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 鎌倉事変。それは8年前に日本の古都――鎌倉を襲った災害だ。


 それまでダンジョンが確認されていなかった鎌倉の地に、突如として町を飲み込む巨大な大穴が現れた。

 それは世界中で観測される中で最も巨大なダンジョンへの入り口であり、およそ5キロメートルの範囲が町ごと穴に飲み込まれるという大事件だ。


 周辺住民や修学旅行中の中高生、旅行者などを多数飲み込んだ鎌倉ダンジョンの行方不明者は、当時3万人を超えたと言われている。

 すぐさま救助チームが組まれ、世界中の一流探索者の手によって住民の救出作戦が行われたが、多くの探索者や住民が命を落とし、3000人以上の行方不明者が未だ見つかっていない。


 しかし、ダンジョン内で人体を丸ごと消化出来るようなモンスターは確認されず、ダンジョンを通して異世界に連れ去られたのではないか、という説が唱えられたのを覚えている。


「切原さんは、2年前にここで見つかった男の子を覚えてますか?」

「……あぁ、榎田(えのきだ)耀司(ようじ)君だろう。鎌倉事変で行方不明になっていた子が成長した姿で見つかったとかいう」


 ハルは「はい」と小さく頷いた。


 2年前、ここ八王子ダンジョンで6歳の子供が保護された。

 彼は日本語を話すことが出来なかったが、DNA鑑定の結果、鎌倉事変の際に行方不明になっていた男児と同一人物であることが判明した。

 1歳にも満たない年齢でダンジョンに飲み込まれた子が突然帰ってきたというニュースは、当時のワイドショーを大変賑わしていたことを覚えている。


 少年はこの世界には存在しない独自の言語を習得しており、異なる文化圏の知識があったことから、なんと彼は5年もの間、異世界で生活していたことが明らかになったのだ。


「八王子であの子が見つかるまでは、私もお母さんも、姉のことはもう諦めていました。でも、見つかってしまったなら、姉があちらの世界で生きている可能性があるのなら、何があろうと探す。そう決めたんです」


 決意を込めてそう言ったハルに、大人としてどう声を掛ければ良いのだろう。――だがまぁ、役所の人間らしく、お役所対応で嫌なことでも言っておくか。


「八王子ダンジョンは管轄に近いから、君よりも詳しいとは思う。だがここ8年、いや30年間で発見されているのは榎田少年一人だけだ。更に、ここ30年間で5回完全攻略されている八王子ダンジョンから異世界に行った者は一人も確認されていない」

「…………はい」

「だが、諦められない気持ちは分かる。……つまらない昔話になるが、俺をダンジョンに誘った人――まぁ顧問の先生が、俺を庇ってダンジョンで死んだんだ」

「…………」

「俺はもう、そこで折れてしまった。でも君は逃げなかったんだな」


 それがどれほどか細い糸だとしても、引いたら千切れるほどの弱い糸だとしても、その先を確認出来るまでハルは歩みを止めないのだろう。


「だからこそ、本気で探したいならパーティメンバーを集めるべきだ。鎌倉事変の行方不明者家族コミュニティはポータルサイトにもある。そこで同行者を募れば――」


 そう提案してハルの方を見ると、彼女は明らかに狼狽し、小さく震えながら俯いた。


「ど、どうした!?」

「……すみません。2年前、そこで開催されたオフ会に行ったことがあるんです」

「い、言いづらいなら、言わなくて良いぞ」


 ハルは小さく首を横に振ると、ポツポツと話し出した。


 榎田少年が発見されたばかりの頃、もうほとんどニュースになることもなかった鎌倉事変の行方不明者をもう一度探そうというブームがインターネット上で巻き起こった。

 そのほとんどが善意の無関係者であり、インターネット上で騒ぐだけで行動に移すものは少なかったが、稀に「代わりに探してやるから活動資金を寄越せ」のような、被害者家族を標的にした詐欺も見られるようになったのだ。


 ハルの母が引っ掛かったのも、その手の詐欺グループが主催したオフ会だったらしい。

 しかし他の被害者と違って、彼女の家は母子家庭で、謝礼として支払うお金がなかった。そこで詐欺グループが目を付けたのは、中学2年生になったハルだった。


「母とそこの人が懇意にしていたのは知っていました。何度か私も食事をして、気を許してしまったんだと思います。……連れていかれたカラオケで、襲われそうに、なりました」


 ――肩を抱いて、震える声でそう告白する。


 この言い方なら、無事だったと考えるのが普通だろう。だが警察官の両親を持つ俺は、性犯罪被害者は被害を過少に報告する傾向にあることを知っている。

 明らかに暴行を受けた痕跡があるのに、後ろから胸を触られただけなどと過少に申告する被害者の心を開く難しさを、母は昔から語っていた。


「その時は店員さんに助けて貰いましたが、その店員さんには、お礼として何度か会ってるうちに告白されました。その時の私、まだ13歳ですよ? ……あちらは38歳です」


 その店員とほとんど同じ年齢の俺は言葉を失ったが、そうはならないと心に誓う。


「……それで、男とパーティを組むのが怖くなったか」


 ハルは小さく頷いた。気持ちが分かると言えるわけではないが、そうなるのも必然だ。


「女だけのパーティがないわけでもないが、難しいよな」


 ステータス補正があるとはいえ、ダンジョンにおいて、ベースとなる身体能力は生身のものに依存する。細腕で大の大人を持ち上げられるほどの常人離れした筋力を発揮する女性探索者も稀に居るが、だいぶ特殊な例だ。

 それに、力だけではない。パーティの役割分担において最も重要視される壁役――タンクのポジションに就く者は、全身鎧に身を包み、視界を遮るフルフェイスメットを被り、巨大な盾を持って仲間を守るというポジションだ。

 タンクの地味なスタイルを極めたがる女性は少なく、女性だけのパーティが成立しづらい要因の一つとなっている。

 逆に、男だけで組む時は簡単である。大抵、一番身体の大きい者がタンクになるだけなのだ。しかし女だけで組む時は、そう簡単な話ではない。


「耐久の計算式が加算じゃなくて乗算関係な以上、耐久ステータスだけ振った薄着のタンクは成立しない。どうしてもゴテゴテで動きづらい全身鎧を着こむ必要が出てくるから、昔からやりたがる女性は少ないんだよな」

「……そういうのもあるんですね」

「あぁ、モンスターが『物理耐性』なんて獲得する前からそうだったよ。オシャレに気を遣って低防御の装備ばっか着けてる女性探索者はかなり多かった。そのせいで死ぬとしても、ダサい防具なんて絶対着たくないっていう奴らだ」


 そう伝えると、ハルは小さく笑ってくれた。話が逸れたが、少し緊張は解れただろうか。


「……なぁ、ハルは男と一緒に行動したくなくて、女にも信頼出来るほどの相手が居ないからソロで探索者になることを決めたんだろう?」

「えぇ、簡単に言うと、まぁそんなところです」

「なら、さっきから俺に対するその態度は何なんだ?」


 ハルは、やけにスキンシップが激しい――ような気がする。イマドキの若い子と仕事以外で話すことなんてないからよく分からないが、少なくとも彼女の言動は、過去の経験から男性恐怖症になった女性とはとても思えないものだ。

 これで彼女の誘いに乗って手を出してしまったら、未成年淫行で捕まった奴がニュースでよく言う「襲って欲しそうな格好してた」とか「彼女の方から誘ってきた」なんてテンプレ台詞を吐くことになるのが目に見えてるので、鋼の精神で堪えるが。


「あっ、えっと、あれ?」


 指摘されようやく自分の行動を思い出したか、ハルは突然俺の腕を解放し首を傾げる。


「…………なんででしょう?」

「……普段から男にそういう態度を取っていたなら、流石にやめた方が良いと思う」


 ハルはぶんぶんと首を横に振って否定する。少し頬が紅潮しているようだ。恥ずかしいんなら最初からしなければよかったのに。


「なんか、切原さんにはしても良いと思ったんですよね」

「吊り橋効果だろう。つまり錯覚だ。今すぐ忘れた方が良い」


 命を助けられたことで、彼女の心の壁が取り払われてしまったのかもしれない。

 天井を眺め「そうかなぁ……」と小さく呟くハルに、溜息交じりに説教を続けた。


「助けて貰ったからと身体を許していたら、助けて貰うために身体を許すことになりかない」

「……目的と結果を混同するなってことですよね」


 思ったより理性的な回答を返されたことで、少し驚きながらも頷いて返した。


「あぁ。身体を使えば命だって助けて貰える。ならば命よりもっと安いものならもっと簡単に手に入ると考えてしまってもおかしくはない。昔からよく居たんだ、そういう女は」


 潜在的な性被害者は、そういう思考に陥ることがあるらしい。はじめは自分の価値を高く見積もっていたはずなのに、いつしか消耗品として使うことに慣れてしまうのだ。

 そうならないためには、自らの身体は何かの天秤に掛けられるものではないと理解しておかなければならない。身体と釣り合うものなどないのだ。


「それって、切原さんの実体験ですか?」

「……いや、少なくとも俺のパーティは違ったな。女は居たが、そういう奴ではなかった」


 紅一点である彼女への恋心が全くなかったといえば、嘘になる。

 だが、それは俺だけではなかったはずだ。誰も告白なんて出来ないままパーティが解散されてから、10代のうちにあっさりと他の男と結婚してしまった。以後も今に至るまで多少は交流が続いているが、昔ほど頻繁に会っているわけではない。


「だからハル、俺に命を救われたことは、もう気にしないで良い。俺が気にしないから、君も気にするな」

「嫌です」


 折角大人らしく説教をしていたのにすっぱりと断ち切ったハルは、再び俺の腕にしがみついた。更に胸に強く押し付けるようにし、腕どころか脇のあたりまで胸に覆われ、世界が温かくて柔らかいものによって戦争はなくなった――――錯覚だ馬鹿。戻ってこい俺。


「……分かった。分かったから離れろ」

「嫌って言ったら?」

「置いてく」

「分かりましたやめますごめんなさい」

「分かれば良い」


 使いたくなかった必殺技をぶちかますと、ハルはあっさりと引き下がった。

 うん、いや本当に置いてくつもりはないし彼女もまさか置いてかれるとは思っていないだろうが、適切な距離というものがある。

 俺は35歳で、彼女は15歳だ。俺がダンジョンに潜っていた頃、彼女は生まれてすらいない。それほどまでの歳の差だ。もう、親子ほどに離れてしまっている。


「そういえば、君の母親はいくつなんだ?」

「34です。……狙わないで下さいね。最近良い感じの男性が居るらしいんで」

「狙わん。いや、母子家庭と言ったが、離婚して長いのか?」

「あー、そうですね。離婚したのは8年前です。父が今何してるかは知りません。生きてるのか死んでるのかも教えてもらっていないので」


 ふと気になったので聞いてみたが、8年前となると7歳の頃か。母が今34で父も同じくらいの年齢だとしたら、離婚した時の父親は26歳程度で若い。もしかしたら俺に亡き父親の面影でも重ねているのではと思ったが、そうではなさそうだ。


「なんか私ばっか質問されてる気がするので、私からも質問良いですか?」

「あぁ。……だがちょっと待て。進行方向にどうしても避けられないモンスターが居る」

「どうするんですか? 倒して進みます?」

「……最初に言ったかもしれないが、俺がモンスターの『物理耐性』を無効化出来る条件は厳しい。リキャストはもうじき終わるが、ハルを庇いながら条件を満たすのは無理だ」

「条件? 何ですか?」

「クリティカルヒット200回連続だ」

「にせ……え? あれ、私のところに来るまでに、それだけ貯めたってことですか?」

「正確には370溜まってたがな」

「…………私、配信とかでたまに近接戦闘してる人見ましたけど、クリティカルヒットなんて100回に1回出れば良い方ですよね」

「まぁ、普通はそうだな」


 彼女の見てた近接戦闘とは、恐らく近接魔法使いビルド、殴り魔法師と呼ばれるものだろう。魔法職のクリティカルヒットは稀だ。魔法には急所判定も幸運補正もないからである。


「それを200回連続って、可能なんですか?」

「……それを可能にしてるビルドなんだ。まぁ、『物理耐性』が前提になった以上、もう無用の長物なんだがな。この条件満たすのが厳しすぎるから、さっきみたいに戦うことは出来ない」

「モンスターに会うたび2時間のリキャスト待つわけにもいかないですしね」

「……そうだな。だが俺には大人として、君を家に送り届ける義務がある」

「置いてかれないならいつになっても良いんですけど、ここまではどうしてたんですか?」


 ハルは心配になったのか再び腕にしがみついてきたが、今度は振り払ったり言葉で攻撃したりしないでおこう。後で立場が悪くなっても嫌だからな。


「最初にハルを探してた時は、モンスターを避けて迂回路を通る余裕もなかったから、蹴っ飛ばしてぶん殴って無理矢理道作って進んできた」

「の、脳筋! でも、こんだけ道狭いと隙間通ったりは出来ないんですよね」

「あぁ、蛇系モンスターの巣ってコンセプトで、無駄に狭くて入り組んでるんだ」


 ダンジョンの壁に触れる。指先で引っ掻くだけでポロリと崩れるほどに柔らかい土だ。

 八王子ダンジョン1階層のボスモンスターは、直径2メートルを超す大蛇。きっと、1階層の通路は大蛇が通った後という設定なのだろう。


「私が居ると強引に進むことが出来ないんですか?」

「……守り切れる自信がない」

「切原さんを信じますよ」

「俺が自分を信じてないんだ。仮に君が捕まったとしたら、今度はさっきみたいに助けることが出来るとも限らない。だから――」

「だから、信じてます」


 ハルは、力強く俺の腕を抱き締めてそう言った。小さく震える身体を、俺の身体に押し付けることで堪えているかのように。


 ――そうだ。彼女はここで命を失いかけた。それも、初めての探索でだ。

 助けられたばかりだった時はハイになって忘れていたかもしれないが、再び対峙すると知って恐怖を思い出してしまったのかもしれない。

 駄目だな。大人は子供を救い導く存在であるはずなのに、怖がらせてしまった。


「なら、やってみる。……悪いが、少し離れて歩いてくれ。そうだな、俺の足が当たらないくらいまで」


 そう伝えると、ハルは頷き俺の腕を離し、1メートルほど離れた。まぁ、そのくらいなら大丈夫か。後ろに当たらないように気を付ける程度で充分な距離だ。


「タイミングをこっちで決めたい。ちょっと急ぐぞ。距離保ってついてきてくれ」

「はい!」


 良い返事だ。一人なら出来た。なら、後ろに守るべき人間が居ても出来るはずだ。

 20年前、神奈川在住の高校生でもっとも速くレベル50を突破した、切原郁夫(いくお)ならば――

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