第3話 仕組みを破壊するよりも維持して発展させるほうが大変だ
人間とはなんと欠陥の多い生命体だろうか、と思う。
私たち魔物の多くは最初から成体の状態で誕生する。誕生の仕方は個体ごとに異なるが、成長といった不要な過程を経ずに成体として生成され、すぐに自らの任務に就くことになる。
魔物の中には幼体の状態で産まれる個体も存在はする。幼体の状態で産まれる利点は成体を生成するよりは初期費用を抑えられるので量産が容易という点に挙げられる。しかしその後の成長にも費用が発生すること、及び成体に成長するまでに死亡する危険性が高いこと、という欠点もある。そして利点が欠点を上回ることは非常に稀だ。ゆえに魔物の多くは成長せず、最初から成体として産まれてくるのだ。
比べて人間はどうだろうか、と赤子であるミシェンを育てる上で考えてしまう。
「あぁああーー!!」
狭い家にミシェンの泣き声がとどろく。
数秒前まではゆりかごの中で気持ちよさそうに寝ていたというのに、何が気に入らないのか急に泣き叫んでいる。
私は直ぐにミシェンにかけより抱き上げる。体の状況をすぐさまに魔術で調べてみるが異変はなさそうだった。排泄をしたわけでもない。ミルクも与えたばかりだ。
だがミシェンは泣いている。泣かれると不安になってしまう。
不安。そう不安だ。現在の状況が不明瞭で、自分が何か致命的な見落としをしているのではないかと思ってしまう。魔王軍にいたときは抱かなかった感情だ。
赤子が泣いている以上は対処しなければならない。
「はいはいはい。大丈夫だ。私はここにいるぞ」
対処の方法は抱っこしてあやす、というモノだった。教会のシスターに教えてもらったことである。こんなのが何の役に立つのか分からないがミシェンには効果的なようだった。少しずつ落ち着いてきて、暫くするとスゥスゥと寝息を立て始める。
そっとゆりかごの中に戻す。
なぜ目が覚めて起きたのかを調べてみる。ゆりかごの中が寝苦しかったのだろうか? 部屋の中が眩しかった? うるさくて目が覚めたのだろうか? 何か未知の病気に罹っているのでは??
当然それらの疑問にはミシェンは答えてくれないだろう。
私は人間の肉体についての知識を有している。私の場合は最初に産まれた時点で人間に関する知識は全て頭に詰め込まれていた。当然、人間の赤子についても知識は有していた。
赤子を成体まで育てることも問題ないと思っていた。
そして現在。ミシェンは健康体でいてくれている。しかし問題がないかと言われれば自信はない。
私自身も疲労していた。肉体的にも精神的にも疲労がたまる。
どうせ産まれるのならば既に成体――大人のまま産まれれば良いのに。なぜ赤子から成長させるという非合理的な過程を踏ませるのだろうか?
しかも育てるというのは非常に難儀だ。私は人間と比べれば肉体的疲労は感じにくいはずなのに、とても、とても疲れてしまっている。彼女の面倒を看る際にある程度は魔法を使ったうえでこれだ。
……さらに信じられないことだが村には大人となった人間が闊歩している。全ての人間がこれらの過程を得ているワケだ。彼らが大人になるまで面倒を見た人間や社会も存在していた証明に他ならない。
初めて人間を恐ろしく思った。
しかし。ミシェンを育てる過程で私は人間に助けられることになった。
とくに教会のシスターには助けられた。ミシェンを教会で断ることになったことを申し訳なく思っていたのだろう、頻繁に私の家にやってきてはミシェンの面倒を見てくれた。シスターはまだ若い人間の女性だった。
私が医者として働いている間はシスターがミシェンの面倒をみてくれた。それだけではなくミシェンのための衣服やミルクを私に売ってくれるよう村人にかけあってくれた。新参者の私は村人に怪しまれていたため、彼女の助けがなければ幾ら金があっても物資を買うことはできなかっただろう。
シスターはまだ年若い個体に関わらず良く働き、周囲の人間とも良好な関係を築いているようだった。驚嘆に値する。
シスターのお陰か村人も徐々に私を受け入れてくれるようになった。私の診療所も最初は誰も来ない日もあったが、次第に患者もやってくるようになった。私やミシェンを気遣い、時には助けてくれる者もでてきた。
彼らに応えるために私も医者として働いた。私の医療の評判も上々で、村の中で私は社会的な立場を得るに至った。
これらの活動を通して私は人間の社会というものを意識することになった。
人間の社会。人が群体として形成する集団についての呼称。
知識としてはもちろん知っていた。魔王軍の研究成果の中には人間の社会の仕組み、そしてそれを破壊するための方法が幾つも記載されている。
実際に人間の社会が壊れた時の観測結果も記載されている。仲間、恋人、家族という数人の集団から村、都市、ひいては国家すら崩壊した記録もあった。記録の中には魔王軍が関わらずとも国が滅んだ記録すらある。
記録の中で魔王軍の四天王の一角『獣』は以下の言葉を残している。
「人間同士が団結することには困難が伴うが、その絆を崩すのに我々が手を下すまでもない。我々という共通の敵がいてなお、いや共通の敵がいるからこそ、人類の団結は絶対にありえない」
私も同意見ではあった。この大地に存在する人類全てが例外なく団結すれば魔王軍は滅ぼされていた筈だ。それだけの戦力を人類という種は既に有している。しかし全人類の団結はあり得えないと魔王軍は結論づけている。現に魔王軍は滅ぼされず、逆に滅亡の道をゆくのは人類だ。
……そして今。人間の社会を目のあたりにした。
私の考えは変わらない。人間の社会という仕組みを破壊するより維持して発展させるほうが大変だ、と。私の認識を再確認しだけに過ぎない。
ただ……。
創ることより破壊することに価値を置いていた自分は少しばかり浅慮だったと言わざるを得ない……とは思った。
破壊することより、仕組みを創り、そして維持していくことにこそ価値があるのではないか? と考えてしまう。
同じ事がミシェンと名付けられた赤子にも言えるかもしれない。
彼女を殺すことに私が手を下すまでもない。放っておけば勝手に滅ぶ。成長には非常に手間と時間もかかる。
非効率だ。
しかし無価値だと断ずることはできない。
なぜ私がこんなことを考えているのかというと。
ある日。ミシェンを育て始めてから11ヶ月後。ミシェンが私を見て言葉を発したのだ。
「ギレー」と、私を呼んだのだ。
赤子も時が経てば周囲を認識し言葉を発する。知識として当然知っていることだ。
なのに私は驚いて立ちすくんでしまった。ミシェンは……彼女は嬉しそうに笑っている。
驚いたのだ、本当に……。
私は私の呼称名称を彼女には特に教えていない。しかし私が呼ばれている場面を見て彼女なりに学習したのだろう。
それだけのことだ。
それだけのことに私は驚いて、まるで大切な思い出みたいに、そのときの記憶を反芻しているのだ。
価値があるのだと認めなければならなかった。
少なくともミシェンは私に「もし私が人間であれば泣いていたかもしれない」と思わせるほどの価値を示してみせたのだ。
ミシェンの性別は女性です。
次の話でミシェンのプロフィールも載せます。