2-2 シェリーの結婚
アリスがシェリーとして修道院を後にして、まず向かったのはノアの屋敷だった。
領地の集落を抜け、森の中に現れるその屋敷は、彼の曾祖父の時代に建てたものだという。どこか寂しげな印象を、アリスは持った。
「長旅、お疲れ様。迎えに行けず悪かった」
着くとノアが待っており、そう声をかけてきた。入り口に待ち構えるずらりと並ぶ使用人にも、天井高く吊されたシャンデリアにも驚き、アリスは先ほど抱いた寂しげな印象を即座に払拭する。
「いいえ、とんでもございません! ノア様も、お忙しいのでしょうから」
そう言うと、怪訝な顔をされる。なにかおかしな事をいったかと焦っていると、ノアが苦笑した。
「以前にお会いしたときとは、なんだか様子が違って見えるな」
しまった……!
シェリーならきっと容易く相手に迎合しないに違いないはず。咳払いをした後で、
「あ、あたしのことを迎えに来ないなんて、なんて男なの!? きっとひどい結婚生活が待ってるのでしょうね!」
というと、ノアは表情をこわばらせた。言い過ぎた、と思った時には遅し。ノアはアリスの案内を使用人に任せ、一人去ってしまった。
(はあ。ひどいのはあたしだわ……)
ノアとシェリーの間に愛がなかったとしても、彼は歩み寄ろうとしてくれていたのに。
結婚式は、ノアの領地の教会で行われた。シェリーの母親は、あいにく流行の風邪をこじらせてしまい参列できなかった。
手紙で完治したら必ず会いに行く、と知らせがあった。それから結婚生活における山の様な注意事項も。その手紙が修道院のシェリー宛てに届いたから、二人は安心して入れ替わりを実行できたのだ。
母親がいなかったのはアリスにとっても幸いだ。流石にシェリーの実の親までだまし通せるとは思えなかったからだ。
ノアには親族がなかったため、この国の貴族の結婚式の慣例に則り、参列者は領地の領民と、彼の友人たちだった。
その友人達の中に見た顔があったのに気がついたアリスは思わず彼から顔を背ける。アリスはもの覚えがいい方だ。それはまさしく、修道院でシェリーと着替えている最中に部屋に何故か入ってきたあの男だった。
彼は既に酔ってるらしく、誰よりも大声で祝福をしていた。
「ノアー! シェリー! 幸せになれよー!」
その声を受けながら、神の御前で結婚の誓いをする。
――病めるときも、健やかなるときも、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか、新婦シェリー
「はい、誓います」
アリスは答える。
嘘ぱっち。
何もかも、嘘だらけの結婚の誓い。
ノアがアリスに向き直る。そして、誓いの口づけをした。
愛なき結婚、偽りの花嫁。知るのはアリスとシェリーだけ。
――神様の前で、嘘を付いてしまった。夫となるノアに対しても。
結婚式を終えても、アリスの心は晴れなかった。やっぱり、こんなことすべきじゃないのでは。今真実を言えば、まだ間に合うはずだ。
しかしそうすれば、あのシェリーの笑顔を奪ってしまうことになるし、自分も修道院で惨めに一生を過ごさなければならない。あの暗い建物の中で、たった一人静かに老いていく自分を想像して、アリスは身震いをした。
「君がこの結婚に乗り気でないのは知っている」
夕食を食べている時、重い沈黙を破ったのはノアだった。
長いテーブルの端と端に座っている二人の距離はそのまま心の距離のように思える。アリスはノアを見た。
「私とてそうだ。だが領民を持つ貴族に生まれた以上、結婚は避けられない。仲良くしようとは言わないが、最低限の礼儀を持って接しよう。つまり、互いの生活には干渉しない。独身時代と同じだ。どうだい?」
アリスも同意した。
関わりがなければ、正体もばれない。
(だけど、憧れた結婚て、こんなものなのね)
ほんの少しだけ残念に思った。