第4話 人間の成長速度は目を見張るものがある
よろしくお願いします。
人間の子供の成長は目まぐるしい。
ミシェンが言葉を発するようになった時には、既に彼女はゆりかごを脱して手足を使って自ら移動するまでに至っていた。両手両足を使って這うように移動する……俗に言うハイハイをしたかと思えば、更に進歩し、つかまり立ちもするように成長した。
彼女の活動領域は飛躍的に上昇したのだ。
地獄の始まりである。
余計に目が離せなくなった。
ごく一般的で面白みのない家の中を彼女はダンジョンに挑む冒険者の如く興味津々に歩き回る。落ちているホコリにすら興味深そうに眺めるのだ。ホコリを手に取り口の中に運び、果てには食そうとさえする。
自分にとって未知の物体について、視覚情報と食感だけに限らず味覚にて対象を解析しようとする……その探究心は一学者として尊重したい気持ちはあるが流石に止めないわけには行かない。ミシェンの体はまだまだ脆く簡単に壊れてしまうのだ。以前には風をこじらせて高熱が続く日もあったくらいだ。
彼女の奔放降りにはシスターも手を焼くくらいだった。
とにかく彼女は成長していった。
体の体積は増加して、それに伴い体重も増えていく。言葉の語彙も増えていく。
目まぐるしいとはこのことか、と私は思った。
彼女と出会ってから一年、また一年と経ち……
「ギレー。これ。よんで」
3歳になった彼女は絵本を私に差し出して言う。
肉体年齢で三年経過した個体は、言葉を有し、それを用いて周囲に自身の欲求を表明するまでに成長していた。
3歳になった彼女の姿を改めて観察する。背は大きくなり今では二足歩行で移動している。母親と同じ銀色の髪は肩まで伸びている。シスターが長髪なのでおそろいが良いとせがんだのだ。
母親と同じ黒い目がかかった瞳で私を見つめている。
私はソファに座っていた。ミシェンは私の膝の間にすとんと座り、私に本を読むようにせがむ。何度も絵本の読み聞かせをしてきたが、この体勢で私に絵本を読み聞かせる事を気に入ったようだった。
私は頷き絵本を開く。
聖女が悪魔を打払うお話だ。悪魔が国を襲おうとしたとき、聖なる力を持つ少女が立ち上がり、悪を討つという粗筋。悪魔は頭が山羊で体躯は虎、背中に生えている四つの翼はカラス、そして幼児向けの絵本にしては随分と迫力ある姿で描かれている。初めて絵本の悪魔を見たミシェンは怖かったのか泣いてしまった。
しかしどういう理屈なのか彼女はこの絵本を気に入っている。既に何十回も読み聞かせたことがあるにも関わらず、いつも新しい発見があるとでもいうように、彼女は毎回熱心に挿絵を眺める。
いつも通り読み聞かせる中、ページをめくろうとする私の手をミシェンが止めた。
「まって! まだダメ!」
と次のページを読み進めようとするのを拒んだ……といっても今見ているのが最後のページなのだが。
最後のページでは悪魔を打払った聖女が、人々から祝福を受けながら国に迎え入れられる姿が描かれてあった。ミシェンは熱心に絵を観察した後、私を見て言う。
「この女のひと。このあとはどうなったの?」
聖女の結末がどうなったのかを聞いているのだろう。
絵本の文章は『国の人々はうれしそうに笑っています。彼らの笑顔こそが、なによりうれしいと聖女は思いました』としめくくられている。
……突出した個人は大衆のために働くことを美徳とするような内容ではあった。
ともかく彼女の質問に答えないといけない。ミシェンはことあるごとに「なんで? なんで?」と聞くのだ。私も彼女の質問には真剣に答えることにしている。
「彼女の力はあまりにも強大すぎる。国が彼女を放っておいたとも思えない。また危機が迫れば力を行使することを民衆にも望まれただろう」
と答えると彼女は目を細める。私の言葉を咀嚼しようとしているのか「う~」と唸っている。
この反応はあまり芳しくない時のものだ。
もっと簡易な表現を試みる。
「……この先も苦労しただろうな」
というとミシェンは「そっかぁ……」と頷いた。それから悲しそうにうなだれてしまう。
……どうやら望まれた答えではなかったようだ。
思ってもないことでも「きっと彼女は幸せに暮らした」と言うべきだったかもしれない。
しかし私は嘘が苦手だ。それに事実も知っている。
実際にこの絵本に描かれた聖女の晩年は苦労が多く、そして孤独であったと記録で読んだことがある。絵本に描かれている聖女は実在の人物で、絵本に描かれた悪魔との戦いも事実だ。戦いの後、かの宗教国家は聖女を押さえ込むために別の力を求め、それが更に他の武力――兵器の増産へと繋がる悪循環へと陥った。
特異な力を持つ個人を社会は持て余す。魔王軍の四天王――絵本にも描かれている『獣』の本当の狙いはその混乱だった。
……もっともこんなことを彼女に話しても仕方ないことではある。
暫く考え込んでいたミシェンはまた私を仰ぎ見る。
こういう反応は決まって彼女には何か言いたいことがあるのだ。私は彼女を見て、彼女の言葉が出るのを待つ。
少し間が空いてから、彼女は言った。
「あたしになにかできないかな?」
と首をかしげて言った。
「何かとは?」
と私も思わず聞き返してしまう。聞き返すと「う~ん」と彼女は唸る。
「わかんない……けど……」
とミシェンは泣きそうになる。
「……いや君の想いを否定するつもりはなかった」
思わず質問をしてしまったが彼女を困らせる結果となってしまった。彼女には自分を否定しているように聞こえてしまったのかもしれない。
ミシェンは頷く。
「うん……わかんないけど……あたしがなにかしてあげられたら……って」
「そうか。この聖女の助けになりたいとミシェンは考えているのか。理解した」
私が言葉にすると彼女はまた頷いた。どうやら私が言語化した彼女の真意については概ね当たっているようだった。
……そうか。
彼女は見も知らぬ人間に対して、自分に出来ることはないかと思い悩んでいるのか。
「ミシェン。君は凄いな」
と褒めると、彼女は首をかしげる。
「どーしたの? アタシってすごい?」
「ああ。何も出来なくとも、その思考に到達するだけでも勝算に値する」
「んん??」
「……君は偉いな、という話だ」
褒めると彼女はうれしそうに笑った。
本心だった。
少なくとも私は「知り合いでもない誰かの助けになりたい」とは考えない。村人と違って関係の無い人間など関わろうとも思わない。私は魔物としての力はあるが、それを見知らぬ他人のために使おうという発想には至らない。
ミシェンは3歳の時点で私の思考の先を行ったのだ。
人間の成長速度は目を見張るものがある、と私は認識を改めた。
ミシェン
・種族:人間
・性別:女性
・年齢:0歳(1話)→3歳(4話)
・外見:銀髪。黒目。
・好きな人:ギレイ、シスター
・好きなこと:読書、探検、観察