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「ったく、ここ最近は毎日のように呼び出し、呼び出し……。おかげで魔術研究会に提出する術式が一向に完成しないんだが」


ぶつぶつと文句を垂れる友人のヴィンを横目にクラルは溜め息を吐いた。


「仕方がないよ。止むを得なかったとはいえ、規則を犯したんだ。むしろ報告義務だけで済まされただけ有難いよ」


立ち入り禁止区域での出来事が学園側に知れるや否や、クラルはすぐさま教頭に呼び出され、連日のように事情聴取を受けていた。

幸いにも今回の件は、設備管理を怠った学園側の責任ということで処罰は無く、厳重注意のみで済まされたのだが。

事情を深く知らされていないヴィンは「なにを呑気なことを……」と大きく項垂れると、ずれた黒縁眼鏡をくいっと直しながらクラルに迫る。


「あのなぁ、修錬活動だって重要な課業なんだぞ。場合によっちゃ死活問題に発展するレベルのな」

「大袈裟」


クラルは肩を竦めながら、ヴィンの熱弁を軽く受け流した。


修錬活動——学生達が実践を通して社会貢献に役立てる、自由参加型の活動の一環のことだ。

日々積み上げてきた知識や技能を活かし、与えられた依頼をこなすことで報酬を得られる……言わば”アルバイト”である。

中でもクラル達がよく利用する『魔術研究会』は、学生達が積極的に参加できるよう様々な体制が整えられており、既存の術式の改良、新たな術式の提案や開発、指定された術式の増産など、生徒の力量によって難易度を選べるようになっている。

しかし、今回の騒動で規則違反を犯したクラルは連日の事情徴収によって、満足に課業に参加できない状況にあった。


(それでも……)


チラリと横目で隣を歩くヴィンを見る。

彼はいつもの調子で軽口を叩きながら歩いているが、クラルに向ける視線に一つの裏表も感じない。

一人の人間として、同期として、対等に関わり合ってくれる数少ない親友だ。

今回の件も、ヴィンが知らせてくれなければユアを救い出せなかったかもしれない。

友人として当たり前のように手を差し伸べてくれる彼の存在が、クラルにとってどれほど得難いものか。


「——ヴィン」

「なんだよクラル、今更仕様変更とか受け付けないからな」

「ありがとう」


滅多に口にしない言葉のせいか、ヴィンの目が大きく見開かれると、まるで怖いものでも見たかのように「……急にどうした」と後ずさりした。

友人の普段見せない様子にクラルの口角が意地悪く上がる。

長い付き合いだからこそ知っている、ヴィンは唐突な感謝や褒め言葉に妙なアレルギー反応を起こすことを。


「別に。なんとなく言いたくなっただけ」

「そーかい。じゃあ、感謝ついでに今からこの書類を魔術研究会に提出してきてくれ」

「断る」

「返事早っ! え、なに、今そういう流れだったろ!?」


あっさりと切り捨てられ喚くヴィンに、クラルは至極真面目な顔で答える。


「今回の企画発案者はヴィンでしょ。仕様説明込みで書類を提出するのに補佐の僕が行ってなにになるの。それに、これ以上ユアと会う時間が減るのは本意ではない」

「結局それが本心かよ! わかってたけどなっ!」

「そもそも、立ち入り禁止区域の一件で連日報告義務に追われて、あれ以来まともに会いに行けてないんだ。せっかくの好機を一瞬たりとも無駄にしたくない」


頑として譲らないクラルの態度にヴィンはやれやれ、といった様子で肩をすくめて見せた。


「はぁ……。一応聞くけど、例の姫様とは無事に仲直りできたんだよな?」

「それはもちろん——」


二度と自分から離れようなんてことを考えさせないように、念入りに釘を刺しておいたことは言うまでもない。

しかし、声に出していないはずが、何故かヴィンは呆れたようにクラルを見つめると溜め息を吐いた。

当然、そんなことでいちいち反応を見せるクラルではなかったが。


(それにしても、あの時は気分が高揚して思わずあんなことをしてしまったけれど、ユアの反応が普段と明らかに違った。まるで、初めて僕のことを意識してくれたかのような……まぁ、実際はただの照れなのだろうけど。でも、なんというか、あれは――)


「可愛かった……」

「は?」

「ああ、いや。なんでもない」


思わず漏れ出た言葉を誤魔化すように咳払いをするクラルに、ヴィンは半ば諦めたように頭を振るとその肩をがっしりと掴んだ。


「……言っとくけど、修練活動が優先だからな。溜まっている分が片付いたら後は好きにしていいが、それまでは手を抜くなよ」


「わかってる」と呟くクラルだったが、心ここに在らずといった様子で視線を彷徨わせた。

こんなところで偶然彼女と出くわすはずもないのに、それでも諦めきれない思いがあるのだろう。

不憫に思いながらも、どこか釈然としない疑問がヴィンの頭をよぎった。


「大体、何故にそこまで報告に時間がかかってるんだよ。俺の時は半日もかからなかったぞ」

「教頭曰く、上を納得させるだけの資料が欲しいんだとさ。今回の件は異例だって。そこに至った経緯からあちらの者の言動まで事細かく調書を取られているよ」

「上ってことは……王族か。お前、ひょっとして国に目付けられているんじゃね?」


ヴィンの物言いにクラルは思わず空笑いした。


「まさか。一端の墓守を監視し続けられるほど国もそこまで暇じゃないよ」






◇◆◇◆◇◆◇◆



(何故、教頭先生がここに……?)


そんな疑問を浮かべるユアに、アーバンはゆっくりと歩み寄った。


「悪いね、ここ数日エイベルト君を借りたままで。彼の報告義務が終わり次第速やかに解放するから」


そう言い放ち、不意にその視線がユアから机の上に逸れると、目尻を緩ませる。


「——懐かしい。魔法理論には私もよく苦しめられたものだ。学生時代にこの教本を見て何度発狂しそうになったことか」


アーバンはしみじみとそう呟くと、ユアの教科書を手に取る。

そしてパラパラとページをめくりながら静かに目を細めた。


(この人は、本当に底が知れない)


ページをめくる音を聞きながら、ユアは気付かれないように鼻から深く息を吐いた。

大抵の人間は、ユアが過去の魔物襲来事件の首謀者だと知るやいな、露骨に嫌悪の視線を向けるものである。

しかし彼はそんな反応を微塵も見せず、ユアを他の生徒と同じ様に平等に扱う。

教頭である彼の立場上そうせざるを得ないのだと言われれば当然であるが、それにしては不自然に、また不気味なほどに、一切感情が読めないのだ。

綺麗に心を隠し、けれど、どこか探るようにこちらを観察する彼の視線に、ずっと得体の知れない違和感を感じていた。


アーバンは教科書を閉じて机に置くと、その表面を指でなぞった。

若くして教頭の座まで登り詰めた実力者、そんな彼にも机に齧りつくようにして授業内容を詰め込んでいた時代があったのだろう。


(そういえば、教頭先生もここの卒業生だった)


懐かしむように教科書の表紙に触れる姿は、まるで過ぎ去った過去に思いを馳せているようで——そんな横顔を眺めていると、ふとアーバンが苦笑を漏らした。


「そんなに熱心に見つめられると、私もまだまだ捨てたものではないなって思えてくるよ」

「へ? ……あ、すみません、不躾に」

「いや、別に気にしていない。ただ、君のそんな様子を見たらすぐさまエイベルト君が飛んで来そうだ」

「さすがにそこまでは……」


無い、と言い切れないのが怖いところだ。

彼の過剰なまでの過保護っぷりはユア自身がよく知っている。

同様に、普段の温厚そうな印象からは想像もつかないほど徹底的に相手を追い詰める節があることも。

最も入学当時の一件以来、表立って事を荒げるようなことは無くなったのだが。

ははは……と乾いた声を上げるユアの様子に、アーバンは興味深そうに方眉を上げる。


「彼とは幼馴染みなんだってね? 君達を見ていれば、いかに強い絆で結ばれているのかが良くわかる。最も、はじめの頃は彼の一方的な片思いだとばかり思っていたけれど」

「か、片思っ……?」


突拍子もないことを言われ、思わずユアは狼狽えた。

アーバンの言葉に過敏に反応してしまい、慌てて取り繕うにも収集がつかなくなるほど心臓がばくばく、と音を立てる。

それを見たアーバンは楽しそうに口角を上げた。


「おや、私はてっきり二人は付き合っているものだと思っていたけれど、その様子だと君達は恋人同士というわけでは――」

「ないです!」


間髪入れず、半ば叫ぶように答えるユアに、アーバンは「おやおや、元気な返事だことで」と喉を鳴らす。

明らかに人の感情を乱して楽しんでいる様子に、ユアは羞恥で顔を赤くしながら唇を引き結んだ。


「そう睨まないでおくれよ。全く、君といいエイベルト君といい、揃って私に反抗的なんだから」


ユアが赤面する様子に満足したのか、アーバンはふっと笑みを零すだけでそれ以上踏み込んだことは聞かず、代わりに両手を肩の位置でひらひらとさせた。

一切の侘びれも感じないその態度に、ユアは不服そうに眉根を寄せる。


「教頭先生……なにか用があってこちらにいらしたのではないのですか?」

「あー、そうだった。私としたことがうっかりしていたよ。少しばかり君に聞きたいことがあってね」


何事もなかったかのように話を切り出すアーバンの様子に脱力感を覚えるが、不意に彼の口角が悪戯げに吊り上げられ、ユアははたと気付いた。

先ほどのやり取りは全て、滞りなく本件に移るための布石だということに。

一見とりとめのないようにみえる雑談も、この会話の流れに持っていくために始めから仕込まれていたのだとすれば……。


(やっぱり底が知れない……)


教頭の思惑にまんまと乗せられたことに気付いても、もう遅い。

ユアは諦めて、彼の質問を待った。


「まぁ、そう緊張しなくとも、私の質問に答えてくれるだけでいいから」


顔に満面の笑みを貼り付けながらアーバンは机をこつこつ、と叩いた。



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