6-5
ロバート殿下――クレスタブル国の第一王子であり、かつて町外れの国家魔導師訓練所で学舎を共にした人物だ。
クレスタブル国の王族は皆、一定の年齢を迎えると国家魔導師養成所へ預けられ、そこで魔法訓練を積むことが義務付けられていた。
ロバートも例外ではなく、この国の次期国王として必須の魔法を習得するため、ユアが七歳の頃に訓練所へやってきたのだが。
『おいお前。ちょっと魔力が人より多いからってあまり調子に乗るなよ』
顔を合わせる度にロバートから悪意の籠った口調で詰られる。なにかを言いたくても、ぐっと奥歯を噛み締めて押し黙るしかない。
当時の訓練所に同年代がユアしかいなかったため二人で訓練を受けることが多々あったのだが、神童と名高いユアと比べられることが気に入らないのか、ことあるごとに突っかかってきては辛辣な言葉を浴びせてきたのだ。
『お前、魔物を前にべそをかいたんだってな。そんな弱い精神で国家魔導師が勤まると思っておるのか?』
『こんなやつが次世代の国家魔導師とはな。次期国王の俺の身にもなってみろ』
『なんだこの土塊は。魔物相手に墓守の真似か? みっともない』
『ふん……謝ることしか出来ない弱虫め』
王族相手に粗相があってはならない、と、ユア自身も適度な距離を保っていたつもりだったが、その努力も虚しく、義務訓練が終わるまでロバートの口撃が止むことはなかった。
今思えば、彼も幼いながら次期国王として様々な重役やしがらみを背負っていたのだろう。
そんな中、生まれつき魔力量が多いというだけで周りの大人達から手放しで褒められ大切にされている様子を見せられれば、境遇の理不尽さに不満が募るのも無理はない。
しかし、当時ユアはロバートの言動に酷く心を痛めていた。
(なんで……よりによって、この時の……)
心の奥底に追いやっていた感情が一気に浮上し、嫌な緊張感が胃を締め付ける。
ユアから多くのものを奪い、今も尚ユアの心に深い爪痕を残す人物。
ことの発端は、ロバートが従者に龍の子を捕らえるように指示を出したところから始まる。
自らの野望を叶えるために龍の子を拐ったロバートは城の地下に縛り付けると、怯える子龍を鞭で打ったのだ。
手懐けるため……恐怖を植え付けて支配するために――。
子龍の悲鳴を聞きつけ激昂した親龍は、子供を取り戻すために城下の結界を破り降り立つと、街中を焼き払い暴れ回った。
そして――多くの犠牲を生んだのだった。
「――やれやれ、いつ見ても気持ちのいい場面ではないな」
気の抜けた教頭の声が頭上で響き、はたとユアは現実に引き戻される。
目が合うと、アーバンはおどけたように肩を竦めて見せた。
不意に辺りが明るくなり、あれほど目まぐるしく景色を変えていた光景がぴたりと止んだ。
どうやら目的の過去に到着したらしい。
アーバンに手を引かれるまま壁を通り抜けると、そこにはすっかり憔悴しきった国王の後ろ姿があった——。
ユアの知っているウィル国王は常に冷静沈着であり、決して人前で取り乱すことはなかった。
それが今や見る影もなく、憔悴しきった背中を玉座に預け頭を抱える姿はまるで別人のようだ。
普段とあまりにかけ離れたその姿に動揺していると、彼はおもむろに口を開いた。
『――なんということだ。かの秘めたる力を持つ神童を失うことになるとは……国王に即位して以来の大損失だ……!』
『陛下、気をお確かに』
慰めに入ろうとする従者の手を払いのけると、玉座を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。
『あれに一体どれほどの価値があると思ってる!? あれはただの子供ではない、女神ルシアの加護を受けた"愛し子"だぞ! あの無尽蔵の魔力も、常軌を逸した魔法の才能も、全てはルシアの加護あってのもの……それが失われるなど……』
『陛下』
『あれがいなくなれば、この国の未来はどうなる!? ただでさえ黒龍が暴れたせいで我が国の土地は荒れ果てているというのに、その上他国に目を付けられでもしたら……!』
――愛し子。
膝を崩し頭を抱える若き国王の背を見つめながら彼の口から出る単語に首を傾げていると、不意にアーバンの手が肩に置かれた。
「君は、『女神ルシアの愛し子』の言い伝えを聞いたことがあるかい?」
「それは……有名な昔話ですから……でも」
ユアは言葉を詰まらせた。
女神ルシアの愛し子——女神の加護を受けて生まれ、国を繁栄へと導く神聖な存在。
けれどその言い伝えはあくまで伝説上のものであり、実際に存在したという記録はない……はずだったのだが。
「これはおとぎ話や夢物語なんかではない。女神ルシアの神託が降りた翌年、生まれてきた一人の人間に加護が宿った。それが君だよ」
アーバンはユアの目を真っ直ぐ見つめ、そう断言した。
ユアの身体に秘められた無尽蔵の魔力の正体——それは、女神ルシアの加護によるものだという。
「……信じられません」
「だろうね。このことを知っているのは王族と、一部の信仰者くらいだ」
ユアの否定の言葉にアーバンは苦笑しながら頷いた。
けれど、その目は真剣そのもので、冗談を言っている様子ではない。
「実際、このことは公にされていないんだ。愛し子のことを敢えて”神童”と呼ぶのも、女神ルシアとの関連性を悟られないようにするためのカモフラージュさ」
「どうして」
「愛し子の存在を公にしてしまえば、それこそ国の——王族の脅威になりかねないからね」
「脅威?」
ユアが首を傾げると、アーバンは神妙な面持ちで頷いた。
そして、玉座の前で蹲る国王の方へ視線を向けながら静かに語り始める。
「想像してごらん。女神信仰が盛んなこの国で、我らが主の女神ルシアから加護を賜った人間が存在すると知れたら……一体どのくらいの人がその愛し子に傾倒すると思う?」
「——あ」
ユアははっと目を見開いた。
女神ルシアは、クレスタブル国の守護神。
その加護を身に宿した人間の存在が知られれば、たちまちその者は周囲によって神格化されることだろう。
そして、その状況は国にとって都合が良くないことは容易に想像がつく。
「それだけではない。今まで”神童”として国に縛られていた人間が、実は自分は女神ルシアの愛し子なのだと気付いてしまったら? “次期国家魔導師”などと言って国に縛られることもなく、思考や人格を矯正されることもなく、自由に生きる術があることを知ったら? 目の前にそんな可能性が広がった時、果たして国のために尽くすと思えるかい?」
「……」
ユアは言葉を失った。
アーバンが言うには、幼少期に受けた厳しい訓練や指導は全て、国家魔導師という名の、国の従順な手駒を養成するための過程なのだと。
思い返せば、はじめからユアに選択肢なんて与えられなかった。
ただ、魔力を人のために役立てることは当然の義務であると教え込まれ、クレスタブル国の”次期国家魔導師”として、ひたすら国のために尽くせと言われ続けてきた。
そこになんの疑問も持たなかったのは、教育という名の刷り込みによるものだとすれば——。
「そんな……それじゃあ私は……」
——まるで、人形みたいじゃないか。
そう言いかけて、ぐっと言葉を飲み込む。
今まで自分が生きてきた人生が否定されるような気がして怖かったのだ。
『魔力を失ってしまえば、もはや神童とは呼べませんよ』
『……わかっておる。こうなってしまえばもう、あれはただの子供だ。魔力が望めない以上、この国に置いておく理由はない——が』
ウィル国王は話の途中で息を継ぐ。
『——もしあれを次期国家魔導師から除名したとして、後にあの馬鹿息子がしでかしたことが明るみになれば、民はどう思う? 街を焼き払い、多くの犠牲を出した黒龍の暴徒化は、他でもないこの国の第一王子が引き起こしたのだと知られれば——今度こそ民衆からの信頼を失ってしまうではないか』
『……最悪、暴動が起きるやもしれませんね』
国王は苦虫を嚙み潰したような表情で、吐き捨てるように言った。
『……いっそ、あれの存在ごとなかったことにできれば良いのだがな』
その一言にユアの肩が大きく跳ねる。
用済みと見なされた"神童"の末路を思い知らされ、言いようのない恐怖が湧き上がった。
震える手でローブを握り、唇を強く嚙みしめる。
「酷いな、まるで道具扱いだ」
国王と従者のやり取りに、アーバンは眉を顰めながら呟き、驚くユアの視線に気付くと気まずそうに頬を掻いた。
「……いや、君にとっては私も同類だったな。愛し子の——神童の力を利用しようとする、絵に描いたような悪い大人だ」
初めて見る教頭の気弱な表情に、思わずユアは口を開く。
「……教頭先生にも、なにか理由があって——」
「女神ルシアの加護を求め、裏で画策する点では国や王族と何ら変わりないよ……ああ、来た」
ユアの言葉を途中で遮ると、斜め向かい側を指差した。
国王の前にやって来たのは、白衣に身を包んだ老人だった。
さりげなく「城の専属医だね」と耳打ちするアーバンにユアも頷く。
医師は国王の前に膝をつくと、恭しく頭を垂れた。
『悲観するにはまだ早いですぞ、陛下』
『なに……?』
医師の言葉に国王は怪訝そうな表情を浮かべる。
それはそうだろう。つい先ほど、魔力回路の損傷による”神童の魔力喪失”を彼の口から聞いたばかりなのだ。
『確かに私はそう伝えました。けれども、あの場には陛下だけでなく不特定多数の人間が立ち入っておりましたから。誰が聞いているかもわからない場所でもう一つの可能性をお伝えするわけにいかなかったのです』
『……して、その可能性とは?』
医師は頷くと言葉を続けた。
『魔力回路の損傷により魔法が使えなくなったとしても、魔力そのものが完全に失われたわけではありません。器の損傷具合にもよりますが、もし仮に、彼女から魔力"だけ"を抽出することが出来たとしたら? それはすなわち――"女神ルシアの愛し子"の力を再び取り戻すことと同義です』
(え……?)




