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7-2



(どうしよう……どう答えればいい?)


ユアの額に汗が滲む。

クラルの身を案じているからこそ、今ここで全てを打ち明けるわけにはいかないというのに。

いつもなら「なんでもない」の一言で引いてくれるはずの彼が、今回に限ってそう簡単に解放してくれる気配がない。


答えをぐるぐると探している間にも、容赦なく吐息混じりの名前を耳元に吹き込まれる。

まるで、余計な誤魔化しなど思いつかせないように、いつまでも本当のことを言わないユアを咎めるように——。


「……っ、……!」


刺激を与えられる度にぞくりと悪寒が走り、背筋が弓なりに反る。

声を我慢するあまり、呼吸がどんどん苦しくなっていった。

——これはかなりまずい。


「まっ……待って、まだ心の準備がぁ……!」

「あっそう。それじゃあ、なおのこと解放するわけにはいかないね。いいよ、心の準備とやらができるまで、いくらでも待つから」


組み敷かれたままぶっきらぼうに囁かれ、ユアは「こ、この状態で!?」と言いたげに目を見開いた。

クラルへの想いを自覚したばかりのユアにとって、この状況はあまりにも心臓に悪い。

封じられた両腕に力を込めてみるものの、抵抗しても無駄だと言いたげに強い力で押し返されてしまう。


(エイベルト様ってこんなに力あったっけ……!?)


思い返せば小さい頃は取っ組み合いになっても、一方的にねじ伏せられることはなかった気がする。

成長した今でさえ、多少強引に距離を詰められることはあれど、少し抵抗を見せればあっさりと解放されていたように思う。

だからこそ気付かなかった、今までどれほど手加減されていたのかということを。

両手首を拘束する手がこんなにも大きくてゴツゴツとしていて、のしかかられた体重はもうあの頃とは比べ物にならないほど重量があるというのに。

どれほど身をよじろうがビクともしないクラルの力強さに改めて彼が男であることを実感させられた瞬間、得体の知れない動悸が込み上げてくるのを感じた。


「ユア?」


咄嗟に顔を逸らすユアに、クラルは訝しげに眉を潜めた。

この期に及んでまだ言い逃れするのかと言わんばかりに容赦なく顔を覗き込まれてしまう。

甘い責苦から逃げられないまま更に追い討ちをかけられ、心身共に限界を迎えたユアは堪らずギュッと目を瞑った。


「……み、見ないで、くださ……」


耳の先から首元まで燃えるように熱い。

羞恥心のあまり泣きそうになりながら唇を震わせると、ヒュッ……と息を呑む音が聞こえた。

あれと思う間もなくクラルの身が離れる。同時にグギュリ、と生々しい打撃音が部屋中に響いた。

——クラルが自身の頬を拳で殴ったのだ。


「え……わーっ! な、なにをしているんですか!」

「いや……視覚的暴力が強過ぎて」


慌てふためくユアを横目に、クラルは口元を押さえながらベッドの端に座り込む。

そして、はぁ、と溜め息を吐きながら前髪をくしゃりと掻き上げた。


「……ごめん、少し意地になってしまった。君の事情も無視して、こんな、無理強いするような真似を……」


そう言ってユアに手を伸ばす——怖がらせないよう、ゆっくりと距離を詰めて。

けれど指先が横髪を梳いた瞬間、触れられた場所から電流が走ったような感覚に襲われ、堪らずユアはぴくりと肩を震わせる。

それを拒絶反応と捉えたのか、クラルはそれ以上指を進めることはせず、苦々しく顔をしかめたまま静かに腕を引っ込めた。


「僕に……話せないこと?」

「……」

「どうしても……?」


無言で頷くユアに、クラルは「そっか……」と息を漏らす。

二人の間に重い沈黙が流れた。


彼が納得していないことは嫌でも伝わってくる。

それでも、今ここで話すわけにはいかなかった。

女神ルシアの愛し子であることも、魔力の制御が不安定なことも、時空の狭間で見た過去の真実も、ユアの抱えるしがらみはあまりにも多くて。

いっそ何も考えず打ち明けてしまえたら、どんなに楽だろう。

けれど、そのせいで万が一にでもクラルに危険が及んでしまえば、きっとユアは自分を許せなくなる。

大切な人を失って後悔するくらいなら、はじめから一人で背負った方がずっといい。そして、その姿勢は今後も変えるつもりはない。

微動だにしないクラルを横目に、解放されて自由になった身を起こし、ベッドから立ち退こうとした、その時だった。



「——所詮ユアにとって僕はただの幼馴染みで、それ以上でも以下でもないのか」



抑揚のない声が零れた。まるで突き放すかのような一言。

放たれた言葉は、想像以上に冷たく響いて二人の間に満ちた。


驚いたようにユアは目を見開いた。言われた言葉の意味が追いつかず呆然とする。

けれど次の瞬間には心臓の奥底が抉られたように激しく痛み、息が詰まるような感覚に襲われた。

瞳が大きく揺らぎ、唇がわなわなと震える。


「——あ」


クラルがそれに気付くも遅かった。

即座にベッドから飛び退いたユアは手に握った転移魔術の紙を発動させる。

なにもない空間の一部がぐわんと捻れ、あっという間に人が一人潜れるほどの大きさに広がった。


「ユア……待っ……!」


慌ててクラルは手を伸ばした。しかし間に合わなかった。

ユアは一瞥もくれず捻れた空間に飛び込み、その場から姿を消してしまった。




——静かになった部屋で一人、ユアの消えた空間をぼんやりと見つめながら、クラルは行き場のなくなった手をゆっくりと額に当てた。

去り際に見せた泣き出しそうな横顔が、クラルの目に焼き付いて離れない。


……やってしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



休日で人通りの少ない校庭の隅をユアは小走りで駆け抜けた。

転移魔術の座標が本校舎に設定されていたのか、思ったよりも寮から離れた場所に出てしまい、ユアは酷く動揺していた。

今は誰にも会いたくないというのに。

けれど、無情にもそういう時に限って誰かに出くわすようで、校舎裏に出た途端、対向から来た人影に衝突しそうになり、慌ててユアは身を翻した。


「おっと、具合はもう大丈夫なのかい、ルクタス君」


聞き慣れた声のトーンにユアは顔を上げると、そこにはアーバンの姿があった。


「教頭先生……」

「昨日は済まなかった。私の判断が遅れたばかりに君を時空の狭間に取り残してしまって……おや」


そこで言葉を区切ると、アーバンは気遣わしげに眉を下げる。


「どうしたんだい。そんな酷い顔をして」


教頭の問い掛けにユアは目を見開いた。

他人から指摘されるほど顔に出てしまっているのか、と。


「それに、こんな寒い中ローブも羽織らずに。風邪でも引いたらどうする」


そう言われて気が付いた。クラルの部屋にローブを忘れてしまったことを。

すみません、と言いかけた、が。


『——所詮ユアにとって僕はただの幼馴染みで、それ以上でも以下でもないのか』


先ほどのクラルが放った一言を思い出した瞬間、言葉が上手く紡げなくなり、押し黙ったままユアは俯いた。

そんなユアの様子にアーバンは考える素振りを見せると、ややあってユアに手を差し伸べる。


「――ここは人目につく。とりあえず場所を移動しよう」

「え……」

「昨日のことで改めて私からも話があるんだ。ついてきてくれるね?」


アーバンの申し出にユアは躊躇するように視線を泳がせたが、やがて静かに頷いた。




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