001
2042年3月
海は静かだった。
夕陽が水平線に沈みかけていて、波打ち際には金色の光が揺れている。
澪はスニーカーのつま先で砂をいじりながら、ふと口を開いた。
「ねえ、陸くん。メッセージボトルって知ってる?」
陸は少し首を傾けて、澪の横顔を見た。
「大昔の人がガラス瓶に手紙入れて海に流してたってやつだろ.....?
子供の頃、端末か何かで読んだことある。」
澪はくすっと笑った。
「そうそう。....あれやってみない?」
陸は眉を寄せた。
「海に物を流すとか、海洋生物遺伝学を専攻してる澪が一番嫌がりそうなのに。どうして?」
「えーと、流すといってもね、海にじゃないの。」
澪はポケットから小さなカプセルを取り出した。
銀色の外殻に、微細な回路が浮かんでいる。
夕陽が反射して、まるで水滴のように光った。
「今、流行ってるの知らない?
自分のDNA情報とか、脳内マッピングした記憶データとかをこのカプセルに入れて、宇宙に向けて発射するの。」
陸は一体何言ってんだという顔で澪の方を見た。
しかし、冗談かと思ったが、澪の目は本気だった。
「いや、知らない。そんなのが流行ってるのか?」
「うん。現代版のメッセージボトル。
宇宙に向けて、誰かに届くかもしれないってやつ。
ちょっとロマン感じない?」
澪はカプセルを両手で包み込むように持ち、海を見つめた。
「春から離れ離れになるけどさ、このメッセージボトルに私たち二人分のデータを入れて宇宙に発射するの。
宇宙ではずっとずっと一緒。エモーショナルでしょ。よくない?」
陸は一瞬口を開きかけて、少しだけ唇を噛んだ。
波の音が、二人の間を静かに流れる
「....俺はそんなに明るく、澪と離れ離れになる気分じゃないんだけどな。
前にも言ったけど....、本当は澪にも地元に残ってもらいたかった。」
澪はその言葉を聞き、一瞬だけ目を伏せた。
カプセルを両手で包み込むように持ったまま、波の音に耳を傾ける。
そして、切なげにふっと笑った。
「……それは、もう言わない約束だったじゃん。」
二人の間に、波の音だけが残る。
風が吹いて、澪の髪が揺れる。
「……そうだったな。....ごめん。」
ここに残ってほしかった。ずっとそばにいてほしかった。
でも、澪が澪らしく生きること、それも陸が心から望んでいる事でもあった。
「……うん。私も、なんかごめん。」
二人の間に、しばらく沈黙が流れた。
夕陽はさらに傾き、海面の光がゆっくりと色を変えていく。
陸が、ふっと息を漏らすように笑った。
「……なんだか、昔を思い出すな。」
澪が顔を上げる。
「昔?」
「高校のとき。課題研究で同じグループになったときに、意見全然合わなくて。」
「あー、あれね。『AIロボットで学校の掃除を自動化するべきか』ってテーマで、陸くんが『掃除は全てAIに任せて効率化すべき』って言って、私は『みんなでやることに意味がある』って反論したやつ。」
「そうそう。で、グループ内でも収拾つかなくなって、澪が『ちょっと頭冷やそう。海で話そうよ』って言い出して。」
「放課後に浜辺まで引っ張ってったんだよね。制服のまま。」
「で、結局またそこで議論になって、ちょっと喧嘩して。」
「でもそのあと、私が『じゃあ、ロボットが掃除しても、それをみんなで見守る時間があればいいかも』って言ったら、陸くんが『そうだな、それは別にあってもいいな』って言って。」
「それで最後仲直りしたんだよな。
あのときの海は、今日と同じくらい静かだった。」
澪は笑った。
「ね。あれが始まりだったんだよね、私たち。」
陸は頷いた。
「ああ。あのときから、澪はずっと変わらず澪だった。」
澪も頷いた。
「陸くんだって、ずっと陸くんだった。」
二人が顔を見合わせて笑顔になる。
陸はカプセルを見つめながら、ぽつりと口にした。
「メッセージボトルか……でも、実際どうやって宇宙に向けて発射するんだ?」
澪はすぐに答えた。声は軽やかで、どこか楽しげだった。
「ロケットに載せて発射してくれる会社があるんだって。
民間の宇宙関連企業で、打ち上げ試験をするついでにみんなのカプセルをまとめて打ち上げてくれるの。」
陸は少し驚いたように眉を上げる。
「.....そんなサービスがあるのか。」
「うん。でね、ロケットが飛んでいく先が、生き物が住んでるかもしれないって言われてる星なんだよ。えーと、確か……トラピストって星だったかな?」
「トラピスト?」
「そう。地球から40光年くらい離れてる星で、水があるかもしれないんだって。
人類がいつか住めるかもって言われてる星。」
陸はカプセルに目を向けた後、空を見上げた。
澪は笑った。
「たどり着くのは何万年もかかるらしいんだけどね。
でも記念としてやってみるのも面白いでしょ?
宇宙に、私たちの記憶が何万年も漂ってるって、ちょっと夢もあるじゃん。」
「……そうだな。」
「じゃ、決まりだね。二人の思い出、宇宙に乗せちゃおう。」
そう言って、澪はバッグから小さな白いケースを取り出した。
ケースの中には、シールみたいな形をしたスタンプ型のデバイスが二つ入っていた。
澪は説明書をざっと見て、一つを陸に手渡す。
「これを腕に貼るだけでいいんだって。ナノマシンが血管に入って、脳の記憶領域をスキャンしてくれるらしい。詳しい仕組みは……正直、よくわからないけど。」
陸は少しだけ戸惑いながらも、澪の真剣な目を見て頷いた。
スタンプを腕に押し当てると、ひんやりとした感触が一瞬だけ走った。
「この後はしばらく、ぼーっとしてるだけでいいって。海見ながら、のんびりしてれば大丈夫。」
二人は並んで波打ち際に腰を下ろした。
風が吹いて、潮の匂いが漂ってくる。
澪はカプセルを手のひらで転がしながら、空を見上げた。
「このカプセルね、恋人用なんだよ。二人分の記憶が一つに入るタイプ。」
「……そうなんだ。」
「うん。夫婦とか、パートナー向けってなってた。一人ずつのカプセルも選べたけど……私はこっちの方がいいなって思って。」
澪はそう言って、少しだけ視線を逸らした。
風が吹いて、髪が頬にかかる。
陸は何も言わずに、澪の手にそっと触れた。
指先が、ゆっくりと絡まる。
二人はしばらく波の音を聞いていた。
澪がそっと顔を向ける。
陸も、ゆっくりと澪を見た。
互いの距離が自然に縮まり、唇が触れ合った。
澪が微笑む。
「……むむ。この記憶が、一番鮮明に残るかも……。」
それを聞いて陸も微笑んだ。
夕暮れの海は、二人の選んだ未来をそっと受け止めていたーー




