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クラルは神官のことを良く思っていなかった。
各地の神殿を管理する神官は聖職業の中でも極めて地位が高く、また己の崇高な仕事に誇りを持つ者が多い。
その矜持の高さ故に墓守のことを一層毛嫌いする者が多く、彼らを率先して迫害してきたのも神官だった。
世間体が大きく変わった今、表立って墓守を弾圧しようとする行動は見られなくなったが、今までの態度から一変、手のひらを返すような神官も多く、筋の通らない言動にクラルは不信感を抱き続けていた、のだが――。
「――僕が神官の代わりを?」
「どうかな、引き受けてくれるとありがたいんだが」
教頭のアーバン・ドルーに職員室まで呼び出されたと思ったら開口一番そう告げられ、クラルは不快そうに眉をしかめた。
それもそのはず、同じ聖職業の中でも神官と墓守の役割は全くと言ってもいいほど真逆であり、ましてや墓守が神官の真似事をするなど邪道の極みだ。
学園の教頭にもなれば、そういう暗黙の事情は知って当然のはずなのだが。
(理解した上で話を持ちかけたな……)
二十代半ばという若さで教頭の座まで登り詰めたアーバンは自他共に認める自由人であり、およそ教頭とは思えない言動や立ち振舞いが目立つことで有名だ。
型やしきたりに囚われず柔軟な発想で物事を進めることを得意としており、また教師としての能力も高く、学園では一目置かれている存在でもある。
しかし彼は時折、他人の事情はお構い無しで無遠慮に踏み込む癖があり、それ故にクラルはあまり良い印象を持っていなかった。
深く溜め息を吐くクラルの前で、アーバンは余裕そうに片方の眉を上げてみせる。
「急な話で申し訳ないけど、今度の精霊祭でお招きする予定だった神官様が、先日魔物に襲われてしまわれたようでね。一命は取り留めたが、しばらく安静にしないといけない状況らしいんだ」
魔物、と聞いてクラルの肩がぴくりと反応する。
それを面白そうな視線で見つめながらアーバンは続けた。
「そこで、エイベルト君の噂を耳にしてね。なんでも、国王にも認められるほどの腕前らしいじゃないか」
「それは昔の話です。それに、評価されたのは墓守の仕事だ、神官ではありません」
思わずムッとしてしまい言い返すと、アーバンは声をあげて楽しそうに笑った。そして、笑顔を崩さないまま、ゆっくり歩み寄ると、
「まぁまぁ、そう言わずに。会場全部のろうそくに火を付けてくれるだけでいいから。それに――」
すれ違い様に一度声を潜め、クラルの耳元で囁く。
「今回この仕事を引き受けてくれたのなら、学園内でできる限りの便宜を図るつもりでいるよ」
再びクラルが反応するのをアーバンは見逃さなかった。
"大人の魅力が溢れている"と女子生徒から好評な、その彫りの深い美顔に不敵な笑みを浮かべると、さてどうする、と言いたげに方眉を上げる。
「……どんなことでも、ですか?」
「許容できる範囲内でね。まぁ、考えておいてよ」
それだけ言うとアーバンは職員室の奥へと戻ってしまった。
クラルはその場からしばらく動けず、他の教師から声を掛けられるまで職員室の入口で呆然と立ち尽くしていた。
「――それでは、今度の精霊祭はエイベルト様が神官の代わりを勤めるのですか?」
「そうなんだ。せっかく約束してたのに、ごめん」
次の日の放課後、例の如く図書室で教科書を広げて課題に取り組むユアを見つけたクラルは、ことの成り行きを説明した。
「いえいえ、私は大丈夫です。それに、祭司の仕事が終わり次第、一緒に見て回れるのですよね?」
「もちろん。そこだけは交換条件の内に入れたから」
「なら、それで充分ですよ」
ホッと胸を撫で下ろすクラルを前に、ユアはくすくすと笑った。
「それにしても、楽しみですね。エイベルト様の活躍が久しぶりに見られるなんて」
「た、楽しみ?」
ユアの言葉にクラルは面食らった。
今回は渋々了承したものの、墓守が神官の真似事など、心の奥底はあまり乗り気ではなかった。にも関わらず、目の前の少女はそれを心待ちにしていると言うのだ。
「ええ、とても。祭司姿のエイベルト様も貴重ですし」
呆気に取られながらも、当日が待ち遠しいと言わんばかりに目を細めるユアに否定的な言葉を投げ掛けるわけにもいかず、
「そうか……ユアが楽しみにしてくれるなら、僕もやりがいが持てるよ」
と肩を落としながら応える。
けれど、教頭から打診を受けた時とは違い、ユアから期待を寄せられるのは悪い気分はしなかった。
「当日、頑張ってくださいね」
「ああ。終わったら、すぐ迎えに行くから」
当日の約束を取り付けたところで他の教師から呼び出しを食らったクラルは、そのまま慌ただしく閲覧室を後にした。
「よぉクラル。お前いつの間に墓守から神官に転職したんだ?」
扉をノックするなり返事も待たずに入ってきたのは寮の隣部屋の住人、ヴィン・イルマニアだ。
野次馬心を微塵も隠そうともしない彼は、黒縁眼鏡の奥にある三白眼をくいっと上げながら意地の悪い笑みをクラルに向けた。
「やぁヴィン。ユアが祭司姿の僕を楽しみだと言ってくれたから僕はもう神官でもなんでもやるって心に決めたんだ」
精霊祭に向けた点灯式の練習に勤しむクラルは、彼の挑発に全く動じることもなく、隙のないにこやかな笑みで返した。
「相変わらず安定の重症だな。まぁいい、これをお前にって教頭から預かってきたぞ」
うへぇ、と舌を出しながら、ヴィンは手に持っていた包をクラルに渡した。
「なにこれ。衣装?」
「祭司用の礼服だとさ。当日はこれを着て仕事しろってことじゃね?」
包を開けて中を見るなり「うわっ……」と二人同時に顔をしかめた。
高級な染料で空色に染められた袖の長い衣の裾には、見ただけで希少だとわかるほど濃い藍色の輝きを放つ魔鉱石が無数に縫い付けられており、肩から腕にかけては植物を模した見事なデザインが銀の糸で刺繍されている。
「……こういう爽やかな感じのは柄じゃないんだけど」
普段着が暗めの服しか持っていないクラルは思わず正直な感想を洩らすと、隣でヴィンも腕を組ながら頷いた。
「言えてる。お前はどっちかっていうと"常闇の使者"って感じだもんな」
「いかにも。そして当日は、祭司による冬の精霊を祝福する祈りの火ではなく、墓守お得意の死者を慰める送り火を提供することになるだろう」
間髪入れずに即答すると、どうやらそれがヴィンのつぼに入ったらしく、
「ははっ、ろうそくに火が付けばなんでもいいってか?」
と笑いながら肘打ちをしてきた。
ヴィンの攻撃をいなしながらクラルは溜め息を吐く。
「それだけで済めばよかったんだけどね。振る舞いやら祝詞やら覚えないといけないことだらけで休む暇もない」
「あー納得。女神ルシアの加護下にある祭儀なら戒律厳しいのも無理ないか」
教頭は簡単そうに言ってのけたが、点灯式というのはただろうそくに火を付ければ良いというものではない。
あくまでも神々への返礼が本来の精霊祭の目的であるため、常套句から火の数や大きさまで、非常に事細かな手順が要求されるのだ。
幸いにも墓守の家に生まれたクラルにとっては鎮魂の儀の経験があるため、祭儀における要求値がどれほどのものなのか感覚的に身に付いていたが、初めての人間に同等の仕事をこなすことは困難であろう。
その点においては、教頭の人選はあながち間違っていなかったとも言える。
「考えてみればみるほど不思議だよな。同じ時期に似たような祭儀が行われて、けれど内容は全然違うんだもんな」
ヴィンの言葉にクラルも同意した。それは、今回クラルも祭司の練習を通して改めて感じる疑問だった。
「点灯式も鎮魂の儀も、元々は区別なんてなかったのかもしれない。それが、長い歴史を重ねていく内に枝分かれしていって、形だけは同じで中身は別物の祭儀へと変化していったのだとすれば……」
「――お前は時々、無性に俺の好奇心を刺激してくれるよな」
目を見開き感心したように呟くヴィンに、クラルは少し目を反らしながら、照れを隠すように無言で友人の肩を突いた。
「なんだよ、せっかく褒めたのに」
「君が柄にもないことを言うから」
「それ、どういう意味だよ」
しばらくの間軽い小競り合いが続き、飽きが来て二人の手が止まる頃、不意にヴィンはクラルの肩に腕を回した。
「まぁ、その祭司の仕事とやらが終われば、例の姫様と一緒に祭りを見て回れるんだろ。友人の成功を影ながら願っているよ」
にかっ、と歯を見せて笑うヴィンに、クラルも笑みを返した。




