010
長老は静かに立ち上がり、玉座の背後にそびえる古びた石板へと歩み寄った。
その表面には星の言葉で刻まれた文が、淡く光を放っていた。
長老は指先でその文をなぞりながら、厳かに語り始めた。
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「これは、我らヴァリド族に古来より伝わる予言書の一節――」
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闇が星を覆い、風が祈りを忘れし時、天より三つの兆しが現れ、我が子らを楽園へと導く。
第一の兆し
その瞳は湖の色を湛え、声なきままに民の苦痛を映し、剣なきままに希望を芽吹かせる。
神は空より来たりて、沈黙の中に光を灯す。
第二の兆し
神が地に立つとき、大地の奥より軍勢が呼応する。
その身は鉄にあらず、石にあらず、星の記憶より生まれし者たち。
彼らは過去を持たず、ただ神の眼差しに応えて、盾となり、道となる。
彼らの歩みは静かにして確か、その数は誰も知ることはない。
第三の兆し
軍勢のうちより、ひとりの巫女が現れる。
その声は風を導き、水を癒し、炎を鎮める。
歌えば荒野に花が咲き、涙すれば川となる。
巫女は神の力をその身に宿し、軍勢を束ね、ヴァリドの民を導く。
そして封じられし楽園の門を開き、忘れられし地を再び甦らせる。
終わりなき誓い
神は空へ還るとも、巫女の歌は風となり、軍勢の足音は大地に刻まれる。
民が再び虐げられる時、碧眼の神は必ず戻り、楽園の門はふたたび開かれる。
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長老は予言を語り終えると、静かにミオたちへと視線を向けた。
「この予言は、遥か昔より我らヴァリド族の間で語り継がれてきたものです。」
一息置き、長老は静かに続けた。
「あなた方の時間軸で言うところの約二十年前――
この星がノスリア帝国の軍勢に激しく攻め立てられていた頃、古の予言の“第一の兆し”が成就しました。
当時、我らヴァリド族は地表を捨て、地中に潜み、なんとか命を繋いでいました。
岩の隙間に身を寄せ、ただ耐え忍ぶしかなかったのです。
そのような状況の中、この地に真の碧眼の神が舞い降りたのです。
空が裂け、星々が沈黙する中、神は我らの前に現れました。
剣を持たず、声を荒げることもなく、ただその瞳で我らを見つめ、技術と知識を授けてくださいました。」
「この湖底の町――エルヴァ=トゥーンも、神より授かった技術によって築かれました。
水を拒む殻、光を通す壁、外界の揺らぎを穏やかに伝える構造。
いずれも我らの手では到底生み出せぬものでした。
この町は、神の知恵によって生まれた避難所なのです。」
ミオたちは改めて周囲を見渡した。
その静謐と精緻は、確かに凡庸な技術の域を超えていた。
「そして神は、我らの族長に語りました。
――“我が姿に似し眠れる者たちが、やがて目覚める日が来る。
時至りて覚醒せし者のうち、男子のみを集め、我が御前に導くべし。
その日訪れし時、彼らは神の軍勢として、再び星を照らす灯とならん。”
族長はその神託を胸に刻み、神の軍勢の目覚めの日を待ち望みました。
しかし、彼は先の戦いで深い傷を負い、その日を迎えることなく命を落としました。
最後の瞬間、族長は我ら四賢老に託したのです。
“彼らが目覚めし時、その救出を成し遂げよ”と。
それこそが残された我らの使命でした。」
長老は一歩、ミオたちに近づいた。
「そして今、あなた方はここにいます。
古の予言の“第二の兆し”が成就したのです。
星の血脈に呼応して目覚めし者たち。
あなた方こそ、碧眼の神に遣わされた偉大なる“神の軍勢”なのです。」
沈黙が場を包む中、ヤマトがぽつりと呟いた。
「なんか勝手に、俺たちがその“碧眼の神”とやらの手先になってるみたいだが、俺が拝しているのは古き日の本の神々なんだがな....」
長老はヤマトの言葉に対して、静かに口を開いた。
「予言には、神の軍勢のその数は誰も知ることはないと記されています。
その者たちが何人であるか、誰が残るのか――
それは神ですら語らぬこととされております」
長老はゆっくりとヤマトに視線を向けた。
「ゆえに、もしご自身が碧眼の神に遣える者ではないと感じられるならば、この町を去られても構いません。強制することはありません」
「実際、あなた方より半年前に目覚めた方達も、そのうち半数ほどは自らの道を選び、この町を去っていきました」
ヤマトは長老の言葉を受け止め、静かに答えた。
「俺が敬うのは、日の本の八百万の神々だ。
山にも川にも、火にも風にも、神は宿る。
そういう神々は、案外柔軟でな――
異国の神であっても、信じるに値するのなら受け入れてくれるだろう。
だから、しばらくはここに留まらせてもらう。
碧眼の神とやらが、どのような存在なのか――この目で見極めさせてもらう」
「もちろん、それでよいのです。
信じるか否かは、誰かに強いられるものではなく、己の心が定めるものですから」
長老はゆるやかな口調で、一同に向かって語りかけた。
「我らにとって――第二の兆しは、すでに成就しております。
星の血脈に呼応して目覚めし者たちが、今こうして我らの前に立っている。
それこそが、予言の示す“神の軍勢”の到来にほかなりません」
「そして――ミオ殿」
長老の声は、場の空気を静かに震わせるように響いた。
「貴方は、我らが神の神託に従い、目覚めの救出の際には“男子のみを迎え入れるように”との指示を行っていたにも関わらず、
軍勢の者の強い意向により、ただ一人、女子として救出されたと聞いております」
「これは、偶然ではありません。
むしろ、予言に記された第三の兆し――“軍勢のうちより、ひとりの巫女が現れる”――その成就に他ならぬと、我々は信じております」
長老は一歩、ミオに近づき、深く頭を垂れた。
「ミオ殿。
貴方を、我が民の巫女として迎え入れたい。
星の歌を継ぎ、民を導く者として、我々と共に歩んでいただきたいのです」
ミオは目を丸くし、思わず一歩後ずさった。
声は少し上ずりながらも、必死に言葉を探す。
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
場の空気が一瞬揺れる。ミオは長老の真剣な眼差しに戸惑いながら、言葉を続けた。
「急にそんなこと言われても……私、何がなんだか全然わかりません。
巫女って……そんな大事な役割、私には……」
彼女は胸元を押さえながら、少しうつむいた。
「それに、碧眼の神って……どんな存在なのかも知らないんです。
そんな、導くとか、歌うとか……私にはとても無理です」
ミオの言葉に場が静まり返る中、リクも口を開く。
「……確かに、俺が“彼女も助けてやってほしい”とは言いました。
でもそれは、あの時、目覚めの場にいた彼女を見て、放っておけなかっただけです」
リクはミオの方を見てから、長老に向き直る。
「碧眼の神のことなんて、俺もよく知らない。
巫女にするためだとか、そんなつもりで言ったわけじゃありません。
ただ……彼女がそこにいたから、手を伸ばした。それだけです」
長老はミオとリクの言葉を聞き、少し目を伏せる。
「分かりました。無理強いをするつもりはありません。
ですが――貴方がまだ自覚されていないだけで、
やがて巫女として目覚める時が訪れるやもしれません」
長老は一歩、ミオに近づき、柔らかな声で続けた。
「ひとまず、巫女候補として。
どうか我らと共に、この地に留まっていただけないでしょうか。
貴方が巫女として目覚める日を、我々は静かに待ち望んでおります」
ミオは言葉を返せず、ただその場に立ち尽くした。
無言の時間が流れる。誰もが彼女の沈黙を尊重していた。
その時――
頭上の空間が突如として歪み、空気が振動した。
光が一点に収束し、輪郭のぼやけた人型の像が、ホログラムのように浮かび上がる。
その姿は人間に似ていたが、どこか異質で、圧倒的な威厳を放っていた。
目は深い青に輝き、身長は三メートルほど。
その瞬間、場の空気は張り詰め、息をすることすら恐ろしく感じられた。
長老は目を見開き、すぐに地に膝をついてひれ伏した。
「おお……神よ。偉大なる碧眼の神よ!」
ミオたちは言葉を失い、ただその存在に圧倒され、視線を逸らせなかった。
胸の奥で、ざわめきが小さな嵐となって渦巻く。
恐怖そして畏敬の念。
やがて、碧眼の神が口を開いた。
その声は直接耳に届くのではなく、空間そのものに響くようだった。
「造られし者どもよ。
我はプレアデス連邦の指導者にして、この星では神と呼ばれている存在だ」
「そなたらは、我に導かれ、ここに集った。
選ばれし者として。
望まずとも、争いの渦に巻き込まれる運命を背負っているのだ」
碧眼の神は、ミオの方に視線を向けた。
「そして――巫女よ。
そなたはやがて、我と共に星を統べる者となる運命にある。
我が迎えに行くまで、その地にて待つが良い」
その言葉を最後に、神の姿は光の粒となって空間に溶け、消えていった。
静寂が戻った。
神の姿が消えた後も、空間には微かな余韻が残っていた。
長老はその場に膝をついたまま、震える声で言葉を紡いだ。
「やはり……やはりミオ殿こそ、巫女なのです。
神が、そうお告げになられました……!」
ミオはその言葉に目を見開き、顔を強張らせた。
「違います……! 私はそんなのじゃありません!」
声は震え、否定の言葉が口からこぼれ落ちる。
彼女の肩は小刻みに揺れ、目には涙が滲んでいた。
長老は静かに立ち上がり、しかしその声には揺るぎない決意が宿っていた。
「神が迎えに来られるまで、我々は貴方を守らねばなりません。
それが、我が民の務めです」
長老は手を振り、近衛兵を呼び寄せた。
「ミオ殿を、聖域へお連れしなさい。
誰にも触れさせぬよう、厳重に保護するのです」
兵士たちが静かに歩み寄る。
ミオは涙目になり、思わずリクの方へ手を伸ばした。
「ちょっと待ってください……!
リク君……どうしよう……私、怖い……!」
その声は、場の空気を切り裂くように響いた。
リクは即座に動いた。ミオの腕を掴み、兵士の前に立ちはだかる。
「無理強いはしないって言ってたじゃないか!
彼女は嫌がってるんだ、やめろ!」
兵士たちが警戒態勢を取り、ひとりが腰の武器に手をかけた。
その瞬間――
「やめろ」
低く鋭い声が場を制した。
ヤマトが一歩前に出て、兵士の手を制するように腕を伸ばした。
「撃つな」
リクはまだ抵抗しようとしていたが、ヤマトが肩に手を置いた。
「ひとまず、生き延びるのが優先だ。
ミオを守るなら、今は動くな」
その言葉に、リクは歯を食いしばりながらも動きを止めた。
そして、震えるミオは兵士達に囲まれて聖域と呼ばれる場所へと連れ去られていった。




