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国内最大を誇る『ラース学園』は、数多の優秀な魔導師を輩出することで有名な魔導師養成学校だ。
毎年、世界各地から多くの魔導師志望者がこの学校に入学し、数年に渡る学園生活を終えた後、卒業試験を受けることで晴れて一人前の魔導師として認められる。
入学した生徒は、学園から支給されるアイボリー色のシャツと、サスペンダー付きスラックスに身を包み、その上から膝下ほどあるローブを着用するよう命じられる。
魔導師としての立ち振る舞いを学び、動きが制限されるローブの扱いに慣れるための、ラース学園公式の制服姿である。
一口に『魔導師』と言ってもその仕事内容は実に様々で、聖職者として神殿で働く者、ハンターや戦闘職として冒険者ギルドに登録するもの、中には個人経営の占い師や魔術禁書を取り扱う商人として商売をはじめる者もいる。
それだけ食いっぱぐれが少なく、将来が安泰な職種と言えるのだ。
もちろんそれは、無事に卒業できれば、の話だが――。
「今日もまた居残り?」
図書室の一角にある閲覧室で提出用の用紙を前に唸っていると、上から低く抑揚のない声が降ってきた。
顔を上げると、癖毛の前髪から覗く赤い瞳を吊り上げ、眉間にしわを寄せるクラルの姿があった。
子供の頃の面影はあるものの、十年とちょっとの間に成長し、すっかり青年の顔つきになっている。
「はい、薬草学の課題を忘れてしまいまして」
「君にだけ伝達されなかったわけじゃなくて?」
笑顔で取り繕うユアに容赦なく言葉を被せた。いつもより少し固い声色から疑惑の念がうかがえる。
確かに、ユアにだけ課題の範囲を知らされなかったのは事実だ。
しかし理由がどうであれ、確認を怠った自分にも責任があるわけで、それを棚に上げて頭ごなしに伝達不備を問いただせるほどの度胸は持ち合わせておらず、
「そんなの、言い訳にすぎませんよ」
やっとのことで捻り出した言葉を並べると、少し強く問い詰め過ぎたと思ったのか、クラルは深く息を吐いた。
「しょうがないな。わからないところがあったら僕に聞いて。手伝ってあげるから」
「いつもすみません、"エイベルト様"」
これ以上追求されないことにホッとして、クラルの提案に頭を下げると、再び彼はムッとした表情でユアを睨んだ。
「……それ、二人の時はやめてっていつも言ってるでしょ」
——ユア達が暮らすクレスタブル王国は、優秀な国家魔導師によって国中に強力な結界を張り巡らせている。
そのおかげで魔物の脅威を最小限に抑え、人が住めるよう土地を開拓し、大国を築き上げることができたのだ。
中でも生まれつき魔力量が多い者は、未来の国家魔導師として期待され、特別な訓練を受けることで国からの地位や補助を得ることができた。
ユアもその内の一人だった。
幼い頃から前例のない魔力量の持ち主で、周囲から羨望や期待を集め、いずれは国一番の魔導師になるだろうと囁かれていた。
一方、墓守の家系に生まれたクラルは、幼少期から代々家に伝わる闇魔法を教え込まれてきた。
墓守の家系に古くから伝わる魔法の多くは、魔導師が使うような対魔物用の戦闘に特化したものではなく、葬儀などで使用されるものがほとんどであった。
死者を安らかに送り出すための送り火や弔いの儀、生前に受けた呪いを解除するための呪いの知識、遺体の清め方や埋葬手順……。
それ故、死に関連するものを生業としている墓守は縁起が悪いとされており、家柄や地位こそ高いものの誰もが穢れを嫌い、葬祭を除いてほとんどの人は寄り付こうとしなかった。
神童と崇められ大切に育てられたユアと、縁起が悪いと周りから忌み嫌われてきたクラル。
端から見れば対極の二人であったが、ユアはクラルを兄のように慕い、クラルもまた、ユアのことを誰よりも大切に思っていた。
「昔は呼び捨てだったのに」
「いつまでも、そういうわけにはいかないのです」
口元を歪め不満そうに呟くクラルに、しれっとユアはそう言ってのける。
その青い瞳は、どこか遠い過去を見つめるように視線をぼんやりと漂わせた。
クラルの言う通り、幼い頃の二人は敬語もなく互いに呼び捨て合うほどの気安い仲だった。
そんな二人の関係が大きく変わってしまったのは今から八年ほど前のこと。
(八年前……多くの国民の命が犠牲になった『魔物襲来事件』が起きた年。そして……)
その日、突如現れた黒龍によって国を覆う結界が破壊され、近隣の魔物が次々と町に攻め込む事件が発生した。
普段はそれほど被害を及ぼさない小さな魔物達も、結界の力が弱まったことによって本来の力を取り戻し、脅威となって人々に襲いかかった。
黒龍の吐く炎が町中を燃やし、魔物の攻撃によって建物が破壊され、恐怖と絶望に支配される中、その首謀者として矢面に立たせられたのがユアだった。
黒龍を操り、国を破滅に追い込んでいったのではないか、と。そんな噂が瞬く間に広まっていった。
何故なら、国家魔導師が束になっても敵わなかった黒龍が、ユアを前に大人しくなったからだ。
黒龍を鎮め、魔物と心を通わせるユアを前にした人々の疑念が確信に変わるまでそう時間はかからなかった。
多くの国民が黒龍をすぐさま殺すように訴えた。
けれどユアは、聞き入れなかった。
大人しくなった黒龍を遥か上空の結界の破れ目へ誘うと、そのまま国の外へと逃したのだ。
それを目の当たりにした国民の怒りは最高潮に達した。
次期国家魔導師として名高い彼女が、巨悪の根源とも言える黒龍を討伐もせず野に放すなど許されざる行為だった——。
「僕ら、一つしか歳が違わないんだよ? それも付き合いの長い幼馴染みなのに、急に上下を意識して距離を置くのはどうかと思うけど」
「目上を敬うのは礼儀ですから」
「だから僕は気にしないっていつも言っているのに」
拗ねたように机に突っ伏すクラルの黒い癖毛を困ったように見つめながら、それでもユアは頑なに態度を崩そうとしなかった。
別にユアは、クラルのことを嫌っているわけではない。
しかし、クラルの好意に甘えてしまえば、ユアに向けられている悪意が彼に飛び火する可能性がある。
そして、それはユアの本意とするところではなかった。
なにかを言いたそうに口を開きかけ、一つ間を置き、思い留まるように微笑んで取り繕うと、クラルに言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「嫌なのですよ。私と親しくすることで、エイベルト様の立場が悪くなってしまうことが。それに……」
多くの被害者を出した魔物襲来事件。
この事件の裏で活躍を見せたのは、クラルを含む墓守一族だった。
彼らは被災地に赴き、今まで散々忌み嫌われ避けられてきた弔いを行い、送り火を上げて残された被災者の心の傷を癒した。
また、墓守の迅速な対応が功を成し、死体放置による疫病などの二次災害を防いだだけでなく、被災後に引き起こしやすいとされる住民の心情低下も最小限に食い止めることができた。
中でも強烈に印象付けたのは、最年少でありながら前線で活躍を見せたクラルの存在だ。
大人顔負けの卓越した墓守の魔法制御が話題を呼び、クラルの噂を聞きつけた国王は墓守の代表としてエイベルト家に栄誉と褒美を与えた。
このことがきっかけで世間の墓守に対する評価はガラリと変わり、墓守を穢れた一族だと厭う風潮は急激に減っていった。
以降、今までユアに向けられていた羨望は悪意に、クラルが受け続けてきた誹謗は称賛へと逆転し、二人を取り巻く環境が大きく変化してしまったのだ。
(今はもう、エイベルト様は英雄のような存在。それを私が壊しては駄目だ。もう昔みたいに、陰に隠れて泣いてほしくないから……)
そんなユアの気持ちを知ってか知らずか、クラルは机に顔を突っ伏したまま、拗ねたようにボソボソとなにかを呟いている。
なんと言われようとユアはこの距離感を崩すつもりはさらさらない。
けれど、いつまでもどんよりと落ち込むクラルを見ていると、さすがに傷つけてしまっただろうか、と不安になり、恐る恐るユアは口を開いた。
「それはそうとエイベルト様、高等部一学年の時の魔鉱石学のノートって、まだとってありますか?」
「捨ててはないと思うけど」
「良かった。実は、今度の授業のために予習をしておきたいのですが……もし、よろしければ……」
机に顔を押し付けたまま、無愛想に返事だけ返す彼の様子を横目で伺いながら言葉を探していると、突然クラルはガバッと顔を上げた。
「……あーもう、もうっ! そんなに遠慮しなくとも貸すよノートくらい!」
「わぁ、助かります」
いつもの調子に戻ったクラルに思わずユアは安堵の笑みを浮かべた。
花が咲いたように明るく笑うユアにつられて、クラルの、への字に曲がった口角も少し緩む。
「課題終わった後に予習するんでしょ。今から取って来ようか?」
「ぜひ、お願いします」
「わかった。それじゃあちょっと席外すから、ここで待ってて」
我ながらチョロい……と苦笑を漏らし、閲覧室を出ようとしたところで「ああ、そうだ」と呟くと踵を返した。
「忘れないうちに、これ。差し入れ」
クラルがローブの懐から取り出し手渡したそれは白い布袋に青いリボンが結ばれており、中からほのかにバニラの甘い香りがする。
リボンをほどき袋の口を広げると、わぁ、とユアが歓声を上げた。
「綺麗。クッキーの真ん中に飴がはまっている」
「ステンドグラスクッキー。初めて作ってみたんだけど、どうかな」
「これ、エイベルト様の手作りですか? 器用ですね」
クッキーをつまみ景色にかざしながら感心したように呟くユアに、クラルの頬がほんのりと赤くなる。
「その、なんだか君、しんどそうにしているし、疲れとかに効くように疲労回復効果を入れているから。なにもないよりかは体が楽になるよ」
クラルの言葉に、ユアは青い瞳を大きく見開いた。
彼の言う通り、少し前から体の節々が筋肉痛のような痛みと、酷い風邪のような倦怠感を引きずっていたのだ。
なるべく悟られないようにニコニコと笑顔を振りまいたりしていたものの、それをまさか言い当てられるとは思ってもみなかった。
「えっと、いつから気付いていました? その、私が疲れていることに」
「昨日くらいからかな。肩から背中にかけての疲労感が酷いんじゃないか? 顔には出ていなかったけど、少しの動作ですぐバテていたから」
確かに不調は昨日から続いており、特に肩の周りが鉛のように重く、一晩寝ても治るどころか、症状は刻一刻と酷くなる一方だった。
「さすがエイベルト様、鋭い観察力ですね」
「おしゃべりはいいから、一つだけでも口に入れる。ほら、口開けて」
隠していたことがバレた気まずさから取り繕うように誉めてみたものの、それもすぐ勘づかれてしまい、ムッとした表情のクラルによって半ば強引にクッキーを口の中に詰め込まれた。
「ふぁっ、ひょっほ、ほういんふいあへんは?」
「ちょっとなに言ってるかわかんないけど……どう? 美味しい?」
「ほいひぃえふ」
必死に口を動かしながら頷くと、不意にクラルの顔が綻んだ。
「ふふ、大きな口。まさか一口で収まるとは思ってもみなかったなぁ」
「ひょっほ、わらはないへふだはい!」
くすくす笑うクラルを前に、ユアの顔がどんどん赤く染まる。
食べろと差し出されたから食べただけなのに、笑われる道理はこれっぽっちもない。
しかし、目を吊り上げ抗議するもののクラルに全く届いていないようで、
「はいはい。それじゃあノート取りにいってくるから、残りのクッキーでも食べながらまってて」
慌てふためくユアに横目で"してやったり"の視線を送ると、手をひらひらさせながら閲覧室を後にした。