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2-3




路地裏を抜けると、こじんまりとした店が建ち並ぶ通りに出た。

せわしない大通りと比べると人の流れは随分と穏やかで、ゆっくり散策するのに丁度良さそうだ。

その通りを真っ直ぐ進むと、少し登り坂になっている道の間に古風な雰囲気のパン屋を見つけた。


中に入ると、古ぼけた大きな鈴の音がカララン、と響き、パンの香ばしい空気がふわりと押し寄せる。

入り口前に木製のトレーと銀色のトングがかかっていることから、どうやら客自らが陳列棚からパンを選びレジカウンターに持っていく決まりのようだ。


「ユア、どれにするか決まったら教えて。まとめて会計するから――」


トングを片手に話し掛けながら振り返ると、手前から二番目の陳列棚の前で口元に片手を当てながらパンを見つめるユアの姿があった。


「……」


あまりにも真剣に見つめる様子が可笑しく、クラルの口角がじわじわと上がる。

ユアは昔からこういう場面になると優柔不断を発揮し、延々と悩み続ける癖があるのだ。

クラルはさりげなくユアの隣に並ぶと、まるで内緒の話をするかのように声を潜める。


「どれとどれで悩んでいるの?」


クラルが訊ねると、少し間を置いてユアは人差し指を目の前に並ぶパンに差し向けた。


「この、クルミチーズパンと、石窯バターロールのどちらにするかで迷っています。ああでも、隣のレーズン入りマフィンも捨てがたい……って、エイベルト様!?」


指し示したパンを片っ端からトレーに乗せまくるクラルの行動に、思わずユアは声を上げた。

しかしクラルは構わずカウンターへ持っていき、さっさと精算を済ませてしまった。


「せっかくだから気になるものは全部買って、二人で分けて食べ比べよう」

「こんなに食べられるかしら」


店内用のバケットに入れられたパンの量に圧倒されながら思わず呟いた。一つ一つの大きさもそれなりにあるが、マフィンに関しては一袋に四つも入っている。


「ユアが食べきれなくても、代わりに僕が食べるから。それでも残ったら、明日に取っておけばいいさ」


クラルは事も無げにそう答えると、バケットを持ったまま店内の空いている席へと向かった。




「――この石窯バターロール、当たりだ。外がサクサクしててバターの味も濃厚」


二分割されたバターロールを片手に、クラルは驚きの表情を見せる。

その目の前で、ユアはクルミチーズパンを頬張りながら、こくこくと頷いた。


「こちらのパンもなかなかですよ。チーズの香ばしさとクルミのかりかりが絶妙で、いつまでも食べていられそうです」


作られてそう時間が経っていないのだろう、ほのかな温もりを残したパンはどれも絶品で、あっという間に二人の胃袋に収まった。

最後に残ったマフィンを噛りながら一息吐く。


「良い店を見つけたね」

「今後また外出する時も、ここを利用しましょう」


ユアの言葉にピクリと反応したクラルは少し目を見開き、そして嬉しそうに頬を綻ばせると「ああ……またここに来よう」と呟いた。


「食べ終わったら、次はどこに行きますか?」

「そろそろインクがなくなりかけているから、文具店へ寄りたい。学園の売店でも買えるけれど、種類はそんなに多くないから」

「わかりました」

「そういうユアは、どこか寄りたいところはある?」


クラルの問いかけにユアは少し考え込むと、困ったように笑みを浮かべる。


「私は、外出自体が久しぶりなもので、今のところは特に思い付かないです」


目的もなくただ街の中を歩いてみたいけれど、という思いはすぐさま胸の内に秘めた。そういう気ままな散策は一人の時にするものだ。


「そうか。それじゃあ、行きたいところが出てきたら教えて」

「はい」


気付けば四つもあったマフィンも全て食べ尽くし、空になったバケットだけがテーブルの上に置かれていた。

クラルは伸びをしながら席を立つと空いたバケットを返却棚に戻し、壁のフックにかけていたローブをユアに手渡した。


「そろそろ出ようか。少し遠回りをして、街の中をぐるりと探索しながら行こう」


クラルの言葉にユアは目を丸くした。街を歩きたい、などとは一言も言わなかったのに。


「あれ、違った? ユアそういうの好きそうだと思ったんだけど」

「いえ……その、とても楽しそう、です」


戸惑いながらも素直に喜んでいると、クラルは満足そうに頷いた。






◇◆◇◆◇◆◇◆




パン屋を後にし、一通り街を探索し終えた二人は、その足で大通り沿いの文具店へと向かった。

クラルが言うには、この辺りで一番品揃えが豊富なのだとか。

その言葉通り、店内に入ると、壁という壁、棚という棚に商品がところ狭しと並べられており、人が通る道をこれでもかというほど圧迫していた。


「付箋に封蝋に――ペン用の飾り羽まで置いている」

「僕はインク棚の近くにいるから」

「はい、私もちょっと見て回りますね」


普段は見れない文具の多さにわくわくしながらユアは店内の奥へと進んでいった。

太さ形の違うペン先、季節の花の香りがついた便箋、色とりどりの綴り紐……。


(学園の売店にはないものばかり)


関心しながら陳列棚を巡っていると、二つ棚の向こう側にいる若い女性二人組の黄色い声が耳に入った。


「——ねぇ、さっき店に入ってきた男の人、もしかして墓守の家系じゃない?」

「え、うそ、どこに?」

「ほら、今あそこのインクの前にいる……」

「わぁ、本当だー。しかもあれってよく見るとラース学園の制服じゃん。家が墓守で名門校の生徒って超エリートじゃね?」

(エイベルト様のことだ)


墓守、と聞いて反射的にユアの鼓動が速くなる。

立ち聞くつもりは毛頭ないのに、その場から動けなくなってしまった。


「赤い瞳、毛先の癖毛、高い身長に色白い肌……私達が子供だった頃は、墓守ってなんか不気味で怖い印象があったけど、今となってはなかなかの優良物件だよねー」

「そーそー、家柄は良いし、貴族と違って温厚だし、よく見ると綺麗な顔をしている人が多いよね」

「その上魔力量も普通の人より多いんでしょ? 特殊な仕事だから職に困ることはないし、結婚できたら将来安泰じゃん」

「でもさ、古くさい考えを持っている人の中には、未だに墓守のことをあれこれ言うやつもいるよね。穢れが……とか、不吉……とか」

「そこがまた魅力的じゃない? どこか影がある男の人って、格好良くて惹かれるのよねー」


心臓がギュッと音を立てて収縮した。

幼馴染みの、普段からは見えないところの生々しい評価を聞いた気がして動悸が止まらなくなる。


「……ねぇ、ちょっと声掛けてみる? 遊び慣れしてなさそうだし、私達二人に言い寄られたら案外コロリと落ちてくれるかも」

「でもあの人、見るからに奥手そうだし、いきなり誘っても断られるだけじゃない?」

「あのくらいの年頃ならこういうことに興味ないわけないでしょ。むしろああ見えて、結構あっちの知識も豊富かもよ?」

「きゃはは、誠実そうな人ほど裏で欲求抱えてそうだもんねー」


二人のあまりにも下品で無遠慮な言葉に、額に浮かんだ汗が頬を伝い、背筋に言いようのない悪寒が走った。

店内にいる他の客も、彼女達の方を見て顔を顰める。


(こ……これ以上は聞いては駄目なやつだ)


口内に溜まった唾を飲み干し、その場から離れることを決意したその時、


「ユア」

「ひゃいっ!?」


背後から耳元で呟くように声をかけられ、ユアの肩がびくんと跳ねる。振り向くと、手に小さな紙袋を持ったクラルが訝しげに眉を潜めて立っていた。


「随分と熱心に見ているようだけれど、そんなにそれが気になる?」

「え、えーと……」


ゆっくり首だけを動かして、今まで立っていた陳列棚の方を見ると、


(眼鏡拭き!?)


どうやらそこは眼鏡用品専用の棚だったらしく、眼鏡拭き以外にも持ち運びケースや洗浄液が並べられていた。


「君、眼鏡掛けていないでしょ」

「あはは……その、この端っこに刺繍されている変な生き物が目に入っちゃって……」


なんとか笑って誤魔化しながら、咄嗟に視界に入った、棚の三段目にある折り畳まれた眼鏡拭きの一つを指差した。

クラルはそれをじっと見つめると、なんとも言えない複雑な表情を浮かべる。


「……ふむ、確かに変だ。猫でもなければ犬でもない……何故背中にツノが生えているのだろう」

(つい口走ってしまったけど、見れば見るほど本当に変わった刺繍だ……)


幼児の落書きにも見える風変わりな刺繍は、丸い胴体に多角形の顔を持ち、棒のような足が四本足された上に背中から二本のツノのようなものが生えている生物が縫われていた。逆三角の口がシュールさに拍車をかける。

こんなものを熱心に見ていたのか、と呆れたような視線を向けるクラルに、ユアは必死で話題を切り替える。


「と、ところで、エイベルト様はもうお買い物は済みましたか?」

「うん、目当ての物も買えたよ。このイルマニア商会のインクは書き心地が良いんだ。学園の売店には置いていないけれど」

「イルマニア……聞いたことがあるような」


聞き覚えのあるブランド名に首を傾げていると、事も無げにクラルが答える。


「魔導具業界では有名だからね。このインクも他社とは製法が違うらしい。魔術の授業で術式を書き込む時、紙にあまり滲まないからミスが減るんだ」


充填式用のカートリッジだからかさばらないし、と熱弁するクラルに、ユアはクスリと笑う。


「エイベルト様、詳しいですね」

「ああ、言ってなかったっけ。僕の部屋の隣にそこの家出身の人がいて、色々と教えてくれるんだよ」


スラックスの後ろポケットに紙袋を押し込みながら言葉を紡ぐクラルにユアは目を見開いた。

ユアが知る限り、クラルは他の人とあまり関わりたくなさそうにする節があるから、自分以外にも話せる仲間がいることに驚いたのだ。

クラルの思わぬ人間関係情報に頬が緩む。


「ふふ、仲が良いのですね」

「良いやつだよ、話していて妙に馬が合うんだ。それよりも、まだ店内見てまわる?」


クラルに言われてハッとした。話し込んで忘れかけていたけれど、ここは文具店内。

先ほどまで黄色い声を上げていた二人組の女の人も窺うようにこちらを見ている。


「いえ、もう充分です」

「それじゃあ、次行こう」


そう言ってクラルはユアに手を差し伸べた。


「あ、あの、その手はなんでしょうか?」

「なにって、エスコートだけど」


さも当然といったような顔をした幼馴染みのとても自然な振る舞いに困惑する。

二人の間でエスコートが習慣化されていたのなら話は別だが、そんな習慣はもちろんない。それなのに何故、突然彼はこのような行動に出たのだろか。

固まるユアにクラルは更なる追い討ちをかける。


「手が嫌なら腕にしておく?」

「い、いえ、嫌というわけでは……あっ」


咄嗟に口をついて出た言葉をクラルは無理矢理承諾と捉えると、ユアの手を取り強引に出入口へと向かった。

横から女性の「ちぇー、彼女持ちかー」という声が聞こえると、クラルの握る手の力が僅かに強くなる。

そこで、はたと気が付いた。


(エイベルト様、もしかして、あの方達の話を……)


聞いていたとしたら、聞こえていたとしたら――。

そっとクラルの横顔を窺うが、その表情からは何も読み取れない。


「ごめんユア、少し協力して」

「は、い」


消え入りそうなクラルの声が耳の奥に響き、ただ大人しく従うことしかできないまま店を後にした。



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