異世界異物
光と共に目が覚めた。
何度か瞬きをして、はっきりしない意識のまま記憶を探る。無意識に額へ当てた手が妙に軽い。行った経験はないが、まるで宇宙空間にいるかのように。
ここはどこだ? 俺はどうしてここにいる? 名前は――とりあえず覚えている。
こういう時は簡単な計算をしてみるのがいいらしいが、と何かで読んだ知識に従おうとしたタイミングで、頭上から声が降ってきた。
「目覚めたようですね」
「な……!?」
反射的に見上げた先で、ひとりの女が微笑を浮かべていた。
頭から足先までをすっぽりと覆った白い布。背中に生えた七枚の非対称の翼。右手に握った巨大な杖。奇妙としか言いようのない出で立ちだったが、その微笑みは、あらゆる驚きや不信感さえ一瞬忘れてしまうほどに美しいものだった。
「あなたは――」
「私は女神。あなたをこの空間へと招いた存在です。多くの疑問があるでしょうが、まず、あなたの命は既に失われている事を伝えなければなりません」
ああ、やっぱり。
落胆と共に、納得が胸の中に広がっていく。この頃には少しずつ、ここへ来る前の状況を思い出しつつあった。
今日もまた残業で遅くなった俺は、住んでいるアパートへ帰るのも億劫になって、とりあえず一服しようと自販機でコーヒーを買って、公園のベンチに座って缶を開けようとしたところでフラッと目眩がして、あれっと思うと同時に缶が手から滑り落ちていって――。
俺は頭をぶんぶん振って、それ以上考えるのをやめた。
今は特に痛みも苦しみもないとはいえ、自分が死んだ直前の光景など思い出して気持ちのいいものではない。
「……それで? ここは天国ってやつですか? ……そ、それともまさか地獄」
「いいえ、どちらとも異なります。ここは私の管理する次元の狭間。この世とあの世との中間に位置する場所だと考えてください。単刀直入……とは、あなたの世界の言葉でしたね。単刀直入に告げます。あなたには異世界の魔王を倒す勇者となって頂きたいのです」
「……は? な、なんて言いました? え、魔王?」
「ええ、魔王です。魔王デイミリア。あなたが生まれ育った地球とは異なる世界を、今まさに喰らい尽くさんとしている悪しき存在です。その世界の人類たちも必死に抵抗していますが、敗北は時間の問題でしょう」
「ゲームの設定みたいですね……」
俺自身はゲームに詳しくないものの、魔王が人間を滅ぼそうとしていますなんて聞いたらゲームくらいしか思い付かない。
「魔王は世界に穿たれた厄災の杭。すべての魔物は魔王から生まれ、そして魔力によって魔王と繋がっています。魔王がいる限り魔物は復活し続けます。逆に言えば、魔王さえ倒せれば魔物も滅びる。世界も人類も救われるのです」
「……ええと、で、俺にそれを倒せと?」
「その通りです」
「いやいやいや無理ですって! 俺、ただのサラリーマンですよ? そんな人類滅ぼすようなバケモンと戦えるわけないでしょう!」
「もちろん、そのままでとは言いません。我が権能を以て、魔王を倒す為に必要な力を与えます」
呆然としている俺に向かって、女神が杖を高くかざした。
ぽ、ぽ、ぽ、と杖の先端に複数の色を放つ球体が現れ、順に俺の体に吸い込まれていく。
「まずは完全耐性のスキルです。炎、水、風、土の元素に対して無効に等しい耐性を持ちます。燃やされても凍らされても傷ひとつ付きません。加えて毒耐性と魔力耐性も付与されます。致死性の猛毒であろうとあなたには効かず、即死しかねない高濃度の魔力に当てられてもそよ風程度にしか感じないでしょう」
「は、はあ……」
「次は絶対防御のスキルです。これを持つ限り、最強の剣士の一撃であろうと山と見紛う巨獣の牙であろうと、あなたは身じろぎすらせずに無効化できます。先程の完全耐性スキルと併せれば、直接攻撃に関して防げないものはないと言ってもいいでしょう」
「なんか……すごすぎてピンとこないんですけど。無敵じゃないですか」
「無敵という訳ではありません。神といえど、不老不死を与える力は持たないのです」
「いや、俺も不老不死はちょっと遠慮したいんで……。トシを取らない方はまだしも、絶対死なないなんて不吉な予感しかしませんし」
死んだばかりで言うのもおかしな話だが、俺にとって不老不死というのはさほど魅力ある能力ではなかった。20年ちょっとの人生でもそれなりに長かったのに、これが何百年も何千年も続くと考えたら100パーセント嫌気が差すのは想像がつく。そうなった時に死ねないだなんて、それこそ絶望しかない。
その後も硬化だの不動だのといった耳慣れない単語をぼんやり聞き流しているうちに、ふと俺は気付いた。
「あのう、これだけの事ができるなら女神様が魔王ってのを倒しに行ったらいいのでは?」
「それは不可能です。私に限らず、神が自らの能力で世界へ直接干渉するのは禁じられていますから」
なるほど。先程の不老不死といい、神といってもいろいろ制限があるという事か。
「もうひとつ質問いいですか。もしも俺がやりたくないって断った場合はどうなるんでしょう? もしかして生き返らせてもらえたり……」
「いいえ、あなたの死は既に確定しています。とはいえ躊躇うのも無理のない事。どうしても望まないのであれば、あなたの魂をこのまま無へと還す事もできますが――」
「そうですか。じゃあやります」
「……いいのですか?」
「ええ。もともと家族も恋人も親しい友人もいない身ですし、生き返るのかってのも一応聞いてみただけです。正直、異世界だの魔王だのって聞いても全然実感湧かないけど、こんな俺でも人の役に立つのなら……やるだけやってみようかなって」
「ありがとう。やはりあなたを選んで正解でした。良い働きを期待していますよ――」
最後に見たのは、やはり変わらず美しい女神の微笑だった。
声と共に光もまた遠ざかっていく。肉体を失っているはずの体がふわりと浮き上がり、指先から崩れていくのが分かる。不思議と恐怖心はなかった。これもスキルとやらの影響なのか、それとも、もうどうにでもなれと開き直ってしまったからか。
たくさんの不安と、ほんの僅かな期待を抱きながら、俺は自分を待ち受けている新たな世界を想い、目を閉じた。
こうして男は、女神の力によって異世界を脅かす魔王デイミリアの体内に転生した。
魔王は腸閉塞で死んだ。男も窒息して死んだ。




