7-4
「あの日彼が国王に望んだのはね、陳腐な名誉や国宝などではない」
静かにアビィは語った。
彼が求めたのはただ一つ——「ユアを独房から解放すること」だと。
「罪人として幽閉されていた君を救い出すため、彼は水面下で国王や城の者達との交渉を続けていた。君と過ごす日々を手に入れるために裏で奔走していたことは城内でも有名な話だ」
それでも、魔力回路の開通までユアを監視しておきたい国王と、己の体裁のために今更ユアの罪状を覆すようなことはしたくない城の者達を説得するのは、並大抵のことではなかっただろう、とアビィは呟く。
「話し合いはしばらく平行線だった。エイベルト君がある切り札を出すまではね」
「切り札?」
アビィは大きく頷き、口を開いた。
「『彼女を解放しろ。さもなくば、魔物襲来事件の真実を公表する』……とね」
息を呑むユアにアビィは続ける。
「どこからどう漏れたのか、彼は黒龍暴徒化の原因がロバート殿下にあると突き止めたんだ。君がその尻拭いをさせられていることもね。その情報を交渉の切り札に、君への恩赦を求めた」
そんな……と、ユアはざわつく呼吸を押さえるように胸に手を当てた。
彼は知っていたのだ。事件の全貌も、ユアの置かれている状況も。
知らなかった。ユアを独房から救い出すために、彼が裏で手を尽くしてくれていたことを。
そして、そのことを彼は一切ユアに悟らせようとしなかった。
「けれど、エイベルト君の願いが聞き入れられる頃にはもう、君の悪評は収集のつかないところまで広まってしまっていた。一度疑いがかけられてしまった以上、身柄を解放されたところで、まともな生活が送れないことは目に見えていた。そこでエイベルト君は国王に一つの提案をした……もうわかるだろう?」
「それが……この学園に入学することだったんですね」
そう、とアビィは相槌を打った。
「国が運営しているこの学園内なら、少なくとも命を狙われるようなことはないだろう。なにせここは多くの貴族、時には王族が通う学校だからね。生徒に危害が及んだとあっては国としての立場が危うくなる」
だから国王も渋々ながら了承した。
国が運営する学園内であれば、仮にユアの魔力が戻ったとしても、即座に城へ連れ戻す算段が取れると踏んだのだろう。
そして、ユアの魔力開通を見届けるための監視役として抜擢されたのがアビィもとい、アーバンだったのだという。
監視役として選ばれること自体は造作もないことだったよ、と涼しい顔で言ってのけるアビィの表情がアーバンのものと重なった。
「私、全然知らなかったです」
酷く掠れた声でぽつりとつぶやいた。
向かいに立つアビィは静かに頷く。
「エイベルト様が裏で動いてくれていただなんて」
「うん」
「だって彼、一度もそんなことを話さないから」
「自分のために誰かが犠牲を払ったと知れば、君が強い罪悪感に苦しむことを理解していたからだろう」
アビィの言葉が刺さる。
何も知らないままでいられるように、苦労を匂わせることも、見返りを求めることも一切なく。
一方、彼がどれほど大切に守ろうとしてくれていたのか知りもせずに。
「それなのに、私っ! 自分のことばかりで……」
先程、自分へ向けられたクラルの表情を思い出す。
彼はなにかを伝えかけていたのに、勝手に傷付いて、困らせて、挙句なにも言わずに飛び出してしまった。
『——所詮ユアにとって僕はただの幼馴染みで、それ以上でも以下でもないのか』
そう思われても仕方がない。彼の優しさだけ享受しておいて、私情を理由に彼を遠ざけるようなことばかりしてきたのだから。
当たり前のように守られてきて、それに一切気付くことなく、平然と彼を利用して……自分の浅ましさに嫌になる。
「それは違うよ」
アビィの一言にユアは息を呑む。
顔を上げると、穏やかな眼差しでこちらを見つめるアビィと目が合った。
「少なくとも彼は、君を救ったことを後悔していない」
優しく諭すようにそう告げるアビィに、ユアはグッと口を引き結ぶ。
「君を独房から連れ出したことも。学園へ来させたことも。傍にいることも——全部、彼自身が選んだことだ」
「でも……」
「君だってそうだろう。彼が困っていたら真っ先に手を差し伸べるし、彼のためなら犠牲も厭わない。他の誰よりも彼の幸せを一番に願うことだってあるだろう」
ユアの言葉を遮るようにアビィは続ける。
「エイベルト君はただ、君のために動きたかった。君に笑っていてほしかった。それだけだよ」
ユアは喉を詰まらせると、今にも泣き出しそうな瞳を静かに伏せた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
(ユア……一体どこにいるんだ)
人気のない渡り廊下を、クラルは足早に駆け抜けていた。
冬の冷気が肺を刺す。だが、そんなことを気にしている余裕はない。
居住地区にはいなかった。図書棟にも、中庭にも姿はない。
ならば残る可能性は校舎側――そう結論付け、クラルは焦燥を押し殺すように奥歯を噛み締めた。
(あんなこと……言うつもりはなかったのに)
脳裏に焼き付いて離れないのは、最後に見たユアの顔。
酷く傷付いたような、泣き出す寸前の表情。
あの時、僕は何を言った? 何を焦ってユアにぶつけた?
彼女を守りたいはずなのに、誰より苦しめたのは、自分ではないか。
胸の奥を掻き毟るような後悔に息を詰める、その時だった。
「む、赤目のではないか」
聞き覚えのある声に、クラルの足が止まる。
振り返った先にいたのは、数人の護衛を従えた——
「……ロバート殿下」
陽光を受けて輝く金髪に、勝ち気な吊り目。
第一王子、ロバート殿下。
思わず表情を強張らせるクラルに、ロバートは僅かに眉を上げた。
「珍しいな。今日はユア殿と一緒ではないのか」
(今、一番気にしていることを……)
胸の内を押し留め、努めて平静を装った。
「殿下こそ、何故ここへ? 本日の視察予定は伺っていませんでしたが」
「ああ。父上……いや、国王から直々の伝令でな」
ロバートは低く息を吐きながら窓の外へ視線を向けた。
「ここ最近、学園内で起きている不穏について調査するよう命じられたのだ」
「不穏?」
「なんだ、聞かされていないのか」
意外そうにロバートが目を瞬かせる。
「学園設備の魔力暴走、魔物の活性化による負傷者――赤目のが報告に上げた立ち入り禁止区域での出来事もこれにあたる」
(通りで調書を毎日書かされたわけだ)
クラルは内心で納得する。
ここ最近、やたら詳細な報告書提出を求められていた理由がようやく繋がった。
(魔物の活性化による負傷……精霊祭に招かれる予定だった神官の件か。魔力暴走は、ヴィンが対応した時の……)
思い返せば、ここ数ヶ月、異常は確かに続いていた。
どれも偶発的な事故に見えていたが、わざわざ王子を視察に向かわせるほど問題視しているということは、既に単なる異常事態では済まされなくなっているのだろう。
ロバートは低い声で続ける。
「調査を進める内に、この二、三ヶ月で急激な魔力の増減が何度か検知されていることが判明した」
「魔力の増減?」
「ああ。そして照合した結果、それらは問題が起きた時期と見事に一致した」
ロバートはそこで一度言葉を切った。
どこか言い淀むような、重たい沈黙が二人の間を流れた。
「父上は、この件にユア殿が深く関係しているのではないかと考えている」
思考が止まった。
——ユアが、この異変に関係している?
いまいち理解が追い付かず、クラルは目を瞬かせる。
だが次の瞬間、全身の血が沸々と煮えたぎるような怒りを覚えた。
「ははっ、なにを仰られるかと思えば。『ユアが学園の不穏を起こしているのではないか』ねぇ……」
「もちろん、確証があるわけではない。だが実害が出ている以上、然るべき調査を——」
「そうやって、黒龍の次は異変を彼女に擦りつけるつもりですか」
ぐぬっ……と押し黙るロバートを尻目に、クラルは馬鹿馬鹿しい、とばかりに鼻を鳴らす。
あの日、城の専属医に診断を下されたのだ。二度とユアの魔力が戻ることはないと。
周囲に影響を及ぼすほどの魔力をユアが練り出せるわけがないのだ。
彼女が原因ではないことは、少し考えればわかるはずだ。
だがロバートは往生際悪く言葉を続けた。
「ユア殿の周囲で異常が起こる頻度が高いこと。そして、彼女は仮にも『元神童』であること……父上は、それを疑っている」
「偶然でしょう」
即座に否定する。けれどもロバートは静かに首を横に振った。
「私もそう思いたい。だが父上は違う。……もし本当にユア殿が原因であった場合、再び彼女を保護下へ置く必要があると」
「保護、ですか。随分と聞こえの良い言葉ですね」
空気が張り詰めた。チリリ……と髪の毛に青い閃光が爆ぜる。
護衛達がロバートを守るように一歩前に出て構えた。
けれどクラルは止まらない。
「あなた達はいつもそうだ。都合が悪くなれば切り捨て、今度は利用価値があるかもしれないから連れ戻す? ——ふざけるな」
「……わかっている」
ロバートは苦々しげに口元を歪める。
そして、護衛を手で引かせると、静かに頭を下げた。
今までの堂々とした立ち姿からは想像つかない行動に、クラルは息を呑む。
「私は……あの時、自分が何をしたのかを忘れたことは一度もない」
静かな声で呟き、ロバートはゆっくり顔を上げる。
「ユア殿の人生を壊した。赤目のにも数え切れないほどの気苦労を強いた」
その瞳には、かつての傲慢さは欠片も残っていない。
「だからこそ、私はここへ来た。今度こそ、真実を見誤らないために」
そう告げ、ロバートはつかつかと歩き出した。
クラルの横を通り過ぎ——すれ違う瞬間、僅かに口を開く。
「——…………」




