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7.従属の鎖



コツコツ……と石造の安置所に靴音が響いた。

振り返ると、幾重にも重なった袖の長いローブに身を包んだ初老の男が近付いてくる——この町の神殿を管理する神官長だ。


「本日の依頼分になります」


神官長はローブの裾を広げ優雅な礼を取ると、手に持った書類をクラルの父親に差し出した。

父は礼を返しつつそれを受けとると、慎重に目を通していく。


「病死が5名、自然死2名、事故死3名、不詳6名……」


神官長から手渡された書類を読み上げる父の側でクラルの母親は、一列に並べられた遺体の布を順番に捲っていく。

二人の邪魔にならないよう少し離れたところで様子を伺うクラルだったが、とある遺体の布が捲られた瞬間、思わず顔を引きつらせた。


「……身元不明者の数が増えましたね」

「大方、貧困街の住民でしょう。その多くが道端に打ち捨てられていた、と報告が上がっておりますので」


父と神官長の会話を背に、クラルは母の元へ小走りで駆ける。


「……母さん、これ」

「しっ……今は黙っていな」


気付いた違和感を伝えようと口を開くが、母によって静止させられた。

ふと父の方を向くと、目だけでクラルに合図を送った後、再び何事もなかったかのように神官長へ向き直る。

どうやら違和感に気付いていないのは神官長だけのようで、彼は酷く退屈そうにあくびを堪えながら父の言葉に耳を傾けていた。


(神官長には見えていないのか……こんなにも黒くて禍々しいのに)


クラルは静かに拳を握り締めた。


「——それでは、後は我々にお任せください」

「頼みます。我が町の墓守、エイベルト家の者よ」


引き継ぎが終わり、形式上の礼を取った神官長は、もうここに用はない、と言わんばかりにそそくさと出口へと向かう。

そして、扉を半分ほど開けたところで「……ああ、そうそう」と思い出したように呟いた。


「作業が終わられましたら、速やかに裏口からお帰りください。くれぐれも死体を触った直後の、その穢れた身体のまま、聖堂に足を踏み入れることがないように」


言いたいことだけ言い、嫌悪を含ませた視線でクラル達を一瞥すると、バタンと大きな音を立てて扉を閉めた。

少し間を置いて、三人の間に重苦しい空気が流れる。目を尖らせながら先に口を開いたのは母だった。


「……なんだい、あの言い種。一体誰のおかげで自分達の手を汚さず遺体処理ができると思ってんだか」

「僕、お手洗いを探すふりをして聖堂に乗り込もうか」

「妙案じゃないかクラル。そのままふんぞり返っている神官長様と握手でもしておいで」

「ふふ、潔癖な神官長にそんなことをしたらショックのあまり触れた所から皮膚が溶け落ちてしまうんじゃないかな」

「こらこら二人とも、いない人の陰口を叩くものじゃないよ。仮にもここは神聖なる神殿内なのだから」


額に影を落としながら囁き合う二人のやり取りに、父はやれやれといった様子で肩を竦めた。





「——さて、ご遺体の体を清める前にやることがあるが、クラルはもう気付いているね?」

「うん、でも……」

(これは視たことがない……)


口籠るクラルの前には、死因不詳の遺体が並べられている。

物見の魔法を使った瞬間、先ほど感じた黒くて禍々しい違和感の正体が露わになり、クラルは息を飲んだ。

どの遺体にも、黒い鎖のようなものが身体中に張り巡らされていたのだ。


「そうか、クラルは初めて視る呪いだったか。これはね、『従属の鎖』だよ。対象者を縛り、意思とは関係なく操ることができる闇魔法だ。動きを封じる影縛りよりも更に強固な呪いでね、本来は禁止されているはずなんだけれど……このご遺体がどこにあったと言ってたか、覚えているかい?」

「貧困街で打ち捨てられていたって、さっき神官長が言ってた……けど」


恐る恐るクラルは続ける。


「もしかして、この人達は……奴隷だったの?」

「恐らくね。身なりやご遺体の状態からして、相当過酷な環境に置かれていたようだ」


遺体の服の袖から覗く生々しい傷跡に言葉を失った。

父はそんなクラルの肩に手を置くと目を伏せる。


「残念なことに、この国では奴隷制度が未だに存在している。悪しき習慣だと父さんも思うよ。現国王に代替りして少しはましになったんだけれどね。けれど、裏では今も人身売買がひっそりと行われている。そしてその多くが、貧困街で育った身寄りのない者や、親に売られた子供なんだ」


遺体の中には、自分と同じ年頃の子供もいた。

痩せこけた肌はボロボロで、充分な食事も与えられなかったことが窺える。

一体どれだけ辛い目に遭ってきたのだろうか。


やるせなさに唇を引き結ぶクラルの様子を父は横目で見つめると、空気を切り替えるように手をパンパン、と大きく叩いた。部屋中に音が反響する。


「——そしてここからは仕事の話だ。今日はお前に、従属の鎖を解除してもらう」


父の突然の提案に、クラルは目を見開いたまま固まった。

慌てた母が口を挟む。


「ちょっとあんた、いくらなんでもクラルには早すぎやしないかい? この間やっと七歳になったばかりだというのに」

「心配ないさ。ここ最近のクラルの成長は目覚ましい。特に魔法制御においては大人と対等に渡り合える技量にまで達している。そのことはお前も気付いているはずだろう」

「私は反対だね。呪いの解除をさせるだなんて、まだ育ち切っていない子供の心に余計な負荷をかけてしまう可能性だって——」

「お前の言いたいこともわかる。けれど、いずれ向き合わなければならない大切なことだと僕は思うんだ。それに、今のクラルなら悪いようにはならない、と僕は信じているよ」


父は母の言葉を遮るように言うと、「勿論、最終的に決めるのは本人の意思だけれどね」と付け加えてクラルの方を見やった。


「僕は……」

「無理にとは言わない、いずれ知る機会は来る。それが少し早まるだけだ。その覚悟があるなら、父さんの手を取りなさい」


差し出された父の手と母の顔を交互に見る。

母は「やれやれ」と言いたげに首を振ると、それ以上はなにも追求しなかった。


父がこういう無茶振りをしてくる時は大抵、クラルの成長に大きく関わっていることがほとんどだ。

一見穏やかそうに見える彼だが、難易度の高い試練を容赦なく息子に突きつける辺り、ただの優しいだけの人ではないことが伺える。

そして父の教育もあってか、クラルの魔法制御は日に日に洗練されていった。


——『あなたの魔法が好きだから』


いつかのユアの言葉を思い出す。

彼女にとってクラルの魔法など取るに足らない、遊戯のようなもののはずなのに。

それなのにユアは、クラルの魔法を優しい光だと喜んだ。

そんな彼女の期待に応えたくて、彼女の隣に立ちたくて、クラルは力を望んだのだ。


(——ユアが喜んでくれるのなら、僕はなんだってできる)


クラルは頷くと、差し出された父の手を握った。


「……知りたい。教えて、父さん」

「良い覚悟だ」


その手を父はしっかりと握り返した。



「——呪縛というのは魂に近くなればなるほど、より強固なものになる。髪の毛、爪、歯、目玉……換えがきかないものであればあるほど、結びつきは強くなる。そして最も強力な力を宿しているのは、生命の源……形のないものと言われている」

「形のないもの……もしかして、魔力も?」

「鋭いね。そう、血と同様に体内を循環し、常に適量が生成される魔力は、僅かな力でさえ肉体を超越するほどの力を持つ。恐らく魂に最も近い性質を持つものだからだろうね」


説明しながらも、父は慣れた手つきで次々と遺体を清めていく。

そして時折、手を止めては体の部位を指差して丁寧に解説を重ねていった。


「対象者の魔力と、その媒体となる体の一部を馴染ませて、闇魔法で生成した鎖で繋げる。最後に、発動者の魔力を鎖に流し込み、対象者を媒体ごと縛り上げれば呪いは発動する――従属の鎖の方法はこれが以上」

「思ったよりも簡単に出来るんだね」


禁忌級の呪いというからにはさぞかし複雑な手順を踏まないといけないのだろう、と身構えていた分、その内容の軽さに拍子抜けしてしまう。

呆気に取られるクラルの様子に父は「その歳でそれを簡単と言えるなら、お前の技術は大したものだよ」と苦笑を浮かべた。


「ただ、これだけは覚えていてほしい。確かにこの呪いは手順自体そう難しいものではない。けれど、簡単に行えるこの呪いがもたらす影響が、どれほど重いものなのか、よくよく考えなさい。中途半端に行えば傷付く者が出ることを知りなさい。そのことを念頭に置いて、呪いの解除を行うこと、いいね?」


父の真剣な眼差しに、クラルは無言で頷く。

そして遺体の側に跪くと、両手を胸の前でついた——。




◇◆◇◆◇◆◇◆



(——結局あの後、呪いの解除に失敗したんだっけ)


暗がりの部屋の中でクラルは静かに息を吐いた。


初めて呪いの解除を行なったあの日……父の指示に従い順調に作業を進めていたクラルだが、三人目の呪いの解除に差し掛かる頃、突然、得体の知れない動悸と激しい感情の起伏に襲われて思わず膝をついた。

——呪いの解除による反動だった。


五感が研ぎ澄まされ、全身が震え総毛立つ感覚は今でも鮮明に覚えている。

必死で肩を揺さぶりながら呼びかける母の声も、父の焦り声も、どこか遠い世界の出来事のようだった。

自分が自分ではなくなるような虚無感が襲い、とてつもなく大きな負の感情に全身を支配され、気付けば涙を流しながら、何度も、何度も『どうして……』と、うわごとのように呟き続けていたのだった。


(呪いの解除には危険が付き物と言われているけれど、あれは本当にきつかった。できることなら、もう二度と味わいたくないくらいに)


自嘲気味に溜め息を一つ吐くと、狭い長椅子の上でゆっくりと上体を起こした。

ベッドに視線を向けると、泣き腫らして真っ赤になった目元を枕に押し付けながら寝息を立てるユアの姿が映る。


鈍色の光と共に突然鏡の中から現れた彼女は、クラルの姿を認識するなり縋るように胸の中に飛び込んできた。

そして、今まで我慢していた糸が切れたかのようにぽろぽろと大粒の涙を流し、激しく泣きじゃくったのだ。


長椅子から降り、起こさないようゆっくりとユアが眠るベッドに近づく。

どうやら眠りは深いようで、触れられるほど近くに寄っても目を覚ます気配はない。


(ユア……君は一体、鏡の向こうでなにを見てきたの)


片手で艶やかな焦茶色の髪を梳きながら、さらりと額にかかる前髪を避けてやる。

「ん……」と、小さな寝言と共に身動ぎするユアにギクリと体が硬直し、やがて「……はぁ」と盛大な溜め息が溢れた。


(全く……人の気も知らないで。人のベッドで気持ちよさそうに眠っちゃってさ)


無意識のうちに手を伸ばし、人差し指の腹でぷにぷにと赤みのある頬を弄ぶと、今度は眉を顰めて「むぅ……」と声を漏らした。


——目が覚めたら、聞きたいことが沢山ある。

鏡の向こうで見たもの、あの時泣いた理由、そして、君が僕に隠していること。だから、それまで——。


ゆっくりと顔を寄せ、柔らかな頬に軽く触れるだけの口づけを落とした。


「おやすみ、ユア」


そう呟いて、クラルは静かに長椅子へと戻っていった。



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