4.精霊祭
冬季が長いこの国では、毎年霜が降りるこの時期になると冬の訪れを祝う祭りが開催される。
この日は国の守護神――女神ルシアによる導きにより、季節を司る精霊達からの祝福がもたらされると言われている。
神官はその返礼として祈りを込めた灯火を精霊に捧げ、神々との縁を深めていくことで国の繁栄を願ったと言い伝えられており、やがて大衆化したこの祭儀を『精霊祭』と呼ぶようになった。
精霊祭が近付くにつれ、町の木々には光を孕ませた色とりどりのオーナメントが装飾され、道端には冬の精霊や伝承に登場する怪人を模した大・中・小、様々な形のカカシが列を成し、夕暮れ時になるとそれらがぼんやりと光を放ち薄暗い小道を妖しく彩る。
その日、微睡みを帯びた薄明かりを背に、ほくほくと白い息を吐きながら走る小さなユアの姿があった。
すれ違う町の人から「あらユアちゃん」「こんばんは」「今から精霊祭?」と声を掛けられ、その度に笑顔を作り「ええ、ちょっと」と一言返すと、立ち止まることなく走り出した。
厚手の長袖ワンピースの上から、更に防寒用の上着を着込んでまん丸になった体で一生懸命走るユアの姿はとても愛らしく、見た者は皆、目尻をゆるゆると下げて顔を綻ばせた。
ユアが住んでいた訓練所から墓地まで続く道も、この日は普段とは違う雰囲気を放ち、どこか淡く非日常的な幻想を生み出していた。
ポツポツと灯る明かりの中を道なりに進んで行き、エイベルト家の屋根が見える頃、墓地の入り口前で一人佇むクラルを見つけた。
「クラル」
「やぁ、ユア。来てくれたんだね」
ユアが声を掛けるとクラルは顔を上げ、目が合うなりくしゃりと微笑んだ。
金の刺繍が施された黒地のローブに身を包み、フードを目深に被る姿は墓守の伝統的な正装だ。
「ごめんなさい。特殊訓練が長引いて遅くなっちゃった」
「気にしないで。それよりも訓練お疲れ様」
「もう終わっちゃった?」
「ううん、これから始めるところ」
クラルの言葉にユアは「良かった」と胸を撫で下ろした。
この精霊祭では、二つの儀式が同時に行われる。
一つは、冬の精霊を祝福する祈りの火の点灯式、そしてもう一つは、死者の魂を慰め、在るべき場所へと還す鎮魂の儀。
冥界と現世の境が最も曖昧になるこの日は、精霊と共に彷徨う魂や招かれざる者も降りてくると言われている。
そのため、冥界から迷い込んだ魂の道しるべになるよう、また現世の人間が誤って道を踏み外した際に境目から戻って来れるよう、墓守は一晩かけて送り火の番を行う習わしがあるのだ。
墓地の広場に通されると、そこには燭台を持った人達がまばらに立っていた。
普段は人気の少ない墓地だが、この日は故人に祈りを捧げる人で珍しく賑わっている。
人の多さに呆然としていると、横からクラルが金色の平べったい燭台を手渡してきた。燭台の上には太いろうそくが刺さっている。
「持ち手に指を通して。落とさないよう底に手を添えて。あ、底は触っても熱くならないからね」
「うん」
「式中は危ないから、動いたら駄目だよ」
「もう、クラルは心配し過ぎ。言われなくても分かってるよ」
「でも……」
不安そうに見つめるクラルに口を尖らせていると、二人の後ろから背の高い影がにゅっと伸びた。
振り返ると、墓守の正装に身を包んだクラルの父親が、柔和な表情を浮かべながら立っていた。
父親はユアに軽く会釈すると、言葉少なめに「そろそろ準備しなさい」と口を開いた。
父親に急かされ、クラルの口が名残惜しそうに曲がる。
「……ごめん、もう行かないと。また後で」
「うん、頑張ってね」
ユアはクラルに手を振ると、クラルの父親に向かって礼を取った。
(クラルと同じ髪と目の色)
クラルを引き連れる父親の後ろを見つめながらユアは思った。
世間からの風当たりが強い墓守は、血筋を守るために同業者同士で婚姻を結ぶことが多く、それ故に容姿の特徴が出やすいのだとクラルから聞いたことがある。
実際に目の当たりにするとその通りで、クラルの父親も隣に並んだ母親も皆、背がスラリと高く髪は黒い癖毛、そして瞳は燃えるような赤色だった。
広場に設置された低めの舞台に三人が立つと、それまで歓談していた人達の話し声が一斉に止み、墓地本来の静けさに包まれた。
「それではこれより、鎮魂の儀を執り行います。お手元のろうそくを落とさないよう、しっかりとお持ちください」
父親が一歩前に出て、先ほどの言葉数の少なさからは想像もつかないほど、はっきりと張りのある口調で話し始めた。
案内が終わると今度はクラルと母親が同時に前へ進み、両手を地面に付き跪く。
静寂の中、緊迫して張りつめた空気が辺りを包む。
少しして母親が顔をスッと上げると、口を柔らかく開いた。
口元から紡がれる旋律は、この国の人間なら誰もが聞いたことのある鎮魂歌だった。
ビリビリと肌が痺れるような感覚に呑まれ、思わずユアは身震いした。
静かな墓地に響く透明な歌声は、天にも届きそうなほど力強く、まるで魂そのもののようだ。
鎮魂歌の初めの章が終わると今度はクラルが動いた。
跪いたまま両手をゆっくりと上げると、手のひらに青い炎が渦巻いてゆく。
初めて見た時よりも明らかに大きく安定した輝きを放つ炎の球は、空中で滑らかに弧を描くと、一瞬手の上で小さく縮み、弾けるように青い火の粉を散らして会場内のろうそく全てに火を灯した。
暗いところで見る送り火はいつも以上に神聖で美しく、鎮魂歌と相まって幻想的な空間を生み出していた。
(凄い。前よりも成長している)
広場を埋め尽くさんばかりに無数に瞬く青い火を眺めていると、舞台の上で天に向かって手をかざし続けるクラルと目が合った。
(ん? なにかしら)
視線を送ったまま口をしきりにパクパク動かすクラルに気付いたユアは、彼がなにを伝えようとしているのか注意深く観察した。
『火・を・見・て』
(火?)
頭に疑問符を浮かべながら手元の燭台に視線を移すと――
「……わぁ」
思わず顔が綻んだ。
羽の生えた女の子の形をした青い火が、ろうそくの上でひらひら、くるくる、と回っていたのだ。
(鎮魂歌に合わせて小さな妖精が踊っているみたい)
再び舞台に目を向けるとクラルは、してやったりといった顔で満足そうにユアを見つめていた。
「……こらクラル。仕事中に遊ばない」
「いてっ」
(あ、怒られた)
すぐさま父親に気付かれ、頭をコツリと小突かれたクラルの様子にユアはくすりと笑った。
やがて鎮魂の儀も終盤に近付き、広場の真ん中に設置された祭壇に送り火を捧げる時が来た。
「――それでは最後に、皆様にとっての最愛の故人を、または灯火を送りたい者を思い浮かべながら、祈りを込めて祭壇にろうそくを置いてください」
父親の声を合図に、会場にいた人達は青い火の灯った燭台を順番に置いていく。
いよいよユアの番が回り、祭壇に燭台を置きながら静かに祈りを込めた。
(私は、今まで奪ってきた命に――)
閉じた瞼の裏に思い浮かべるのは、これまで殺してきた魔物達の姿。
教官は魔物のことを弔う必要のない不浄な生き物だと言ったが、果たして本当にそうだろうか、とユアは疑問に思う。
あくまでもそれは人間側の都合で、魔物はただその生を受けて生きているだけなのだとすれば、人も魔物も還る場所は皆一緒なのではなかろうか、と。
(そんなことを言ったら、また叱られてしまうかしら)
教官の電撃を思い出した恐怖で冷や汗を浮かべていると、肩の上にポンとなにかが乗った。
振り返ると、人差し指がユアの頬にクニリと当たり、悪戯っぽい笑みを浮かべたクラルと目が合った。
「なにボーとしてんの」
「もー、終わったなら一声掛けてよ」
からからと楽しそうに笑うクラルにつられて、ユアの口角が自然と上がった。いつものやり取りに肩の力が抜ける。
「お待たせ、ユア」
「お疲れ様。鎮魂の儀、とても綺麗だったよ」
「ああ、ありがとう」
「精霊祭が終わるまで夜通し起きていないといけないなんて大変ね」
「父さん達はね。僕は寝たかったら寝てもいいって言われている」
鎮魂の儀を終えた後も墓守の仕事は続く。
広場から人がいなくなると、今度は祭壇に置かれた送り火が消えないように、家族で交互に火の番をする作業が待っているのだ。
「いつもクラルが送り火役をやってるの?」
「ううん、実は今年が初めて。それまでは父さん達が手分けして行っていたんだけど、ようやく僕にも仕事を任せてもらえるようになったんだ」
「さすがクラル。いつも魔法の練習、頑張っているものね」
ユアに褒められた照れ隠しからか、クラルは頬を赤く染めそっぽを向いた。
「それは、ユアに喜んでもらいたかったから……」
「え、なにかしら?」
「……なんでもない。それよりも、ちょっとこっち来て」
ポツリと呟かれた言葉が聞き取れずにいると、クラルは話をはぐらかすようにユアの手を引き、家の裏手にある庭へと誘った。
「わぁ、可愛い!」
「どうぞ掛けて」
裏庭の真ん中には、長い木のテーブルと小さな椅子が二つ設置され、周りを取り囲むように、カカシや淡い明かりを放つオーナメントで装飾されていた。
テーブルの上には瓶に生けられた野花やランタン、そして焼き菓子やパンが入ったバスケットが並んでいる。
「素敵。まるで物語の中にいるみたい」
ツタを絡ませた椅子にそっと腰を掛けると、目の前で取り皿を並べるクラルが眉を下げて力なく微笑んだ。
「本当は一緒に町まで出れたら良かったんだけど、今日は送り火の管理で家を離れられないし……」
(町へ出たところで、どうせ墓守の息子と煙たがられるに違いないだろうから)
町の精霊祭といえば、祝福の火を灯したランタンを片手に仮面を被り、路上に並んだ屋台を巡るのが恒例となっている。
本当は、行こうと思えば両親から許可を貰ってユアと一緒に町を巡ることは可能だった。
しかし、周りから不吉だと囁かれている墓守の息子が町へ降りればどうなるか、容易に想像がつく。
特に一般人にとって精霊祭は祝いの日だ。そんなめでたい日に墓守が近付こうものなら、普段以上の非難を受けることは必至だと、幼心ながらにクラルは気付いていた。
テーブル上の野花を指でつついているユアと不意に目が合うと、にっこりと無防備な笑顔を見せつけられ、クラルは呆れたように首を傾げた。
「わざわざ僕のところに来なくても、君のこと誘ってくれる人なんて沢山いただろうに」
どうもユアは世情に疎いところがある。
不吉の象徴とされている墓守のクラルに懐いているのもそうだが、今日なんかは、今まで殺してきた魔物を弔うために鎮魂の儀に参列したのだ。
神童と大切にされているからか、今のところユアの奇行は周りから容認されているように見えるが、それでも、いつか思いもよらないことが起こるのではないかと、クラルは内心ヒヤヒヤしていた。
「今からでも他の人に頼んで、町の精霊祭を楽しんできた方がいいんじゃないの。その方が、ここにいるよりもきっと……」
始めの言葉にはユアを心配する気持ちが入っていたが、後半になるにつれて複雑な感情で占められ声が小さくなる。けれどユアは首を横に降りながら、
「ううん、私がクラルと一緒にお祝いしたかったから。それに、ほら」
防寒用上着のポケットから赤色の平べったいなにかを取り出すと、それをクラルに手渡した。
「……仮面?」
訝しげに片方の眉を上げるクラルにユアは「そう」と答える。
蝶のような形をした赤い仮面の表面には、オレンジや黄色といった暖色系のビーズで縁取られ、目の穴の上には大きなまつげが縫い付けられていた。
「クラルは今まで一度も町のお祭りに参加したことがないって言ってたでしょ。だから、気分だけでも味わえるかなって思って貰ってきたの。ほら見て」
ポケットから今度は少し形の違う青い仮面を取り出すと、自分の顔にパカリとはめて「えへへ、どうかな?」と楽しそうに訊ねた。
仮面によりユアの顔半分が愉快なことになっているのを目の当たりにしたクラルは思わず噴き出した。
「ふふ……変なの。こめかみから羽が生えているみたいだ」
「もう、これはそういうものなの! 笑ってないでクラルも付けて!」
笑われて機嫌を悪くしたのか、ユアは頬をプクーと膨らませながらクラルに迫る。
仮面の効果も相まって迫力が増したユアの顔にたじろいだクラルは、慌てて手元の仮面を被ると「こ、こう?」と訊いた。
その途端、ユアはお腹を抱えてころころと笑い出した。
「あはっ、変なのー。赤いまつげがふさふさしてる」
「笑ったな……?」
笑い転げているユアを前に、仮面越しでもわかるほど濃い影がクラルの額に差す――。
「――恐怖の怪人、赤まつげ仮面は祭りで浮かれてる人々を惑わし、冥界へと連れ去ってしまうのだー」
ローブをヒラリと翻しながら説明口調で捲し立てたクラルは、慌てて逃げようとするユアの首根っこを掴んだ。
弱いところを鷲掴みにされ、堪らずユアは悲鳴を上げる。
「きゃーははは、やめてクラル、首くすぐったい!」
しかしクラルは手を離さない。
じたばたもがくユアの体を片腕でガッチリと固定すると、もう片方の指を首元で不規則にワキワキと這わせた。
「いやぁ! ……も、もうやめ……」
「はーっはっは、僕を侮るからこうなるのだ。どうだ、参ったか?」
「まっ、参りました!」
すかさず降参すると満足したのか、クラルは「よろしい」と一言添えてその手を離した。
涙目になりながら「ふぐぅ……」とその場でへたり込むユアだったが、少しして息が整うと、キッとクラルを睨み付けた。
「むー、いつもクラルばっかり勝とうとしてズルい!」
立ち上がるなりクラル目掛けて突進すると両手で拳を作り、目の前のお腹をポカポカと叩き出した。
「さては全然参ってないな?」
――数分後、再び悲鳴に似たはしゃぎ声を聞き付けたクラルの両親は、裏庭で取っ組み合いになっている二人を見つけると「女の子になんてことをしているんだ」とクラルにげんこつを食らわせた。




