に浮かんでいた。
艦体は鈍い灰色で、陽光を吸い込むように光を反射しない。
無音のまま、しかし確かに存在していた。
風が止まり、空気が重くなる。
班員たちは足を止め、誰もが上空を見上げ、その姿に息を呑んでいた。
ヴァリド族の戦士が前に出て、落ち着いた声で言った。
「心配するな。あれはノスリア帝国の艦ではない。カリスト星の斥候艦だ」
隊員たちは一斉に彼の方を振り向く。
戦士は上空を見上げながら、言葉を続けた。
「彼らはアルタル商盟の評議会に名を連ねる中立国家だ。
おそらく中央都市に用事があって現れたのだろう」
その声には揺らぎがなく、空気の緊張が少しずつほどけていく。
艦隊は旋回することなく、一定の高度を保ったまま、ゆっくりと南の空へと進んでいった。
艦隊は遠ざかり、空の歪みも徐々に収束していった。
隊員たちは再び歩を進めながらも、時折振り返って空を見上げていた。
レンがリクの横に並び、ぽつりと呟いた。
「本物の宇宙船、初めて見た。……ちょっとワクワクするよね」
リクは少しだけ笑って、前を向いたまま答える。
「レンは何にでも前向きなんだな」
レンは少し照れ笑いしながら答えた。
「だってニート時代は刺激が少なかったからねー」
その後も前衛班は黙々と、町へ向けて歩みを続け、日が沈む前に全員無事に何事もなく帰還した。
他の班もすでに町へと無事帰還しており、初の訓練は、大きな混乱もなく、予定通りの成果を収めて終わった。
隊員たちはそれぞれの持ち場へ戻り、装備を返却し、簡単な報告を済ませると、
ようやく肩の力を抜いて、町の空気を吸い込んだ。
夕暮れの光が建物の壁を赤く染め、遠くでは誰かの笑い声も聞こえていた。




