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 肌着一枚の30代男性と、下着すらなく男物のワイシャツを着ている女子高生という、ダンジョンの外だと100%通報される組み合わせになった二人は、来た道を戻りながら気まずい空気を払拭するためぽつぽつと話し出した。


「切原さんは、探索者なんですか?」

「……昔の話だ」

「それにしてはすっごい動きにキレがあった気がしたんですが、スキルですか?」


 ダンジョンで手に入るスキルには、日本のRPGのような『剣術』とか『格闘術』のようなスキルはない。

 肉体機能の補助であったり、魔法のような特殊能力が使えるようにはなるが、知らない格闘技が使えるようになるといった便利機能は存在しないのだ。

 つまるところ先程の切原の動きに関しては、切原がダンジョンの外、生身の肉体に身に着けた、鍛錬の賜物である。


「あれはスキルじゃない。あー、シラットとか言っても若い子には通じないよな」

「シラ……ムエタイみたいな?」

「……まぁ似たようなものだ」


 切原の祖父が総合格闘技の選手だったこともあり、切原が通っている道場ではいくつもの既存格闘技をミックスした総合格闘技の選手を育成している。切原も、ダンジョン探索がなければきっと格闘家になっていたことだろう。

 最も重要な青春の時間をダンジョンに費やした切原が総合格闘技の選手として大成することはなく、もっぱらダンジョン内で戦うための術として独自に改良され使われていた。

 ダンジョンに潜らなくなってからも道場には通っており、30を過ぎ身体が昔ほど動かなくなっても、週3は道場に通い、若者を相手に軽めのスパーリングを行っているので、久し振りのダンジョン探索でも昔のように動けたのだ。


「耐性があって物理攻撃は通じないって聞いてたんですが、違うんですか?」

「合ってるぞ。耐性を無効化する手段があるだけだ。ただ、もう一度は難しい」

「そうなんですか?」

「あぁ。効果時間は3秒なのにリキャストが7000秒あって、まぁざっと2時間だ。こっからは出来る限り戦闘を避けて進まないといけないから気を付けてくれ」

「は、はい! あの、私は『隠密』使っておいた方が良いですか……?」

「……使っても良いが、ほとんど効果はないぞ。俺と離れれば別だが、『隠密』のレベル1だと周囲に他の探索者が居ると機能しない。それにさっき襲われて分かったと思うが、ラミアにはスキルを無効化する個体が居るんだ」

「あー……それで……」


 襲われないはずの自分が襲われた理由が分かっていなかったのか、彼女は小さく頷いた。


「一応聞いておくけど、ここには一人で来たんだよな?」

「え? あ、はい」

「……そうか。まぁ、その方が良いんだが」

「どういうことですか?」

「あと3人どこかに居ますとか言われたら、流石に助けられるとは思えないからな」

「あー、なるほど……」


 さっきだって、ほとんどギリギリだった。1階層に出現する程度のラミアの攻撃力は低く、溶解液で人間を溶かすのは容易ではない。だが、丸呑みされてしまえば数分で窒息死しただろう。

 あと5分見つけるのが遅ければ、間に合わなかった可能性が高い。

 RPGによくあるポーションのような回復アイテムは一応存在しているが希少で、ダンジョン内で傷を癒す手段に乏しい。特に呼吸が止まっているような状況から持ち直せるアイテムを買おうとすれば、数百万円では足りないだろう。


「ダンジョンに入ること、両親には伝えてるのか?」

「あ、はい。うち母子家庭なので父は居ないんですが、昨日母には伝えてます」

「……そうか。未成年が救助要請を出した以上、あとで保護者からサインを貰う書類がある。お役所対応で悪いが、まぁ、お母さんに怒られるのは覚悟しておいてくれ」

「そ、その、お金とか払うんでしょうか?」

「救助に入ったのが組合員なら、救助要請のランクに応じて報酬を払う必要がある。――が、俺はただの市役所職員で探索者組合に所属してないから必要ない」

「で、でも、命を助けて貰いましたし、その、服も汚しちゃって……」


 切原が渡したワイシャツは綿100%。濡れた身体にぴっとりと張り付き煽情的な姿に見えるが、ギリギリ溶けてはいない。……透けてはいるが。


 それにしても、今時の高校1年生はこんなに発育が良いものなのだろうかと、切原は自分の記憶を辿って考える。彼女ほど胸部に主張の激しい同級生など居なかったはずだ。

 ……と、ジロジロ見るのも失礼だと視線を逸らし、自分の半分も年の行ってない子に向ける目じゃなかったなと反省し、額をゴツンと強めに殴った。


「シャツはいくらでもあるから気にするな。返さなくても良い。というか、ダンジョン汚れを受け付けるクリーニング店なんて少ないんだ。帰ったら適当に捨ててくれ」

「で、でも、あの!」

「……なんだ?」


 出来る限り肢体を視界に入れないように気を付けながら、出来る限り無表情を装って返事をすると、あろうことか彼女は俺の腕にしがみついて来たのだ。


「お礼、します!」

「身体でとか言うなよ。俺は逮捕されたくない」


 18歳未満との不健全な行為はたとえ合意があろうと犯罪である。東京都青少年の健全な育成に関する条例を舐めるなよ。

 地方公務員とかいうただでさえ叩かれやすい仕事してんだから、そこには人一倍気を遣わないといけないんだ。


「…………」

「……おいなんだ、まさか本当に身体でとか言うつもりだったのか」

「……ちょっとは。まぁ断ってくれると思ってましたが、その、思ったより効果がなさそうなので自傷ダメージを受けてるところです」

「…………」


 想像以上に馬鹿なことを言われたことにようやく気付き、溜息で返す。

 とはいえ、冗談を言えるくらいには落ち着いて来たのだろう。トラウマにはなっているほどではなさそうだし、これなら家に送り届けるだけで終わりそうだなと安息していると、俺の腕が更に力強く抱き締められる。

 ――胸の谷間に腕がすっぽり収まり無限に広がる宇宙を感じ――るか馬鹿。何考えてんだ逮捕だぞ逮捕。


「色仕掛けはやめろ。つーか、まだ若いんだから身体を大事にしろ」


 彼女の身体に溶解液が付いていたからか、若干ぬめりとした腕を引っこ抜いて嘆息交じりにそう言うと、唇を尖らせ「むぅ」と唸られる。そういうの、オジサンにはやるな。


「ところで杼木――」

「遥って呼んでください。ハルでも良いです。ほら」


 彼女が見せたのは、特殊な素材で作られており衣服が溶解液によって溶かされても原型を留めていた、探索者登録証のIDカードだ。

 そこには『ハル』と書かれている。個人情報保護の観点もあり、登録証に本名は記載されないのだ。本名を知ることが出来るのは、役所に勤める公務員だけである。


 昔から、たとえ本名を知った間柄であろうが探索中は登録名で呼び合うことが推奨されてきた。

 登録名はポータルサイトなどで常用される名前なので、ストーカーから逃げている場合や別居家族と縁を切っている場合など、どうしても自分の本名を知らされたくない者も少なくはなかったからだ。

 そういう文化が生まれたことをまさにダンジョン黎明期に学んでいたので、諦めて彼女を登録名で呼ぶことにする。


「……ハル」

「はい。何ですか?」

「ハルはどうして一人でダンジョンに入ろうなんて思ったんだ? 普通パーティ組むだろ」


 友達の居ない陰気なオタクタイプの男子が一人で探索者登録をすること自体は以前から割とあったが、女子でそれは珍しい。女というのは、集団に帰属意識を持つことが多いからだ。


「えーと、一人の方が気楽だったから……とかで良いですか?」

「今の世代にとってダンジョンなんて、パーティ組んで友達と楽しむものだろ。配信機材を持ち込んでたようにも見えないし、パーティゲームをソロプレイするようなものだ」

「あー、やっぱそういう認識なんですねお役所の人。同級生でもちょいちょいソロで探索してる人居ますよ? ただまぁ、どうしてあえて効率悪いことしてるのかって聞かれたら、ですね」


 ダンジョン探索で成り上がりたい――のような志がある子は、もう少しギラギラした感じがあるものだ。だがハルに関して言えば、あまりそのような様子は感じられない。

 勿論、命からがら救われたことで多少心持が変化している可能性はあるが。


「命を預けられるほど信用できる人が周りに居ませんでした。あ、友達が居ないわけじゃないですよ。()()()()()、です。遊んだりご飯食べたりをする友達は居ます。でも、いざって時に命を預けられるほど友達を信頼してるわけじゃないんです。切原さんは違ったんですか?」

「……まぁ、俺の時代は『帰還』が無かったからな。低階層はともかく、中階層からは常に命懸けだ。昨日会った奴が死んでるとか、取引が決まった先から死んでるなんてのはザラにあった。だが別に、今は『帰還』スキルがあるだろ」

「んー、いや、それはそうなんですけど、『帰還』ってまぁまぁ高いじゃないですか」

「……確か、120万くらいだったか。命よりは安いな」

「そういう認識なんですね。でもスキルスロットが埋まるデメリットもありますし」

「杼――ハルはスキル一つしか入れてないだろ。4つも余ってるぞ」

「もう! あぁ言えばこう言うー! んと、私は『送還』を買えるようになったらそれを買うつもりでした。なので同種の『帰還』を入れる枠はないんです。それに、100万以上するスキルを皆揃えてパーティ組めるなんて稀ですよ。ただの高校生には高すぎます」

「……まぁ、そうだな。だが、パーティ組む相手居ないなら『送還』は無駄だろ」


 『送還』の特徴は、一定範囲内に居る他の人間をまとめて帰還地点に送るところだ。自分一人だけが逃げられる『帰還』とは異なり、パーティ全員で行動する時に使われる。


「見つけた時、一緒に帰らないといけない人が居るんです」

「見つける? 誰をだ?」

()()


 小さく呟いたハルの表情を見て、俺は驚いた。ラミアから助けた時も、その後の言動も含め、彼女は比較的軽薄な人物だと認識していたからだ。


 だが、姉と呟いた時のハルの表情は、親の仇を目の前にした被害者家族のようで――


「探し人がダンジョンに居る()()()()()()なら、それこそソロで探すんじゃなくて組合に依頼すべきだ。自分で攻略して探すのは、正直現実的とは言えない」


 彼女の求めている言葉ではないと分かっていても、大人として言うべきことを言う。それが嫌な大人の役割というものだ。


「もう依頼したんです。――()()()に。断られました」

「8年……あぁ、そうか」


 8年前。それは探索者やダンジョンに関係する仕事に就いている者だけでなく、日本国民全員にとって大きな意味を持つ数字だ。


「……ハルのお姉さんは、鎌倉事変の被害者か」


 ハルは、何かを押し殺したような表情で小さく頷いた。やらかしたなと、切原は額に手を当て小さく溜息を吐いた。

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