第9話 設計思想
現在ミシェン10歳。
よろしくお願いします。
私が村にやってきてから十年目の春を迎えた。厳しい冬を乗り越えた村はいつにもまして賑やかで、外出している人間も多い。
私も外に出て村の学び舎へと向かう。今日は生徒達による演劇が開催され村の関係者が招待されているのだ。私も招待されている。
向かう途中で村の住人達から挨拶される。「こんにちは」「良い天気ですね」「この前はありがとうございました」
私も彼らに挨拶を返す。
意味の無いと思われる言葉を他者に返す行為だと最初は思った。
次第に、この行為は社会生活を構築する上で有用な手段だと理解した。
そして十年が経った今。挨拶をする意味を考える前に、私も自然と挨拶をするようになっていた。
多少の問題があったとはいえ、私も人間社会に溶け込んできたといえるかもしれない。
……そもそも人造人間は『人間社会への潜入』を目的として造られていた。人間に近い肉体構造を持ち、人間に近い振る舞いができるよう造られている。
もっとも。多くの計画がそうであるように、人造人間の計画も当初の設計思想も忘れられた。当初の計画は凍結し、次の計画も幾度も修正され、次第に魔王軍内部では人造人間を持て余すようになった。
私達『第五五期人造人間』達は元々それなりの性能が搭載されていたが、結果的に実戦に投入されることなく、不要な駒として処分さえ検討されていた。
そんな中、魔王様が我々を拾ってくれた。魔王軍の研究所の管理を任してくれたのだ。
……そして今。皮肉にも人間社会への潜入を成し遂げている。
全く。本当に皮肉な話しだと思う。
木造立ての学び舎の一室で生徒達による劇が開始された。
村の活気はでてきたとはいえ所詮は小さい村なので子供の数も多くはない。狭い教室で数人の生徒による劇が始まる。私は保護者席で生徒達の劇を見ることにした。
劇の内容は王国に伝わる騎士物語の一節だった。王国の賢者の旅に、主人公である若い騎士が護衛として選ばれる。賢者の旅に追従する騎士が何を学んだのか、という内容だ。
冒険譚ではなく実に地味で、なおかつ難解な一節だった筈だ。題目は教師の趣味なのだろうか?
しかし意外にも、生徒達は劇を面白く演じて見せた。
省くべき箇所は省き、難解な内容もかみ砕いて分かりやすく解釈している。
最近の子供は凄いな、と私も素直に感心してしまった。
ミシェンは騎士の従者の役を演じた。台詞は少なく目立たない役ではあったが立派に演じていた。騎士を演じている年下の少年が台詞を忘れてしまったときには、ミシェンは即興の台詞で間をつないでみせた。
彼女も10歳になる。いつの間にか自分より若い子供の面倒をみることができるようになっていた。
あの小さく、誰かの助けがなければ直ぐに死んでしまうような個体が。
今では意思を持ち立派に生きている。
……劇が終わる。
生徒達が観客に向かってお辞儀をする。観客は拍手をもって彼らに応えた。
私も観客……子供達の家族や友人にならい拍手をする。
パチパチパチ、と拍手の音が鳴る。
「…………あれ」
と私は思わず呟いてしまった。
小さい声だったので拍手の音にかき消される。
不意に。ふと。突然に。
私はなぜこんな場所にいるんだ? と違和感を覚えた。
私は人造人間とはいえ魔物の一種。魔王軍の兵士だ。
対して周りの彼らは人間だ。
私のような異物が、なんでいるんだ???
……まだ、拍手の音がやまない。
「…………はぁ」
あのあと。いたたまれなくなって私は直ぐに学び舎を後にした。
家に帰ったときには既に夕方だった。
玄関の扉を開けて家の中に入る。
窓から夕日が差し込み家の中を照らしていた。
「…………」
改めて家の中を見回す。
彼女と食卓を囲んだテーブル。
彼女の身長にあわせてあつらえた木製のイス。
本棚に収まった絵本や小説。魔法の教科書……全て彼女のために用意したものだ。
私は部屋の隅にある支柱に近づく。木製の柱には横に延びた線が何本も掘られている。
ミシェンの身長を測る度に支柱に彫った跡だ。
私はその跡を指でなぞる。
なぞってから「なんでこんなことをしている?」と疑問に思う。
何の意味も無い行為だ。
まるで人間みたいに感傷に浸っているみたいじゃないか。
「ただいま帰りました!」
そこでミシェンも帰ってきた。
私の姿に気づいて近づいてくる。
「やっぱり家に帰ってきてたんですね! 私のこと待っていてくれていても良いじゃないですかぁ」
と彼女は口をとがらせた。
「……ああ。すまない。少し……用事があってな」
「ん。まぁ良いですけど……。何かありましたか?」
彼女は私のことを覗き込んでくる。
私は彼女に心配をかけまいと首を振った。
「大丈夫だ」
「なら良いんですけど……あっ、そうだ!」
彼女はそう言って自分の鞄から何かを取り出す。
木製の小さな物体があった。円形に象られて小さな文様も刻まれている。首にかけられるよう紐が通してあった。
木製のペンダントだ。
「授業の中で作ったんです。日頃お世話になっている人へのプレゼントとして。本当は劇の後で渡すつもりだったんですよ」
「……そうか。良くできているな」
「少しは先生にも手伝って貰いましたけどね。自信作です!」
彼女はペンダントを私に差し出す。
私は思わず首を捻ってしまった。
「……そのペンダントをどうするんだ?」
ミシェンは呆れたような声で言う。
「だから。あなたへのプレゼントですよ!」
彼女はペンダントを強引に私の手に握らせた。
「いつも本当にありがとうございます、ギレイ」
彼女は笑った。
私は手渡されたペンダントを握る。
なぜか、ペンダントを握る手は微かに震えてしまった。
「ギレイ。いつか言っていましたよね。私が大きくなるまでは一緒にいてくれるって」
「ああ。確かに言ったな。君が5歳の頃だったか」
「あれから更に五年も経って私も大きくなりました。でも私もまだまだギレイと一緒にいたいと思います。お世話になるだけでギレイに何も返せていませんし」
「何か……返す?」
私は彼女の言葉にオウム返ししかできていない。
彼女は話し続ける。
「いつもお世話になっているんです……子供の私が生意気言うなって話ですけど……少しくらいはギレイのために何かできないかって……恩返ししたいんです。
もっとギレイのことも知りたい。私はギレイの誕生日すら知らなかったんです。誕生日をお祝いしたりしたいんです。色んな事を勉強して、いつかはギレイの助けにもなりたい」
「…………私が君を育てたことに、君が恩義を感じる必要は無い」
私がそう言うと彼女はまた笑った。
「そう言うと思いました。だから私の勝手な気持ちです」
「そう……か」
私はこれ以上何も言えなかった。
私はもう一度ペンダントを眺める。
彼女はまた私の顔を眺めて言った。
「喜んでくれましたか? 感動して泣いてくれても良いんですよ?」
と冗談めかして言った。
本当にそうだったらどれだけ良かっただろうな。と私は思った。
残念ながら、涙を流すという機能は私に搭載されていない。
――夜。私は自室でミシェンがくれたペンダントを眺めていた。
イスに座りずっと眺めている。もう十分に眺めたはずなのに目が離せずにいた。
何の変哲も無い木製のペンダントだ。
だが……私の中であまりにも意味が大きいモノである気がしてならない。
……ミシェンと生活して十年が経つ。彼女は充分に大きくなり、今では自分の意思で行動できている。
いずれ彼女の人生の中で私という存在は不要になるだろうと思っていた。
私もいずれは彼女の人生から完全に退場するつもりでいた。
魔王軍の魔物が人間の人生に長く関わるのは、彼女にとって不利益をもたらすだろう……。彼女の人生から離れる準備もしていたし、今後の計画もある。
…………。
………………。
なのに。
いや、認めよう。
彼女の側を離れがたいという気持ちが私の中に存在してしまっている。
彼女に『執着』に似た感情を有してしまっている。
人が『愛情』と呼ぶ感情だろうか?
本当に人間と同じ感情を獲得してしまったとでも言うのだろうか?
少なくとも。
私にとって彼女はあまりにも大切なのだと、認めるほかないようだ。
私はペンダントを机に置く。
――――――。
――――――そのとき。
カチリ、と。
私の体の奥で微かに、けれど確かに。
何かが起動する音が聞こえた。
「―――――――!!!!」
突然、全身が熱くなる。体にマグマでも流し込まれたのかと錯覚するほどの熱。
イスから転げ落ちて、そのまま倒れ込む。
とてもじゃないが立っていられない。
全身が痛くてたまらない。
自分の右手を見る。
「…………ッ!」
自分の右手が全く別のモノに変質していく。
膨張し、赤く脈動し、ツメが太く、化け物のソレへと変質していく。
意識も飛びかける。
――――人造人間は『人間社会への潜入』を目的として造られる。
では、人間社会へと潜入して何をするのか?
その答えを私は理解した。
潜入して人間への情報を得るため。内側から人間社会を操るため……。
そして。
内側から潜入した社会を壊すため、だと。