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医師の思いがけない言葉に、ユアは思わず目を見開いた。
国王も同じ気持ちだったらしく、医師の腕を掴むと縋るように揺すった。
『それは……! 一体どうすれば!』
『落ち着いてくだされ、陛下。残念ながら、魔力回路を失った今、器の無事を確かめる術はございません。しかし、今後の成長と共に改善が見られれば、あるいは……』
『その、改善とは』
医師は国王の目を真っ直ぐ見つめると、はっきりとした口調で答えた。
『例えば、魔力回路は使用すればするほど太くなることが確認されてます。筋肉のように、負荷をかけることでより強くなり、多くの魔力を練り上げることが可能になるわけです。ただし、これだけでは従来のような魔法の使い方が出来るようになるとは到底思えません』
医師の言葉に国王は『それはそうだろう』と同意した。
魔力回路の増強に限界があるのは誰もが周知の事実であり、鍛え続けたところでどこまでも太くなるわけではない。
ましてやユアは魔力回路のほとんどを失っている。
残った僅かな回路を鍛えたところで、常人の域を超えることは決してないだろう。
当てが外れたと言いたげに肩を落とす国王に医師は忍び寄ると、今度は声を潜めて切り出した。
『もう一つは、”新たな魔力回路の開通”』
『魔力回路の開通……だと?』
訝しげに眉を顰める国王に医師は動じることなく『はい』と返事をする。
『恐らくこれが一番、最も望みの高い可能性かと思われます。こちらは不確定要素が多く、未だに原理は解明されておりません。ですが、まさに彼女のような、回路がほとんど寸断された状況下で開花する事例が相次いで報告されています。そして、そのほとんどが従来よりも濃度の高い魔力を生成することに成功しているのです』
『それは本当か!』
医師の言葉に国王は身を乗り出した。
魔力回路の損傷により、もはやユアには魔法が使えないと諦めていたところに一筋の光が差し込んだのだ。
期待に満ちた目を向ける国王に、医師は重々しく口を開いた。
『ええ、しかし、これには欠点があります』
『欠点?』
『新しく作られた回路で魔力を練り上げると、ほとんどの場合、魔力の制御が効かなくなるようです。また、発動者本人にも大きな負荷がかかり、身体にまで影響が出ることもあります』
ドクン、とユアの心臓が大きく脈打つ。
医師の話す内容はどれも身に覚えのあることばかりだった。
じんわりと嫌な汗が額に滲む。
『また、回路から漏れ出た余分な魔力が周囲に影響を与えることもあるようです。過度な魔力が流れることによって魔導具の魔力暴走を引き起こした例もあります。中には、近隣の魔物や招かれざる者の活性化を促したりといった報告も上がっているようですね』
(そんな……!)
その話が本当であれば、校内メンテナンス直後に魔力暴走が起きたことも、あちらの者に連れて行かれそうになったのも、全て説明がつく。
思わず喉元を押さえるユアの様子にアーバンが気付かないはずもなく「やはりね……」と呟いた。
「これが君に質問した理由だ。言っただろう? 『世界全土に影響を与える事案となり得る』と。君に秘められたその魔力は、君の意図と関係なく周囲に深刻な影響を及ぼし兼ねないのだよ」
教頭は続ける。
「しかし、魔力は純粋な国力だ。国の発展、維持に欠かせないのはもちろん、他国への牽制や交渉材料にもなる。当然、戦争に用いられることもあれば、魔力欲しさに他国から攻め入られることもあるだろう。そして、新たな魔力回路が開通したことが伝わってしまえば、今度こそ国は君を放ってはおかない。魔力の源泉として永久に君を縛り付けるだろう」
「で、でもっ、今まで何度も魔力の測定を受けてきたけれど、高い数値なんて一度も……!」
「ああ、魔力測定器の計測基準も案外いい加減なものだよ。あれは魔力回路から生み出される魔力の質量を元に、想定される保有量を算出しているだけに過ぎないのだから」
——例えば、とアーバンは人差し指を立てると、ゆっくりとユアの喉元を指し示す。
額の汗が一筋、頬を伝った。
「魔力回路が手のひらではなく別の場所に開通していたとすれば——測定部位によって叩き出される数値も変化すると思わないかい?」
「……いやっ!」
アーバンの指を払い退けると、逃れるように頭を抱えた。
——今までずっと、自分は二度と魔法を使えないのだと思いながら生きてきた。
魔力回路を失った時の喪失感は予想以上に辛く、もう一度昔のように魔法が使えたなら……と何度も願ったこともあった。
けれど、望んでいた結末はこんなものではなかった。
自分の中に秘められた魔力が脅威になり得ること、自分の知らないところで多くの思惑が渦巻いていること……。
そしてなにより、今まで自分が信じてきたものが、音を立てて崩れ落ちていくような感覚にユアは絶望した。
その傍らで国王と従者のやり取りは続けられる。
『全く……そもそもあいつが余計なことをしなければ、こういう事態にはならなかったのだ。黒龍の子を拐ってくるなど……』
『恐れ入りますが陛下。ロバート殿下があのようなことをなされたのも、全てルクタス殿の軽率な行動によるものではないでしょうか』
頭を掻きむしりながら唸る国王に進言したのは従者だった。
『なんだと……?』
『国家魔導師養成所に勤務する者の話によりますと、ルクタス殿は魔物に強い関心を示していたとのことです。なんでも、あの不浄な生物と日々心を通わせていただけでなく、練習用の魔物の残骸を青い炎で清めたり、敷地内に勝手に魔物の墓を建てたりしていたとか』
『それは誠か』
『ええ。子供のやることだからと特段報告には上がっていなかったようですが』
従者の話を聞いた国王は顎に手を当てて考え込むような仕草を見せる。
不意に、従者の目が禍々しく細められ、反射的にユアは息を呑んだ。
『しかし、今回ロバート殿下が黒龍の子を拐ったのも、彼女の影響を受けたからだと聞いております。彼女の行動を近くで見ている内に、魔物に対しての危機感が薄れていったと考えるのが妥当かと』
従者の言葉に国王は『ほう……』と考え、先を促す。
『となれば話は変わってきます。責任の所在はロバート殿下だけでなく、ルクタス殿にも問われるでしょう。なにせ、仮にも国の未来を担う次期国家魔導師が己の自己満足のため、後先考えずに勝手な行動を起こした結果がこれなのですから。我々としては看過できる問題ではありません』
『して——そなたはどうすれば良いと思う?』
『偶然にも、例の事件の首謀者として彼女の悪評が広がりつつあります。その悪評をうまく使えば、多くの問題が解決するかと」
ユアの肩が小刻みに震え出した。
目の前で繰り広げられる光景から目が逸らせず、激しい感情の昂りが底から込み上げてくるのを感じる。
『簡単なことですよ、彼女には魔力のことは伏せておきつつ、今回の魔物襲来事件の全責任を問う。ことの発端は、彼女が魔物と通じ合っていたからこそ引き起こされたのだ、と』
そう語る従者の目は酷く歪められていた。
——行く宛ての無い彼女の身柄を引き続き国が保護し、代わりに、魔力回路が開通するまで彼女には矢面に立ってもらう。再び魔力が戻ったあかつきには、彼女を女神ルシアの愛し子として城に迎え入れ、今度こそ国のために尽力してもらうのだ、と。
『彼女は決して逃げられません。そして、自身の犯した過ちを悔いて自ら独房行きを望むことでしょう。何故なら、”愛し子”は全て、そう思考するように教育されますから』
パキン——
なにかが割れる音が響いた。
それとほぼ同時に、目の前で繰り広げられる過去の光景に大きな亀裂が入り、地面の揺れと共に細かなひび割れが広がっていった。
「こっ、これは……一体なにが起きて……!」
想定外の事態にアーバンは狼狽えた。
過去を映し出す時空の壁が大きな音を立てながら崩れていくなど聞いたことがない。
最悪の事態を思い浮かべ、すぐさま離脱を決意すると、隣でうずくまるユアの肩を叩き——言葉を失った。
喉元を押さえ、苦悶の表情を浮かべる彼女の足元には、漏れ出た魔力が渦巻き、黒い火花を散らしていたのだ。
「なにをしている! さあ立ちなさい、早くここから出るんだ!」
焦りを含んだアーバンの叫び声に、ユアは一言も発しないまま首をふるふると横に振った。
ふと、座り込んだユアの足に魔力が蔦のように絡み付いていることに気付き、サッと青ざめた。
(魔力が……制御できないと言ってたか)
チッ、と舌打ちすると、アーバンはユアの足に絡み付いた魔力を払い除けようと手を伸ばす。
しかしその瞬間、ユアの身体から溢れ出る魔力の勢いが増したかと思うと、一気に周囲の空間が歪み始めた。
「くっ……!」
ぐらりと地面が揺れ、バランスを崩しそうになったアーバンは咄嗟に空中浮遊魔法を足元に展開した、が。
「ルクタスー!」
ユアの足元を中心に亀裂が広がり、その範囲はどんどん広がっていく。
そして、一際大きな音と共に地面が崩れ落ちたかと思うと、一瞬にして世界が暗転した。




