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5.あちらの者



ぎぃ、と木の扉が軋むと、それまで机の下で丸まって俯いていたクラルの肩がぴくりと反応した。

部屋の中から出てきたのは、黒い癖毛に燃えるような赤い瞳を持つ背の高い男――クラルの父親だ。


「あの子の様子は?」


そう父親に声をかけたのはクラルの母親だ。

彼女もまた背が高く、後ろで無造作に縛り上げた黒い癖毛と垂れた前髪の奥から覗く赤い瞳はどこからどう見ても墓守特有のものだった。

心配そうに眉を潜める母を宥めるように、父はそっと肩に手を置いた。


「連れて行かれそうになったとは思えないほど元気だよ。食欲も問題なさそうだ」


それを聞いた母は、ほっと息を吐くと「安心したよ」と胸を撫で下ろした。


「あの子は特に、あちらの者を引き寄せやすいからねぇ」


そう呟き、チラリと机の下にいるクラルに目を向ける。

いつまでも落ち込んでいる息子の様子に、やれやれと首を振ると、ゆっくりと腰を下ろしてしゃがみ、すっかり丸くなってしまったクラルの背中をバシッと叩いた。


「気にすんなー、クラル。むしろあんたがいなければ、あの子の発見がもっと遅くなってしまったかもしれないんだから」

「……でも、僕がもっと強かったら、こんなことにはならなかったかもしれないのに」

「だから、あんたのせいじゃないって。連中の言うことなんか真に受けるんじゃないよ」


母の言葉を聞いたクラルは、違うそんな単純な話じゃない、と更に頭を掻きむしった。




――精霊祭が終わって数日が過ぎた頃、いつものようにユアと遊ぶ約束をしていたクラルは待ち合わせ場所に向かっていた。

ちらちらと雪が降る中、急に吹き付ける冷たい風に身を震わせる。

寒さで赤く染まった鼻の先を温めるように手のひらで包み、白い息をふう、と吐くと、こもった熱が指の間を抜ける感覚に、体の中にある冷たい空気まで外へ出ていくような錯覚を覚えた。

そうやって気を紛らわせながら、墓地裏に面した道にある、大きな木の下に到着した。まだユアの姿はない。

また、いつものように特殊訓練が長引いているのかな、と、その時は特に気にも止めていなかった。

異変に気付いたのは、待ち合わせ時間を大幅に過ぎた頃。

時間潰しに忍ばせていた属性別入門書を眺めていると、不意に森の方から不気味な気配と共に微かな魔力の流れを感じた。


「……ユア?」


心臓がひゅっ、と凍りつくような感覚に思わずクラルは持っている本を落とした。……嫌な予感がする。

何故なんの脈絡もなく、突然そのような感情に支配されたのかはわからない。

日々人の死に向かい合っている墓守だからこそ敏感に感じ取れた違和感なのか、闇魔法を得意とする者の職業柄による勘なのか。

いずれにせよ、今までに感じたことのない深淵の恐怖に駆られたクラルは、酷く脈打つ鼓動を抑え足の向くままに走り出した。


冷たい空気を孕んだ森の中は不気味なほど静かで、木々の枝や重なった針葉樹の葉によって日光が遮られ、昼間だというのに辺りは薄暗い。

まるで冥界の入り口のようだ、と思い、クラルは慌てて首を横にブンブンと振った。

縁起でもないことを一瞬でも考えた自分が恨めしい。

今はとにかく、ユアを探すのが先決だ。

その時、人の道から外れた茂みの向こうで、見慣れた焦げ茶色の髪が通ったのが見えた。


「ユア!」


良かった見つけた、とクラルは茂みを掻き分け向かい――絶句した。

虚ろな目で一方向を向くユアの前には、カボチャほどの大きな頭を持つ骸骨のような老人が立っていた。

明らかに人間ではないそれを前に、ユアは独り言のように口を開く。


「この辺りで見失ったの?」

『ああ、もっと森の奥だったかな』


幾重にも重なった老人の言葉に鳥肌が立った。

――あちらの者だ。


『頼むよ、小さな魔導師さん。わしの可愛い可愛い孫を探しに……さぁ、こちらへ』


ユアの足が一歩目を踏み出すよりも早く、クラルの体が咄嗟に前へと出た。

ユアの手を引き、距離を取るように後ろへ流すと、手に魔力を込め老人と対峙した。


「クラ――」

「これ以上近付くな!」


クラルの、普段からは想像もつかないほど大きな声が響く。

それはユアに向けた言葉なのか、それとも目の前の老人に対しての牽制か。

手のひらに込められた魔力が光の球となり、性急に青い火へと姿を変えた。


「待ってクラル、そのおじいさんは人を探していて……」

「そいつはおじいさんじゃない、人間のフリをしたあちらの者だ!」


クラルに怒鳴られ、そこで初めてユアは気が付いたようだ。

一瞬の間が空き、やがて驚いたように息を呑んだ。


『……するな』


老人の口が開かれクラルは身構える。相手が力を振るった瞬間が魔法を当てるチャンスだ。


『……邪魔をするナぁ!!』


巨大なエネルギーが縦に伸び、思わずクラルは身震いする。けれどここで怯んではいけない、とばかりに、手に蓄積させていた魔法を最大火力でぶっ放した。

青い火球が老人の胴体に当たり、音を立てながら燃え盛る。


(……いけたか?)


しかし次の瞬間には青い炎が掻き消され、意地悪く口元を歪める老人と目が合った。


『クク……未熟な墓守メ……その程度ノ魔力でナニができル』


クラルの顔がサッと青ざめた。

魔法は合っていた、生成も上手くいったしタイミングも悪くなかった。

……単純に力不足だった。


「クラル!」


ユアの声と同時に目の前に防御魔法が張られ、ほどなく黒いエネルギーの塊が弾き返された。

そこで初めて、自分が放心していたことに気付いた。


『……小賢シい』

「うっ!」


老人の声が降り注ぎ、ユアは呻き声をあげるとその場で眠るように倒れてしまった。


「ユアっ!」


慌てて揺すりをかけるものの目覚める気配は全くなく、ただこんこんと眠り続けていた。


『さテ……あとハこれヲ削るのミ……』


忌々しげに老人が呟いたそれとは、先ほどユアが張った防御魔法のことだ。

禍々しい黒のエネルギーを幾つもの球に変えると防御魔法を取り囲み、多方面から殴るようにぶつけてきた。


「……くっ!」


ガツガツと酷い音を立てながら外側から防御魔法をこ削いでいく。

必死で火球を生成し応戦するも、黒い球を数個消すのがやっとで、その間も容赦なく攻撃は続けられる。

もしこの防御魔法が消えてしまったら、ユアがあの世へ連れて行かれてしまう。

そう考えると恐怖で全身がガタガタと震えた。


「助けて……助けて……父さんっ……!!」


気付けば涙を流しながら父親に助けを求めていた。

家から離れた森の奥で、声が届くわけがないことを知りつつ、それでも助けを求めずにはいられなかった。


『哀れよの……無力なお前も、力を秘めたその子も』


老人の言葉にクラルは顔を上げた。

先ほどの淀みが重なり合った声とは違い、しわがれた一人の老人の声に戻っていた。


『なぁ、お前は永遠にその子の隣には立てん。そういう星の回りなのだよ。無駄なあがきは止めて、大人しくその子を渡すがよい……』


(星の回り? 一体どういう……)

「クラル!!」


聞き慣れた男の声が背後から響き、次の瞬間には目の前の老人が青い炎に包まれていた。

クラルが放ったものよりも、より大きく強力な青い炎。


「……父さん」

「クラル、無事か」


気付けば老人は跡形もなく消えており、目の前には焦げた地面がむき出しになっていた。

助かったんだ、と思うと同時に、もう一つの恐怖が全身を支配した。


「父さんっ、ユアを助けて! さっきのやつに眠らされて……何度呼んでも起きないんだ!」


息子の悲痛な叫びを聞いた父親は、ハッと顔をユアに向けると、すぐに下から腕を入れて持ち上げた。


「家まで急ぐよ。あちらの者の力はかなり強い。放っておくと一生目を覚まさなくなる可能性もあるんだ」

「そんな……!」


絶望に顔を歪めるクラルの頭を父親はポンッ、ともう片方の手で撫でた。


「心配しなくても大丈夫。家に気付け用の薬がある。この子には悪いが、それを口に含ませれば目を覚ますはずだ」


父親の頼もしい言葉にクラルの目から大粒の涙が溢れた。

ユアが助かる、それがようやく実感でき一気に緊張感が解れたのだ。


「さぁ急ごう。クラルは一人でも立てるね?」

「うん……うんっ」

「近道を使うよ。ついてきなさい」


そう言って父親は駆け出した。

道中父親は、クラルが疑問に思っていたことについて話してくれた。

何故あの場所にいたのか。


「――最初は単なる違和感、とでもいうか、森の方から嫌な予感がしてね。瞬時にこれは、あちらの者が徘徊しているんだ、ということに気付いたんだ。こういったことは過去に何度も経験しているからね」

「……僕も、とても嫌な感じがして、それで」

「やっぱりお前は私達の息子だよ。今回が初めてのことだっただろうに、違和感にしっかり気付いて行動できた。……けれど、無茶をしたことはあまり褒められたことではないな」

「だってユアが連れ去られそうだったから……」

「……まぁ、反省しているようだから今回は大目に見るよ。話を戻すけれど、あちらの者を送り返すのも墓守の重要な役目なんだ。だからすぐに森へと入った。まさかお前達が襲われているなんて、思いもよらなかったけれどね」

「……」

「クラルの良かったところは、周りにしっかりと助けを求められたことだ。お前は周囲に対して懐疑的なところがあるから、今回のような自分の手に負えない事象に遭遇した時、自ら声を上げることができるか少し心配だったんだ」

「……そんなの」

「お前の言いたいことはわかる。だけどねクラル、お前はまだ子供なんだ。一人で全てのことをする必要はないし、もっと周りを頼っても良いんだよ」


会話を続けていく内に、先ほどの老人が呟いた言葉が脳裏を過る。


『哀れよの……無力なお前も、力を秘めたその子も。お前は永遠にその子の隣には立てん。そういう星の回りなのだよ』


(……僕は無力だ。無力だからユアを助けられなかった)


怖かった。ユアが居なくなることが。

自分の実力では、まだ力になれないんだということが痛いほどわかって、それがとても辛かった。

全然足りなかった。魔力も経験も。

あんなに練習したのに、鎮魂の儀も任されるようになって、少しは成長できたと思ったのに。

いざ、ユアが連れ去られそうになった時、なにもできなかった。

ただ、ただ、恐怖に怯えて、必死に父を呼んだだけ。


もうすぐだ、と声を掛けられ顔を上げると、いつも見る家の裏庭に出た。

森の奥からどうやってここまでたどり着いたのか、正直全然記憶にない。

庭で待機していた母は、父親に抱えられたユアの様子を見るなり大慌てで家の中に入っていった。

恐らく気付け薬を探しにいったのだろう。


「客室に寝かせるからベッドの用意をしてくれるかい」


父親の指示に力無く頷いたクラルは、とぼとぼと家の中へと入っていった。





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