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魔王軍の兵士が人類滅亡を阻止するまで  作者: 脱出
二章.『人との共闘』編
22/32

第22話 別れ

◇は場面転換です。

よろしくお願いします。

 

 人はいつか死ぬ。

 死ぬ、ということはもう会話すらすることができない、ということだ。「おはよう」や「おやすみ」といった挨拶すら交わすことができない。

 いつもいたはずの人が、いつの間にかいなくなってしまう。

 月日が経てば、その人がいないことが当然であるかのように日々は進んでしまう。

 

 村での生活の中で、ギレイもまた人の死を強く意識するような経験があった。

 ――四天王『龍』から依頼を受けて村を離れる、その一年前まで話は遡る。

 

◇◇◇◇

 一年前。村の外れにある一軒家に、ギレイは医者として往診にきていた。狭く小さな家で洗面所や台所を覗けば部屋が一室しかないような家だった。小さな庭もあったが、花は植えられず、雑草が茂っているだけの寂しい庭だった。

 その家にはヤグ、という名前の年老いた男が独りで住んでいた。小柄で白髪の老人だった。

 口が悪く、偏屈で、友人も家族もない。「俺なんて後は死ぬだけ」が口癖だった。

 

 その日。往診を終えた後、ギレイはヤグに引き留められた。

 二人で中庭に移動し、椅子にそれぞれ腰掛けた。

 呼び止められたので何か会話があるのだろう、とギレイは待ってみたが、ヤグは俯いて話しかけようともしない。

 ギレイはギレイで基本的には人が話しかけた後に対応することしかできないので黙るしかない。

なんで自分を呼び止めたんだ、と考えてみて、


(寂しいのか)


 と思い至った。

 出された茶をすすり、ギレイは外の景色を眺める。

10年近く人間社会で暮らす内に、人間の感情にも多少は詳しくなった。

寂しい、という当人でも制御できない感情がある、とギレイは理解していた。


 ヤグも茶をすすり、ギレイの方を見ないで言った。


「……お宅の娘。ミシェン、つったか。よく、出来た子供だな。うちの魔道書を借りに来るんだが、礼儀をわきまえてやがる」


 とヤグはゆっくりと、時折つっかえながら話した。

 ヤグの家には多くの書物があり、中には村の図書館にはないような貴重な魔道書もあった。

 彼は元々、魔術師として世界各地を巡っていたらしい。どういう経緯で村にやってきたかまではギレイも知らない。

 ミシェンはヤグの家に来ては本を借りることがあった。ギレイはもちろん把握していたし、ヤグは偏屈な老人だったが子供を邪険に扱う人間ではないと知っていたので、ミシェンの好きのようにさせていたのだ。


「ええ。ありがとうございます。ミシェンはご迷惑をおかけしていないでしょうか?」


 と尋ねるとヤグは首を振る……その動作も緩慢で億劫そうだった。


「全く。むしろ、俺の話し相手になってくれるときもある。不愉快な思いをさせてねぇ、といいんだがな。あの子は……他のガキや村の連中と違って……俺を可哀想な目で見ない。変に気もつかわない。距離感が、丁度いい」


 流石だな、とギレイは感心した。

 ミシェンはギレイより対人能力に優れている、とギレイは判断している。

 自主的に人と関わり、友達も多い。

 逆にギレイはどうにも人間と関わるのは苦手だった。変人だと村人に思われていることも、他人から指摘されるまで知らなかったのだ。

 しかし。


「アンタもな。先生。アンタといるときも、俺は惨めな気持ちにはならねぇよ」


 とヤグは言った。

 そして彼は続けて、こうも言った。


「……いや。アンタは何だろうな。対応が無機質、というか……。まぁ俺といるときも、何にも思っていないというか……よく分からねぇが……まぁ。一緒にいるのは悪くねぇよ」


「……ありがとうございます?」


 褒められたのかどうか分からなかったがギレイはお礼を口にした。


 ヤグは、ははは、と乾いた笑い声を上げる。


「変な奴だな、アンタは。医者の仕事だとしても、こんな死ぬだけの惨めな老人なんて放っておけば良いだろう? 暫くして、死体だけ見つけてもらえれば良いんだ」


「そんなことは……」


「良いんだよ。俺なんて後は本当に死ぬだけだ。それだけなんだよ」


 そんなことは言わないで欲しい、とギレイは言おうとしたがヤグに遮られた。


「村の連中は、俺を可哀想な目で見やがる。そりゃそうだ。仕方ない。俺は本当に惨めだろう? 惨めな人間になっちまったんだ。友人も家族もいない。体も弱っちまって、思考も衰えやがった。性格だって歪んだ……昔は違ったんだ」


「……」


「昔はもっと……ちゃんとしていたさ。魔法の天才とも言われたんだ。活力に溢れていた。良い奴だった。人にだって優しくしてやった。優しくしてやったんだ……。まぁ、誰も信じねぇだろうけど」


「信じますよ」


 とギレイは言った。

 ヤグは驚いたようにギレイの顔を見る。


「アナタがそう言うのならば、そうなのでしょう。否定する理由もない。人間である以上は、その個体ごとに過去があり、現在の状態と比べれば変化はある」


 10年間。人間社会で生きてきたギレイなりの考えだった。

 人間は変わる。良い方にも悪い方にも。


「……そうかよ」

 

 とヤグは笑った。

 自嘲的ではなく、自然な笑顔だった。


 ギレイも笑おうとしたが、上手く笑えなかった。

 

 それから暫くは穏やかな時間が流れた。

 上機嫌になったヤグはギレイに絵を見せてくれた。スケッチブックには色とりどりの景色が描かれていて、その全ての場所を彼は行ったことがあるという。

 特に思い出深い景色はこれだ、と一枚の絵をギレイに見せた。

 未開の地にある秘境の景色が描かれていた。

 木々が生い茂る密林の中で、薄く輝いた緑や黄色の雨が降っている。雨の滴は非常にゆっくりと宙を漂い、陽の明かりを反射していて、とても綺麗だったとヤグは語った。

 恐らく、その秘境に刻まれた魔力や自然環境が複雑に入り組んで、そういった景色を生んだのだろう、とギレイは予測した。


「もう一度見てぇな……」


 とヤグは語った。



◇◇◇◇

 それから数ヶ月後。

 春も過ぎて少しずつ日の出の時間が長くなった時期。

 ギレイが魔物であることがミシェンに露見し、そして二人の関係性が再構築されて少し経った頃。

ギレイは今日もヤグと共にいて、中庭で並んで椅子に腰掛けていた。

 ヤグは以前に比べていっそう痩せて、塞ぎ込む日々が多くなった。


「……すまない。寒いんだ。手を握ってくれ」


 とヤグは懇願する。

 嫌みな性格は引っ込んでしまったようで、残ったのは死と孤独に怯える老人だった。

 ギレイはヤグの側に膝をついて、ヤグの手を取る。

 細い腕だった。触れれば皮膚が朽ちた樹皮みたいに剥がれ落ちそうなほど。


 ギレイは静かにヤグの手を握り、摩ってやる。その間ヤグは「寒い。寒い」と呟いていたが家の中に入ろうとしなかった。家の中は静かでそれも恐ろしいらしい。

 彼はもうすぐ死ぬだろう、とギレイは予測していた。

 薬でいくらか先延ばしにはできるだろうが、死は避けようもないのだ。

 人は死ぬ。それは仕方がないことだ。

 村で医者として働いてきたので、人の死に立ち会うのも今回が初めてではない。


(ただ。無力だとも思う)


 ギレイはそう感じていた。


(死は生物の一生に必ず組み込まれている過程だというのに、そのためにできることはあまりにも少ないのではないか? 終わりがこのような形で良いのか?)


 もう医者として出来ることもない。

 ただ側にいて手を握って話を聞くことしかできない。


 手を握ってやるとヤグは少しずつだが落ち着いてきた。


「もう大丈夫だ」と彼は言ったので、ギレイは手を離して隣の椅子に座る。


「すまねぇな。アンタには……迷惑をかける……アンタだけじゃねぇ。お前の家の子供……名前は……」


「ミシェンです」


「そうミシェンは、俺にあの景色を見せてくれるっていうんだ。アンタにも見せた秘境の景色の絵があっただろ? その景色を俺に見せてくれるって」


 ギレイは以前見た絵を思い出す。

 色とりどりの雨がゆっくりと降り注ぐ絵だったと思う。

 ミシェンはその景色を再現するために日夜調べ物をしていた。ギレイも幾つか質問を受けて答えたものの……、再現するのは難しいだろうというのがギレイの見解だった。

 当時の環境の条件を再現しなければならないが、何しろ情報が少ない。ミシェンは人に聞いたり本で調べたりしているが、必要な情報を集めることすら難しいだろう。

 おそらく、その景色は見ることはできない。


「ああ。良いんだ。難しいってことは俺も分かっている。できなくても、ミシェンを責めるつもりなんてない。きっと見ることはねぇな」


 とヤグは笑った。


「それで良いんだ。『俺のために誰かが何かをしてくれようとしている』。それだけで充分に救われるんだ。結果が出なくても良いんだ」


「……そうですか」


 とギレイは言った。

 ヤグは暫くして「寝る」と言ったのでベッドまで付き添った。

 布団にくるまったヤグは直ぐに寝てしまう。

 寝ているヤグの姿は本当に小さくて、子供みたいに見えた。



◇◇◇◇

「俺はなんのために生きてきたんだ?」


 とヤグは言った。

 彼は更にやせて、一人ではもう歩くのもままならなくなった。

 中庭には出ることが出来ず、殆どの日々をベッドの上で過ごす。

 彼は窓の景色を眺めながら呟く。

 

「どうせ。どうせ死ぬだけじゃねぇか。どうせ死ぬんだったら、何のために生きてきたんだ? 意味なんてなかったんだ」


「そんなことは……」


 と側にいるギレイは否定しようとする。

 しかし、またヤグは吐き捨てるように言った。


「なかったんだよ。なーんにも意味はない。全部無駄だ。だって、そうだろう? 昔は……若いころは! まだ希望があったんだ。生きるのが辛くなったら、それを否定できる『何か』が見つかったんだ。でもさぁ、今はなにもない。辛いだけじゃねぇか。全部ムダだ」


 ヤグは自分の手で自分の顔を引っ掻こうとするので、ギレイはそれを止める。

 錯乱した彼は自分で自分を傷つけようとするのだ。

 ヤグはギレイの手を取って、顔をうつむけて言う。


「もういらねぇよ……何もいらない。意味なんて最初から何もないんだから……あってほしくもねぇ。早く、もう……楽になりたい」


 ギレイは何も言わず彼の手を握った。

 何も言うことができなかった。

 無力感に苛まれ、ふと関係ないことを考えてしまう。

 人類の滅びを防いでみせる、と決心したことについて。

 そのときの決心は本物だし、今もその決心を抱いている。


(だが私に出来るのか? 目の前の人間の心も救えないような奴に、人類滅亡を防ぐことなどできるのか?)


 不安に押しつぶされそうになる。

 この不安が消えさって欲しいと願うのに、しこりみたいに胸の中に残る。

 

 何かがあってほしい。

 不安が消え去るほどの、素晴らしい何かが。

 

「――」


 ふと。

 ベッドの側の窓から光が差し込んだ。ギレイは思わず目を細める。

 今日はずっと曇り空で陰鬱な雨が降っていたはずだ。

 

 ヤグも光に気づいて窓から見える景色へと目を移す。

 ギレイも外の景色を見た。


 雨がゆっくりと、降っていた。

 まるで絵画かと見間違うほどにゆっくりと、本当に静止しているかと錯覚するほど。

 雨の滴は透明で、黄や緑の色が付いて、微かに差し込んだ日の光に反射して輝いている。

 

 ただゆっくりと時間が流れた。

 

 本当にそれだけの景色だが目を離せずにいた。

 綺麗だ、とギレイは思った。

死ぬなら、こういう景色の中で死にたいと思えるくらいには。


「……なんだよ、クソ」


 とヤグは呟いた。

 

 ミシェンが成し遂げたのだろう。

 家の近くでミシェンが魔法を発動している気配をギレイは感じ取っていた。

 彼女の魔力の反応を感じる。必死に、祈るように彼女の魔力が脈を打っている。


 時間が経ち、太陽はまた雲の中に隠れてしまう。

 同時に。見ていた現象は終わった。

 雨は元通りの速度で降り始めた。

 

 あとは何もなかった。

 今まで通りの日常が続くだけで、別に何かが変わったわけではない。

 ヤグの寿命が延びるわけでも、健康状態が改善したわけでもない。彼を取り巻く環境も何も変わっていないので、変わらず生きるのは辛いままだろう。

 この先も彼には苦痛が待っており、今日の光景もいつかは苦痛に塗りつぶされて忘れ去られるかもしれない。

 

 だが救われたモノはあった、とギレイは思った。


◇◇◇◇

 それから更に月日が経った。

 ギレイは一人墓参りに出かけていた。

 彼はもうすぐ村から離れる。四天王『龍』からの依頼をこなすために、村から離れた国へと出発するのだ。

 既に村人には挨拶を終えているし、新しくやってきた医者の仕事の引き継ぎも終えた。

 ミシェンは一時的に教会の世話になることとなった。村が豊かになった影響で教会にも余裕ができたらしい。


 ギレイはヤグの墓の前で立ち止まる。

 結局、当然のように彼は死んだ。死ぬ数週間前は特に酷い状態だった。迫る死の恐怖に錯乱して、周りに当たり散らしていた。ミシェンにはヤグの家に行かないよう指示して、ギレイだけがヤグと過ごした。

 ある日の往診の際。ヤグが大切にしていた絵が破り捨てられているのを発見したときは、流石にくるものがあった。

 そして彼は死んだ。

 最後の表情も穏やかとはとてもいえず、苦痛に顔を歪めていた。

 

 ギレイは墓を後にして家へと戻る。


「――ギレイ」


 家の前ではミシェンが待っていた。


(大きくなったな)


 と白髪の少女の姿を見てギレイは思った。

 森で拾ったときは両腕の中で抱えられるほどの大きさだったのに、今では自分の胸の高さまで成長している。もしかしたら数年後には背も抜かれるかもしれない。

 腰まで伸した白い髪も、今では自分で手入れをしている。

 成長したのだと実感する。


 何かを言おうとしたが、言葉がなかなか出てこない。

 代わりにミシェンの方が先に言葉を発した。


「ギレイ。無理しないでくださいね」


「……無理、とは?」


「ええっと。今回の仕事は『人類滅亡を防ぐ』ことに繋がる大切な仕事なんですよね。でも、無理しないで欲しいです」


「そうだな。だが果たさなければならない仕事だ」


 ミシェンは「ううん」と唸る。


「……別にできなくても仕方が無い、と思います」


 と、とんでもないことを言った。


「失敗して、人類の滅亡を防げなかったとしてもギレイのせいじゃないです。できなくても私は絶対に責めません。ギレイが『なんとかする』って言ってくれたことで安心したんですから」


 と彼女は自分を納得させるよう頷く。


 ギレイはかつてヤグとの会話を思い出していた。

 結果が伴わなくても、誰かが自分のために何かをしてくれる、ということだけで救われる。


「そうか……。そうだな。無理はしない。生きて戻る。その上で……」


 言うべき言葉を探した。


「頑張ってみる」


 とギレイは言った。随分と曖昧な言葉だと自分でも思った。


「はい。いってらっしゃい」


 けれどミシェンは笑った。


 こうしてギレイは10年間過ごした村を後にした。

 

 人類の滅亡。

 しかし滅ぶのは1000年後。

 仮にその滅びを回避したとして、また別の滅びが待っているだけかもしれない。

 最後には意味がなくなってしまう。

 そして、それまでの過程においても、何も成し遂げられないかもしれない。

 

 ただ。今、自分たちはここに生きて存在してしまっている。

 なら、せめて出来ることしてみたいとギレイは思った。


ありがとうございました。

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