10
「で、だ」
「なんか文句でも」
「…………いや、見て悪かったな」
「思いっきりぶん殴れば人の記憶って消えるんですっけ」
「やめろよな!?」
ウィリアムは腕を振りかぶり――そういえばと胸を隠し、はぁと溜息を吐いた。
近くに置かれていたメイド服――何故かクレアのそれでなく一般メイド用である――に目をやると、ノアがくるりと反転し壁を見るので、遠慮なくその場で着替えた。
して、着替えも終わり、椅子に座ったウィリアムは、――いいやメイベルは、机に肘をつき明らかに不機嫌そうな表情でノアに声を掛ける。
不機嫌そうなメイドが座り、王太子が壁際で申し訳なさそうに立つ。どちらが主か分からない構図だ。
「ノア様」
「な、なんだ」
「もう色々嫌になったんで仕事辞めても良いですか」
「…………出来れば辞めて貰いたくないが」
「私もです」
「そ、そうか」
中々噛み合わない会話に、舌打ちが響く。――当然、メイベルだ。
「その、そっちが素か?」
「え、いえ別に、そういうわけでもありませんが、ちょっと腹立って」
「……そうか、悪かったな」
「ノア様にもですが、醜態を見せた自分に腹立ってるんです。気にしないで下さい」
「そ、そう言われてもな……」
刺すような緊張感は、まるで剣でも突き付けられているかのようだと、ノアは震えた。
1年間交流してきた騎士が、女装趣味の男が、実際は女だった。――嬉しいはずなのに、何故か怖い。ぶるりと震え肩を抱いたノアは、なんと答えれば良いか分からず、話題を逸らしにかかる。
「そういえば、ツクヨミには勝てたのか」
「えぇ、まぁ二度は通じないでしょうけどね」
「……凄いな」
「どうも」
「…………結婚してく」
「嫌です」
一世一代――本気の告白を決めたノアは、食い気味に断られて「う、」と声を漏らす。
「いやこの流れで受けるわけないでしょう何考えてんですか」
「もしペリドットが女ならって前から思ってたんだよ!!」
「はぁ!? あなた私のこと全然タイプじゃないって何度も言ってませんでしたぁ!?」
「それはそうだが!? そういうのじゃないだろ男女って!!」
「知りませんけど!? 生娘舐めないで下さい!!」
「そうなのか!?」
「喜ぶな死ね!! 色情魔!!」
口には出すが、手は出さない。机の上に置いてあったインク瓶を放り投げるギリギリで踏み止まったメイベルは、力いっぱい「はぁー……」と大きな溜息を吐くと瓶を下ろす。
――今の調子でなんか投げたら、本気で殺してしまいそうだった。ツクヨミとの死闘の余韻が、まだ身体に残ってしまっているのだ。
脳のスイッチを切り替えるのは、そう簡単ではない。少し休憩した程度ではまだ、アドレナリンの分泌は収まらない。
ようやく緩やかに痛みを感じてきたが、右手の出血はほとんど収まっていた。よほど綺麗な切り口だったのか、移動中に抑えていた程度で、もう皮膚が繋がっている。
「一回だけなら勝てるってのは、その――」
「男だと思ってた相手が女だったら、どんな達人でも油断します。つまるとこ色仕掛けですよ。そうでもしないと埋められない実力差なんで」
「……それで、成果は、」
「この顔、あったように見えますか?」
ウィッグを外し、中に収められていた髪の毛を解き、湿気の帯びた髪にぱさぱさと風を送るメイベルは、――ノアの目には、随分と色っぽく見えた。
が、そんなことは口には出さない。今度こそなんか投げられそうだったから。
「こっそり入るのは難しそうなので、堂々と入ってみたけどやっぱ駄目でした。しばらく離宮を直接探るのはやめにしますね」
「……だがあの、クレアといったか、彼女が鴉なら、そちらを利用すれば――」
「あぁ所轄が違いますよ。あの刻印、鴉の爪が2本失われてました」
「2本? というかそこまで見たのかあの一瞬で?」
「えぇ、まぁ。昔に見たことがあります。クレアさんは前王の直轄ですね」
さらっと新事実を告げたメイベルに、ノアは「え、」と声を漏らした。
それを、普段の何にも興味なさそうな無表情とは違う――どこか懐かしいものを見る表情で告げたことに、その時のノアは気付かなかったが。
「ま、待て。お爺様はもう亡くなってるぞ」
「知ってますよ」
「……なら誰が主なんだ?」
「さぁ?」
「さぁって……」
「私よりあなたの方が詳しいでしょう。前王ドウェイン様の縁者か親族か護衛か。誰かは知りませんけど、何人か王宮に残ってるじゃないですか」
「……あ、いや、どうだろうな。お爺様の陣営の者は皆、政変の際に殺されるか飛ばされるかされたはずだが」
「察し悪いですねぇ。あなたのお父様の隣には誰が居ますか?」
「マイルズが――あ、」
――そう、現王セドリックは、前王ドウェインから王位を簒奪した。だが、前王の代から引き続き王家に仕える者も、クレアのように一部だけ残っているのだ。
王宮に残った彼らは、王個人ではなく王家に仕えた。その忠誠を買われ、未だ要職に就く者も居る。老騎士マイルズが最たる例だろう。
「まぁそっちの筋でしょう。あの人の娘や孫も王宮で働いてますしね」
「……なんで知ってるんだ」
「言いたくありません」
「…………話す気がないなら無理矢理でも婚姻を結ぶぞ。メイベルでもウィリアムでも、俺としてはどっちでもいい」
「卑怯ですよ!? 何を脅しに使ってんですか!?」
「なら言え。俺を誰だと思ってる。――どんな横暴でも誰も止められない王太子様だぞ?」
メイベルは、「う、」と声を漏らす。この王太子が、やる時は本当にやると知っているからだ。
それは、まさしくセドリックの、――かつて愛そうとしたあの馬鹿王子の息子だと、現実を突きつけられるようで――
「…………あなた、父親似って言われませんか」
「ん、まぁそうだな。母親似と言われたことは一度もない」
「でしょうね」
「……なんだ、まだ答えないのか? 俺には男を女にする権利があるんだぞ」
「とんでもないこと言い出さないで下さいっ! ……私の名前、知ってますよね」
「ウィリアムだろう? ……いやメイベルか? どっちが本名だ?」
「今の本名はメイベルですよ。ウィリアムは死んだ弟の名です」
「今の? 養子か何かだったのか?」
「その前は、アシュリー・ブラッドフォーンという名前の、公爵令嬢でした」
「…………ん?」
ノアは首を傾げる。
クリーヴランド王国の公爵家に、アシュリーという名はここ20年以上記録されていない。誰が好き好んで王家を陥れようとした悪女の名を娘に付けようというのだ。
――つまり、
「……お前、まさか俺の、――母と同い年くらいなのか!?」
「違いますよアホですか!?」
今度こそインク瓶を放り投げた。――が、近頃のトレーニングのお陰か生来のものか、動体視力がそれなりに高いノアはそれを慌てて回避した。
インク瓶が壁に当たり、ごろごろと転がる。砕けはしなかった。――なんとか力は抜けたようだとメイベルはほっとしたが、相手が思ったよりアホだったかもしれないと溜息が漏れる。
「クリーヴランド歴279年5月1日。それが私の誕生日です」
「……父上がお爺様を殺したばかりの頃だな」
「えぇ、私はその日、王都で生まれました。――でも、どうやら私、死産だったはずなんですよね。当時の助産師が、そう言ってたのを覚えてます」
「…………」
「理由は知りません。でも、」
メイベルは、続けようとした口を噤んだ。
これを話して良いものか、悩まれたから。話すとしても、もっと後――計画を終わらせてから話すつもりだった。
ノアを共犯者にするために、結束を強くするために話す意味はあった。だが、それを選ばなかったのは自分で。つまりそれは、ノアを信じていなかったということで――
「死産だったその子――メイベルに、アシュリーが乗り移ったみたいです。以上」
「以上!? いやまだあるだろ!?」
「だって理由が分かんないんですよ。なんですか? なんか魔法とか呪術でも掛けられてました? なんで死んでないんですか? 私が一番分かんないんですよ。誰かに聞いても絶対狂ってる子扱いされるじゃないですか。言えるはずないし相談出来るわけないじゃないですか。だから黙ってたんですよなんで今言わせるかなぁ!?」
「…………いや、悪い」
「悪い!? なんかもうちょっと軽めの秘密でも暴露されると思ってました!? 実は女だったけど男として育てられてましたとかそういうつまんないロマンス小説みたいな話で済むと思いました? なんですかこれ。転生モノとか30年くらい前の流行りじゃないですか。なんで自分が転生してんですか全然分かんないんですよふざけてんですか?」
「ふ、ふざけてはないだろう……?」
あまりの剣幕に、困惑してよく分からないことを口走るノア。
――が、少しだけ納得してしまった。ウィリアムの、メイベルの不自然さが、そこから来るものだと分かったから。
彼女は、明らかに普通ではなかった。だが、その理由が分からなかったのだ。
「あーもう今話したくなかったのになぁ、これ聞いてどうすんですか? もっかい処刑します? あ、いや処刑はされてないんですけど書類上は処刑されたことになってるじゃないですか私。普通に獄中死ですよ私。水なきゃそりゃ死にますって。小説だと流刑ってことになってるんですけどあれ絶対お兄様が書いてるよね私の内面描写詳しすぎるし」
「……あ、兄が居たのか?」
あまりの早口に後半しか聞き取れなかったノアが、恐る恐る質問する。
「居ますよ。居ましたよ。異母ですけどね。そういえばしばらく噂とか聞いてませんけどまだ生きてるんですかね。もうバラしちゃったし接触しちゃっても良いですかね。グレン・ブラッドフォーンって言うんですけど」
「…………グレン?」
「なんですかノア様知ってんですか兄様のこと」
「い、いや、グレンダ・ブラッドフォーンのことなら知ってる」
「……誰ですかそれ」
「俺の乳母だ」
はて、とメイベルは思考を巡らす。
ブラッドフォーン家は、貴族としては珍しく親類が少ない。見知らぬ親戚が居ないのだ。それは特定の一家としか縁を結ばないことになっているからだが、その一家とは――
「母様に――リオノーラに、殺された」
「はぁ」
「はぁって、もうちょっとなんかないのか。一応これ、俺が母様を恨んでる理由を告白したことになるんだが」
一世一代の暴露をさらっと流されたノアは、気が抜けたようにソファに腰掛けた。だがメイベルの表情はあっさりとしたものだ。
「いやだって、グレンダなんて親戚いませんよ。絶対偽名です」
「……へ?」
「ウチ――って言っても前世なんですが、ブラッドフォーン家って特定の一家としか子を作らないことになってんですよ。知りません?」
「いや、知らないな。そもそも俺はグレンダが貴族だってことも今知ったくらいだ」
「あー、そういうことですか。まぁあの女が書類から消したってことかな。……えーとですね。その一家ってのが、クリーヴランド家です」
「…………うん?」
そう、ブラッドフォーン家というのは、クリーヴランド王家の血を残すために作られた、予備のようなものなのだ。
謀殺や病気などで、王家の血を引く者が王宮に残らなかった時のため作られた、初代クリーヴランド王から連なる影の一族――それがブラッドフォーン公爵家。
「私の代は私とお兄様の二人だけです。ちなみにお兄様の母はレジーナ・クリーヴランド、私――アシュリーの母はスザンナ・クリーヴランドです。父が同じなので兄妹ってことになってますが」
「レジーナって、お爺様の妹じゃないか? スザンナは父上の姉だったか。……随分歳が違わないか?」
「えぇ、そうですね。私達兄妹の母親は一代違います。お兄様との歳は3つしか離れてませんが、お母様の年は20以上離れてるんですよね」
「…………」
言葉を失ったノアは、しばらく考えた後、頭に手をやって溜息を吐いた。
同世代の異母兄妹といっても、母親まで同世代というわけではない。アシュリーが生まれた時点で、兄の母――レジーナ・クリーヴランドは40を大きく超えていた。母親の世代が違うのだ。
それも、念のため各世代にまんべんなく血を残しておく――といった王家の風習によるもので、当時レジーナ・クリーヴランドは既に他国に嫁ぎ子を数人成したが、情勢の悪化により出戻りした後に王国で再婚し兄を生んだことになる。
そんな政治的事情だけで子供を作っている一族なので、アシュリーとセドリックは、かつて婚約者ではあったがその実、いとこ同士なのである。まぁ、そのくらい血を濃くするのは、貴族同士では然程珍しくないのだが。
「なので、ブラッドフォーン家に庶子は一人もおりません。私とお兄様の世代にグレンダなんて女は居ないので、家名を偽ったわけでもないのなら、それはお兄様ですね」
「…………お前のお兄様ってのは、実は女だったりしないか?」
「しませんよ頭おかしいんじゃないですか?」
実は女だったをついさっきやらかしたばかりだというのに、メイベルは自分のことを棚に上げて罵倒した。
「俺は男の乳を飲んで育ったってことか!?」
「んなわけないでしょう。誰かがブラッドフォーン家を騙ったか、それとも――」
「そ、それとも?」
「ノア様、最初の記憶は何歳の頃ですか? 乳離れしてました?」
「……していた。たぶん3歳だったかな、母様――リオノーラに、グレンダから貰った馬のからくり人形を壊されたのが、たぶん一番古い記憶だ」
「あー、それってあの、ぜんまい仕掛けで歩くやつですか」
「そう、……なんで知ってるんだ」
「やっぱそれ、お兄様ですね。私も昔貰いましたし」
メイベルは、過去――といっても30年以上前に貰ったあの人形のことを、まだ覚えている。
もしかしたら実家には残ってるかもしれないが、ブラッドフォーン公爵家の領地はクリーヴランド王国の西の果て――他国との国境近くにあるので、もうとっくに国境線が変わっているかもしれないし、そうなると屋敷はそのまま残されていないかもしれない。
懐かしさに天を見上げたメイベルとは真逆に、ノアは落ち込んだ顔で俯いた。
「…………やっぱり、俺は、」
「いやだから男の乳飲んだわけないですって。何複雑な顔してんですか。ノア様に乳やってた本当の乳母とは別の人間が乳母ってことになってただけです。それが兄様ってことですね。乳幼児の記憶なんて普通はないから、身近な人が話合わせれば架空の人物だって作れるんですよ」
「そ、そうか。なら良かった。……でも待て、グレンダが殺されたのは俺が7歳の頃だぞ? 顔だって覚えてる。それまでは俺の教育係として王宮に居たからな」
「んー……えっと、死体は見ました?」
「見てない。お父様から事故で死んだと急に知らされて、城中に居るメイドと騎士に聞きまわったら、王妃の逆鱗に触れて殺されたのを見たって証言が出てきただけだ」
「そういうことですか。じゃあ、まだ生きてますね」
「……どうして分かる」
「お兄様が殺されるわけないんですよ」
はっきり断言するメイベルは、兄のことをよく知っていた。
剣を握れないほど力の弱い兄は、しかし王国でも有数の魔法の名手であった。
あの兄がアシュリーのようにむざむざと謀殺されるはずがないし、牢などで閉じ込めておけるはずもなければ、近衛騎士に囲まれても平然とした顔で逃げるだろう。
――つまり、死んでいない。リオノーラのような小悪党の手で、殺せるはずがないのだ。
「……そんなに、強いのか」
「えぇ、兄なら王宮の全員が敵になっても普通に逃げられます」
「そうか。……なら俺は、母様を恨む理由がなくなるわけだが」
「あっ待ってください死んだかも。いや死んでないと思うけどちょっと怪我くらいはしたかもしれないし少なくとも王宮にいれなくなったってことは無事じゃないだろうしえーと待って、でももしまだ王宮に用あったら別人名乗って王宮残っただろうしそれもしてないってことは単純にやること終わったから出てっただけの可能性もあってえーと、」
「つまり?」
「私の復讐終わってないのに勝手に一抜けられんの困ります」
「……正直でよろしい」
「じゃ、交換条件です。私を手伝ってください」
「復讐ってのは、殺すまでか? それとも――」
「セドリック様は――、まぁ私の手で殺したいほど憎んでるわけじゃないんですけど、裏切ったことを死ぬほど後悔させたいですね。ただバイロンには死んで貰います。リオノーラも出来るだけ苦しんで貰いたいですね。なので、ノア様にはセドリック様と同じようにクーデターでも起こして貰って、王位を簒奪して頂くのが手っ取り早いですね。それならバイロンに与した他の貴族もついでに連名で処分出来ますし」
「……俺になんのメリットがある?」
「王になりたいんでしょう?」
「そうだな」
「私に協力するのが、一番手っ取り早いですよ」
「そうだな」
「…………」
「それだけか?」
「…………」
「それだけなら、足りないな。お前は失敗しても名を変えて逃げられるかもしれないが、俺は失敗したら間違いなく殺されるんだ」
――そう、ノアの言うことはあながち間違ってはいない。
クーデターは、成功すれば歴史に残るだろう。だが、失敗すれば処刑されて終わりだ。
少なくとも今の王宮に、ノア陣営というのは存在しない。
強い絆を持った同志というのは、ウィリアムとメイベルの二人だけ。同一人物だ。
それは、ノアの近くに居る人間が定期的にリセットされるよう、リオノーラが手を回しているためだ。
「……じゃあ、結婚しますから」
「よし乗った」
しぶしぶ答えたメイベルとは裏腹に、ノアは心底嬉しそうな顔で答える。
馬鹿がつくほど正直者で、人を疑うことを知らない、権謀術数の世界に生きるアシュリーが関わったことのなかった人種、――アシュリーのかつての婚約者と同じ笑顔で、ノアは高らかに笑うのだった。
そういった人種を動かすのは、単純な損得勘定だけ。命か愛か金か。まぁそんな程度。
それを嫌というほど分かっているメイベルは、自分で提案しておいて溜息を漏らした。クーデターが成功しても失敗しても蛇の道だな、と。




