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6-7



どこまでも広がる鈍色の空間をユアは漂っていた。

アーバンと離れた今、自分が時空の狭間に取り残されてしまったことを悟る。

不思議と恐怖は感じなかった。ただ、悲しかった。


体の奥から制御し切れず漏れ出ていた魔力も、今はその鳴りを潜めており、あれほど酷かった喉元の圧迫感もすっかり消え去っている。

ユアはそっと喉に手を添えた。


以前の自分なら、己の魔力を人のために役立てることが正義だと信じて疑わなかっただろう。

けれど今となっては、そんな考えは微塵も無い。

もはやなにを信用すればいいのか、誰が敵で誰が味方なのかもわからない。

ただ、己の内に秘められた強大な力が様々な火種を生む原因になり得るということだけは理解できた。

そのことがなによりも恐ろしくて、堪らなくなったユアは膝を抱え込み、顔を埋める。


「もう、嫌だ……嫌だよ……」


誰に届くはずもない細い声は、虚しく空間に溶け込んでいった。


一体どのくらいこうしていただろう。


このまま永遠にこの空間を彷徨うのだろうか。

そんな予感が頭を過った時、ふと、遠くの方から誰かの話し声が聞こえてきた。

つられて顔を上げると、目の前を流れる光景にユアは瞠目した——。




『僕はクラル。クラル・エイベルト。ここの墓地を管理している墓守の息子なんだ』

『クラルって言うのね。私は――』

『ユア・ルクタス、でしょ。知ってるよ、有名だから』



(これは……)


見間違うはずがなかった。

これは、クラルと初めて出会った時の記憶だ。

長いこと時空の狭間を彷徨っている内に、どうやらかなり深いところまで来てしまったようだ。

過去の光景を茫然と眺めていると、手前からまた別の記憶が流れてきた。



『また明日も遊びに来ていい?』

『え……別にいいけど、本当に僕でいいの?』

『なにが?』

『だって、ほら、僕は墓守だから……一緒にいたら君まで悪く言われるかもしれないよ』



思わず「懐かしい……」と口にする。

この頃のユアはまだ、世間のことをなにも知らなかった。

そのため、クラルが躊躇う理由が半分も理解できていなかったのだ。

怯えを滲ませながら、けれど最後には諦めたようにユアを受け入れてくれる、そんなやり取りがしばらく続いたこともあった。

懐かしい記憶がユアの横を通り過ぎると、続け様に対向から新緑の色を灯した光景がやってくる。



『なにこれ?」

『風を使った簡易魔術式。このペンで真ん中の印を結んでごらん』

『こう? ……わっ!』

『やった、大成功。今のはつむじ風を発生させる魔術なんだ。どう? 面白いでしょ』

『魔法を使っていないのに風が吹いた……?』

『ああ、これはこの特殊インクに練り込まれた魔鉱石の粉に秘密があるんだよ。人が魔力を使わなくても魔鉱石の粉が動力になって術式が発動するんだ』



瞳を輝かせながら魔術について語る幼いクラルの姿に、ついユアは笑ってしまった。

よく照明灯の中に刻まれた術式を見せてもらったり、入門書に書かれた術式の書き写しを披露してくれたものだ。

柔らかなおかしさが落ち着いた頃、今度は夕暮れ時の、少し薄暗い光景が浮かび上がる。



『ユアが魔物のことを好きなのはよくわかった……けど、あまり無茶なことはしないで。ちゃんと僕の元に戻ってくるって約束して』

『なあにクラル、突然そんなこと……』

『お願いだから。もうこれ以上、僕を心配させないで』



真剣に幼いユアを見つめるクラルの赤い瞳に、忘れかけていた小さな罪悪感がチクリと胸を刺した。

これは、黒曜カラスの巣を運んだ時の回想だ。


(今思えば、この時初めてエイベルト様に本気で怒られたっけ)


一体どれほど沢山の心配をかけたのだろう。

そして、彼にどれほど多くの温もりをもらっただろう。

いくつも通り過ぎていく淡い光景を見送りながら、ユアは静かに手を胸に当てた。


ふと、風向きが変わったかのように、過去の光景がふわり、と足元から上へと一斉に舞い上がる。

その一つ一つがまるで蛍火のように柔らかな光を放ち、寂れた鈍色の世界に彩りを与えた。

顔を上げたユアは、幻想的なその光景に目を奪われた——。



『途中まで送るよ。伝承に出てくる怪人やあちらの者にうっかり出くわしてしまった時、君が連れていかれないように、ね』


『今日もまたこっそり森の奥へ魔物に会いに行ってたんでしょ。全く……少しは危機感を持ったらどうなの』


『ユアは怖くないの? あのまま向こうに連れ去られて……死んでしまったかもしれないのに』


『寂しくなったらいつでもおいでよ。僕で良ければ側にいるし、その、か、家族と思ってくれても、いいから……え? ——ああ、『お兄ちゃん』ね……いいよ、それでも』


『へぇ、やけに騒がしいと思ったら、ロバート殿下が養成所に滞在、ね……。どんな方だろう、ユアは殿下ともう会った?』


『しばらく王都で研修だなんて、次期国家魔導師はやることが多くて大変だね』


『次にユアが帰ってきた時、町の隣にある保護区へ遊びに行こう。今はまだ早いけど、あと少ししたら保護区に沢山の有翼獣が渡来するんだって。聖獣なんて滅多に見る機会がないから楽しみだ』


『ユア、出発前に話せないかな。……別に、対した用じゃないけれど、しばらく会えないから、少しだけ――』



遠い記憶——思い出の中にはいつも隣に彼がいる。

思い返せば、クラルはいつもユアのことを気にかけてくれていた。


――彼だけだ。

どんな状況になっても、変わらず名前を呼んでくれるのは。

神童としてではなく、次期国家魔導師でもなく、ただ、一人の人間として。


一体いつからだろう。


些細な言葉や馴れ合いに心が弾むようになったのは。

隣にいないと心臓に隙間風が吹くような心許ない感覚に陥ってしまうのは。

彼の夕焼けを閉じ込めたような瞳を覗く度に切ない気持ちになるのは——。



「好き……」


自然と言葉が零れた。

口をついて出た一言に驚き目を見開く。

やがて、言葉の指す意味に頬を赤く染めると、観念したように俯いた。


——あの日泣いた理由が、今わかった。

あれは依存なんかじゃない。

それよりももっと根っこにある、単純な部分。


「好き……なんだ」


嗚咽が喉に絡み、言葉が拙く途切れる。

胸の奥から酷く切ない塊が込み上げ、気付けば涙を流していた。


(私……エイベルト様のことが、好きなんだ)


一度溢れてしまえば、もう止まらなかった。

その場に座り込み、両手で顔を覆いながら静かに泣き続けた。


――彼はどう思っているのだろう。

まるで兄妹のように大切にしてくれていることはよく知っている。

けれどそれは、あくまでも家族愛に近い感情からくるものなのか。

彼にとって私は、所詮ただの"幼馴染み"なのだろうか。


「会いたい……」


会って話がしたかった。

たとえただの幼馴染みだったとしても、彼のことが誰よりも大切なことには代わりがないから。


――ああ、でも。

こんなことになるのなら、もう少し早く、この胸の内に気付いていれば良かった。

そうすれば、もっと早く彼と向き合えたかもしれないのに。


「クラル……」


久々に呼ぶ名前は、驚くほど甘露な響きで。

けれども、どれだけ名前を呼んでも、彼に届くことはないのだと絶望する。


「クラルっ……」


時の狭間に取り残されて、クラルとの思い出がいくつも通り過ぎていくのに、ここに彼は居ない。

それが寂しさを助長させた。


「帰りたい……クラル……」


肩を震わせながら涙を流していると、遠くから微かにユアを呼ぶ声が聞こえた。

これもきっと、記憶の中の一部なのだろう。

それでもユアは、声のする方へ、光の差す方へ、すがらずにはいられなかった。


――叶うことなら、もう一度クラルに会いたい。



「ユア」



引っ張り上げられるような感覚と同時に、視界が急激に明るくなる。

目の前に映るのは、切望して止まなかった人の姿――。


「……っ、クラ……」


突然の事に上手く言葉を紡げないでいると、クラルは不思議そうに首を傾げる。


「驚いた。ユアの声がすると思ったら鏡の中にいるんだから。どうしてこんなところに……えっ?」


縋るように胸の中に飛び込んでくるユアに、クラルの身がピシリと固まる。

けれど、ユアの様子が普段と違うことを察すると、それ以上はなにも言わずそっとユアを抱き止めた。

その温もりに安堵を覚えた途端、今までせき止めていた感情が一気に込み上げ、大粒の涙となって溢れた。


「クラル……ううっ」

「……ユ、ユア?」


胸に顔を埋めながら嗚咽混じりに名前を呼ばれ、思わずクラルの顔が赤く染まる。

それでもユアは顔を上げることはなく、その泣き声は徐々に激しくなっていった。


「うぁ……あぁぁあ……!!」


まるで幼い子供のように声を上げて泣くユアに戸惑いながらも、クラルはその背中を優しく撫で続けた。



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