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5-3






「……あ」


嗚咽を詰まらせながら手で涙を拭う女の子はユアの存在に気付いたのだろう、ゆっくり視線を上げると息を呑んだ。


(初等部の子かしら)


ラース学園の制服に身を包む女の子は、ユアの胸のところほどの身長しかなく、不安そうにぎゅっと握りしめる手や、その立ち振る舞いからは幼さが滲み出ている。

歳の頃は六、七前後、といったところだろうか。


「うう……」

「ど、どうしたの?」


大きな瞳が再び潤み、反射的にユアは声をかけた。

女の子は臆することなくユアに近付いてくる。


(怖がる素振りはない……私のことを知らないのか)


ユアの悪評は学園内では有名だが、それでも最小学年には充分に届いていないのかもしれない。

そう思うと、目の前の女の子を怖がらせてしまうことを危惧していた分、少しだけ落ち着きを取り戻した。

女の子は口を開く。


「大切なものを無くしちゃった……」

「大切なもの?」


ユアは首を傾げた。

けれど女の子はそれ以上のことを話さず、再び目元を手で覆いながら「あれがないと、私……」としくしく泣き出した。

つい先ほどまで泣いていたユアは女の子の様子を他人事と思えなくなり、気付けば彼女の頭を撫でていた。


「大丈夫、私も一緒に探してあげるから」


努めて明るい口調で話しかけると、女の子はパッと顔を上げる。


「……本当?」

「ええ。だからほら、泣かないで」

「うん……」

「あなたの名前は?」


ようやく泣き止んだ女の子は涙を拭いながら一言「エマ」と呟いた。


「エマちゃんね。なにを無くしたの?」

「……」


ユアの問い掛けにエマは押し黙った。

質問の意味が分からなかったのだろうか、それとも、大切なものだから他人に言いたくないのか。


「どこで無くしたかわかるかな?」

「あっち」


質問を変えると今度はちゃんと伝わったのだろう、小さな人差し指を立てて森の奥を指差した、のだが。


(あそこは確か、立ち入り禁止区域)


ユアの表情が強張る。


立ち入り禁止区域……命の危険を伴う可能性があるため一般の生徒は入ってはいけない場所。

生徒が誤って迷い込んでしまわないよう、一応区域の境目には金網が張り巡らされているのだが、エマが指差した先には恐らく経年で破れたのであろう、大人も余裕で潜れるほどの大きな穴が開いていた。


「……ついてきてくれる?」


躊躇していると、不安そうに覗き込むエマと目が合った。

今更断るわけにもいかず、後に引けなくなったユアは、仕方なく笑みを浮かべた。


「いいよ、一緒に探そう」


その一言でエマの表情がパッと華やぐ。


(金網が見える範囲で、充分に周りに気を付けていれば、なにかあってもなんとか対応できるはず)


起こり得ることを想定しながらエマに手を引っ張られるがまま、ユアは立ち入り禁止区域に足を踏み入れた。




「こっち」


むせ返りそうになるほどの濃い霧が立ち込める。

木々が密集する深い森の中、無邪気に手招きをするエマを見失わないようにユアは必死に着いていった。


(こんな深いところまで。見かけによらずお転婆なのかな)


むき出しになった木の根に足を取られそうになりながら、ユアは呆れたように溜め息を吐いた。

迷うことなく奥へと進む様子から、ここに何度も通っていることが伺える。

きっと、立ち入り禁止区域がどれだけ危険な場所か分からないまま、ただ好奇心だけでこの地に足を踏み入れたのだろう。


(この霧……滞留した魔力が濃くなって出来ているんだ。どおりで空気が甘い……)


ユアの背にピリッと緊張感が走る。

普段の自然発生した魔力であれば、ここまで濃い霧になることはない。

土地柄によるものなのか、魔力を肥大化させる原因がどこかに潜んでいるのか。


いずれにせよ、長居は禁物だ。

魔力の霧に晒され続ければ、判断力を鈍らせてしまうだけでなく、最悪の場合、精神に異常をきたす可能性もある。


(それにしても薄暗い。これは当分服が乾きそうにないな)


生乾きのローブに体温を奪われ、寒さから体をぶるりと震わせていると、遠くでユアを呼ぶエマの声が聞こえた。


「お姉ちゃん、遅い」

「ごめんごめん。探し物は見つかった?」


訊ねるとエマは残念そうに首を横に振った。

少し遅れて到着したユアも改めて周囲を見渡したものの、木の根や落ち葉だらけの地面にそれらしきものは見当たらない。


「んー、この辺りには無さそうだね」

「もっとあっちの方で落としたかも」


指差す方に目を向けたユアは思わず「ええ、あんなところまで行ったの?」と大きな声が出た。

エマが示す先は、更に奥まった茂みの向こう側。

あちらへ行ってしまえば、境界線の金網は見えなくなるだろう。


「えへへ、行こう」

「エマちゃん、ちょっといい?」

「うん?」


無邪気に先を行こうとするエマを手で止めると、膝を折って視線を合わせる。

怖がられるかもしれない、などという思いはとっくに消え失せた。

ただ、目の前の少女にこれ以上危険なことをしてほしくない一心で口を開く。


「入学式で説明があったと思うけど、ここは本来入ってはいけない危険な場所なの。もし内緒で入って怪我でもしたら大変でしょ?」


ユアの言葉をエマは黙って聞いている。

ちゃんと伝わっているのだろうか、と不安に思いながらユアは続けた。


「ここには大人でも対処できない何かが潜んでいると言われているわ。

そうでなくともこの霧、行き場を失った魔力がここまで溜まるのはとても異常なことなの。

私は、エマちゃんになにかあったら悲しいな。だから、もうこんなところに来てはいけないよ」


一通り話し終えると、辺りは静寂に包まれた。

その間エマは口を一切開かず、顔を斜め下に伏せたまま微動だにしなかった。

少し言い過ぎただろうか、と焦りを覚える頃、不意にエマが顔を上げた。


「悲しい?」

「うん、とても」


間髪入れずにそう答えると、エマはくるりと向きを変えて何事もなかったかのように歩き出した。反省できているのか微妙なところだ。


(ちゃんと伝わっているのかな)


うーんと唸りながら腕組みをするユアは気付かなかった。

後ろを向いた少女の口角が上がっていることに——。






茂みの向こうを越え、その先で更に場所を転々としながら捜索を続けたが、一向にエマの探し物が見つかる気配はなかった。

本当にこの辺りで落としたのだろうか、とぼんやりする頭で考え事をしていると、刺のついた枝が指を掠めた。


「……った!」

「お姉ちゃん、大丈夫?」


思わず声を上げると、心配そうに見つめるエマと目が合った。

不安を煽らないように「ちょっと指を切っただけ」と笑いかけ、じんじんと痛む指先を見て絶句した。

探し物に夢中になって気付かなかったが、いつの間にか手が傷だらけになっていたのだ。


「エマちゃんは怪我ない?」


はたと気になり訊ねると、彼女は元気良く「うん」と返事をした。

まだまだ体力が有り余っている様子のエマにホッと息を吐くものの、すっかり日が暮れて暗くなってしまった森の中を見渡す。


――全く気付けなかった。

手に傷を負っていたことも、辺りが暗くなっていたことも。

滞留した魔力の霧の影響だろうか、あれだけ気を張り巡らせていたというのに、いつの間にか正常な思考ができなくなってしまっていた。


頭の中で警鐘が鳴り響く。

エマには特に変わった様子は見受けられないが、これ以上ここにいるのは危険だ。


「エマちゃん」

「なあに?」

「探し物は明日にして、そろそろ戻ろうか」

「え……」


エマの表情がサッと曇る。

けれど、身の安全のために、ここはなんとしてでも連れ戻さなければならない。


「こんなに暗くなってしまったら探せないでしょ。また明日も手伝うから、もう戻ろう」

「嫌だ、まだ探すの」


案の定、エマは駄々をこね出した。

想定はしていたが、やはり探し物が見つかるまで戻る気はなかったようだ。

腕を組ながら「そう言われてもねぇ」と困っていると、エマはすがるような目で森の奥を指差した。


「それにほら、こっちの方はまだ明るいよ?」

「これは……」


目の前の光景にユアは瞠目した。

そこはまるで昼間のように太陽光が差し込み、春を彷彿とさせる草花が青々と生い茂っていたのだ。


「だからお願い、これで最後にするから、一緒に来て?」


エマに手を差し出され、今までの不安がパアッと霧散した。

暖かそうな日差しに照らされた地面の草が、まるでユアにおいでと手招きするように揺れている。


私もそっちに行きたい――。


麗らかな陽気に誘われるように、ユアは一歩を踏み出した、その時。


「そこまで」


突然手首を掴まれたと思ったら強い力で後ろに引かれ、黒い影が少女とユアの間に割って入った。

その見慣れた後ろ姿にユアは言葉を失う。


(エイベルト、様……?)


何故彼がここに――そう思うよりも先に、クラルは手に込めた青い炎を躊躇うことなくエマに向けて放出した。


「ぎゃあああ!!」

「エマちゃん!」


炎に焼かれのたうち回るエマの姿に、思わずユアは悲鳴を上げる。

けれど側に駆け寄ろうとするユアをクラルが強く制した。


「これ以上近付いては駄目だユア!」

「だって……エマちゃんが!」


早く火を消さないと、と焦るユアにクラルは極めて冷静な視線を送る。


「まだわからない? 彼女は、いや、あれはあちらの者だよ。それも、かなりたちの悪い」

「……え?」




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