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7-1



「ん……」


小さな声と共にゆっくりと重たい瞼を持ち上げる。

どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。


「あれ……私……」


いつもと天井の雰囲気が違うことに気付いた。

窓から差し込む日の差し具合が普段より深く、よく見ると梁の木目も見慣れない模様をしている。

それに、いつもより少し重たく感じる布団からは、何故だかとても安心する匂いがする。


(私、眠る前はなにをして……)


ぼんやりとする意識の中で、ユアはゆっくりと上体を起こした。


「おはよう、気分はどう?」

「っ!?」


突如真横から飛んできた声に思わず肩が大きく跳ねる。

恐る恐る顔を向けると、そこには椅子に腰掛けるクラルの姿があり、視線が合うなり気遣わしげに眉を下げた。


「えっ……な……」


何故彼がここに……と一瞬思考が停止した後、はたと気付いたユアは慌てて部屋を見渡した。

自室によく似た間取り……見慣れない家具や本棚……部屋着姿のクラル——間違いない、ここは彼の部屋だ。


でも、どうして……と困惑するユアの様子に、クラルは静かに口を開く。


「昨日のこと……もしかして覚えていない?」

「昨日——」


クラルに問われ、ユアは必死に記憶を手繰り寄せる。


「あっ……」


思い出した途端、一気に顔の中心に熱が集まった。

教頭に連れられ時空魔法に呑まれたこと、時空の狭間で見た光景、取り残された狭間で自覚した感情——そして。


(私ったら、感傷的になってあんなことを……!)


彼の前で子供のように泣きじゃくるだけでは飽き足らず、疲れ果ててそのまま寝てしまうという醜態を晒してしまった記憶が蘇り、羞恥心から思わず頬に両手を当てる。

そして咄嗟に下を向いた時、気付いてしまった。服が昨日のままだということに——。


(——私っ、制服のままベッドに……!)


今度はサッと青ざめる。

寝かせられる時にローブだけ脱がされたのか、サイドテーブルの上に丁寧に畳まれていたが、スラックスやアイボリーのシャツはそのままだ。


「ご……ごめんなさいっ! こんな格好で布団の中に入っちゃって!」

「えっ? ——ああ、別に構わないよ。勝手に寝転がせて布団を掛けたのは僕だし、シーツなんて汚れたら洗えばいいだけだから」

「で、でも……」

「それよりも、体調はどう? どこか辛いところはない?」

「え……だ、大丈夫……です……」


狼狽えながらもそう答えると、クラルはようやく安心したように目元を緩めた。

その表情にユアの心臓がとくん、と音を立てる。


堪らず、ふい……と目を逸らすユアにクラルは優しく微笑むと、心を落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「教頭に話はつけてある。本来であれば寮に異性を泊める事は禁止されているけれど、事情が事情なだけに特別に許可を貰ったんだ。あと、姿を見られたら厄介だから、部屋を出る時はこの転移魔術の紙を使うように、って」

「よ、よく許可が降りましたね」


胸の鼓動を悟られないように平静を装いながら紙を受け取ると、クラルは「まあね」と意味深に笑った。


「——学園内で可能な限り便宜を図ってもらう、という条件だったからね」

「え、なにか言いました?」

「ううん、なんでもない」


小さく呟かれた言葉はユアの耳に届かず、何事もなかったかのようにクラルは微笑みながら首を横に振る。


——次の瞬間、彼の纏う空気が一変した。

先程までの柔らかい雰囲気はどこへやら、突然真剣な眼差しを向けられてユアは思わず息を呑む。


(な、なに……)


戸惑うユアをよそに、クラルは静かに口を開いた。


「――さてと、随時と遠いところへ行ってたみたいだけれど、当然、僕にも説明してくれるよね?」


ギクッ、とユアの肩が跳び上がった。

クラルの鮮烈な赤い瞳が「隠し事をしても無駄だよ」と言わんばかりに細められる。


「あああ、あの……」

「一番濃厚な線は『時空魔法』……かな」


慌てて取り繕うとするも事もなげに言い当てられ、ユアの肩がギクギクッと跳ねる。


「まっ……ま、まさ……か——」

「まさか、ユアに限って禁忌魔法を易々と使用するなんて考えつかないだろうし、そもそも君には時空魔法を発動させるだけの魔力はないし……」


ギクギクギクッ……と、どんどん追い詰められて挙動不審になっていくユア。

そこにとどめを刺すかのように、クラルはにっこりと黒い笑みを作って見せた。


「――もしかして、隣に誰か居たのかな?」

「うぐっ……!」


核心を突くような鋭い問いに、思わずユアは言葉を詰まらせた。


彼の言う『隣に居た誰か』によって時空の狭間に飛ばされてしまったことは事実だ。

しかし今回の件は、ユアが抱えているしがらみにも深く関係している。


万が一、魔力の件で国から目を付けられた時、ユアを従わせる材料としてクラルが危険に晒されてしまったら?

事情を知る者を排除するために危害が及んでしまったら?

全てを曝け出すことで、関係のないクラルまで巻き込んでしまうことだけは避けたかった。

かと言って、下手に言い訳を並べても全て見透かされそうな気がして、ユアはぐぅ、と押し黙る。


そんな様子の彼女をしばらく見つめた後、クラルはふうっと小さく息を吐いた。


「——まぁ、大方予想はついているけれどね。どうせ教頭の気紛れに巻き込まれて不可抗力だったんでしょ。事情を説明しに行った時、やけに含みを持たせた物言いをするものだから、まさかとは思ったけれど」


どうやらクラルには教頭の仕業だということまではお見通しだったようで、やれやれといった様子で肩を竦めてみせる。

けれど、その目が一切笑っていないことに気付き、ユアは恐る恐る口を開いた。


「……怒って、いますか?」







——ユアが鏡の向こうから現れた昨日のこと。

泣き疲れて衰弱し切った彼女をさすがに一人きりの寮部屋に戻すわけにはいかず、自室に泊める許可を得るため、クラルは教頭のもとを訪れていた。


異性を寮部屋に招くことは原則禁止とされているが、クラルには聖霊祭で神官役を買って出た時に取り付けた条件がある。

その条件を盾にすれば、大方の無理は通るだろう。

しかし、ユアが鏡の向こうからやってきた事情を説明し終えると、彼は特に驚きもないまま口元に指を当てた。


『――ふむ、どこかしらに繋がるとは思っていたけれど、エイベルト君の前に現れるとはね。……ああ、いや、こっちの話さ』



(あの言い方……全て想定の内とでも言いたげだった)


クラルは静かに奥歯を噛み締める。どこか余裕を感じさせる教頭の言葉が、説明のつかない不快感となって腹の奥底に溜まっていくようだった。

自分の知らないところで教頭とユアの間になにかあったのではないかと、気が気ではなかった。

表面に出ないように、と平常を取り繕っていたつもりだったが、隠し切れない感情がユアにも伝わってしまったのだろう、彼女は遠慮がちに口を開いた。



「……怒って、いますか?」

「……っ」


——その一言を聞いた瞬間、もう取り繕えなくなってしまった。

無言のまま、ベッドに座るユアの前までつかつかと近付くと、そのまま力任せにシーツの上に押し倒す。


「わわっ! エ、エイベルト様っ」

「ああ、結局その呼び方に戻すんだ。残念だけれど、今回ばかりは弱っている君に対して無理強いするわけにもいかないか」


咄嗟にユアの口から出た家名に、クラルの中に燻る黒い感情が更に刺激される。

——どれだけ……一体どれだけ長い間、再び名前を呼んでくれるようになることを心待ちにしていたと思っている。


「エイベルト様っ……ち、近いです」

「今更」


顔を赤く染めながら視線を彷徨わせるユアの耳元に唇を寄せると、吐息混じりの低い声でそっと囁いた。

ユアの体がびくりと跳ね、小さく息を呑む音が聞こえる。


(——怒っているか、だって?)


身を捩って逃れようとするユアを離さないよう、覆い被さるように手足を固定しシーツの上に縫い留める。

それでも往生際が悪く捕えられた両手首に力を込めて必死に脱走を試みるユアの様子に、クラルは余計に苛立たしさを覚えた。


(——ああ、怒っているさ)


拘束している手に力を込めながらユアに顔を近づけると、額をコツンと合わせ間近でその瞳を覗き見た。

反射的に顔を背けようとするユアだったが、あまりに距離が近すぎて上手く身動きが取れないようだった。


「それで? 過去まで遡って一体なにを見てきたの?」

「な、なにも……ひゃあぁっ……!」

「嘘つき。昨日あれだけ泣いていたくせに」


この期に及んでまだ白を切ろうとするユアの耳元に容赦なく息を吹き掛けると、彼女の体が面白いくらいに跳ねる。

このまま気が済むまで弄り倒してしまおうか……そんな考えが過るほど、クラルの精神は荒んでいた。


——気に入らない。

僕に隠し事をしようとするところも、辛いくせに無理して強がろうとするところも、なにもかも気に入らない。

そのくせ、僕の知らないところで、僕以外の誰かに弱味を見せているだなんて、考えただけで頭がどうにかなりそうだ。


「言ったよね? 『事情も知らされず距離を取られるのはもう嫌だから』って。ほら、ちゃんと説明して」

「き、距離なんか取ってな……」

「じゃあ、どうして逃げようとするの」

「う……ぁ……」

「ユア」


視線を彷徨わせるユアをじっと見つめながら畳み掛けた。




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