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4-4





(やっちゃった。よりによって授業態度に厳しい先生の時に……)


一人残された実技室の真ん中でハタキを片手に後悔するユアだったが、


「……よしっ、頑張って終わらせよう」


頬をぺちりと叩いて気合いを入れると、せっせと手を動かした。

幸いにも、教室と違って毎日のように使われるわけではない実技室は埃や汚れが少なく、効率的に掃除すれば点灯式までには終わらせれそうだ。


(早くしないと始まってしまう)


この前みたいにエイベルト様を待たせることにならないといいけれど、と呟いていると、廊下を行き交う生徒のはしゃぎ声が微かに聞こえてきた。


「今、エイベルト様が講堂で予行をやっているらしいよ」

「ええ、見に行こう!」

(……本当にこれでいいのかな)


遠ざかる足音を聞きながら、ユアの心臓が鈍く痛むのを感じた。



「……終わった!」


ようやく実技室の掃除が終わる頃、外はすっかり暗くなっており、あれだけ賑わっていた廊下も、今は人が一人もいない。

みんなもう講堂に集まっているのだろうか。


(時間は――ギリギリだ)


壁掛け時計は点灯式の数分前を指している。

ユアは急いで教室を飛び出すと、誰もいない廊下を駆けた。



『正直、エイベルト様にはがっかりしちゃうな』

『視野が狭いっていうか』

『なんか残念だよね』


ズキリ、と心臓の痛みが強くなる。

乱れる呼吸を抑えながら、それでもユアは速度を緩めることもなく、ただひたすらに走り続けた。



――周りから嫌われるのは構わない。

けれど私のせいで、本来のエイベルト様の立場が危うくなってしまうのは……嫌だ。


それなのに、せっかく周りから認められるようになっても、好意を寄せられるようになっても、あの人はいつも自分を犠牲にしてまで私を優先する。


そうさせてしまっている原因が私にあるとすれば――。


わぁ、と遠くで歓声が上がる。もう点灯式が始まってしまったのだろう。

滲む汗を拭い、せめて少しでも早く着くように、と速度を上げる。

そして、ようやく講堂の前にたどり着いたユアは息を切らせながら扉に手を掛けた。


講堂内の籠った空気がもわりと頬を撫でる。

丁度、祝詞を唱え終えたところのようで、割れんばかりの拍手と歓声がユアの耳をつんざく。

直後、舞台から発せられる眩しい光に思わず目を細めた。


『女神ルシアのご加護があらんことを――精霊達に感謝の意を込めて、ここに祈りの火を捧ぐ』


聞き馴染みのある声が光の中で響いた。

薄目を凝らして声の方に目を向けると、空色の神官服に身を包んだ幼馴染みが壇上で光の球に手をかざす姿が映る。

眩い光はゆっくりと膨れ上がりながら頭上へと登り、次の瞬間には光の粒子となって弾け、講堂中のろうそく全てに明かりを灯した。

会場を埋め尽くさんばかりに放たれた無数の輝きが、漂い、ぶつかり、重なる度に、ちらちらと七色の光を散らす。


「……綺麗」


ユアの呟きは生徒達の大歓声によって呑まれてしまった。

盛大な拍手が鳴り響く中、黄金の光に包まれながら舞台に立つクラルの姿に、喉の奥が火傷をしたみたいに酷く疼いた。


――あんなにも輝ける場所があるのに、彼が昔からずっとそれを願っていたことを知っているのに、いつの間にか私は"幼馴染み"という立ち位置に甘えて彼の足を引っ張っていたのかもしれない。



まだ歓声が鳴り止まない講堂を後にすると、ユアは持ってきた仮面を静かに付けた。


「今日が精霊祭で、本当に良かった」


取り繕えなくなった表情を誤魔化すのに丁度良い、と震えそうになる声を抑えて、ユアは歩き出した。


「……もう、終わりにしよう」









「……出遅れた!」


バタバタと身支度を済ませいつもの制服姿に戻ったクラルは、大急ぎでユアと約束をした場所へと向かった。

点灯式が終わった後、すぐに解放されると思いきや、壇上を降りたクラルを待ち構えていたのは大勢の女子生徒だった。

やれ、感動的な式だったとか、来年も是非お願いしたいだとか、中には精霊祭を一緒に廻りたいなどと言う者まで出てくる始末。

あまりの熱狂ぶりに恐怖したクラルは、思わず教頭に視線で助けを求めたものの、アーバンは腰に手を置きながら余裕そうに笑みを浮かべると、


『ははは。さすがエイベルト君、モテモテだねぇ。それじゃあ私は精霊祭の切り盛りとかで忙しいので後のことは任せたよ』


とだけ言い、その場からするりと逃げ出してしまったのだ。


「あの適当魔、人に押し付けるだけ押し付けて……!」


思わずクラルの口から怒声が発せられる。

結局あの後、約束の時間が過ぎても女子生徒達の勢いが止まることはなく、見かねたヴィンが「教師に呼ばれてるぞー」と声をかけてくれるまで解放されなかった。

すまない助かった、とヴィンに告げると、彼は過去一番の得意顔を決めこみ、


「行けよ……姫様が待っているんだろ?」


と親指を上げた。

そのことを今頃になって思い出したクラルは、あの時ヴィンの顔面に一発ほど手刀を構せておけばよかったと後悔した。


(――ユア、まだ待っててくれているかな)


人通りの少ない通路を選んでいるつもりだが、それでもすれ違う人はクラルの姿を認識するなり、話をしたそうに声を掛けてきたり熱の籠った視線を投げてくる。

点灯式に出たことで負のオーラが緩和されたとでもいうのか、普段は遠巻きに見つめるだけだった生徒達が、やたら気軽に声を掛けてくるようになっていた。

いつも以上に煩わしさを覚えたクラルは、もう声を掛けられても足を止めることはなく「……急いでるから」と素っ気ない対応でその場を離れた。


やがて、誰もいない閉まり切った図書室の扉の前に到着した。

ここが、ユアとの待ち合わせの場所だった。

たどり着くなり、辺りをキョロキョロと見渡すクラルだったが、


「――いない」


ユアの姿がどこにもないことを悟るなり「はぁ……」と盛大な溜め息を吐いた。


(これだけ待たせてしまったんだ。帰って当然だ)


廊下の壁に体を預けズルズルと腰を降ろし、ふと扉に目を向けると、取っ手に赤い色の仮面が引っ掛けられていることに気付いた。


「……ん? これは」


腰を上げて扉に向かい仮面を手に取ると、裏側に留められていた一枚の小さな紙切れがひらりと落ちた。

拾い上げると、そこにはユアの筆跡でこう書かれていた。


『エイベルト様へ

急に帰ってしまってごめんなさい。

祈りの火、とても素敵でした。

精霊祭、楽しんできてくださいね。

ユア・ルクタス』


(……どういうこと? 待たずにそのまま帰ったというのか?)


書かれていた内容に違和感を覚えたクラルは、手紙を握りしめたまま「……何故」と呟いた。


(嫌な胸騒ぎがする――)


その予感が的中するのは、精霊祭が終わって少し経った頃。


――あの日以来、ユアと顔を合わせることはなかった。



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