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6.この頃から





「あれが魔物襲来事件の……」

「なんでこの学園に……」

「王族とエイベルト家からの推薦らしいね」

「結局コネかよ」

「あんな事件を起こしておいて……」

「魔法もまともに使えない癖に」


行き交う人々が遠巻きにこちらを見ては、ヒソヒソと囁き合っているのがわかる。

悪魔……化け物……人殺し……と、断片的にユアのことを噂する声が嫌でも耳に入った。

——いつものことながら、居心地の悪い場所だ。


この学園に入学して半月。

悪い噂が常について回るユアに居場所などなく、名前も知らない生徒から後ろ指を指される日々が続いていた。

当然だ、とユアは静かに唇を噛み締める。

多くの犠牲を出した二年前の魔物襲来事件。その元凶が目の前に現れたとなれば当然、当時の恨みを持つ者からすれば憎しみを覚えずにはいられないのだろう。

中には、大切な人を失った者もいるはずだ。

次期国家魔導師として、全てを守りきれなかったこと、国民を不安の底に陥れたこと、なによりも、己の勝手な行動がこの厄災を招いてしまったことを、ユアはずっと後悔していた。

拳を握りしめ、その場を去ろうと歩みを進めた、その時、


「ユア」

「……!」


馴染みのある声に呼び止められた。

振り返るとそこには、肩で息を切らしながらユアを睨みつけるクラルの姿があった。

最近急激に背が伸びてきた彼は、周りの同年代と比較しても拳二個分ほど飛び出ており、遠巻きに行き交う生徒の目を引きつけていた。


「やっと見つけた。酷いよ、放課後は一緒に図書室へ行くって約束していたじゃないか」

「クラ――」


咄嗟に彼の名前を呼びそうになる。けれど、


「エイベルト様……またあの娘と一緒にいる」

「やっぱりあの噂は本当かしら」

「ああ、『クラル・エイベルトは魔物襲来事件の加担者』ってやつ?」

「あながち間違いでもないかもな。周りに一切目もくれず、ずっとあいつに付きっきりだろ? 絶対なんか裏があるぜ」

「もしそれが本当だとしたら相当ヤバいよね」

「……っ」


沸き立つ噂によってあっという間に掻き消されてしまった。

意気消沈するユアを目の前にしたクラルは、不快そうに舌を鳴らすと声がした方を睨む。


「また外野がなにか言ってる……ほんと、いい加減にしてほしい。あんなの気にすることないよ、ね……ユア?」


俯いて表情が見えないユアを心配に思ったのか、クラルは覗き込むように膝を折ると、優しく手を握り声をかけた。


「どうしたの。ほら、早く図書室へ行こう」


パシッ、と乾いた音が鳴り響く。

突然の出来事に周囲がしん、と静まり返り、クラルの瞳に動揺が走った。


——ユアがクラルの手を拒絶し振り払ったのだ。


呆然と立ち尽くすクラルをユアは感情の込もっていない視線で一瞥すると、無言のまま踵を返した。


「……えー、なにあの態度、感じ悪」

「せっかくエイベルト様が気を使ってくれたのに」

「やっぱり悪魔だな、あいつ。人の血が流れていないんだろ」

「エイベルト様、可哀想……」

「あんなやつ、さっさと死ねばいいのに」


少し間が開き、その場にいた生徒たちがざわざわと不満の声をあげる。

けれどユアは振り向くこともなく、聞こえないふりをしながら歩みを進めた。


彼がユアのことを大切に思っていることは痛いほどわかっている。

だからこそ、一緒にいるわけにはいかなかった。

側にいる限り、彼が好奇の目に晒されるだけでなく、良く思わない人達から根も葉もない悪評を立てられるに違いないから。

嫌われ者は自分だけで充分だ。


「——今、なんて言った?」


クラルの声が低く響き、再び周囲の空気が凍りついた。

ビリビリと背筋に冷たいものが走り、思わずユアは立ち止まる。

ユアが振り返るのとほぼ同時に、近くにいた男子生徒の胸ぐらを掴んだクラルは、そのまま勢いよく床に叩きつけた。


「がはっ……!」


突然の衝撃に咳き込む男子生徒の頭を容赦なく鷲掴みにして引き上げると、凍てついた声色で詰め寄った。


「もう一回言ってみろよ」

「……ひぃっ!」


蔑んだ目で見下ろし、魔力を込めた手のひらを首に当てがうクラルに男子生徒は悲鳴を上げた。


「僕の幼馴染みがなんだって?」


クラルの豹変ぶりにユアの瞳が大きく開かれる。


「クラル、な、にを……」


霞んでしまいそうなほど細い声だったが、クラルの耳にはしっかりと届いたようだ。

彼はユアの方に顔を向けると、不気味なほどに穏やかな笑みを浮かべた。


「なにって、ユアに酷い言葉を吐いたから少し反省してもらおうと思っただけだよ。僕の大切な人に『死ねばいい』って言ったんだ……許せるわけがない」


吐き捨てるように語尾を強めると、反射的にユアの肩が跳ねた。

それに気付いたクラルは、狂気に満ちた視線をそのままに言葉を和らげる。


「ああ、心配しないで。命までは取らない、少し”分からせる”だけだから。ユアを悪く言う奴は、片っ端から僕が懲らしめてあげる。例えば……一緒になってユアのことを悪魔だとか、感じ悪い、なんて言った奴らとか、ね」


そう言い周囲をぐるりと見渡すと、心当たりがある数人から小さな悲鳴が漏れ出た。

怯える彼らに向かってクラルはにっこりと笑って見せるが、その笑顔に安堵する人間はここには一人もいない。

普段は温厚な彼が見せる獰猛な一面に、誰もが恐れをなし身動きが取れずにいると、不意にクラルの口が動いた。


「——知ってる? 墓守が忌み嫌われるのは、それだけ死と日常が遠くて平和な証拠なんだ」


誰に向けられたものでもないクラルの独り言に、その場にいた全員が固唾を飲む。

ただ、ユアだけが弾かれたように頭を上げ、クラルの言葉に反応した。


「そして、墓守が称えられる瞬間は、死が身近で日常的になってしまった時なんだよ。皮肉な話だよね。不幸や厄災に比例して、墓守は人々の英雄となるんだから」


苦々しく呟かれたそれは、クラルの心の奥底に長年燻っていた闇だった。


長い間、不吉の象徴として忌み嫌われてきた彼の世界は、ある日を境に大きく変化した。

ついこの前まで墓守の悪口を言っていた神官も、散々嫌悪の視線を向けてきた町の人も、みんな何事もなかったかのように手のひらを返してクラルを称えた。

そしてなによりも、自分達があれほど大切に可愛がっていたユアのことをあっさりと見放しただけでなく、一丸となって魔物襲来事件の首謀者だ、などと騒ぎ立て敵意を向けるようになった。

あまりにも虫のよすぎる周囲の態度に、クラルの不信感は最高潮に達していた。


——気持ち悪い。

誰も彼もがクラルを褒め称え、挙句うまいこと取り入ろうと媚びへつらう。

あれだけ嫌っていたくせに、蔑んでいたくせに、まるで今までのことなどなにもなかったかのように調子良く持ち上げてくる。

そのくせ、一人の少女に責任を全て擦り付け、反抗しないのをいいことに好き放題言い浴びせる。

そんな彼らのことを心底気持ちが悪いと思った。


「僕は英雄なんかじゃない。臆病で、ネクラで、皮肉屋で、日陰でこそこそ生きるのがお似合いな、ただの墓守だよ。そんな僕を偏見や先入観無しで、一人の人間として接してくれたのが他でもないユアだ。……それだけで良かった」

「ぐあっ……!」


淡々と言葉を連ねながら、再度、男子生徒の頭を床に打ちつけた。

ただならぬ雰囲気に呑まれ、誰もがクラルの行動を見守ることしかできない。


「なにも知らないくせに——ユアのことも、僕のことも。上っ面だけ見て全て理解した気になって、勝手に決めつけて、簡単に死ねばいいだなんて……ふざけるなよ」

「わかった、わかったから……ぐえっ!」


男子生徒の声を遮り、クラルは更に力を強める。

加減のないその行為に、彼の顔はみるみるうちに血色を失っていった。

あまりにも一方的なやり口に周囲がざわつき、女子生徒から悲鳴が上がる。

それでもクラルの手は止まらなかった。


「ユアがどれだけ色んなものを犠牲にしたと思ってる? 散々期待されて、理想を押し付けられて、今まで築き上げたものを全て取り上げられて、結局なにも報われないまま嫌われ役を買い続けている彼女が、どれだけ……」

「――エイベルト様!!」


ユアの叫び声によってクラルの言葉が遮られた。

力を込めていた手がピタリと止まる。


「……ユア?」


ゆっくりとクラルの視線がユアに向く。

その赤い瞳には、まるで信じられないものでも見るような驚愕の色が浮かんでいた。


「なんで、その呼び方……」

「や、やめてください。もう、これ以上」


震えるユアの口から紡がれる言葉にクラルの眉が下がる。

名前ではなく家名を呼ばれたことが、他人行儀な口調に変わってしまったことが、まるで拒絶されたかのように辛く突き刺さる。


「どうして? 先に仕掛けてきたこいつらがいけないんだよ? ユアはなにも――」

「こんなこと望んでない! 荒事になることも、エイベルト様が誰かを傷付けて一人になってしまうことも……!」


激しい心の叫びにクラルの手が緩む。

ユアにそんな顔をさせるつもりはなかった。

ただ、あまりにも周りから冷遇される彼女が不憫で、行動を起こさずにはいられなかっただけだというのに。

それなのにユアを守るどころか、逆に彼女の不安をいたずらに煽ってしまった。


「そんな、僕はユアのためを思って……」

「これ以上続けるなら、私はエイベルト様と絶交します。二度と口を聞かないし、目も合わせない」


真っ直ぐな瞳に見つめられ、クラルは息を飲んだ。彼女は本気だ。

その表情に切実なものを感じ取ったクラルは、静かに男子生徒から手を離した。

男子生徒はクラルの下から這い出ると「……ひぃっ!」と悲鳴を残しながら一目散に逃げ出した。


「……」


重い沈黙が辺りを包み込む。

気まずそうに口を開きかけたユアだが、思い直したかのように首を振り、酷く悔しそうに顔をしかめたまま地面を睨み付ける。


少しして、夕刻を知らせる予鈴が鳴り響いた。

鐘の音に促されるように、先ほどまで動けずにいた生徒達は、ユアとクラルの顔を交互に伺いながら慎重にその場を後にした。


「ユア」


クラルが小さく名を呼ぶ。

けれど、ユアはなにも応えないまま俯くと、逃げるように駆け出した。

慌てて一歩踏み出すクラルだったが、それ以上追いかけることもなく呆然とユアの後ろ姿を見送った。








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