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結局、晶が自室へ戻ってきたのは深夜二時を少し過ぎたころだったのだが、妃穂と茨木はやはり起きて待っていた。

そして話を聞くや、晶が意外に思うほどの勢いで身を乗り出してきた。

「先生のコーヒーをご馳走になったですって?」

「それは凄い。なかなかないことなんですよ」

そうなの?といまいち実感のわいていない晶のそばで、妃穂が驚いた顔のままうなずいた。

「紀佐先生のコーヒーなんて、わたくしも頂いたことないわ。美味しかった?」

「とっても。そんな滅多にないことなら、もっと味わってちびちび飲んできたらよかったかな。図々しくクッキーまで出してもらったけど」

晶の台詞に、妃穂と茨木は顔を見合わせた。

滅多にないどころの話ではない。それはよっぽど気に入られたのだ。

と言うか、晶のどこかに先生の胸を打つものがあったのだ。


紀佐先生のコーヒーは、生徒たちの間ではほとんど伝説のように語られている。

彼女は長年聖葉で舎監をつとめているだけあって、どんな生徒に大しても公平に厳格だ。だが時折この老先生の胸を打つ生徒がいると、彼女は手づからコーヒーを入れてご馳走してくれる。自分の部屋で。

そして昔話をしてくれたり、逆に話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたりする。そのコーヒーを飲んでいる間だけ。


「それじゃ、先生に見つかったことでかえって予想外の大収穫だったじゃありませんか」

妃穂が言うと、晶は嬉しそうにうなずいた。

「そうなの。今すぐではないけど、そのうち母の写真と実家の住所も探しておいてくださるって言ってた」

二人はまた、顔を見合わせた。これまた凄い特別待遇だ。

「じゃあ、晶、あなたここから出て行くの?」

妃穂が聞くと、パジャマに着替えて寝る準備をしていた晶が手を止めて返した。

「んん?」

「だって、早くも目的達成でしょう」

あそっか、と晶は納得した。そうだよねえと言いながら鏡と向き合って髪にブラシをあてる。

「どうすっかな、やっぱり出て行くべきかなあ」

「晶」

妃穂はあわてて言い添えた。

「そういう意味で言ったのではないのよわたくし。出て行ってしまうのかしらって、そうなら寂しいわってつもりで言ったのよ」

晶がブラシをかける手を止めて肩越しに振り向く。

「迷惑じゃない?」

「迷惑じゃないわよ。そんなわけないでしょ。晶、あなたこそ、ここ嫌い?」

「嫌いじゃない」

「本当? 無理してない? わたくしはもう初等部からここですから当たり前になっているけど、あなたみたいに外から来た人には窮屈じゃない? 退屈じゃない?」

晶は白い歯を見せて目を細めた。

「窮屈じゃないし退屈でもない。聖葉って確かに閉ざされたイメージがあったけど、中に入ってみるとあたしが想像してたのよりもずっとやさしくて、あったかくて、美しくて、おもしろいよ。居心地もいいしね」

「そう」

自分の古巣を褒められて、妃穂はほっとしたように微笑した。

「だったらこのままずっとここにいたらいいわ」

「……」

晶はブラシを片手に持ったまま、肩越しにじっと妃穂を見つめる。瞬きもせずに。

妃穂は続けた。

「外の世界でなければできないことがあるなら別だけど。特にないならここにいらっしゃいよ。一緒に卒業しましょう」

「妃穂」

晶はブラシを置いて、完全に妃穂の方を向いた。

そして思いがけないことを言われたというように目を丸くしていたが、やがてゆっくりその目を細めた。


「ありがとう」





次の日の朝。

紀佐の姿を見つけるなり嬉しそうに駆け寄っていって、

「おっはようございまーす、女王陛下!」

と挨拶する晶がいた。

なんだなんだと注目する生徒たちを無視して、紀佐はすいと手を伸ばして晶の頬をつねりあげる。

いででで、と首をすくめて晶は言い直す。

「て、訂正します。おはようございます紀佐先生」

「よろしい」

冷ややかにそう言って紀佐は晶の頬から手を離し、まるで何事もなかったかのようにその場を去っていった。

「おはよう、尾崎さん」

その紀佐と入れ替わりに晶のすぐそばに立ったものがある。

「よく眠れた?」

黒髪の、日本人形のような細面の美貌の少女は、晶や妃穂と同じく高等部一年生の桐生園子だ。

「桐生さん」

晶はぱっと顔を輝かせて人懐こい笑顔を浮かべたが、少し離れたところでそれを見ていた妃穂はくるりと背を向けて校舎のほうへ歩き出した。

二人は校内で顔を合わせても互いに挨拶もしない。どうしようもなく犬猿の仲なのだ。

茨木も同様に歩いていくのを目の隅で追いつつも、晶は制服のポケットから小さなものを取り出してそっと園子に渡した。

「これ、ありがと」

園子も人目に付かないように、受け取ったそれをすぐに自分のポケットにしまう。

「お役に立てて?」

「うん、とっても。感謝してる。時にあれは考え付いた? 『あたしが桐生さんの役に立てること』」

考えついたわ、と園子は妖艶に笑うと、心持ち声を落として晶の耳にだけ届くように告げた。

「いつか、ひとつだけ、無条件で園子の言うことを聞くこと」

「怖いなー」

ちょっと真顔になって身を引く晶に、園子は大きな黒目がちの瞳を伏せてくすくす笑った。

「よろしいわね。約束よ」

晶は手をあげて額の生え際をぽりぽり掻くと、

「いや、異存はないんですけどね……桐生さんさ」

「なあに」

楽しそうな笑みのままで返事した園子の頭の上に、ぽんと自分の手を置いた。

「あんたね。基本的に、それ間違ってるから」

園子の笑みが固まった。

「と、言うと」

笑顔はそのままで、目だけに鋭い光を灯して園子は晶を見返したが、晶は少しも気圧されることなく続けた。

「何かして欲しいことがあれば、普通に頼めばいいじゃない」

園子は晶を見上げたままでゆっくり瞬きした。

作っておいた笑顔が次第に崩れ、呆れたような驚いたような無防備な表情になる。

「ね? そんな、交換条件つけたりしなくても、できることならいつでも何回でも、するよ。なんでも言って?」

園子のつやつやした髪を手の平で整えるようになでつけると、晶は、それじゃねと言って手を離した。

ちょー待ってよ妃穂―。

言いながら渡り廊下を走っていく晶の背中を、園子はずっと、見えなくなるまで追っていた。





「妃穂、妃穂っ」

晶は追いつきながら声をかけるが、妃穂は振り向かなかった。歩みも止めないので晶は横に並ぶ。

「待ってったら」

歩きながら妃穂は返す。つんと斜めを向いたままで。

「ごめん遊ばせ、聞こえなくって」

よく言うよと晶は肩をすくめ、気にせず一緒に歩く。

かわいい意地悪だよね、と晶がつぶやいたのが気に食わなかったとみえ、妃穂はぴくりと片眉をあげて皮肉を言った。

「どなたからもモテモテでよろしいですこと」

「あっ何その言い方」

晶は片手を妃穂の腕に絡ませると、もう片方の手で制服のポケットを探った。探りながら言う。

「まあご機嫌直して」

「わたくし、ご機嫌悪くありませんよ」

甘い感じのする笑顔を作って言う妃穂を、晶は絡ませた肘でちょっと押した。

「それのどこがさ」

そしてポケットから飴を取り出して器用に指先で包装を破くと、

「妃穂、あー」

「あー?」

思わずつられて開けてしまった妃穂の口の中に、その飴を放り込んだ。妃穂は目をぱちくりさせて尋ねる。

「……なんです、これ」

「飴」

「だから、どうして飴なんです」

「ポケット入ってた」

茨木もびっくりしたように見つめる横で、晶は自分から腕をほどいて先へと歩いていく。


またえらくストレートな懐柔というかお茶の濁し方だこと、と妃穂はその弾む背中を見ながら思った。

自由奔放に振る舞う晶。

だが、妃穂にとってそれは不快ではない。


「茨木」

「なんですか」

「外の世界って、晶みたいな人がたくさんいるのかしら」

茨木は少し考えてから、ごく控えめな言い方をした。

「さあ……それはどうですか」

「だとしたら、外の世界も悪くないわね」


自分もいつかはここを出て行かなくてはならない。だが、外には晶みたいな人もいるのだと考えると、怖さがやわらぐ。

そう言うと茨木は、そうですねと笑ってから続けた。

「でも、まだ三年ありますから。卒業はもっと先の話ですよ」

あともう少しの間はこのままいられますよと、珍しく甘やかすようなこと言う茨木に、妃穂も微笑んだ。


そうね。

ほんとに、そうね。

晶の父、竜世は放浪の画家でした。

本人は国を選り好みすることはなかったのですが、顧客はイタリアに多かったようで竜世本人もそこが性に合っていたようです。


妃穂「やっぱり芸術の本場だからかしら(うっとり)」

晶「んーん、ラテン気質と女好きだから(きっぱり)」


というわけで晶もイタリアに滞在していた時期が長かったようです。

当然幼なじみもいたりします。

竜世が死に、日本へ、聖葉へ行くことを決めた晶をもっとも気遣ったのは、イタリアの幼なじみクラウディオ。

次は「学園祭ワルツ」

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