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その日も、月に数度の不定期報告会が開かれていた。
ウィリアムが近衛騎士に選ばれて、もうじき1年になる。とはいえ、近衛騎士としての仕事は王太子に剣を指導するという名目で免除されており、実際はメイドとして王宮に居る時間の方が長いのだが――
メイドとして働くメイベルは、王宮での勤続が半年を越え、王太子の寵愛を受けているということもあり、それなりに好待遇をされている。
仕事は熱心にこなすし、周囲に嫌われないよう上手く立ち回っている彼――もとい彼女は、先輩にも後輩にもそれなりに好かれているようだ。
本日もメイド服姿でノアの居室に訪れたが、もう周囲には気にも留められていない。いつものあれね、と夜番を免除されるほどだ。
「ここしばらく、お陰様で暇なので離宮にも潜入してみましたが、流石に厳しいですね。夜叉含めて父クラスの護衛がローテーションで3名、メイドに紛れて鴉まで数名居るとなると、情報を探るのも中々難儀なものです」
「……やはり、そうか。バイロンの方はどうだ?」
「あぁ、そっちは楽ですよ。分かりやすく外で豪遊してますので。殺すとなると、お気に入りの娼婦に金貨数枚握らせれば簡単に毒殺出来るでしょう」
「…………簡単に、か。父が何をしても排除出来なかったあの宰相を、な」
「えぇ、簡単です。ノア様と違って毒に耐性もなさそうですし、用心深いわけでもないようですしね。護衛や毒見係は同伴してますが、行為の最中は二人きりなので、毒殺の機会はいくらでもありました」
「まるで見てきたみたいに話すんだな」
「見てきましたよ?」
目を指差しあっさりと返すウィリアムに、ノアは「え、」と素で声を漏らす。
「ま、まさかお前、抱かれたのか!? バイロンに!?」
「そんなわけないでしょう。娼婦として娼館に潜入してただけですよ」
「…………」
そこで何が行われるか、知らないノアではない。初心な子供ではないのだ。
思わずウィリアムの下半身に目をやり――いやこいつ男だな、と顔をぶんぶんと振る。
「……何を想像してるのか知りませんけど、何もしてませんからね」
「そ、そうか」
ほっとした様子のノアを見、ウィリアムは大きな溜息を吐いた。何を想像されたか、理解したのだろう。
まぁノアが知らないことがあるとすれば、ウィリアムは実は女である――という点だが。
「……ノア様の言で鴉を動かして頂けると、多少は楽になるんですが」
話が嫌な方向に進みそうだったので、ウィリアムは露骨に話を逸らしにかかった。
「……鴉は母上にも情報を流してるからな。軽率には使えない」
「まぁ、ノア様が末端でも使える時点でおかしいですからね」
それもそうだな、とノアは頷いた。王家直属の諜報部隊である鴉は、あくまで王に付き従うものだからだ。
王位継承権が一位とはいえ、ノアは王ではない。それなのに鴉に指令が出せる時点で、王セドリックか王妃リオノーラのどちらかが譲歩しているということになる。――大方、セドリックの方だろう。
不自然でない形で息子に護衛をつけるには、剣の指導という名目は都合が良い。もっとも、最近は人目につかない地下の訓練場で一人走り込むかトレーニングをするか昼寝するくらいで、ウィリアムは特に監督も護衛もしていないのだが。
「少し話した所感ではありますが、セドリック様にノア様を害するつもりはなさそうですよ。まぁ、率先して王位を譲るつもりもないようですが」
「……やはりそうか」
「理由をつけて生前退位したところで、後継者がリオノーラ様の傀儡になる未来は見えてますからね。まだ半分は権限を持てているうちに手を打ちたいといったところでしょうが、そういうのはあまり得意ではなさそうですね」
「……あぁ。父は素直すぎるからな。そういう裏工作は苦手だろう。だが母上を――あの悪女を城に入れようとした時、止める奴は居なかったのか?」
ノアが疑問を口にすると、ウィリアムが「それなら、」と返す。
「居ましたよ。婚約者が、たった一人で」
「婚約者、……たしか、アシュリー・ブラッドフォーンだったか。随分な悪政を敷いたと語られているが――」
「事実ではありません」
「だろうな」
ノアが即答したことに、ウィリアムは意外そうな顔を向ける。
アシュリーが殺されてからノアが生まれている以上、二人に面識はない。
それに、アシュリーに関わるありとあらゆる情報はリオノーラの手で城から抹消されているので、この時代に残されているのは、彼女をモチーフにした小説や戯曲といった、物語くらいだ。
どれも面白おかしく脚色されているが、事実と真反対の物語にしないと世に出せなかったという当時の出版事情を知っている者は、さほど多くはない。
「お爺様の、――前王の代で、明らかに他人の手が加わったであろう施策がいくつもあった。孤児院の設立や遺族年金という仕組み、王都の公衆衛生の徹底、自由な新聞を作れるような法整備、あとは王宮内の雇用管理とかな。それまでとは毛色が違うな、と思った施策は大抵考案者が宰相バイロンということになっていたが――まぁアイツの性格からしてそれはないだろう。消去法で考えると、アシュリー嬢の他に居ない。当時の騎士にも随分好かれていたようだしな」
「……あれ、そこまで分かったんですね」
「想像だ。事実なのか?」
「まぁ、大体は」
窓の外、夜空を覆い尽くす無数の星を眺めていたウィリアムは、どこか懐かしそうな顔で返した。
「……ペリドット、お前はアシュリー嬢を知っているのか?」
「そうですね。まぁ、ノア様よりは知っていると思いますよ」
さらっと流されたが、ノアは思案していた。そんなはずはないからだ。
アシュリー・ブラッドフォーンに関しては、鴉に任せて調べさせたのではない。自分で調べ、更には昔王宮に勤めていた騎士を探し出し、直接話を聞いたのだ。
政変で退職させられたわけではなく、自分の意思で騎士を辞した彼らは、アシュリーの話をする時だけ生き生きとしていた。きっと、よほど優秀な婚約者だったのだろう。だからこそセドリックに、リオノーラに蔑まれたのだろうが。
「アシュリー嬢が失敗した理由は、分かるか?」
「そうですねぇ、詰めが甘かった、とかですかね?」
「違う」
ノアは即座に否定する。面識はない。だが、それでも分かることはある。
――彼女は、正しすぎたのだ。
父も、母も、生まれ以外に何も持ちえない性質の人間だ。故に、自分の意思で、自分の力で改革を成せる人物を嫌うのだろう――まぁ、その話をすれば、ノアだってそうだが。
「彼女は、劣等感を理解出来なかったんだ」
「……はぁ」
「ペリドットみたいに優秀な奴は分からんだろうがな。まぁ、生まれた時から誰よりも偉い俺や父、あとは全力で甘やかされて育ってきたリオノーラは、優秀な人間に対して劣等感を抱いているものだ。それを理解出来なかったのが、アシュリー嬢の敗因だな」
「そういうもんですかねぇ」
「そういうものだ」
「じゃあ、優秀な私も、いつかノア様に切られちゃうんですか?」
わざとらしく涙なんて流して、まさにノア好みの弱々しい表情を作ったウィリアムは、ちらりと上目遣いでノアを見る。
「…………」
「ちっ」
「舌打ちするな」
「もうちょっと靡いてくださいよ。自信なくなるじゃないですか」
「お前男だろ……」
「女だったらタイプなんですか?」
「…………いや別に」
そう答えた瞬間、ひゅんと、耳が風を切る音を聞く。
恐る恐る振り返ると、壁に蝋燭が刺さっていた。窓際の燭台から引き抜いたようだ。
冷や汗が流れ、こいつ怒らせるとマジで殺されそうだなと考えたノアは、下半身に血が集まるのを感じ――
「レディに失礼ですよ」
「レディは蝋燭を投げないし壁に埋めないっ!」
「埋まってないですよ、ほら」
ウィリアムが壁に近づき、突き刺さっていた蝋燭にちょんと触れる。――と、根本だけぽろりと落ちた。
どうやら突き刺さったわけではなく、あまりの射出速度に先端が溶けて壁にへばりついていただけのようだった。
「…………いや摩擦で溶けるくらい高速で投げるって、そっちのが怖いんだが」
「なら怒らせないで下さいよ」
「悪い…………」
――ノアは、ウィリアムに惹かれているところがないわけではない。
その感情は、一年ほどかけてようやく自覚出来るようになったものだが、これまで性欲でしか女を見たことがなかったノアにとって、感じたことのない不可解な感情であったから、ずっと理解出来なかったのだ。
「どうして……」
どうして男なんだ、とは続けなかった。
――自分がはじめて本気で惚れた相手が男だなんて、信じたくはなかったから。