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第08話 悪漢

 エルヴィナの言葉が頭を過る――。


「バーク様とだけは絶対に目を合わせちゃ駄目よ」


 エルヴィナにそう言われたのは、3年ほど前のことだった。


「どうしてですか?」


「冗談ではなく、妊娠させられちゃうから」


「妊娠?」


「赤ちゃんができるってこと。まぁ、メリーはまだ小さいから私の言っていることは理解できないかもしれないけれど、とにかくあの人に近づいては駄目よ」


「……わかりました」


 その当時は、確かにエルヴィナの言っていることが理解できなかったが、バークに対し、生理的な嫌悪感を覚えるようになっていたので、その忠告に従うことにした。


 そして、バークが夜な夜な娼婦を家に連れ込んでは、怪しげなことをしていると知ったのが1年ほど前のこと。


 その頃になると、エルヴィナからの教育もあって、バークがやっていることを理解し、明確な嫌悪感を抱くようになっていた。


「メリー。あなたもそろそろあいつに目をつけられるかもしれないわ」


「でも、私、その、まだまだ小さいですよ?」


「あの汚豚さんには関係ないかもよ。最近は町の娘を連れ込むようになったみたいだし」


 従者たちは、裏でバークのことを『汚豚さん』と呼んでいた。確かに、その蔑称をつけられるだけの醜悪さが、バークにはあった。


「え、町の人を? サイモン様は何も言われないのですか?」


「言うもんですか。メイカー家の人に期待しちゃ駄目。自分の身は自分で守らなきゃ」


「……わかりました」


「はぁ。こんな場所、早く出て行きたいんだけど……。って、こんなことをあなたに愚痴ってもしょうがないわね」


「いえ、大丈夫です」


 ――そんな風に、皆から嫌われているバークが目の前にいる。


 メリーはバークと目が合いそうになって、慌てて目を逸らした。歪んだ口元が視界の端に映る。


「メリーちゃん。今、何をしていたの?」


「掃除、ですけど」


「嘘だよ。エッチなことをしていた」


「っ! そんなこと、してません」


「そうか。メリーちゃんは、まだそういうことがわからないのか。なら、僕が教えてあげるよ」


 バークが近づいてきて、その手首を掴まれる。


「や、やめてください」


 メリーは手を振り払おうとしたが、ふくよかな男の力に抗うことはできない。


「ふふっ、メリーちゃんは可愛いな。僕はずっと君のことを狙っていたんだよ」


 ねちっとした物言いに、メリーはゾッとする。身の危険を感じ、語気を強める。


「いい加減にしてください。じゃないと――」


 そのとき、メリーの右頬に痛みが走った。


「――えっ」


 メリーは、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。じんわりと広がる痛みで、自分が叩かれたことを理解する。


「従者のくせに、僕のいうことが聞けないって言うのか!?」


「わ、私は、ルーク様の」


「うるさい!」


 もう一度叩かれて、メリーの目にじわっと涙が浮かぶ。バークがもう一度叩こうとしたのが見えたので、メリーは身を縮める。


「わかりました! わかりましたから、叩かないで……ください」


「……ふん。わかればいいんだよ、わかれば。それに、さっきのことをルークに言うぞ」


「そ、それは……止めてください」


「そうだろう。なら、僕の言うことを聞け。とりあえず、来い」


 バークに手を引かれ、メリーは嫌々歩き出す。その足は重い。が、言うことを聞かなければ痛い目に遭うので従うしかなかった。


 メリーは救いを求めるように視線を走らせる。しかし、廊下に人の姿が無いので、絶望の色が濃くなった。


(どうして、誰もいないの?)


 叫んで逃げようかと思った。が、先ほどの痛みが蘇る。気に障るようなことをしたら、もっとひどいことをされるかもしれない。そう考えたら、怖くて動けなかった。


 そして、メリーはバークの部屋に連れ込まれる。臭くて汚い部屋だった。その部屋には、石でできた重厚な扉があって、バークはその扉に手をかざす。


「開け」


 魔方陣が展開し、鍵の開く音がした。


 バークが扉を開ける。


 形容しがたき悪臭が鼻を突き、メリーはむせる。


 さらに室内を見回して、言葉を失う。そこには多くの拷問器具が並べてあった。


「ほら、入って」


 バークに言われ、メリーは渋々中に入る。


「どれで楽しもうかな」


 バークが拷問器具を物色している隙を見計らい、メリーは逃げることにした。


 が、後ろ手で扉に触れ、違和感を覚える。その扉には取っ手が無く、開け方がわからなかった。


「ふふっ、ここからは逃げられないよ」


 バークが卑しい笑みを浮かべ、はりつけ台に手を置いた。


「とりあえず、これで遊ぼうかな。ほら、早く脱いで、こっちに来い」


 しかしメリーが動けずにいると、バークはそばにあった鞭を掴んで、地面を叩いた。


「ほら、早くしろよ。それとも、叩かれないとわからないのか?」


「わ、わかりました」


 メリーはスカートの裾を掴んだ。このままではひどい目に遭ってしまう。でも、今の自分ではどうすることもできない。


 だから、強く願った。


(ルーク様、助けて)

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