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「いやー、大変でしたねー」
「もう二度と御免だ。頼むから、現役引退してる奴にこんな真似はさせないでくれ……」
「はーい。気を付けまーす」
なんとか命からがらダンジョンを抜け出し駐車場に辿り着いた俺は、汗や溶解液や何かの体液でべちゃべちゃになった肌着を脱ぎ捨て、近くにあったゴミ箱に放り投げた。
車に乗せていた汗拭きシートで体中を拭き、大雨の日に着替えるため車に乗せていた替えのシャツに袖を通す。――パンツも替えたいが、流石に控えよう。
「あの、本当にこれ着て良いんですか?」
スモークガラスが少し降りてくると、明らかに全裸であろうハルが顔をひょっこり車から出してきた。手には新品のワイシャツが握られている。
「あぁ。とっとと着てくれ。いや先に窓を閉めろ」
「はぁい」
駐車場には何台も車は停まっており、周囲の視線を遮ってくれるが、明らかに通報レベルの状況なことに変わりない。
半裸でべちゃべちゃのオッサンと全裸でべちゃべちゃの女子高生が居たら、俺が警察官なら100%現逮する。誰も通報しないでくれよ頼むから。
夜空を見て大きな溜息を吐いていると、突然車のドアが開かれ、心臓止まるかと思った。
「どうです? 似合います?」
大きいはずのシャツが思い切り横に広がり、窮屈そうな胸がくっきり浮かび上がっている。
さっと目を逸らすと、「あー、赤くなってるー」なんてからかわれるので、顔をそむけたまま後ろ手にドアを閉め、運転席から車に乗り込んだ。
「頼むからその格好で外に出ないでくれ。俺は前科持ちになりたくはない。公務員は前科持ちに厳しいんだ」
少なくとも、地方公務員に戻ることは出来なくなるだろう。給料は少ないがそれなりにやりがいがある仕事だし、こんなしょうもない理由でクビになりたくはない。
「難しいですね、大人って」
「あぁ。大人は生きてるだけでも大変なんだ。褒めてくれる相手が居ない独身は特にな」
給料も安ければ夢もない地方公務員は、たとえ安定していようが婚活市場においてそこまで強いカードにはなりえない。
仕事に追われているうちに35歳。婚活には完全に出遅れてしまったが、もう仕事を恋人に生きるでも良いだろうと考えだしていたくらいだ。
「えらいえらーい」
そんなことを考えながら車のエンジンを付けると、後ろから突然手が伸びてきて頭を撫でてきた。アクセルガン踏みするとこだったぞ。危ないからやめてくれ。
「お母さん帰ってくるの10時過ぎなんで、直帰するとちょっと時間空いちゃうんですよね。どっかでご飯とか食べていきます?」
「だからその格好で外出るなって言っただろ!?」
「冗談ですって。私が作りますよ」
「……作れるのか?」
「これでも中学の時からずっと夕飯作ってるので、独身男性くらいは作れると思いますよ」
ルームミラーにはリスのように頬を膨らませたハルが映っており、思わず頬が緩む。
「それに切原さん。現役女子高生の手料理なんて、この機会逃したら一生食べられないかもしれませんよ?」
「…………まぁ、それは、そうだな」
それには同意しかない。自分も自炊する方ではあるが、米のほかはメインのおかずを一品作る程度だ。
最近は加齢のせいか脂っこいものが食べられなくなり、炒めただけのような雑な野菜料理を作ることが増えてきている。ラーメン特盛とかもう絶対食べられないな。
「あ、そっち右です。ところで切原さんって、現役時代は有名だったりしたんですか?」
「有名? なんでだ?」
「いえ、私結構動画とか見てる方ですけど、切原さんくらい動ける人見たことないんですよね。まぁ近接で殴る人自体が少ないってのはあるんですけど、格闘技習ってるって言ってましたよね。昔からですか?」
「あー、そうだな。ダンジョン入る前から、というか物心ついた時には道場通ってたよ。試合に出たこととかはないから、趣味の範疇だとは思うが」
どのくらいを趣味認定して良いか分からないが、30年以上続けているのは特定の格闘技でなく総合格闘技だ。
健康の維持にしてはハードすぎ、選手になるにはソフトすぎる範囲で続けているそれは、もう日常に溶け込んでしまっている。
だが、現役探索者時代を思うと、話は変わってくる。
格闘技を習っている探索者はそれなりに居たが、空手や少林寺拳法のような、型稽古を主とした武道が多かった。子供を格闘技の選手にしたいという願望がなければ、大抵は安全なものを選ぶからだろう。
それに対し、総合格闘技に型稽古はない。寸止めなどせず人をぶん殴り蹴っ飛ばし締め落とす格闘技である。
子供の頃から全身怪我まみれなのは当たり前で、血が止まらず血を流しながら学校に行った経験もあるし、骨が折れた程度では学校を休ませても貰えなかった。
「……七三スーツなのに」
「七三スーツなのは趣味だ。まぁ、うん、どうだろうな。当時はSNSもなかったし、インターネット上での情報集めって言ったら掲示板とか個人のホームページしかなかったからな。今とは有名という言葉の意味が変わってきてはいそうだが」
「あー、確かに昔って、テレビとか出ないと顔と名前を知られることないから、地元では有名な子くらいにしかなりませんよね」
「……そうだな」
地元では有名な子供――痛い言葉だ。見事に俺に突き刺さる。
そう、俺はまさに地元では有名な子供であった。一部の掲示板では名が上がることもあったが、別に全国ニュースになったりテレビに出るようなことは一度もなかった。
ダンジョンが一種のエンターテイメントとして確立されている現代とは違い、昔の大人達は、まだダンジョン探索を野蛮な遊びだと考えていたからだ。
子供達の命を奪う危険な場所、そんな認識を持たれていたのもあながち間違いではない。
日本という世界トップクラスに安全な国で未成年者の死亡率が跳ね上がってしまったのは、子供達がダンジョンという異世界に夢を見てしまったからである。
ダンジョンに嵌った大人も多かったが、既に現実を見れるようになっていた大人と、現実を見る前にダンジョンに出会ってしまった子供とではのめりこみ方が違ったのだ。
「あ、で、でもな、パーティメンバーにはちゃんと有名になった奴も居るんだぞ」
「メンバーですか? でもそれ、私も知ってる人ですか? 昔の有名人とかあんまり詳しくないですけど……」
「歌手のRIKKAって居るだろ。知ってる……よな?」
メジャーデビュー15周年を迎えた今でも、新曲を出すとオリコンチャートではアイドル達に並んで上位にランクインしてるし、楽曲配信サイトでも結構ランキング上の方に居るから若者も知ってると思って聞いたのだが、ハルの反応は予想とは違っていた。
「は? え? RIKKA様ですか?」
「……様て」
「いやむしろ切原さんは何を知ってるんですかRIKKA様の。インスタのフォロワー数日本三位の超有名人ですよ。歌手としても有名ですけど、それよか若者が憧れるのはファッションセンスですね。RIKKA様の立ち上げたファッションブランドは若者向けから大人向けまでかなり幅広く展開されてますし、オンラインショップは新作発売後即売り切れが当たり前。化粧品ブランドの商品もクチコミサイトは常に上位で、行きつけの店をインスタに乗せちゃうと一瞬で予約埋まっちゃって謝罪文をストーリーに上げるくらいの超有名人ですよ。え、えっと、それが切原さんの、……なんでしたっけ?」
「……俺の現役時代のパーティメンバーだ」
とんでもない剣幕で語られ、一瞬怯みながらも返答する。シートを後ろからガンガン蹴るのやめてくれ危ない。
「RIKKA様クイズ! 出身地はどこでしょう?」
突然叫ばれてびっくりした。えっなんだこれ、何が始まったんだ?
「あー、えっと、町田じゃないのか?」
「ぶぶー! 町田は2歳から18歳まで! では第2問! RIKKA様の本名は!?」
「あぁ、それなら分かるぞ。嘉手納来夏だろ」
「えっそうなんですか」
「知らねえのにクイズ出したの!?」
「かてなかてな……うーん、変わった苗字なのに何も出ないな」
「いや俺のスマホ勝手に弄って検索すんのやめてくれない!?」
「あー、だって私のスマホ、ダンジョンのどっかに放り投げてきちゃいましたし……」
「……ちょろちょろしてたのスマホ探してたからか。言ってくれりゃ一緒に探したのに」
言われてようやく気付いたが、ダンジョンでたまにハルが床にしゃがみ込んで何かを探していたのを覚えている。
てっきり採取素材でも探してるのかと思って気に留めていなかったが、どうやら若者の命並みに大事なスマホを失くしていたらしい。
俺がハルを見つけた時には既に布かも分からん学校指定ジャージくらいしか着てなかったし、手荷物があっても全部捨てて逃げた後のはずだ。ちょっと気が回らなかったな。
「つーか顔認証あったはずだが」
「さっきミラー越しに認証しました。気付きませんでした?」
「……仕事で使ってるスマホだからあんま弄るのはやめてくれ」
別に見られて困るものが入ってるわけでもないし、この際色々見られるのは諦めておこう。
「にしても色気ないトーク欄ですね」
「そこまで見んの!?」
「あっ、あったあった。ライカってこの人ですか」
「頼むから変なメッセージ送ったりするなよ……」
「しませんよ流石に。これでも弁えてるんで。んと背景の写真、これ結婚式ですね。ってことはさっきのカテナって新姓なんですね、調べても出ないわけだ。えーと、旧姓は中曽根中曽根……出ました。私立成岡高校ダンジョン部……なんですかこれ?」
「あ、あぁそうだ。つーか出るもんだな17年前の部活でも」
懐かしい名前だ。たった4人のあの部活は、まさに俺の青春であった。
「部活動記録のブログがヒットしました。エミって人が書いてて女っぽい文体ですけど、この人も関係者ですか?」
「あぁ、パーティメンバーだ」
「……ひょっとしてハーレムパーティですか?」
「RIKKA以外は全員男だぞ……」
ハルに「そですか」とつまらなそうに返された。ブログを書いていたメンバーとは高校卒業から一気に疎遠になり、同窓会にも顔を出さないので、今は生きてるのかも分からない。
「んー、でも本名で検索しても出るのはそのくらいですね。やっぱ20年くらい前はインターネットがなかったか」
「あったわ馬鹿にしてんのか!?」
「冗談です。でも、スマホない時代とか、本当に想像出来ないですね。何してたんですか? 砂遊びとか?」
「いや流石に砂遊びはしてない……」
ハルこいつ、素だと結構キツい性格してんな。これでもダンジョン内では殊勝な方だったのかと驚きつつ、まぁそのくらいリラックス出来ているなら良いか。
女子高生が見知らぬ男の車に半裸で乗せられてるなんて、冷静に考えればかなりまずい状況だ。スマホ取られてるし、こっそり緊急発信とかされてたら俺は社会的に死ぬ。。
「っていうかRIKKA様、結婚してたんですね」
「ん? あぁ、そのへん公言してないのか?」
「そですね。あんな綺麗な人だから未婚ではないと思ってましたけど……もう35ですし、お子さんとか居るんですかね?」
「そのへんは俺から言えることじゃないので黙秘する」
「そですか。まぁ私は、有名人とお近づきになりたいタイプではないので……」
「そうなのか? 別に話せば会えると思うが」
「そうなんですか!? じゃあ会います!! 会わせてください!!」
「移り気はえーよ! ただ、あれだ。ダンジョンの話はするなよ。色々あってその話はずっと出来てないから」
「え、そうなると私が切原さんと仲良くなった理由がパパ活になっちゃうけど大丈夫ですか?」
「よーしやめよう。会わせるとまずそうだからこの話はナシだ。忘れてくれ」
「えぇー。私悪くないのに……」
言われてみるとそうだが、確かにダンジョンで助けたということを話せない時点で俺とハルの関係性が不純なもの以外なくなってしまう。
30代男性が仕事でも親戚でもない女子高生と話す機会なんて、金の関係以外にないのだ。いや偏見か? あるか? 分からん。
「RIKKA様は切原さんがダンジョン関係の仕事をしてることは知ってるんですか?」
「あぁ、普通に役所で会った時に話したぞ」
「……なら普通に仕事で会った女子高生ですで良いんじゃないんですか?」
「そうなると、俺がまたダンジョンに入ったことになるだろ」
「別に良くないですか? 登録証は残ってたんですし」
「あー、それが、まぁ、あんま良くない。この話するつもりはなかったが……ライカは家族をダンジョンで亡くしてんだ」
「え……」
ルームミラー越しに見るハルが、これまでに見たことないほど驚いていた。いや命が助かった時ほど驚いてんじゃねえよ。
「そういう理由もあって、ダンジョンにまた入ったってライカに知られたくないんだ」
「……理解しました。じゃあ諦めます」
実際、ダンジョン課で働いていることをライカに説明した時には、「キルオ君はまだダンジョンを諦めてなかったんだね」なんて笑われたが、実際のところ俺がダンジョン課配属になったのは偶然だ。
いやもしかしたら深見さんが名差ししたからかもしれないが、市役所に就職が決まって、配属されたのがダンジョン課だっただけである。
あの頃の同期職員は、みんな病んでやめてしまった。何年もダンジョン課で働いていれば、自分の担当した子がダンジョンで命を落としたなんて報告を聞くことだって数えきれないほどある。
ハルみたいに救助が間に合うケースは幸運な方だ。それこそ20年前のダンジョン課はもっと精神的疲労が激しかったことだろう。
全く、『帰還』様様だ。命懸けの戦場が、少し危ないアトラクションに化けたのだから。