2-4 ローラとの和解
シェリーは一人で部屋にいた。
この頃になると、ご令嬢達の信頼は更に深まり、依頼も大物がちらほら混じるようになっていった。今回はドレスだ。婚約者と食事に行くための服が欲しい、ととある貴族令嬢から頼まれていた。
彼女の髪はココア色、瞳は灰色だったため、恐らくスカイブルーのドレスが似合うだろうと思い、布を仕入れ、数日かけて作成していた。針を動かしながら、考え事をする。
気になるのはあの時のオスカーだ。酷く暗く、魔女やそれに迎合する人間への憎悪に満ちていた。そればかりか、彼はシェリーとアリスが入れ替わっているのに気がついていた。普段のあの、おちゃらけた雰囲気はフリなのだろう。
彼がまた修道院に来たらどうしよう、と思っていたが、幸いにして、あの日以来、数週間経っても姿を見せることはなかった。
修道院内でも変化があった。
例のシスターが行方不明となったため、金持ちが優遇される、ということが以前よりも減った。花嫁修業中のご令嬢達は平等に扱われることになり、“アリス”もまた、前よりも人と話す機会が増えた。
「ローラさん、最近、お友達に避けられているのよ」
そう言ったのは、よく話すようになった少女の一人だ。彼女には髪飾りを作ってあげたことがある。
「あのローラさんが?」
驚いて聞き返す。
高飛車で意地悪なローラはいつもアリスを目の敵にしていた。シェリーがやり返してからは正面切って嫌がらせをしてくることはなくなったが、それでも遠巻きにこちらを見て、友人達と笑っていることがあった。
「そうなのよ、彼女、ほら、気性が荒いでしょう? それに、お父様の事業があまり上手く行ってないらしくて寄付も減っちゃったようなの。でも婚約者は伯爵様よ。嫉妬もあるんでしょうけど、今まで嫌われていたのが表面に出ちゃったのね」
どこの世界でも、少女達の世界は複雑だ。今まで力を振るっていた者が、突然塔のてっぺんから転落することがある。今回それはローラなのだ。
少し可哀想な気もするが関係の無いことだ、とこの時は思っていた。
事が起こったのは、また数日後の昼間だった。シェリーがいつものように修道院の掃除をしていると、突然耳をつんざくような鋭い悲鳴が聞こえてきた。
驚いて声の聞こえた場所へ向かうと、それはローラが使っている部屋だ。既に数人の人だかりができていて、扉は開かれている。
覗き込むと、尻餅をついているローラが怯えた表情で部屋の中央を見ている。
中央には、元はピンク色だったのだろう、わずかにその色が垣間見えるドレスが、いあまや見るも無惨に切り裂かれ、さらに異常だったことには赤い液体が全面にかけられていることにあった。
シェリーが思わず顔を歪めたのは異臭によってだ。金臭い液体は、恐らく血液に違いない。
嫌われていると言われていたが、ここまでのことをされる必要があるのだろうか。
哀れローラは震えながらドレスを見つめて泣いていた。人の気配に気づいてか、ゆっくりと部屋の扉に目を向ける。そしてシェリーと目が合うと、鬼のような形相に顔を歪め一目散に掴みかかってきた。
「あんたがやったんでしょう! あたしへの復讐のために!」
シェリーはその手を払いのける。
「わたしじゃないわ。復讐されるようなことをする貴女が悪いんじゃないの?」
「何よっ!」
なおも睨み付けるローラに、今度は別の少女が言った。
「シェリーは今日ずっと掃除をしていたわ。何人も見ているもの」
ローラは黙った。その目は赤く、悔しさからか唇を噛みしめていた。その様子に、シェリーは同情した。
「いいわ。わたしが新しいものを作ってあげる。もちろん、お代は後でいただくけどね?」
無言の部屋に、布がすれる音がする。シェリーは黙々と針を動かす。材料となる布はたっぷりとあった。深紅の絹。黒髪で肌の白いローラには似合うだろう。
ローラの部屋は血液で汚れてしまっていたため、二人はシェリーの部屋にいた。トルソーに、布が張られている。ドレスを作る際は前もって無地の布で同じ形を作り、修正点などを見るのが常であるが、今回は時間がなく、ぶっつけ本番だった。
なぜなら、ローラの結婚式は明日だからだ。ドレスを傷つけた何者かは、それを知っていたに違いない。ぶちまけられていた血液は修道院で飼育している鶏のものだった。数匹姿を消しているのがわかった。
ローラは椅子に座り静かにシェリーの作業を見守っている。縫いがある程度まとまると、ローラの体に合わせるということを繰り返していた。
「ありがとう……」
既に真夜中、といえる時間帯。ローラがぽつりと言った。シェリーは驚いて振り返る。
「え? 嘘、お礼を言ったの?」
「そ、そうよ、悪い? わたしだって、お礼くらい言うのよ!」
プライドの高い彼女がこんなことを言うとは、思わず笑う。ローラも、ほんの少しだけ笑った。
「わたし、お母様のために、幸せな結婚をしたいのよ」
「お母様のためだけ?」
「ええ、お父様は他に女の人がいるし、お母様の感心は、わたしが幸せになることだけだから。安心させてあげたいの」
「そうじゃなくた、あなたのために結婚をしないの?」
ローラは驚いたような顔をする。しかし、少しの間の後、首を横に振る。
「お母様が喜ぶなら、それでいいのよ」
シェリーはローラの顔をまじまじと見つめる。疲れているせいか、彼女はいつになく素直だ。
「わたし、あなたのこと誤解してたみたいだわ」
誰かのために、自分の望まぬ結婚をするとは。そう言うと、「なによそれ」とローラはまた笑い、それから真面目な顔になった。
「アリス、今までごめんなさい。お父様と上手くいかない鬱憤を、きっとあなたで晴らしてたのよ。あなたにはなんの罪も無いの」
その言葉にシェリーは微笑んだ。
(本物のアリスにも聞かせてあげたいわ)
心の中で、そう思いながら。
翌日、できあがったドレスと共に、ローラは修道院を去って行った。最後にまたシェリーに感謝と謝罪を告げて。
シェリーも彼女の幸せを祈った。
そして、胸の内で別のことも思った。
(この生活を、手放したくない。だって、洋服を作るのが好きだわ)
両手を握りしめた。胸に、決意を固める。
(魔女の呪いを、解いてやる)