エピローグ
舞台の幕は、再び上がる。
シェリーの店を、ノアは馬車の中から見つめていた。用事など、あるわけではなかった。彼女と顔を合わせたくなかった。だが身重の妻が心配で、遠くから様子を見ていたのだ。
店の中で、三人は楽しげに会話をしているようだ。
――なぜ。
ノアの中には疑問がある。
やはり、腑に落ちない。
どう考えても、結論は一つしかない。
(なぜオスカーは、嘘を)
――魔女は……。
オスカーは疲れていた。
魔女を殺すことに。
使い魔を殺すことに。
自分を押し込め、ときに陽気に振る舞わなければ生きていけないほどに、疲れ切っていた。
だから戦うことを止め、抗うことを止めた。
全てに気がついていても、それを受け入れたのだ。ひとたび受け入れてしまえば、悪魔は優しい。時に、神よりも。緩やかな滅びは、彼にとって希望に満ちていたに違いない。
だから嘘をついたのだ。
母親が、魔女であると。
魔女は誰だ。本物の魔女は。
考えるまでもない。
それは――。
ローラとかいう少女のドレスが無残な姿になったのも、使い魔にやらせたのだ。ローラもまた、使い魔にするための足がかりとするために。彼女の嫁ぎ先は有力者だ。
意識的にせよ無意識にせよ、修道院で魔女は複数の使い魔を作り上げたのだ。
金に囚われたシスター。
人を陥れないと心が守れない令嬢。
夢見がちな少女たち。
空虚を抱えた魔法使い。
自分に自信の持てない孤児の少女。
服という媒体は、好都合だったに違いない。流行だと言えば怪しまれずに身につけるのだから。
予言が絶対だと言うのであれば、確かにそれは成ったのだ。
――シェリーは若くしてその人生を失う。
赤ん坊だったシェリーは魔女に成り代わられ、その人生を、アリスとして生きた。双子などではない。娘は初めから一人だった。
魔女の復讐は達成された。憎い男の妻を殺し、娘を手中に収めた。
ならば、次なる目的は――。
店の扉が開き、アリスが出てきた。ノアの乗る馬車を見つけ、笑顔で向かってくる。
やがて馬車に乗り込んだ妻から、そっと包みが渡された。
「シェリーから。日頃の感謝を込めてですって」
中にあったのは、真っ赤なハンカチだ。
やがて彼女の作る赤い服は、世界中に蔓延する。じわじわと、病のように。農民の反乱は続いている。不作が続き、多くの人々が今日も飢えで死んで行く。戦争が起こる。世界中で、多くの命が消える。やがて最後の一人が死に絶えるまで、彼女はどこまでも広がっていく。
止める術はない。ただの人間の、ノアには。
だが果たして、それが不幸なのだろうか。
人は支配され、彼女の世界で生きていく。
だが果たして、今と何が違うのか。
変わりはしない。いや、むしろ。
店の中に再び目線を戻すと、少年の頃のようなオスカーの笑顔が見えた。あんな表情をした彼は、本当に久し振りだ。一切の苦痛から解放され、心は幸福に満ちているように見える。
何が幸福で何が救いになるかなど、所詮は外からは分からない。
「赤ちゃんのために、服を作ってくれるって」
腹をさする愛する妻に微笑みかけると、血で染め上げたかのような真っ赤なそれをポケットにしまった。
支配者が変わったとして、では一体、何が変わるというのか。
変わりはしない。ただ、これからも。
何者かに与えられたこの平凡なる生を、貪り生きていくだけだ。
幕は降りる。そして二度と開くことはない。
お読みいただきありがとうございました。
ゾンビ映画を観ていて、自分だったらすぐ諦めて真っ先にゾンビになるだろうな、なんて考えて思いついたお話だったような気がします。