1.優しい魔法【回想】
ここは、エイベルト家が管理する墓地の敷地内。
城の面積ほどある広い霊園の真ん中に、幼いクラルは立ち尽くしていた。
王都の隣に位置するこの町は、城下町ほどではないにしろ地方の町と比べるとそこそこ栄えている。
この広い霊園も、代々受け継がれていく過程の中、町の人口と比例して少しずつ面積を拡大していったのだ。
「――心を鎮め、感覚を研ぎ澄まし、魔力の流れに意識を向ける」
ボソリと呟くクラルの周りに小さな無数の青い炎が漂う。
『送り火』と呼ばれるこの魔法は、墓守に代々受け継がれる闇魔法の一つだ。
攻撃性能こそ皆無だが、祭事や弔いの際はなくてはならない技術であり、また、綺麗な見た目とは裏腹に多くの神経と集中力を要する難易度の高い魔法である。
そして送り火を安定して放てるかどうかが、一人前の墓守としての指標となっている。
「最近やけに魔法の練習を張り切っているじゃないか」
背後から声を掛けられ振り向くと、そこにはクラルと同じ黒髪の癖毛に燃えるような赤い瞳を持つ背の高い男が立っていた――クラルの父親だ。
「約束したんだ」
「約束?」
首を傾げる父にクラルは真剣な眼差しで答える。
「次会った時は、今よりももっと綺麗な送り火を見せるって。そうしたらユア、凄く楽しみにしているって言ったんだ。だから、もっと頑張らないと」
「――そうか、そういうことだったんだな」
クラルの言葉に一瞬目を見開くと、柔和な表情を浮かべ納得したように頷いた。
そしてクラルの隣に立ち、ぼんやりと漂う青い粒子を感慨深そうに見つめた。
「クラル」
「なに、父さん」
「良い出会いをしたんだね」
驚いたようにクラルは顔を上げた。
そんな彼に父は目線を合わせると、そっと肩に手を乗せた。
「見ていてわかる。前まではどこか生き辛そうにしていたお前だったが、今は見違えるほど生き生きとしているよ」
「それは……」
どこか気まずそうにクラルの瞳が揺れた。
けれどその先の言葉が出てこなくて、もどかしげに地面を睨み付ける。
そんなクラルの様子に父は苦笑すると、優しくあやすように背中を撫でた。
「墓守の息子というだけで、今まで嫌な思いをしてきて、沢山のことを我慢させて、いっぱい苦労をかけたね。そんなお前に理解し合える友達ができて、お父さんは嬉しいよ」
そう呟く父の眉は少し下がっていた。
父は知っていた。クラルが陰に隠れてこっそり泣いていることを。
世間からの風当たりが強い墓守は、ただそこにいるだけで、その存在を否定されることがある。
貴族と同等の地位が与えられる聖職業と言えど、人の死に直接関わる墓守はそれだけで嫌悪の対象となるのだ。
幼い子供にとって、それがどんなに辛いことか、似たような経験をしてきた父はよく知っていた。
だからこそ、クラルに腹の底から信頼し合える友達ができたことは父にとって朗報だった。
「その子のことを大切に、ね」
父の言葉にクラルは大きく頷いた。
そして、少し考えると、再び真剣な顔をして父の方を向いた。
「――父さん、僕は墓守の息子に生まれて嫌な思いは沢山してきたけれど、墓守の息子が嫌だと思ったことは一度もないよ」
「クラル」
「それに、学校に通えなくても、父さんや母さんがこうして魔法を教えてくれるし、魔術の本だってゆっくり読める」
親を思う気持ちと、誤解されたくないという思いが複雑に絡み合い、徐々に口調が早まる。
そんなクラルの心境を察してか、途中から父は口を挟むことなく静かに相槌を打つようになった。
「僕は、父さんと母さんの息子で良かったと本当に思っているんだ。周りからなんと言われても大丈夫だから、そんな顔しないで」
父は必死に口を動かすクラルの頭に手をやり、くしゃりと撫で上げた。
癖毛の黒髪が無造作に乱れる。
(クラル、お前は本当に優しい子だ。そして自慢の息子だよ)
幼い我が子に『墓守』という枷を強いしている自覚はあった。
クラルがなにかを我慢し、そして落ち込む度に、普通の子のように自由にさせてあげられたら、と何度思ったことだろう。
けれどクラルは、一度だって墓守の家に生まれたことへの不満を漏らしたことはなかった。
まだ六歳になったばかりだというのに、遊び盛りで年相応の我が儘だって言いたいだろうに、他よりも早熟で賢く、親として不甲斐なくなるほど聞き分けが良い。
それ故に、余計な気苦労を負わせてしまうこともあった。
クラルの頭をしばらく撫で回していると、さすがに気恥ずかしくなってきたのか、父の手を遠慮がちに払うと無理矢理話題を変えた。
「それよりも見て。前までは手の届く範囲までしか送り火を飛ばせなかったけれど、今はもっと遠くまで広げることができるようになったよ」
クラルに言われて視線を周囲の送り火に向けた父は「ああ、本当だね」と呟くと、その中から一際大きな粒子を指差した。
「それならば次は、量よりも質を上げてみようか。火の一つを意図的に大きくしたり小さくしたりしてごらん」
「え、意図的に?」
父からの思わぬ指示に面食らうものの、気を取り直して指定された大きな火を見つめる。
「……!」
意識を向けた瞬間、その他の灯火が全て消え失せた。
一瞬のことに焦りを覚えたクラルだが、辛うじて原形を留めているその青い炎に集中し、魔力を慎重に送り込む。
心なしか火はプルプルと小刻みに震えながら、魔力に合わせて大きくなり……小さくなり……また大きくなったところでパチンと弾け空気中に霧散してしまった。
「……っだぁ! 疲れる……」
「はは、そうだろう。この練習方法はそれなりに負荷がかかるからね。けれど、これを毎日こなせば、今よりももっと繊細な魔力の使い方ができるようになるだろう」
からからと笑う父の横でクラルは脂汗を拭いながら「これを毎日……」と呟いた。
日々の成果が目に見える形で現れたと思ったら、すぐさまそれを大きく上回る課題が立ち塞がる。こんなことで本当に強くなれるのだろうか。
途方に暮れるクラルの様子に、父は視線を合わせるように膝を折ると「クラル、よくお聞き」と切り出した。
「いいかい、クラル。墓守が使う闇魔法は、決して即戦力のある攻防に特化しているわけではない。解除するために学ぶ呪いだって、相手に干渉して徐々に蝕んでいくものがほとんどだ。それ故に、常に陰湿な印象が纏わりついてしまうのだけれど」
父は続ける。
「けれど、使い方次第では人の心を慰めることができる、優しい魔法なんだ。送り火なんかがまさにそうだね。命への敬意と、慈愛に満ちた魔法だよ。僕ら墓守は不気味な闇魔法を使うけど、それは誰かを陥れるためではなくて、誰かを思いやるためなんだ」
『きっと、美しい景色の中で、沢山の星に包まれながら安らかな最期を迎えられますようにって、そんな願いが込められているから、この魔法は綺麗なのね』
父の声とユアの言葉が重なった。
ハッと顔を上げるクラルに父は穏やかに微笑む。
「青い炎は星の色。散りばめられた瞬きは、そこに確かな尊い命があった証明。死者を安らかに送り出すのは勿論、残された人の心にぽっかりと空いてしまった穴を少しでも埋めるために、これらの魔法は美しく厳かでなくてはならないんだよ。わかるかい?」
「――うん」
強いことだけが全てではない。誰かのために、なにかのために使う魔法は、例えどんな形であろうと、属性であろうと、関係なく皆、美しく尊いのだ、と父は説いた。
優しい光だ、とユアが喜んでくれたのは、もしかしたら彼女の心にも、ぽっかりと空いた穴があったからなのかもしれない。
そう思うと、少しでもユアの慰めになりたい、心の穴を満たしたい、という気持ちが膨らんできた。
決意を新たにするクラルを横目で見た父は、もう大丈夫、と思ったのだろう、空気を切り替えるように手をパンパン、と大きく叩いた。霊園中に音が反響する。
「よし、それなら一度休憩にしよう。焼き菓子を作るからクラルも一緒に手伝っておくれ」
「今日はなにを作るの?」
「ちょうど庭で採れたリンゴが余っていたはずだから、リンゴのタルトでも作ろうか」
タルト、と聞いてクラルの顔がパッと明るくなった。
父が作る焼き菓子はどれも絶品だが、中でもタルトはクラルのお気に入りだ。
足取り軽く喜びを表現するクラルに、父は真面目な顔をして人差し指を立てた。
「闇魔法ばかり扱っていると、どうしても暗い気持ちになりやすいから、平行して違う趣味を持つことはとても大切なんだ。父さんにとってお菓子作りなんかはまさにそうだね」
「僕は魔術の方が好きかな。魔術を一から組み立てるのも好きだけど、照明灯や蛇口なんかに刻まれた術式を分解して解読するのも楽しいから」
間髪入れずにそう答えると父は「はは、クラルはそうだな」と苦笑いを浮かべる。
年相応の遊び……と言うには少々内向的な気もするが、こういったものは本人の好きにさせるのが一番だ。
「――でも、お菓子作りも楽しいよ。いつかユアにも作ってあげたいって思うから」
「それなら今度、彼女も連れておいで。みんなで作るお菓子も楽しいものだよ」
「うん、今度誘ってみる。その時はなにを作ろうかな」
「そうだね、お菓子作りが初めてなら――」
和やかな会話を交わしながらクラルと父は家の中へと入っていく。そして、扉が閉まると、再び霊園内は静けさを取り戻した。
「――そうそう、これは小技なんだけど、お菓子を作る際に"まじない"をかけると、様々な効果を付与できるから後でこっそり試してみなさい。ああでも、邪道だから外ではあまりやらない方がいいね」