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5-4




時は少し遡る――。




「おう色男、丁度お前を探してたんだ」


人通りが少ない東校舎の階段踊り場でどんより項垂れていると、背後からコツコツと足音が近付き、不意に声を掛けられた。

振り向かなくともわかる、この声の主は寮の隣人、ヴィン・イルマニアだ。

開口一番失礼な物言いをする友人にクラルは溜め息を吐く。

モテ男だの優男だの、今最も聞きたくない単語だ。


「嫌味だけなら聞かないよ」

「待てって。さっき向こうで例の姫様の姿を見かけたんだけどよ」

「それで?」


途端に態度を翻しヴィンの肩をがっちり掴むクラルの行動に、彼は呆れ顔で「いや食い付き良過ぎね?」と呟いた。


「まぁいいや。その姫様の様子がどうも変で、気になって見てたんだよ。まるで誰かと話しているようにブツブツ呟いてて、そしたら……」


急かすように真剣な眼差しで見つめるクラルと視線がかち合う。

そのただならぬ様子にヴィンはどこかやりにくそうな表情を浮かべると、頬を掻きながら続けた。


「そしたら、立ち入り禁止区域の方に”一人”で向かって歩いてったんだ。さすがにこれはおかしいと思ったからお前に伝えようと思って……って、おいクラル!?」

「ごめん知らせてくれてありがとうまた後で」


ヴィンの話を早々に切り上げると、クラルは駆け出した。

嫌な汗が一筋、頬の横を伝う。


(立ち入り禁止区域……命の危険を伴う可能性があるため一般の生徒は入ってはいけない場所。普段のユアなら理由無く入るはずがないのに)


何故? どうして? ……嫌な予感がしてならないクラルは必死に頭を巡らせ思考する。


『様子が変』

『誰かと話しているように』

『立ち入り禁止区域に』

『一人で』


ユアが一人でそこに行く理由、それもブツブツと独り言を言っていたという情報からある可能性が浮かび、サッと顔から血の気が引いた。


「そんな……だって、あの時以来、一度も……」


この感じ、覚えがある。

ずっと昔——ユアがまだ神童と呼ばれていた頃に何度か同じようなことがあった。

それは決まって精霊祭の時期に……。


「……っ!」


エントランスを抜けた瞬間、ゾワリとした悪寒が全身を駆け巡り、咄嗟にクラルは東側の空を見上げた。

雪雲に覆われすっかり暗くなってしまった空の一部が、禍々しい紫色の渦を巻いている。

恐らくユアがいるであろう、立ち入り禁止区域の方角——。


考えるより先に体が動いていた。

彼女が危険に晒されるかもしれないという不安が、クラルの体を急かす。


「ユア……どうか無事でいて」


祈るように呟きながらクラルは立ち入り禁止区域の金網をくぐり抜けた――。




◇◆◇◆◇◆◇◆



『もう少しダったのニっ……! あと少しで、手ニ入るところダったのニ!』

「エマちゃん……?」


"エマ"だったものは青い炎に焼かれながら、小さかった体をいびつに大きく変形させる。

その口から発せられる声色も、鈴を転がしたようなかつての可愛らしい少女の声から、不気味で幾重にも重なった声へと変わっていた。


目の前の光景が受け入れられず目を見開き固まるユアをクラルはそっと引き寄せる。

そして、彼女によくよく言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「いくつもの淀んだ魂が混ざっている。恐らく長い間彷徨い続けていたのだろう。気を付けて、現世に紛れ込んだあちらの者は、ひとつところに留まると、上質な魂を求めて生者も死者も見境なく巧みに誘い込み、魅了した者を連れ去ると言われている」


そう呟くなり顔をしかめた。

本来であれば、周囲に危険が及ぶまで魂の淀みを放置するなどあり得ない話だ。

そうなる前に、腕利きの魔導師なり地域の墓守に依頼をかけて対処しなければならない、はずなのだが。


(まさかとは思っていたけれど、ここまで肥大化した魂の淀みが隠されていたとはね)


まるで臭いものに蓋をするかのように魂の淀みを放置し続けてきた学園の対応に思わず「……学園側は一体何を考えているんだ」と愚痴が溢れる。


『嫌だ、イヤだいやだいやだイやだ! 欲しいほしいホシイ! あれがオマエが欲しい居なければクルシミカラ解放サレタのニ!!』


少女の殻を破った黒い塊は苦しそうにむくむくと膨れ上がると、パァンと音を立てながら四方に弾け、燃え盛る青い炎を一瞬で掻き消した。


「わっ……!」

「離れないで。凄い邪気だ」


咄嗟にユアの肩を抱き寄せ体を密着させると、周囲に防御魔法を張り巡らせる。

瞬間、弾けた塊が鈍い音を立てながら防御膜にぶつかり反動で跳ね返った。


『アアああああアアア”あ”あ”ぁぁぁぁ!!!』


攻撃を防がれたことで苛立ったのか、黒い塊は奇声を上げながらドロドロに溶けると、とぐろを巻くように周囲を這いずり、再びユアとクラルに襲いかかる。

そして液状の触手が忌々しげに防御膜を包み込み、あっという間に視界が黒一色で埋め尽くされた。


「……ひっ!」


膜の外側から血走った目が無数に見開き、一斉にユアへと向けられた。

あまりにもおぞましい光景にユアの口から小さな悲鳴が上がる。


過去にも何度か、あちらの者に目を付けられたことはあった。

けれどもそれは神童時代の、今よりも遥かに魔力量が多かった頃の話だ。

知らなかった、非力であることがこんなにも怖くて、恐ろしいことだったとは。

今まであまり恐怖を感じずにいられたのは、たまたま対抗できるほどの魔力を保有していたからに他ならない。


(その感覚が抜けないまま、私は今までずっと……)


立っているのがやっとなほど恐怖で足がガクガクと震えだした。

心臓が激しく脈を打ち、冷や汗がどっと噴き出る。

それに気付いたクラルはユアの肩に回した腕に力を込め「大丈夫だから」と宥めた。

赤い瞳に射抜かれて、ユアの脳裏にある疑問が浮かぶ――。


一体彼は、どれだけこの恐怖を乗り越えてきたのだろうか。


「……きゃあっ!」


ガツッ、と防御膜が嫌な音を立てながら揺れ、内側の面積が一回りほど狭くなった。

助けを求めるようにしがみつくユアをクラルは片腕で受け止めながら「猛攻が始まったか」と呟いた。

ガツガツ、と音を立てながら防御膜が削られる度、外側の黒い視界に浮かぶ血眼の目が徐々に近付いてくる。


『ぎゃあああああああああああああああああああああああぁイラないあああああああああああああああああぁホシイああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁからあああああああぁ子ならああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁソノああああああああああああああぁ全てヲああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!!』



――クレヨ。



突き破られた防御膜から巨大な眼球がにゅるりと侵入しユアの顔に急接近した。

開かれた瞳孔の黒が視界一杯に広がり、背中にゾクリと悪寒が走る。


直後、猛烈な殺気が隣から発せられると同時に青白い閃光が走り、放たれた火球が光線を引きながら目玉を真正面から貫いた。


『イヤアアア……アア!!』


魂の淀みは濁った悲鳴を上げながら伸ばした目玉を引っ込めるが、青い炎は瞬く間に全身を包み込み、黒い塊を端から消し炭に変えていく。

そこに追い討ちをかけるように、再びクラルは青い火球を作り出すと容赦なく塊に叩きつけた。


『ギャア!! アアアア……!! ヤ……ヤメ、テ!』


けれどクラルはその手を止めることはなかった。

どれだけ懇願されようと一切耳を貸さず、無慈悲に火球を打ち込み続ける。



「ユアは僕のだ。誰にも渡さない」



抑揚のない声が低く頭の上で響く。

反射的に顔を上げると、炎の照り返しを受ける幼馴染みの横顔が映った。

青い反照によって強調された肌の色白さとは裏腹に、額に降りた陰は不気味なほど黒く、その鮮烈な赤い瞳は、苦しそうに身を捩る魂を冷徹に見下している——。


途端に、身体中の血液が逆流するかのような感覚に襲われた。

今まで一度も見たことのないクラルの獰猛な表情に全身がざわざわと粟立ち、すっかり冷たくなってしまった背中とは裏腹に、顔や手のひらは仄かに熱を帯びていく。


「ここにいて」


しがみついたままのユアの手を優しくほどくと周囲に再び防御魔法を張り巡らし、暴れ狂う黒い塊に向かって歩みを進める。

支えるものがなにもなくなったユアは、その場でペタリと膝をついた。


『ア……アツい、熱イ!! イヤだ、戻りタくな——』

「残念だけど、時間切れ。ここはお前が居ていい場所じゃないんだ。お願いだから、これ以上僕を怒らせないで」


クラルは言葉を遮ると魔力を手のひらに込め、とどめの火球を形成させた。

それをみた黒い塊の眼球が大きく震える。


『ナンで……アイツ……イ……らなイ子、イらなイ子、イラナイ子、イラナイ子なんダろ!? イラナイならくれ、くレ、クレ、クレ……クレヨ——ギャっ!!』


“いらない子”という言葉に大きく反応したのをユアは見逃さなかった。

クラルの手のひらに込められた魔力が音を立てながら爆ぜた瞬間、容赦なく青い炎の球が振り下ろされた。

青い炎は魂の淀みを隅々まで焼き尽くすと、役目を終えたとばかりにフッと消えてしまった。



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